ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

お知らせと御礼

本日、天皇陛下のお誕生日に際してのお言葉を拝聴し、少しずつ平成の時代が閉じつつあることを実感し、昭和時代の回顧から現状認識そして次の御代への幕開けを思い巡らされました。特に、平成3年(1991年)10月2日に、クアラルンプールでご面会申し上げた遠く懐かしい思い出が蘇ってきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)。

あの頃と今とでは、皇室をはじめとして、国の動向や社会情勢が相当に変化したことを痛感します。

さて、これまで11年半の長きにわたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20070622)、この「はてなダイアリー」のフォーマットを利用させていただきました。
はてなダイアリー」は2019年春をめどに終了し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180831)、「はてなブログ」に統合されるとのことです。それに従って、ブログのドメインが自動移行され、過去の記録はウェブ上に残るそうです。
これを機に、私自身は今月末をもちまして「はてな」投稿を終了することにいたします。

勉強ノートや身近な生活記録に始まり、新聞記事やコラムや他のウェブサイトの転載引用と並行して、日本社会(メディア・教育・学界・法制度・キリスト教会)への左翼思想の浸透や、それに伴う国力低下や社会分裂を巡る様々な諸問題について、拙文雑文を綴ってきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180802)。
当初の目的は、一年に一度、二、三十分の研究発表程度では、誤解や先入観も混じり、なかなか理解してもらえない部分について、自分がどのような本を読み、どのような音楽を聴き、どのような生い立ちや暮らしの中でそのような問題意識を持つに至ったかを説明することでした。亡父も読んでくれていましたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)、本ブログがきっかけで、連絡やコメントをくださったり、知り合いになったりした方も少なくありませんでした。
最初の頃は、タイマーをかけて一日一時間以内にとどめていたつもりでしたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170621)、徐々に、問題の深刻さや未知の部分の解明作業から、一日数時間かかることも増えてきました。
そのような中で、これまで雑感のように書き記した現象と重ね合わせると、素人で拙いながらも、自分を取り巻く気づきや経験に対する考えをまとめるべく、ブログを立ち上げたことは必ずしも無意味ではなかったと感じます。
しかしながら、前回のブログでも述べたように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181221)、本来は「こんなはずではなかった」というのが実感です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170107)。恥ずかしながら、家族や親族を巡る騒動についても、祖父母が健在だった昭和時代には予想もしていませんでした。ただ、よく見つめると、今の社会情勢とどこかで連動していることにも気付かされたため、あえて記すこととしました。ここ二年ほど、国内の旅を通してルーツ辿りをしておりますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170611)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)、子供時代の追憶に加え、両系とも日本社会の中でかなり恵まれていたはずなのに、私を含めたこの凋落ぶりは何か慄然とします。
また、20年来の主人の病状も徐々に進行しており、時間の流れ方が以前に増して平坦かつ遅くなり、かかるストレスや負担も増大してきました。
今後も、フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)やツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)(https://twitter.com/itunalily65)や個人で開設した映像ホームページ(http://itunalily.jp/wordpress/)は、可能な限り、残します。
これからの予定としては、引越し荷物の整頓、本や文献資料や写真の整理と読み直し、各種出版物への投稿文とクラシック演奏会のパンフレット等の整理、マレーシアの研究テーマの論文まとめ、昨年辺りから始めた茶道文化や京都文化や神社城郭や郷土史(岐阜・名古屋・大阪北部・阪神近辺)の勉強(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)、身近にできる体力作り等に専念したいと思います。そして、主人が健康だった頃の米国での仕事と交友記録も、整理して理解に努めたいと考えています。

年齢を考えると、いつまでも今の暮らしが続けられる可能性は減少していき、そろそろ、店じまいも含めて、人生の整理整頓をしていかなければなりません。

これまでの長きにわたり、ご笑覧いただきまして、誠にありがとうございました。
皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお迎えください。また、来たる新たな一年が、より輝かしく実り多いものとなりますように、祈念申し上げます。

ブログとメモの山は本来不要

この頃、雨後の筍よろしく突然出現したかのような、自称他称の所謂「保守派」と呼ばれる人々に関して、方向性はいいのだが、情緒的で主観的で幅が狭く、左派の情報ネットワークや分析力には負けていると私も感じる。だからこそ、学生時代に保守系雑誌を殆ど読まなかったのだ。というのは、知っていることやわかり切ったことばかり書かれていて、仲間内で気勢を上げているだけのように思われたからだ。つまり、簡単に読めてしまって、読み応えに欠けた。

そもそも、私の世代で「保守」を名乗ろうものなら、「知的に劣る後退的な人々」「懐古趣味に浸る人々」「親の(知的社会的)財産で食べている安楽な人々」「批判精神に欠ける人々」と軽蔑的に見られたものだ。

左派のインテリ雑誌や論文は、新鮮な見方や情報分析が含まれていて、知的訓練としては相当に鍛えられた。だが、やたら過去を断罪し、「今ここ」精神で、あるべき解答は未来にあるかのような妙に明るい論調には不信を覚えていた。また、その戦略や意図する目的、背後のイデオロギー思想や哲学を充分に知らなかったので、今となっては時間の無駄だったかもしれない。

一昨日から昨日にかけて、部屋中に積み上がった引越し荷物のダンボールを片付け、業者に引き取ってもらった。まだ半分ほど残っているが、それは自分で定期的にゴミ出ししていく。
今日は腰がだるいので、少し休む。
そもそも、荷物の中身は、本と資料(論文複写)と書き散らしたメモが大半。前に住んでいた所では、気がついたら資料の山が出来上がり、畳の上や床の上に積み上がっていた。また、洋間の一部屋には本棚が密集していて、ここも他人が見れば「ゴミ屋敷」さながらであったことであろう。

自分の荷物なのに、見ているだけでどっと疲れる。というのは、なぜこれほどメモを書き散らし、本を読み進める必要があったのか、その状況を思い出すと、あまりにもエネルギーと時間の浪費だとしか思えなかったからだ。また、ご高齢の名誉教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110302)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110308)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110330)から譲っていただいたマラヤ・マレーシアの貴重な文献資料や、自分が使っていたピアノの楽譜等を見ていると、昭和時代の文化は、何と落ち着きがあり、重くて厚みがあったことか、と改めて思う。

基本的には几帳面で記録をつけるのが好きなのだが、あまりにも混乱した状況に置かれると、メモでも書き散らしていかないと、おさまりがつかない。このブログで、自分なりに少しは整理できたかと思うが、本来ならば必要のないメモの堆積とブログだっただろう。

本が著しく増えた時期は二つある。一つは2004年から3年間、同志社で仕事があった頃(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)、もう一つは、2012年3月下旬から今年3月まで丸6年間、パイプス訳文(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)に没頭していた頃である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171201)。いずれも、日課の勉強計画に沿って、自分の小さな研究テーマを、黙々とこつこつ調べているだけでは到底間に合わないと気づいた。

