ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム理解の一側面(続々)

昨日は、カイロス調査センター代表の Ng Kam Weng博士から、久し振りにご連絡をいただきました。ローマ(もしかしたらロンドンも?)でのムスリム・クリスチャン関係会合に、マレーシア代表として行かれていたのですが、帰国後初の投稿として、9世紀頃のアラビア語聖書で‘Allah’が用いられていることを掲載されたのです。こちらにとっては、随分前から知っていた内容ですが、重要なのは、マレーシア人のクリスチャン自らが発信することです。カトリック新聞『ヘラルド』とボルネオ福音教会(Sidang Injil Borneo)の‘Allah’使用問題をめぐる裁判の延期についてもあっさりと、「それは当局のやっていることに矛盾があるので、対策を練るために延期せざるを得ないのでしょう」と、これまた当然のことを書かれていました。なんだか、当たり前のことを公然と語ることがこれほど貴重に思われるとは、当該社会がそういう状態だということの反映です。なんたる人材の無駄遣い!
では、故ワット教授の著作のポイントを続けましょう。今日で第三弾、最終回です。

・当初から、クリスチャンが素晴らしい新しい真実の証人を担っているという意味で、キリスト教は宣教する宗教であった。その真実とは、クリスチャン達に伝わり、人生を変え、非クリスチャンにそのことを信じるよう勧めるものである。(pp.103-104)
・ほとんどのムスリムは、キリスト教への改宗に憎しみを持っていた。そして中には、宣教運動を植民地主義の一手段だと非難してきたムスリムもいる。これは、多く見積もっても部分的にのみ本当である。恐らくそれは、バスコ・ダ・ガマ直後の数世紀に及ぶポルトガル人の宣教に該当し、後には、インドネシアでのオランダ人の宣教やアフリカでのドイツ人やベルギー人の宣教が当てはまる。一方、インドやマレーシアの英国行政は、概ねキリスト教宣教師達に対して幾ばくか無関心であった。北ナイジェリアでは、イスラームに好意的であったようにも思われる。(p.104)
ムスリム諸国あるいは部分的にムスリム地域である諸国で、宣教師達によってなされた最高の仕事は、恐らく教育分野であっただろう。宣教師達が提供した西洋型の教育は、人々が欲していたものであった。また、キリスト教受容への圧力があった二、三のケースもあったかもしれないけれども、一般的に程度の高いものであり、子ども達に教え込むのに不適切な試みからも自由であった。今のベイルートアメリカン大学は、元来、宣教師の設立であった。そして高度な学問的水準を保っていた。一般的に識字伝統のなかった国々―恐らく主にアフリカのより原始的な地域―では、ミッションスクールを建てた一つの理由は、地元のクリスチャン達が聖書を読めるようになるためであった。宣教師達によって建てられた病院や医院は、そもそも、ヨーロッパの医学の恩恵に接することのない人々に対する思いやりからくる関心の表れだった。もちろん、効率的な医療事業が、幾つかの地域にあったキリスト教宣教師達への憎悪や疑念の感情を和らげたということも認識された。中には、患者が礼拝に出席したり説教を聞いたりすることが治療の条件にされた場所もあるように聞くが、このことは、殆どの宣教師達に眉をひそめさせた。(p.105)
エドワード・サイードイスラーム世界に対する過去のヨーロッパ人の認識に伴う19世紀の東洋に対するステレオタイプを、植民地主義者達の間にあったキリスト教の優越性と結びつけようとしている。彼は重要な相違の幾つかを理解しているが、省略している中心的な問題が一つある。(p.109)
エドワード・サイードは非常に詳しく理論を展開しているが、多くの点で、それらが関与したものの動機の解釈には疑問があるように思われる。(p.109)
・近代の歴史的批判をイスラーム文献に適用すると、ヨーロッパ人の学者達は、ムスリム信仰の多くの事項が非歴史的であるという方向へと導かれた。(p.113)
・さらに、今日のヨーロッパ人学者は誰一人として、ムハンマドが聖書を読んだとか読んでもらったとかということを、一寸でも示唆したいとは思わないものだ。なぜなら、ムハンマドの聖書に対する無知は明らかだからだ。実に、今日的問題は、むしろユダヤ教キリスト教についてのクルアーン認識の不充分さを説明することなのだ。(p.114)
・ヨーロッパの学者達は、ハディースのほとんどが本当の歴史ではないという見解に傾いている。ムスリム達は当然のことながら、これを全イスラーム法体系への攻撃であるとみなす。(p.115)
・このことが、歴史的客観性が二次的事項になる領域の一つであるようだ。この考察は、東洋学者達に関する最終見解へと導く。オリエンタリスト達の言ったことの多くは本当であるが、一宗教としてのイスラームの価値や達成を肯定的に称賛してイスラーム批判のバランスを取ることに失敗している、と。それゆえに、ムスリムがオリエンタリスト達に憎しみを持つようになるのは、同時に驚くべきことでもない。(p.115)
