ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

中国のキリスト教の動向

昨日、関西セミナーハウスより、財団法人日本クリスチャンアカデミー機関誌『はなしあい』(第495号)が届きました。 この中で、関東活動センター所長に就任されたばかりの薛恩峰先生が「中国のキリスト教ブームを解く」と題してお話された概要の掲載があり…

翻訳によって価値を学ぶ

おととい(6月27日付「ユーリの部屋」)では、三位一体の「三」というのをなくせばけっこういけるのに、というムスリムの話を引用いたしました。実のところ、これは言語上の問題でもあるようです。ここで再び、Hugh Goddard教授にご登場願いましょう。非常に…

所変われば見方も変わる

昨日、大阪生まれの韓国人牧師の14回コラムを偶然ネット上で見つけたので、読んでみました(『韓国キリスト教とイスラムの衝突』(http://christiantoday.co.jp))。 韓国との関係では、私も院生時代に韓国人留学生と共に学ぶ機会がありましたし、韓国から…

一つの中間的考察 (2)

ただ、基本的な規定要因があって、それはやはり啓典が、しかものちの福音書作家が書いたようなものではなくて、本当にムハンマドが言ったとおりに書かれているとされるものが護持されている。しかも、それが法的規範として、今でも少なくとも一部分では貫徹…

一つの中間的考察 (1)

昨日の続きです。3年前に複写を入手した、Hugh Goddard教授のマレーシアのムスリム・クリスチャン関係のリサーチ論文‘Christian-Muslim Relations in Nigeria and Malaysia'Lloyd Ridgeon(ed.) "Islamic Interpretations of Christianity" Curzon, U.K.,(20…

イスラームをめぐる英マの関係

昨日の予告通りの内容を書こうと思い、昨晩からHugh Goddard教授のマレーシアとナイジェリアに関するムスリム・クリスチャン関係の論文‘Christian-Muslim Relations in Nigeria and Malaysia'Lloyd Ridgeon(ed.) "Islamic Interpretations of Christianity" …

新しい段階に向けての準備を...

「ユーリの部屋」の購読者数がまた一人増えたそうです。ありがとうございます。どなたが「買って」くださっているのでしょうか。そこは個人情報保護が働いているらしく、私にはわかりません。最近始まった「はてなブログ」の統計によれば、「ユーリの部屋」…

ムスリム文書とキリスト教文書

昨日は、雨だったこともあり、ほぼ一日中“Christian Literature In Moslem Lands: A Study Of the Moslem And Christian Press In All Mohammedan Countries" George H. Doran Comapny, New York, 1923を読んでいました(参照:2008年4月19日・6月8日付「ユ…

祝:ブログ一周年記念

今日で、「はてなブログ日記」を開設して、満一年になります。昨年のことを思い出してみると、夕方になってふと思い立って、さっと始めたという状況でした。知り合いも使っているフォーマットだからというので「はてな」さんを選んだわけです。日本語と英語…

不利か有利かではなく....

この頃、似たような話題が続き、なかなか演奏会の感想に入れず、申し訳ございません。 先日、Rさんと電話でおしゃべりしていて、「不利なテーマの研究かどうか」という話題がちらりと出た時、「それは自分で考えて」と言われました。文脈によっては明らかに…

優し過ぎるクリスチャン?

今日は、大雨のために、一日中本を読んで過ごしました。 本といっても、これまでたびたび言及したMark Beaumont氏の『ムスリムとの対話におけるキリスト論:9世紀と20世紀のムスリムのためのクリスチャンによるキリスト提示の批判的分析』(2005年)という博…

振り返ればもうすぐ一年

数日前から、ちょうどこの「ユーリの部屋」のデザインと同じ色と形のユリの花が、テーブルの上に飾ってあります。案外長持ちするもので、一つは花びらが落ちてしまいましたが、他の花は次々と大きく咲き誇っています。そういえば、このブログを始めて、もう…

まどろみの日々を...

この頃、どうもぼんやりしていて時間を無駄に過ごしているような気がします。梅雨明けとなり、これから暑くなるというのに、こんな調子じゃいけません。10日ほど前の学会前に、資料整理に夢中になって不規則な時間帯で過ごしていた上、音楽会が続けて4回もあ…

ムスリムによる自己批判の兆候

このところ、何だか同じような話題で飽きてきました。マレーシアの研究でも、もっとおもしろくて刺激的な話があればいいのですけれど、何だかあっちにフラフラこっちにフラフラと言った感じで、それでも人々が何とかたくましく生きているっていうところでし…

教皇講話と教会音楽の演奏会

昨日は、しばらくムスリム・クリスチャン関係問題で疲れてしまったので、ブログはお休みして、読書と教会音楽で過ごしました。 しかしその読書がまた気の重いもので、何とかこの世の中、どうにかならないかなあ、と感じてしまった次第です。読書とは、2007年…

イスラーム理解の一側面(続々)

昨日は、カイロス調査センター代表の Ng Kam Weng博士から、久し振りにご連絡をいただきました。ローマ(もしかしたらロンドンも?)でのムスリム・クリスチャン関係会合に、マレーシア代表として行かれていたのですが、帰国後初の投稿として、9世紀頃のアラ…

イスラーム理解の一側面(続き)

昨日一部ご紹介した故ワット教授のムスリムとクリスチャン関係に関する概説書『ムスリム・クリスチャン遭遇:理解と誤解』(1991年)から、続きを見てみましょう。今なら当たり前と思える内容ではあっても、出版当時、これだけのことを勇気を持って誠実に記…

クリスチャンにとってのイスラーム

故ワット教授の『ムスリム・クリスチャン遭遇:理解と誤解』(1991年)の中から、私にとって重要だと感じたポイントをまとめてみたいと思います。「それはイスラームに対する偏見だ」とか「イスラームがわかっていない」などと一方的に責められがちな、ある…

「バルナバの福音書」について

『バルナバの福音書』とは、原本がイタリア語でのみ残っていて、1709年にアムステルダムで最初にその存在がわかり、ウィーンの帝国図書館で見つかった。 初期アラビア語版があると言われているが、これまでにその写本は出現していない。 1907年に二人のクリ…

久しぶりにブログを...

エレーヌ・グリモーさんやアンネ=ゾフィー・ムターさんの演奏会は、時間的に無理かと思っていたのですけれども、今から考えても、行けるうちに行っておいてよかったなあ、というのが正直なところです。やはり、よいものに触れるかどうかで自分の感性も違っ…

大ボケボケボケの話

昨晩は資料整理を始めたら、明け方5時まで熱中してしまい、今朝はぼんやりしたままでした。 ぼんやりのついでに、受信メールを開くと、なんと、某学会から原稿郵送の再催促が。(あれ?5月下旬に送ったはずなのに)と不審に思いつつ、複写ファイルを調べてみ…