パイプス訳文に関しては、話題が中東やアメリカ以外にも、高尚な堅いものから大衆的なものまで幅広く飛び散っており、訳語一つ調べるにも、相当な労力を必要とした。今でも不完全なままだが、目まぐるしく追加変更されるウェブ上のことなので、完璧を期していたら、何もできない。何しろ、頭と目が非常に疲れる。

大学の研究会と講演会については、出席しても、誰がなぜそのような発言をしているのか、最初は皆目見当がつかず、当惑した。イデオロギー背景と人脈ネットワークと情報源と戦略操作、これを理解するには、ウェブ上での発信情報と同時に、英語原書と日本語解説のような参考本を相当数、読まなければならなかった。
その間、家の整理整頓はなおざりになってしまった。特に、週末に研究会があると、途端に予定がずれ込んでしまう。

子育てしながら大学の仕事も続けている女性達は、余程体力があるか、恐らくは親御さんの協力があってのことだと思われる。ご主人が子育てや家事を手伝う例もあるだろうが、普通は、夫に分担させると、あたかもプラスとプラスの磁気が相互に跳ね返るように労力が摩滅し、家庭内がいずれ分裂する。その結果は、三世代先に現れるだろうと、私は思う。

ご夫妻とも東大出で博士号を持ち、子供を5人も育てているというスーパー女性と知り合いになったことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080112)。「ことがある」というのは、いつの間にか連絡が途絶えたからだ。転居通知もなく、年賀状が戻ってきたが、どこにお住まいか不明である。通常、郵便局に転居届を出せば、10ヶ月ほどは転送してもらえるはずなのに、である。
覚えているのは、2005年頃だったか、「(論文も出産も)実に生産的ですね」と私が言ったことである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160115)。その頃、別の大学の少し年上の女性と話をしていたら、「それは、ご夫婦で協力してやっていらっしゃるからでしょう。お手伝いさんを雇っていらっしゃるかもしれません。とにかく、親に頼るなんてことは、勧められません」と断言された。
ところが、現実には、ご主人のお母様が同居され、家事一切をされていたようである。これを、どのように考えるか。
ちなみに、今秋から居住している市では(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181214)、子育ての自助共助を促進するために、40歳未満で親子が同居や近隣居住の場合、一部補助を出しているそうである。そのためか、人口増加中で、子供をたくさん見かける。

閑話休題

普通は、正規の学校教育を受け、試験を通って合格とされた後、それぞれの人生を踏み出すべく、職を決めて社会に出て行く。数年のうちに結婚相手を見つけて、家族や親族の了承のもと、挙式して新居を定め、家族を増やしていく。人生の節目毎に、それぞれの通過儀礼がある。その循環が人間の社会構造の基本中の基本である。

ところが、日本は敗戦後、突然、「指導された個人の自由と民主主義」よろしく、まずは経済集中できたために、今から振り返ると、大衆向けメディアや教育制度等、何かと歪みがあった。その矛盾があちこちに吹き出しているのが現在だと言えるかもしれない。特に、憲法や国防や皇統譜等、国の根幹である重要なテーマについて、戦後の平等主義的な志向の公立学校で習った程度では、高学歴であれ、ハイスペックであれ、到底間に合わない昨今である。
子供の頃、「うちは◯◯大学卒ですから」「息子がいるので」と称して、なぜかデンと家の中で満足気に座っている女性達を見る度に、(どうしてそれほど安穏としていられるのだろう?)と不思議だった。学校を出てからが勝負なのに、二十歳前後の学校の成績だけで一生が保証されたかのような人生観には、とてもついていけなかった。

平成の三十年は、よろず横幅が広がり、暮らしは機能的に便利にはなったが、反面、知的にも文化的にも非常に平板化して、明らかに国力が下がった。

これは、最近の秋篠宮家のご長女の長年の交際相手から発覚した、ご両親および御祖父母の公の言動にも明らかである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)。ある事柄の正否を知るには、三代先に現れた事象を観察すればよいのでは、というのが持論だが、いかがであろうか。

誹謗中傷や人格批判はいけないが、国民の側として、不可解な点は証拠をしっかりと出して、声を上げなければならない。それは、皇族にかかる経費が我々の納税によるからではなく、第一義的に「国民統合の象徴」だからである。「象徴」を支える皇族の直系がこのような軽々しい態度では困る(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180809)。我々国民が全世界からそのように見られて、長年営々と築き上げてきた国益を損なうからである。

以下の秋月瑛二氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%B7%EE%B1%CD%C6%F3)の鋭い指摘には、上述の意味で同意する。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1073252879.html


2018/12/19
1895/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」①。


・2018年9月の新潮45<騒動>の出発点となったのは杉田水脈の文章で、それを大きくして決着をつけた?のは、小川榮太郎の文章。

産経新聞2016年7月4日付、杉田・なでしこリポート(8)。
保育所を義務化すべきだ」との主張の「背後に潜む大きな危険に誰も気づいていない」。
「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしている」。
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」。
「これまでも、夫婦別姓ジェンダーフリー、LGBT支援−などの考えを広め、…『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。…保育所問題もその一環ではないでしょうか」。

・この言葉とこれに直接に関係する論脈自体は別として、秋月瑛二は上のような議論の趣旨が分からなくはない。また、一方で、「保守」派はすぐに伝統的「家族」の擁護、<左翼>によるその破壊と言い出す、という<左>の側からの反発がすぐに出るだろうことも知っている。戦後日本の男女「対等」等の<平等>観念の肥大を、私は懸念はしている。


・しかし、上のようなかたちでしか国会議員が論述することができないということ自体ですでに、「知的」劣化を感じざるをえない。


・第一に、現在日本での「保育所」問題あるいはとくに女性の労働問題と「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」とを、あまりに短絡に結びつけているだろう。


・感覚の正当性をもっと論証するためには、幾十倍化の論述が必要だ。旧ソ連の「子育て」・労働法制(または仕組み・イデオロギー)と日本の現下の保育所を含む児童福祉・労働法制等の比較・検討が必要だ。


杉田水脈一定の「観念」にもとづいて、「思いつき」でこの文章を書いている。


・第二に、唐突にコミンテルン」が出てくる。これはいったい何のことか。


・いったい何を読んでいるのだろうか。また、その際の「コミンテルン」とはいかなる意味か。


・江崎は戦争中の「コミンテルンの謀略」を描きたかったようだが、そして中西輝政本当に読んだのかが決定的に疑われるほどに(オビで)絶賛しているが、江崎自身が中で明記しているように、「コミンテルンの謀略」とはつまるところ「共産主義(・マルクス主義)の影響」の意味でしかない。


正式には<共産主義と日本の敗戦>という程度のものだ。しかも、延々と明治期からの叙述、聖徳太子に関する叙述等々があって、コミンテルンを含むソ連の「共産主義者」に関する叙述は三分の一すらない。


・「一番のターゲットが日本」なのだとすると、本拠?は日本以外にあり、かつ日本以外にも攻撃対象になっている国はある、ということのようだ。本部は中国・ペキンか、それともロシア・モスクワか。ひょっとしてアメリカ・ニューヨークにあるのか。