・宗教復興内での原理主義の強化にも関わらず、ムスリム団体内で、他宗教、特にクリスチャン達との対話へ向かう運動の兆候がある。原理主義者達が、イスラームの優越性や最終性への信仰を譲ることなしに対話に入ることはできない。これは、彼らがしたくないことなのである。私が「リベラル」と呼んだ人々の間で、しばしば対話へ向かう開かれたものがある。だが、そもそも彼らの多くは、イスラームの伝統的な自己イメージを再考することに興味があるのだ。より詳細にムスリム・クリスチャン関係を見る時間をほとんど持たない。(p.125)
・クリスチャンにとって、少数のムスリムが、聖書は全く破壊されているという考えを放棄し、ムスリムの見解から、聖書的そしてキリスト教の教えを解釈しようとして、どのようにキリスト教を新鮮な目で見るかがわかることは、興味深い。(p.126)
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』の最終章で、オリエンタリズムは巨大で強力な機構であると語っている。少なくとも英国が関係する限りにおいて、これは誇張である。米国に関しては何らかの真実があるかもしれないが。しかしながら、より正確には、オリエンタリズムを、正しくは機構化されず、概して世俗的な西洋知的展望と呼びうるかもしれないものの、巨大で強力な何かの小さな一部分として見ることだっただろう。(p.130)
・しかしながら、これらを別としても、西洋の知的文化は批判に対してオープンである。そして実際に、西洋ではたくさんの批判があるのだ。そのような批判が変化をもたらすかもしれないが、変化は、ただゆっくりとやってくるのだろう。内部からの批判だけが効果のある変化の機会を持つのだ。(p.131)
・世俗的な西洋知的文化と密接に接触する唯一の宗教文化は、クリスチャンのものだった。(p.131)
・多くのムスリム達はまだ進化の事実を甘受するところまで行っていない。1977年の第一回ムスリム教育世界会合は、科学の背後にある基本的仮定が宗教から取られていないと不平を述べていた。また、ムスリム学者がこれらに代わるイスラーム概念を産出できればと期待していた。(p.134)
・もしムスリムが一つの世界の政治面で充分な分け前を取る準備ができるならば、現在の国連のような不完全な形であっても、ムスリムが貢献しなければならない多くがある。広く分かち合われているものは、政治面で宗教的道義的価値をもたらすのに、イスラームキリスト教よりもより成功してきたということである。21世紀にとって政治的道義性を形成するのになされるべき多くのことが明らかにある。そうすれば、経済的にであれ政治的にであれ、巨大な力を行使する個人や団体に対して管理する方法が使える。これが、ムスリムがなしうる重要な貢献である。(p.137-138)
イスラームの急速な拡大は、部分的にはアブラハム的特徴を受け継ぐことに帰せられるかもしれないが、部分的にはキリスト教の型にある弱さのせいでもある。(p.142)
・これら現今の問題に対する主な解決は、伝道と対話の方向性の下にある。それぞれの宗教は他者を改宗しようとしているのか、それとも対話に従事しているのか?第三の可能性は、孤立したままでいようとすることだ。これを好むのは、他宗教にも恐らくはあるのだろうが、イスラームには要素がある。しかし、ゲットー内で自分を閉じ込めることに満足しない限り、今日の世界で、分離的な存在は現実味がない。多くのムスリムはクリスチャンがしているのとは違うのだと主張しようとするが、キリスト教イスラームの両方が伝道に従事している。クリスチャン達の伝道活動は、アラビア語で普通‘tabshir’である。これは、福音化、あるいは、よき知らせを広めることである。しかし、イスラーム的伝道の‘da’wa’は、それとは異なる含意を伴っている。つまり、イスラームへの召喚であり、神への服従である。そして、カダフィ大佐が支持する宣教組織に与えた名前が「イスラームへの招き協会」である。(p.143)
イスラーム諸国内でのイスラーム拡大において、改宗を促した共同体の要因は、庇護的な少数派メンバーの社会的地位が劣位にあることだった。アジア、アフリカ、その他での19世紀のキリスト教拡大においては、共同体の重要な要因は、ヨーロッパ文明を分かち合いたいという希求だった。これは今でもある程度残っている。ムスリムのda’waとキリスト教の伝道をムスリムが区別するのは、恐らくは、クリスチャンが個人的要因に完全に依存しなければならないという事実に基づくのであろう。西洋諸国では、イスラームへの改宗を促進する共同体要因がないからである。(p.143)
ムスリムとの対話において、クリスチャン達が、歪曲された中世のイスラーム・イメージを拒否すべきであること、そして、イスラーム諸価値の肯定的な評価を発展させるべきだということも重要である。これは、神が働いた宗教的指導者としてムハンマドを受け入れることを含む。ある意味で、ムハンマド預言者であったということと同等である。このような見解は、クリスチャンの中心的信仰に矛盾するものではない。しかしながら、ムスリムにとって明確にされるべくは、ムハンマドに神的真実の多くが明らかにされたと認めるとしても、神からのムハンマドの啓示のすべてが無謬であるとクリスチャン達が信じてはいないということである。(p.148)

