ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中国のキリスト教の動向

昨日、関西セミナーハウスより、財団法人日本クリスチャンアカデミー機関誌『はなしあい』(第495号)が届きました。
この中で、関東活動センター所長に就任されたばかりの薛恩峰先生が「中国のキリスト教ブームを解く」と題してお話された概要の掲載がありますので、ここにご紹介させていただきます。
薛恩峰先生とは、2006年の国際聖書フォーラム(日本聖書協会主催)でお目にかかったことがあります。「名前、見たことありますよ」とにこにこと話しかけられ、びっくりしました。
1984年に西安で出会った日本人クリスチャンの先生から日本留学を勧められ、同志社大学神学部で学ばれたのだそうです。「独学で身につけた日本語で訪中団の皆様に話しかけただけでなく、遠慮なく日本語の聖書を求めました。日本語の聖書が読みたいのは、ずっと私の夢であったからです。」(『はなしあい』(第493号)p.4)その後、日本のキリスト教組織でお仕事され、中日の架橋としても重要なお働きをなさっています。
現在の中国のキリスト教会には、溢れんばかりの人々が集まり、公認非公認合わせて数千万人のクリスチャンが存在するそうです。
中国での聖書翻訳活動や伝道活動の一端をマレーシア華人も担っているらしいことは、私も従来から直接間接に聞いていました。実際、マレーシア聖書協会の翻訳コンサルタントは、マレーシア国内の仕事だけではなく、中国へもしばしば出張されているようです。
キリスト教史学会でも、昨年、「中国や韓国と学会や研究上のつながりもあるんですよ」と教えられました。マレーシアとの関連でも、過去はもちろんのこと、今後ますます、この路線が重要になってくるのでしょう。マレーシアの強みやおもしろさは、むしろこのような多様性に求められるのであり、必ずしもイスラームムスリムとの対峙ばかりに精魂を傾けるのは賢策とは言えないようにも思います。正直に言えば、こちら方面の方が絶対に興味深いですし、資料や研究蓄積も圧倒的に豊富ですし...。
例えば、昨日書いたバニヤンの『天路歴程』ですが、この訳語は、漢訳からの借用だと考えられるそうです(関根文之助(訳)小学館 1981年 p.159)。また、広く知られていることとして、文語訳聖書の格調高さは、漢訳聖書の恩恵を受けたためでもあります。このように、もともと国文学出身で言語文化に関心のあった私にとっては、同じアジアの漢字文化圏である中国と韓国と日本の聖書翻訳上の交流は、とても興味深いテーマなのです。

さて、薛恩峰先生のご講演から概略を箇条書きいたしますと、次のようになるかと思います(上記第495号 p.3より抜粋)。

・中国は56の民族、約13憶の人々から成る多民族国家で、多様性に富むため、一概に中国を論じることはできない。
共産党一党支配下の中国では、昔も今も中国社会を支配するのは全体主義であった。
・中国のキリスト教の歴史は7世紀の景教の伝来に遡るが、以降、キリスト教と中国文化との接触、衝突、融合が断続的に4回にわたって行われた。皇権が至上とされた中国社会では、宗教の栄枯盛衰は常に為政者の態度により決められてきたため、中国のキリスト教史は多くの断絶が見られる。
アヘン戦争後の半植民地の歴史に注目すると、中国人の対キリスト教理解が深まる。宣教師による布教活動は、病院の開設、ミッションスクールと出版事業の運営、慈善事業に及び、発展を遂げた。
・一方、国家主権が侵害され、屈辱的な条約に苦しむ中国人は、欧米の帝国主義とその文化に強い抵抗を示しつつあった。「砲艦外交」など、ヨーロッパ文化と結びついていたキリスト教は中国人にとっては受け入れ難いものであった。「義和団事件」「反キリスト教運動」などは、その表われである。
毛沢東キリスト教を中国への精神侵略と文化侵略の道具と認識し、宣教の本質と目的を「中国人民を愚昧することだ」と指摘し、1949年建国後、共産国以外の外国勢力が徹底的に排除された。
・呉耀宗は、中国人による教会の自治、自養、自伝を目指す三自愛国運動を推進した。
文化大革命期間中、「宗教は人民のアヘン」と認識され、国家権利(ユーリ注:権力?)は極左路線に走り、すべての宗教施設は閉鎖に追い込まれた。
・1978年以降、「改革・開放」政策の下、信教の自由が認められるようになり、教会が再開された。
・1980年代後半から国際化が進むと、キリスト教ブームが起こり、クリスチャンは破竹の勢いで急増している。
・中国政府は、政治的には信教の自由政策を掲げながらも、思想面ではマルクス主義弁証法唯物論の世界観を堅持し、たゆまぬ無神論宣伝の政策を貫いている。
・今後一層複雑さと緊張を増す中で、注目を浴びる問題となろう。

(以上)

冷戦時代末期だった私の学生時代には、マルクス主義からのキリスト教批判がまだ表面的には優勢だったことを覚えています。日本でのこの対立と対話に関しては、学問的には故前田護郎先生の時代にクライマックスを迎え、既に一応の終結を見ているのではないかと思います。
今後は、日本での経験が中国のキリスト教関係者によってどのように活かされるのか、あるいは活かされないのか、経過が注目されるところです。

ここで、マルクスが「宗教批判はすべての批判の前提である」といったことを考えてみよう。このことばは、今日新しい意味を持っている。それは、第一に、宗教を阿片といったマルクスではあるが、その生涯と思想の中に宗教的な面があることと、マルクス主義に限らず種々な主義やイデオロギー、さらに政治その他、文化の諸現象が宗教的性格を帯びてきたことで、宗教批判はマルクスとその主義自体の宗教性にも向けられるべきものになったからである。


前田護郎宗教批判と言語批判」(初出『言語1977年
前田護郎選集1聖書の思想と言語教文館 p.230