・「コミンテルン」=共産主義インターナショナルという言葉に限ると、<デマ>宣伝にすぎない。この人の「頭の中」には存在するのだろう。左にも右にもよくある、<陰謀>論もどきだ。


レーニン十月革命(10月蜂起成功)ー1917年、ヒトラーミュンヘン蜂起失敗ー1923年。両者の<因果関係>は、間違いなくある。ほんの少し立ち入ると、両者をつなぐものとしてリチャード・パイプス(Richard Pipes)もかなり言及していたのは<シオン賢人の議定書>だ。


・ロシア・十月革命の原因・主導力をユダヤの陰謀」に求める。又はそのような解釈を積極的に許す。かつ、その影響を受けたドイツを含む欧州人は「反ユダヤ人」意識を従来以上に強くもつに至り、ヒトラーもこれを利用した、また実践した、とされる(なお、いつぞや目にした中川八洋ブログも、この議定書(プロトコル)に言及していた)。


・理屈・理性ではない感情・情念の力を無視することはできないのであり、中世の<魔女狩り>もまた、理性・理屈を超えた「情念」あるいは「思い込み」の恐ろしさの表れかもしれない。


・現在の日本の悪弊または消極的に評価する点の全てまたは基本的な原因を、存在してはいない「コミンテルン」なるものに求めてはいけない。もっときちんと、背景・原因を、そして戦後日本の政治史と社会史等々を論述すべきだ。


・<左翼>は右翼・ファシスト軍国主義者の策謀(ときにはアメリカ・CIAも出てくる)を怖れて警戒の言葉を発し、<右翼・保守>は左翼の「陰謀」に原因を求めて警戒と非難の言葉を繰り返す。


・要するに、そういう<保守と左翼>の二項対立的な発想の中で、左翼またはその中の社会主義共産主義「思想」を代言するものとして、おそらく杉田水脈は(まだ好意的に解釈したとしてだが)、「コミンテルン」が息を吹き返しつつある、などと書いたのだろう。


共産主義あるいはマルクス主義社会主義に関心を寄せるのは結構なことだが、簡単にこれらを「観念」化、「符号」化してはならない。歴史と政治は多様で、その因果関係もまた複雑多岐で、「程度・範囲・濃度」が様々にある。


幼稚な戦後および現在の「知的」議論の実態を、杉田水脈の文章も、示しているように思われる。

(部分抜粋引用終)
コミンテルン」については、靖国神社遊就館http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181114)のパネル説明にもあった。それを見て、今年2月中旬に東京を数日間ご案内した「保守派」の米国人二人は、笑っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180704)。ひょっとしたら、スマホで写真を撮られたかもしれない。だからこそ、あのようなパネルを書く時には、各方面からよく調べて、気をつけなければならないのである。
江崎道朗氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%BE%BA%EA%C6%BB%CF%AF)と中西輝政氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%E6%C0%BE%B5%B1%C0%AF)に関しては、過去ブログに小さなまとめがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)。
久しぶりに登場した故リチャード・パイプス氏に関しては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Richard+Pipes)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Richard+Pipes)、亡くなる三年前まで出版された原書を含めて、きちんと完読していきたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180616)。映像インタビューや講演も同じく、である(http://itunalily.jp/wordpress/?paged=5)。
「シオン賢人の議定書」は、「シオン長者の議定書」として過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180401)にある。また、「シオン賢者の議定書」として拙訳にある(ja.danielpipes.org/article/12158)(ja.danielpipes.org/article/12310)(ja.danielpipes.org/article/12508)(ja.danielpipes.org/article/13262)(ja.danielpipes.org/article/13808)(ja.danielpipes.org/article/14420)(ja.danielpipes.org/article/14511)(ja.danielpipes.org/article/14644)(ja.danielpipes.org/article/16246)(ja.danielpipes.org/article/16704)。
中川八洋氏については、こちらにある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1073271438.html


2018/12/21
1896/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」②。


レーニンではなくスターリンのもとで、子どもに両親(二人またはいずれか)の「ブルジョア」的言動を学校の教師とか党少年団の幹部とかに<告げ口>させるというようなことがあったようだ。どの程度徹底されたのかは知らない。しかし、東ドイツでも第二次大戦後に、夫婦のいずれかが片方の言動を国家保安省=シュタージに「報告」=「密告」していることも少なくなかったというのだから、現在日本では<想像を超える>。


・しかし、「ブルジョア」的言動か否かを判断できるのは日本でいうと小学生くらい以上だろうから、保育所」の児童ではまだそこまでの能力はないのではないか。


・これはそもそも、産まれたヒト・人間を「社会」・「環境」がどの程度「変化」させうるのか、という基本問題にかかわる。


保育所児童がマルクス=レーニン主義を理解するのはまだ無理で、<歴史的唯物論>はむつかしすぎるのではないか?そうだとすると、ソ連が日本でいう小学生程度未満の「子供を家庭から引き離し」た目的は、その母親を労働力として利用するために「家庭」に置かない、「育児」のために「家庭で子どもにかかりきりにさせる」のではなく「外」=社会に出て、男性(子どもにとっての父親を含む)と同様に「労働」力として使うことにあったのではないか、と思われる。


・1917年末の立憲会議選挙(ボルシェヴィキ獲得票24%、招集後に議論なく解散)は男女を含むいわゆる普通選挙で、かつ比例代表制的な「理想」に近いほどの?方式の選挙だったともいわれる。


・もともと、社会主義」には男女平等の主張は強かったのかもしれないが、その重要な帰結の一つは、「(社会的)労働」も男女が対等に行う、ということだったと考えられる。


・当時のソ連の経済状態からして、男性を中心とする「労働」だけでは決定的に足りなかった。囚人たちも「捕虜」たちも、労働に動員しなければならなかった。そのような状況では、子どもを生んだ女性たちの力を「家庭内で育児にほとんど費やさせる」余裕など、ソ連にはなかった、と思われる。


・「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設」で受け入れる必要がまずあったのであって、「洗脳」は、幼児や保育園児童については二次的、三次的なものでなかっただろうか。


・女性の「労働」環境がソ連と現在の日本とでは出発点から異なることを無視してはいけないように思われる。


・多数の女性が「社会」に進出して?「工場」等で「労働」するようになると、それなりの(女性の特有性に配慮した)「女性福祉」の必要が、ソ連においてすら?必要になる。一般的にソ連または社会主義体制は「福祉に厚い(厚かった)」という宣伝を、資本主義諸国の状況と単純に比較して、前者を「讃美」・「称揚」することはできないのだ。


・しろうとよりは多数の知識をもっていて「専門家」とすら自己認識している可能性すらあるようにも見える八幡和郎は、しかし、日本史の「専門家」では全くないだろう。歴史好きの平均的なしろうと(私のような)よりは「かなりよく知っている」程度にとどまると思われる。

(部分抜粋引用終)
八幡和郎氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)が「日本史の『専門家』ではない」については、ご本人も認めていらっしゃることなので、了承済みである。多忙な昨今、物事を考える一つの手段として、(誠に失礼ながら)手軽に活用できるために、引用させていただいている。