(以上)

今回をもちまして、現在においても、ムスリムとの接触あるいは関係において、クリスチャンによる再確認が必要だと思われた箇所の列挙紹介を終わります。一部の専門家ないしは研究者の間では既にわかりきったことだろうとは承知の上ですが、もしも、判断の指針を求めている迷える子羊のようなクリスチャンがいたなら、少しでも参考になればと思ってのことです。なお、イスラームを知り、学ぶならば、日本的文脈あるいは個人的慰めの領域を超えて、聖書がより深く興味を持って読めるようになることも、経験から申し添えておきたいと思います。換言すれば、イスラームによる刺激で、生き生きとした新たな読みと聖書解釈の局面が開けてくるという意味です。
残念ながら、故ワット教授の多年に及ぶ尽力と著作によっても、根本的な問題はいまだ解決へと至っていないどころか、むしろ、局地的には悪化した面もあります。しかし、時が流れ、ムスリムの中にも改革への志向が、一部に限り、見られるようにもなりました。ワット教授の祈願は、クリスチャンによるムスリムとの和解であったと思われます。しかし、キリスト教側がいくら和解を求めたとしても、依然、クリスチャン人口が縮小流出し、ムスリム人口の増加が予測されるならば、予期しなかった新たな問題が発生する余地は充分あるのかもしれません。

最後に、故ワット教授が90歳でいらした時に自宅で行われたインタビュー(1999年)で、長年教授がムスリム・クリスチャン関係において用いられた祈祷文を、拙訳で恐縮ですがここに引用させていただきます(http://www.alastairmcintosh.com/articles/2000_watt.htm)。
「唯一なる神、父であり子であり聖霊なる神よ、イスラームの家を与えたもうた神よ、ムスリム達と共にある我々クリスチャンが、あなたをより明確に知ることができ、あなたのより近くで仕えることができ、あなたをより親しく愛することができますように。アーメン」

[後記]強調のためのあずき色をつけました。