毎日の情報分析が判断力を養う

昨日のブログ内容に関連して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181218)。
しかしこの話は、外交官や官僚だけの仕事ではないはずである。国民一人ひとりが常に目覚めて、分に応じて、的確な物事の観察力と分析力を養っていかなければならない。その総体が国力となる。
何らかの刺激剤にでもなればと思い、以下に抜粋引用を。
ちなみに、『平和はいかに失われたか』は、過去に入手済みで、読了した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。ウォルドロン教授については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160718)。

http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_835_4.html


「国際情勢と日本外交 ―情勢判断をめぐって―」
岡崎 久彦
No.835(平成14年4月)
平成14年1月21日午餐会における講演の要旨


・私の経歴は極めて特殊でございまして、外務省へ入りましてから、室長、課長、部長、局長、防衛庁参事官と、ほほ一貫して情報だけをやって参りました。


・情報をやっておりますと、課長なら課長、部長なら部長、局長なら局長同士で、CIA(米中央情報局)、NSA(国家安全保障局)、DIA(国防情報局)と付き合ったり、MI6(英国情報部)と付き合ったり、モサド(イスラエル諜報機関)と付き合ったりと、ポストがかわる度に繰り返し繰り返し付き合いますから、先方からみると、「この人間にはこの程度なら秘密を言ってもいい」といった、点数がついていくんですね。


・情報の「収集」、どうやって集めたとか、いちばん皆さんがご関心があるのは収集ですね。その次が「伝達」。官邸に早く伝わったとか、伝わらないとか、皆さんそういう話にも大変ご関心がある。そうやって集めた情報を「分析」する。さらに「秘密保持」、それから相手側に誤った情報を与える工作、いわゆる「反間」(ディスインフォメーション)等、これを全部まとめて情報と申します


伝達の遅速や経路は情勢判断にほとんど関係ありません。少しぐらい遅れて入ってもいい。一次情報というのはテレビで知ろうと、人から教えてもらおうと、あまり関係ない話です。


・情報を得た上でいかなる判断を下すか、これがいちばん大事なことでございます。


・いかにして大局的な日本の進路を誤らないかを考える指針とする。それが情報判断であり情報の窮極の目的でございます。


・日本が過去、情報で失敗した事例は限りなくございます。


・こういう縄張り根性がいちばんいけないんです。


・一つだけの情報に依存してはいけないんです。情報というのは、多数情報、複数情報でなければいけない


自分たちに都合のよい情勢判断のみで国際政治を進めていくのは危険です。


・もしそう決めたのなら、今度はそれに反対する情報をどんな情報でも全部集めて検討しなければいけない。


・自分の政策に都合のいいような情勢判断を正しいと思ってはいけない。希望的観測を入れてはいけない。そして複数情報を尊重しなければいけない。これは情報の基本です。


イギリスとアメリカは複数情報制度を採っています。第二次大戦中にその重要性を覚えて、それが戦後原則となっているのに、日本は戦後も全く進歩していなかった。


・日本は戦争に負けたんですから、そこから学ばなければいけない


・敗戦から学んだ唯一の教訓は「戦争は嫌だ」というだけで、あの時どうすればよかった、こうすればよかったという教訓を全く学んでいない


・戦争が終わった時に、「全部徹底的に調べよう」と言って、幣原喜重郎が戦争調査会をつくろうとしたのですが、占領軍側が、「なぜ戦争を失敗したかの勉強をするということは、今度はどうすれば勝てるかということを勉強するんだろう」と禁止したんです。


外務大臣吉田茂GHQを説得しようとしたのですが、GHQの許可が出ずに、敗戦を調査分析して反省しようという試みは、それきり断ち切れとなってしまったのです。


・第二次大戦が終結した時、南米の日系移民のなかで、「日本は戦争に勝ったのだ」という「勝ち組」と「いや、日本は負けたんだ」と主張する「負け組」がいて対立していたわけです。


・情勢判断というのはあくまでも客観的で、しかも、あらゆる事実に目をふさいではいけないのです。


ミッドウェイ海戦であれだけやられ、敗戦を公表して「これは大変だ。ここで考え直さなきゃいかん」ということになっていたら、結果は全然違っていたでしょう。


・情報の隠蔽による過誤


・だいたい大綱とか、綱領とかをつくって、それでいこうと決めるのは日本だけです。ひとたびつくったら、御家の掟みたいに守る


・私は近代史を繰り返して読んでおりますが、一体情勢判断で何がいちばん誤りだったかと考えますと、日本の失敗というのは二つしかありません。一つは、日英同盟を廃棄したこと。もう一つは、真珠湾を攻撃したこと。取返しがつかないのはこの二つだけです。それ以外は全部取返しがついています。


孫文は一九二四年に日本に来ていますが、その頃言っていたのは関税自主権、領事裁判といった不平等条約撤廃だけです。


・何が悪かったかというと、やはり一九二二年の日英同盟の廃棄ですね。日本にとってあんないい同盟はなかったんです。あの頃は空軍なんてものはありません。日本とイギリスが世界で最大の海軍国でしたから、日本の安全は百%保障されていた。


・世界中の海を日英同盟が支配している。世界中の資源はいくらでも入ってくるわけですから、繁栄し、自由民権以来の努力が実った大正デモクラシーというものがちゃんとできた。大正デモクラシーは日本人がつくった本当のデモクラシーでした。


・イギリスは時のロイド・ジョージ総理大臣、カーゾン外相、チャーチル植民地相、事実上の外務大臣であった枢密院議長バルフォア国際連盟担当、チェンバレン国璽尚書陸軍大臣海軍大臣全部日英同盟存続支持でした。


・イギリスが自分の責任で交渉すれば、当時のイギリスとアメリカの関係ではイギリスのほうが強いですから、アメリカが「日本を切れ」と言っても切れるものではない。結局、日英同盟は、そのまま存続したでしょう。


・「もし日英同盟が残っていれば、政府部内における海軍と天皇側近の勢力に対する陸軍の勢力の均衡を覆していたであろう」と、在日米大使館のムーアが言っていますが、それはその通りです。


昭和天皇は親英米ですから、同盟国のイギリスがこう言っていますと進言すれば、その通りになっていたと思いますし、親英路線がずっと続いたであろうことはほとんど間違いないですね。


アジアのナショナリズムの屈辱と挫折はもう半世紀続いたわけですが、民の苦しみは戦争に過ぎるものはありません。


真珠湾攻撃をやった結果、アメリカの世論は反戦から開戦へと、その動向が固まってしまったんですね。


アメリカという国と交渉するにはアメリカの世論の動向をみなければなりません。この読みが難しいんですが、戦後はわかってきている。


・日本には石油を売らないという「石油禁輸」で対日圧迫を強めてきたアメリカは、続いて「ハル・ノート」(国務長官ハルからの覚書)という当時の日本政府がとうてい承認できない要求を突きつけて来た。それを公表して、こういうものが来たが、「四十八時間以内に石油禁輸全面解禁。そうでなかったら、戦争しましょう」と、通告を出せばよかったのです。アメリカ議会では「ハル・ノート」なんて誰も知りません。当時共和党の下院の指導者であったハミルトン・フィッシュは最後まで戦争反対でしたし、戦争反対論は議会内の多数派でした。


真珠湾攻撃のあとでも、日本が東南アジアを解放したものですから、「われわれはどうして英蘭帝国主義を守るために戦争しなきゃならないんだ」という論争がかなり起こっています。


・一九四五年二月の硫黄島決戦では栗林中将指揮の日本軍は全く航空隊の支援も援軍も何もなしで、孤軍奮闘。死傷者の数がアメリカ側が日本を上回ったのは、あれが唯一の戦闘です。戦略がよければ、戦術を少しぐらい間違えてもいいんですが、戦略が悪かったら、いかに戦術がよくてもだめですね。


幣原喜重郎山本五十六、これは私のいちばん尊敬する人と言ってもいい人たちですが、その二人の情報判断の間違いが日本の進路を誤らせている


・結局、アメリカの国内事情の分析が足りないんです。議会の議事録を仔細に読んで、ハミルトン・フィッシュの発言とか、他の議員たちの発言を詳しく読んでいれば、期限付きの最後通牒で戦争した方がいいという結論は出たはずですが、そこまで読みきれていない。


・同盟を全部やめて、すべての国が合意できる原則をつくって、その原則をみんなで守れば平和になるんじゃないか、と言い出した。それが国際連盟であり、国際連合であり、これはウィルソン主義として続くわけですが、その原則が崩れたらどうしたらいいかという保障は何もない


・二十世紀が終わり、皆が歴史をもう一度見直しているから、今ならアメリカに対して「乱暴なことをやってゴタゴタにしてくれたな」と言えますが、当時はこんな情勢はわからないです。


アーサー・ウォールドロンが『平和はいかに失われたか』で、マクマレーの書いたメモを紹介し、北岡伸一さんが日本語に訳しています。そのなかで、あの時イギリスとアメリカが一緒になって中国に既存の条約をきちっと守るべきだともっと強く言うべきだった。ワシントン体制を最も忠実に守ったのは日本であり、日本は非難されるべきではないアメリカとイギリスが非難されるべきだと、はっきり書いています。


・勝ったって意味がない。勝ったら、日本の代わりにソ連が出てくるだけで、ソ連相手に同じことをするだけの話だとまで書いています。これを戦後ジョージ・ケナンが読んで、本当に感動し、ジョージ・ケナンの極東政策のバイブルとなった。


・九〇年八月にクウェートを侵攻したサダム・フセインは、アメリカは来ないだろうと思っていた。私は当時「これはサダム・フセインは間違えるだろう」と書いたものを今でも残していますが、アメリカにああいう反戦運動があると、これは間違ったシグナルになる。


共産圏の情報を仔細に毎日毎日繰り返し分析して、結果を出す。私は分析課長になった時に、まず、レーニン全集と毛沢東選集と中ソ論争を全部読めと言われ、そこから始めました。


・当時の情報事務、調査事務というのは、防衛庁警察庁公安調査庁とも、ソ連、中国、北朝鮮北ベトナムと共産圏分析ばかりでした。いくら共産圏の情報を分析しても、アメリカの内情を知らないのでは、ベトナム戦の帰趨がわかるわけがないんです。


いちばん強い国アメリカのことを分析しなければ、世界はわかるわけがないのに、世界中どこもやっていなかった。


・共産圏分析というのは、共産党の長い演説の行間を読む。時々はスパイ情報が入りますが、たまたまいい情報が入っても、続いて入るとは限りませんから、ひたすら行間を読む


・分析課長の時に「一度日本に教えに来い」と頼んだんですが、「一週間も旅行したら、その分をもう一度読むのは大変だ。外へは出られない」と断られました。


アメリカ情報になると、限られたものを一所懸命読んで、眼光紙背に徹する共産圏情報とはまるっきり違う。読むものは限り無くあって、読みきれない


・国際情勢を知っていると称する評論家が出てきて、「アメリカはこう考えている」とその人が言ったら、その一言で素人とわかります


・「そのアメリカって誰?」と聞けば、すぐわかるんですね。名前一つ言えない場合が多い。名前を知っていても、それが支配的な意見と言えない事はすぐわかる


アメリカには国務省がある、国防省がある、大統領府がある、議会がある。議会には上院も下院もあって、新聞世論がある、国民世論がある。そのそれぞれ全部が四分五裂で意見が全部違うんです。それらの多種多様の意思が、チェック・アンド・バランスを通じて、お互いに議論をし合っているうちに、一つの筋が出てくるんですね。その筋を見分けるのがアメリカ分析ということです。


アメリカの総意たるものは、最後に出てくる公式文書がある意味で唯一の手掛かり


アメリカ分析をやるのにこれだけは押さえておきたいというのは、アメリカの議会公聴録


・継続的に五年十年と読まなければならない。大統領や国務長官といった要人の演説も大事ですから、これも全部読まなければいけない。


アメリカの有識者に「この演説はここがおもしろいな」と言ってみる。もし向こうが同意すれば、そこがポイントになる。「いや、本当はここなんだよ」と教えてくれるかもしれない。


アメリカの内部に精通している知識人をよく知っていて、しょっちゅう連絡をしていないとアメリカという国は読めません。そういうことを五年十年ずっと続けて、それで初めてアメリカが読めるんです。


アメリカを東京、ヨーロッパが大阪で、日本は名古屋と譬えてみますと、名古屋の人が大阪を知ろうとして、大阪そのものを分析してもあまり意味がないんです。大阪は東京の方ばかり向いていますから、むしろ東京へ行って、東京が大阪をどう考えているかを知った方が遥かに早いし、大阪が東京をどう考えているか、東京と大阪の関係を知っていれば、名古屋なるものが大阪を分析しなくても、だいたい大阪の問題はわかる


・私はそういう人たちと付き合っていたから、東欧の将来が読めた。日本で共産圏分析をやっていても誰も読めなかった。東ヨーロッパの国々が日本に相談に来るわけがないんですからアメリカヘ行って、「東ヨーロッパをどう判断するか」と聞くのがいちばん早い。


・大きな話を一つだけすれば、結局、アングロアメリカン世界と仲良くしていればいいということに尽きるでしょう。


日英同盟の頃は、イギリスの陸軍情報部が日本の大本営にしょっちゅう情報をくれて、情報のつき合わせもやっていました。だから、世界中の情報がわかっていた。


・イギリスの情報部とつき合わせてみれば、精度はたちまち十倍も二十倍も増えます。戦後日本はアメリカとそれをやっている。


・そういう国と親しくすることで、情報はいくらでも出てきます。もちろん、日本にだけは教えたくないとか、情報操作はされるでしょう。


・トップの人間は一次情報を全部集めた上で総合的情勢判断を持っていますから、こちらが必要なのは、その総合的情勢判断なんですね。そこでは嘘をつけない。


・一人で十年ぐらいは継続してみていなければだめだ


国家情報官は十人ぐらいいて、ヨーロッパ、共産圏、アジア・太平洋、アフリカ、中近東、軍備、経済というふうに分担し、それぞれの国家情報官はその分野についてはなんでも知っていて、大統領に聞かれたら、すぐ答える。そういう情報システムです。


・学者であっても、アメリカの公聴会の記録、演説、これは毎日必ず読まなければいけない。これを十年やれば、情勢判断をほとんど間違えないです。


・情報分析官はまた、アメリカの有識者とつねに交流する実力を持ち、その友好信頼関係を強化して、「こいつなら話してもいい」という間柄になれる人物である必要がある。そして、しょっちゅう意見の交換をし合う。そういうシステムをつくるのに、大したお金はかからないと思うんです。


・情勢判断というのは、毎日、毎週、毎月、毎年、継続的にしなければいけない。世界の治乱興亡の理を知っていて、尚かつ、毎日毎日緊張感を持って細かい情報を全部きちんと読む根気がある人材。


・それ以上に東洋的見識のある人材を情報分析官に任命すれば、世界一の情報機関ができるのではないかと私は思っております。

(部分抜粋引用終)

本のダイジェスト版(2)

昨日の続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181217)。
自分の研究分野や関心のある事柄については、勿論、図書館から本を借りたり、本屋さんで新品を買ったり、古本で格安に入手したりして、きちんと読む。重要なページには角を折ったり、書き込みやアンダーラインを入れて、もう二度と「手放せない」状態にするのが、長年の私のやり方。学会や研究会の発表レジュメや論文で引用した箇所には、(100円ショップで買った)判子と(百貨店で買った)日付印を並べて押す。(小さな判子は、色とデザインの違いによって、発表場所や引用意図を明確にするため。だから、まっすぐに本を並べたつもりでも、折り跡や付箋のためにブクブクと本が膨らみ、軽く傾斜しているのが「マイ本棚」だ。)
そうは言っても、他にも知っておかなければならない分野や更新すべき情報がたくさんある。その際、誰かが読んで要旨を並べて定期的に送ってくれるメーリングリストを参照して、知識や情報をストックする作業も並行しなければならない。
新聞やテレビのニュースだけで物事を判断するには、あまりにも変化が激しく、しかも規模が拡大している現今である。さらに、朝日やNHKを含めて、情報操作とやらで、信頼が著しく失墜してもいる。
今日、引用させていただく以下の岡崎氏については、非常に感銘を受け、賛同する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150404)。
特に、英領マラヤの一次資料を米国東海岸の神学校(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB)やイェール大学神学部の図書館(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A4%A5%A7%A1%BC%A5%EB%C2%E7%B3%D8)で集中して調べた経験から、やはりアングロサクソンの情報網を侮ってはならない、と痛感している。
それなのに、10年ほど前までは、特にイスラーム寄りの女性研究者達が、今から考えても馬鹿げたコメントを偉そうにしていたのだった。そして、会合後、私が会釈しても、侮ってツンツンと無視していた。
学歴や学位(と社会的地位(?))はあっても、教養や一般常識や礼節がない、とはこのことだ。こういう人達が、国力低下と知的文化衰退に貢献して現在に至っている。
ふざけるなよ!

岡崎久彦国際情勢判断・半世紀


*本書は2014年10月に亡くなられた岡崎大使の遺作となる。彼は回顧録の類いはほんとんど残していない。本書は、彼の半生を自身が20時間以上語ったものを筆記したものだ。


彼の長年の国際情勢研究の結論は、「日本の平和を守るためにはアングロサクソンと仲良くすること。そのためには、日米同盟の強化。それには、政府が集団的自衛権の行使を認めることにある」であった。これが数十年、岡崎氏が主張してきたことだった。


・私は江戸時代の人間を知っているわけです。祖父岡崎邦輔の初陣は14歳のときの鳥羽伏見の戦いです。私は15歳のときに敗戦でしたから、私の受けた教育は戦前教育で、戦前の人間といえます。同じ意味で祖父は江戸時代に人格を形成した江戸時代の人です。


桜田門外の変(1860)で井伊直弼大老が殺されたのは、祖父が、私が2・26事件を体験したのと同じくらいの年齢(幼稚園児)のころです。その時に祖父は、親類の筆頭が、「天下の大老が畳みの上で死ねなくなる時代が来た。これからは大変な時代になる」と言ったのを聞いたといいます。


・私が通った旧制府立高校で最もよかった点は、先生に後に東大教授になる若い人が多くいたことです。一年生で国史、二年生のときに世界史の授業を受けました。世界史の先生は、経済史学者の松田智雄氏でした。一学期がギリシャ・ローマ、二学期がルネサンス中心で、ダンデの『神曲』をずっと講義するなど、ずいぶん高度なことを教えてくれました。三学期になると爆撃がひどくなり学校は続かなくなったが、私の教養はほとんどそのころ培われたものです。


・戦局の悪化で校庭ではサツマイモを植えていました。何もないから、勉強するしかなかった。学校の図書館は幸い爆撃されなかったので、本は幾らでも読めました。図書館には原書のオスカー・ワイルド全集があり、何もない時代にこうした立派な本を読むのはとても贅沢をしている気持ちがありました。子供向けの『ハッピー・プリンス』『セルフィッシュ・ジャイアント』、それからオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』も英語で読みました


・明治時代に出版された史書に『通俗二十一史』というものがあります。中国の王朝の宋が滅びるまでの歴史を、史書の数から十八史といい、それに元、明、清を加えて二十一史といいます。


・戦後、家が貧乏になり、この本を売ることになりました。母や兄弟もこの本が私の愛読書だとは思っていませんでした。私にとって戦後の一番悲しい記憶です。


・後に、ハーバード大学に留学したとき、燕京図書館で『通俗二十一史』が並んでいるのを見つけました。30年ぶりの再会に涙がでました。


・1952年の外務省入省から10年間くらいは、だいたい使われっぱなしで、日本での勤務のときは、毎日残業で疲れ切って何もできない。欲求不満の発散をブリッジと麻雀で晴らしている、といった毎日でした。勉強といえば、往復の電車で考古学、歴史、伝記などに関する新書などを手当たり次第に読んだくらいでした。


・入省してからしばらくして、英国のケンブリッジ大学に留学しました。ケンブリッジを居心地がいいと感じたのは、私も一部の人からジェントルマンと認めてもらったからだと思います。当時もまだ、ジャパニーズ・ジェントルマン、つまり侍は世界最高のジェントルマンと見られていました。


・1967年に異動して就いたのが資料課長(一年後に分析課に変名)というポストで、そこから今に至る、私の国際情勢判断の人生が始まったといっていいでしょう。配属時点で私は36歳でした。


・私は共産圏について何も知りませんでしたから、一体何をしたらいいだろうと上司に聞いたら、まず異動する前に、レーニン全集と毛沢東全集を全部読め、そこから始めろと言われました。レーニン全集は、最近は読む人はいませんが、大変面白いものです。


・分析課の部屋の左側に並んでいる調査班の職員は、全員調査のプロで私より年上、当然月給も上でした。戦前の満州にあったハルピン学院や、上海にあった東亜同文書院を出ている専門家ばかりでした。彼らを部下としてまとめるのが、私の分析課長としての出発でした。無我夢中で勉強しました。


・共産圏の専門家は共産党の機関紙や政府紙である、『プラウダ』『イズベスチヤ』『人民日報』『解放軍報』など掲載された難しい論文を読み解くのが仕事です。


・こうして格闘していくうちに、だんだんとやり方が見えてきて、中国とソ連の共産圏分析については公式文書を徹底的に読むことが王道だとわかりました。トップの政策は決まっていて、こうした公式文書は内容に必ず干渉しているから、それを長期間、欠かさず読むと共産党、すなわち政府の政策、方針が読み取れるようになります。


共産圏分析のすべては、公開情報を漏れなく継続的に読むことです。党の機関紙には、党の言いたいことが書いてあるだけでなく、書いて欲しくないことは一切書かれていないからです。


・当時、英国にビクター・ゾルザという共産圏が専門のジェーナリストがいました。中国で文化革命があると予言し、ソ連チェコに侵入するかどうかで世界中が緊張していたときに、「必ず侵入する」と言ったただ一人の人でした。この人は情報は四六時中、継続的に見ているが、ただし、公開情報以外は一切見ないというやり方を貫いていました。


・どこかのポストに着任すると、私はその国の歴史文化の研究から始めます。そんな大使は、初めの一年は役に立ちません。ところが二年目になると、歴史文化研究が基礎になっているから断然強くなります。そうすると余人をもって替えられなくなり、今度は後任が見つかりにくい。また私のような使いにくい人間は引き取り手がない。というわけで、全部オーバーステイになってしまったのです。


・私は国際社会は国家間の力の関係であり、その中で最も基本的なものは、軍事力という考えです。


・米国留学から帰国して外務省に戻り、就いたポストは調査企画部長です。私は入省後ほぼ一貫して国際情勢分析を専門にしてきましたが、その要のポストに就いたことになります。


・私は分析課長以来、「情報分析とは、とにかく公開資料を徹底的に読み解いて、国際情勢を見通すことにある」と確信してきました。調査企画部長として毎日毎日、情報が上がって来たら、自分で率先して考え、分析し、書き下ろして部下と一緒に議論しました。


日本を戦争の破局に導いた情報軽視や、情報に対する極端な無関心と無知を改善する糸口を作りたいというのが、私の宿願でした。


サウジアラビアの地域について知るための一番良い本は、今もローマ帝国衰亡史』です。これは天下一品の難文ですが、私の知っているかぎり、アラビア半島に関しては一番権威がある本です。


陸奥宗光というのは私の縁続きではありましたが、砂漠の中に3年滞在して、彼の伝記を書き進めれば進めるほど、陸奥の偉大さがわかりました。


陸奥は、一種のルネサンス的人間です。法律、政治、経済だけでなく、哲学も中国哲学から、イギリスの啓蒙哲学に至るまで通じしている(ママ)思想家です。彼は若い頃、江戸で漢学を勉強しています。家が没落しましたから、志を立てて猛烈に勉強し、漢学の素養は超一流でした。


・世の中にわからないものがある、ということがわかると、偏見がなくなり、視野が一挙に前に開けます。最近、はじめて哲学書が読めるようになってきました。


・本当のところは何もわからないのです。わからないけれども、門前の小僧習わぬ経を読む、というやつで、最高のお坊さんのお経を毎日聞いていたら、小僧だってやっぱり経を読む真髄がわかるのでしょう。


・繰り返しになりますが、ビクター・ゾルザは、当時最も尊敬されていた共産圏分析の専門家でした。彼の言っていることはただ一つで、秘密情報、聞き込み情報は絶対に読まない。『プラウダ』『イズベスチヤ』『人民日報』だけを読む。


・私がアメリカ情報に自信を持てるようになったのは、ここ数年です。日本だけではなく世界中がアメリカを読めなくて、失敗しました。どうすればアメリカを把握できるだろうか。トレンドを正確につかむにはどうしたらいいか。米国は世論と政治の動向を読み解かねば予測できません世論、議会、ホワイトハウス国務省があり、お互いに意見を戦わせるうちに政策が出てくる。お互いに、ああだこうだ言っているうちに政策が出てきます。だから全部を眺めて、どういうことを言っているかがわかると、それで大丈夫なのです。


・トレンドは最終的に世論が決めますが、その裏には、大衆の好き嫌いだけではない、国家戦略論があります。アメリカはこうすべきだとか、アメリカはこうあるべきだという、政治原則があります。


政治原則、戦略論は、まず外交評論、研究者の本、論文に現れます。それが次はマスコミの社説論説に影響してくる。それがまた政治家に影響してくる。それが政府指導者の講演、国務長官の講演とか、あるいは公聴会の次官補の発言とかに出てくると、かなりのトレンドになってきたといえます。


・米国の評論家の論説、その次は要人の演説です。まず評論家の論説を読んで大きな流れをつかみ、その中で政府の要人とか議会でどういうことを言っているかをつかみます。それから毎日の新聞の社説を読むことです。流れの中で変な動きをする人はいますが、大きな流れは見失いません。


・私は、21世紀の日本の安全を確保するには、日米同盟を盤石にすることが不可欠、と一貫して主張してきました。そのためには、米国にとっても日米同盟が不可欠でなければありません。そのためには例えば米艦に対する攻撃に対して、同盟国として反撃できるようにすればいいのです。集団的自衛権の行使を認め、自衛隊シーレーンのパトロールに加われば、東南アジア諸国も含め、日本は大きな信頼を得ることができるでしょう。日米関係は、米英関係と同等の強固な運命共同体になります。


・日米関係を盤石にすること、そして米国情報を常に的確に把握すること。この2つのことができれば、21世紀も日本の自由と安全と繁栄を維持できると確信しています。これが外務省勤務40年、退官後22年の試行錯誤から得た結論です。


・現在世界のバランス・オブ・パワーの変化を論じるならば、中国の勃興、とくにその軍事力の飛躍的増大を論じなければ何の意味もない。



*以下は、新居雄介氏(現役外交官)の岡崎久彦評である。


キッシンジャーが日本で議論するに足ると見ている人物は、岡崎大使以外に誰か彼の頭に浮かぶでしょうか。あるアメリカの有識者で、自分はキッシンジャーよりも岡崎の方がずっとすごいと思うし、尊敬もすると言っていた人がいたのを憶えています。


・よく酒の席にも誘われましたが、ふっとその時に応じた漢詩が出てくる。花見で千鳥が淵を歩いていたときですが、李白漢詩とか西行の歌が何首かスラスラ出てくる。本業の国際安全保障、政治における知識を超えて、明治の教養人が持っていただろう部分を併せ持っていて、それが全体として人間的な魅力を作り出していた。


・岡崎大使には、日本の良きサムライ文化の最後と、明治の近代的な部分と、英国に最初に留学したことが原体験としてあって、人格の基軸には、サムライ、明治教養人、英国ジェントルマンの3つがあったと思います。


*以下は、細谷雄一氏の岡崎久彦評である。


・岡崎さんは人格を非常に重視し、ウソをつくとか騙すとか、人間的に醜い行動を取ることを嫌っていました。政治家についても人格が評価の対象になっていました。ノブレス・オブリージュ、つまり貴族的でありまた高貴であること、表には出ないが日本の国益のために命を尽くす、貢献する。そういったことに美徳を見ていた。


・岡崎氏のライフワークである、アングロサクソン同盟論は、5、10年単位で考える国家戦略というよりも、50年、100年単位で考える大戦略、グランドストラテジーです。大戦略は総合的な、国家の生き方、生き様、アイデンティティにもかかわってきます。戦略、外交を語った人はたくさんいたが、グランドストラテジーを語った稀有な存在でした。

(引用終)
別件を。これは判断し難いところだ。
「見たものを画像として記憶する能力」については、千住真理子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130211)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070925)が楽譜を記憶する方法として語っていたし、佐藤優氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)も似たような能力を保持しているらしい。だが、私にはそんな特殊能力がないので、(そうかしら)と思うまでだ。そういう保留事項も、必要ではある。

高橋洋一なぜこの国ではおかしな議論がまかり通るのか』


・正しい結論を導くためには、「正しい前提」から始めればよい。筆者の思考は、その一点に尽きる。だからウソはすぐに見破れるし、予測も当たる。この国の未来を正確に見通すのは、じつはそれほど難しいことではない。



・筆者の学生時代の勉強法を尋ねられると、筆者は「小学校に入ってから大学を卒業するまで、一度もノートをとったことがない」と正直に答える。いまもメモはとらない。だから筆記具も持ち歩かない。


・筆者にはフォトグラフィックメモリーの能力があった。さすがにいまは歳をとったので、衰えていてできないが、これは見たものを画像として記憶する能力のことだ。


・黒板に書かれた文字も、一瞬で記憶できた。グラフや数式も、メモもせずに画像として脳にインプットできる。これはトレーニングで身につけたテクニックではなく、生まれつき備わっていた能力だから、「読者には再現性がない」といわれれば、致し方ない。


・わたしが「変人」であることは認めよう。しかし、筆者には人が真似できないような特別なノウハウを駆使して仕事をしているという感覚はない。


・むしろ、きわめてオーソドックスな一般理論を用いて分析や予測を行っていると考えている。言い換えれば、正しい前提のもとに、正しい理論を、正しく使えば、正しい予測が導かれる確率が高くなる、ということをシンプルに実践しているにすぎない。


・筆者の仕事術として説明すれば、前提の段階ではできるだけ省略的思考をすることだ。加工されていない客観的な統計データや、シンプルなロジックから定理を構築する。


・筆者は普段から新聞は読まないし、テレビも観ない。この生活は、官邸に勤務していた役人時代から変わっていない。


・正しい前提となる情報を求めるのであれば、メディアに頼らないことだ。幸い、いまはインターネットがある。ネット上には何の加工も施されていない一次情報が必ずある


・筆者の情報収集も基本はインターネットである。ただし、ドメインは日本の政府機関による情報を公開した「go.jp」か、大学・研究機関による情報を掲載した「ac.jp」に限定する。



・「時間がない」の真意は「時間の使い方がうまくない」。


・わたしの原稿執筆も、たとえば日刊紙の短いコラムなら1時間、ウエブ連載の長めのコラムなら2時間、書籍の原稿なら4時間という具合に時間を設定して1日のスケジュールに組み込む。


・筆者は仕事をタイムゲームだと思ってやっている。役人時代に残業をしたことがないというのも、仕事は就業時間内に終わらせるタイムゲームだと思ってやっていたからだ。


・役所には、夜半に急に対応しなければならない案件が生じることもある。そのために待機する者もいるが、筆者は原則として定時で帰った。その代わり、居場所を伝えておき、必ず連絡がとれるようにしておいた。そうすれば、緊急時にも30分もあればタクシーで駆けつけることができる。


・筆者は基本的に、仕事は時間内にできたところまででいい、という割り切りをもっている。


・筆者の原稿の場合、制限時間内で書けたものが完成品だと割り切って、タイムアップになったら編集者に送ってしまう。


数学的思考で重要なのは、データであり、ロジックだ。そこに瑕疵がなければ、文体や表現にはそれほど固執しなくていい。だから毎回、80点以上の及第点はとれているという納得感がある。


・100%の状態にまで仕上げてからパスを出せば、素晴らしいキラーパスになるだろう。だが、それは自己満足のようなものだ。


・80%から先の20%の部分は、そもそも自分の力量が足りないから未完成なのだ。だったら早くパスを出して、パートナーや第三者の知恵を借りたほうが、早く仕事を100%に近づけることができる。


・この考え方の混泳にあるのは、組織論の中で実践されているダメージコントロールである。


・政治家を見渡しても、ここ10年ほどで金融政策を正しく理解していると筆者が思い当たるのは、安倍晋三菅義偉中川秀直山本幸三竹中平蔵渡辺喜美舛添要一馬淵澄夫小沢鋭仁松原仁、金子洋一、、、各氏らくらいのものだ。


・現政権が歴代政権のなかでも傑出した雇用成果をあげているのは、金融政策を理解している安倍首相、菅官房長官が政権の中枢にいて、一連の日銀人事で間違いを犯さなかったからである。


・雇用とインフレ目標とが表裏一体であることを完璧に理解し、正確に実践できる政治家であれば、金融政策のドライバーになれる。

(引用終)

本のダイジェスト版(1)

メーリングリストから。なかなか読めない分野の本のダイジェスト版。このやり方が良いかどうかは別として、自分の不足を少しでも補うために。

加来耕三不敗の宰相、大久保利通


大久保利通の印象を隻語で述べれば、「凄然」の一語に尽きる。大久保はまさに凄然と明治維新を成し遂げ、つづいて近代国家日本の基礎を、作り上げた。



・大久保が内務卿の時代は、いまだ幕末動乱の殺伐とした風が抜けず、志士あがりや豪傑を気取る府県の知事・県令たちは、板垣退助内務大臣時代とは比較にならない強者揃いだった。にもかかわらず、大久保が地方官会議の会場に入るや、一斉に私語はやみ、内務卿を揶揄するどころかどの眼光をさけるべく、強者たちが申し合わせたように俯いた


・大久保は何事においても慎重であり、決して博奕を好まなかった。つねに最善をつくしながら次善の策を準備し、それがだめならさらにその次善を探求するといった着実さだった。一度手がけたことを途中で放棄するようなことは全くなかった


・大久保のバックボーンとなったのは、薩摩藩独自の教育である郷中制度であった。これは武勇を尊ぶ薩摩藩が、泰平の世になって「武」が衰えることを憂い、恐れ、藩を挙げて熱中した少年教育の制度であり、地域(郷中)をひとつの単位として、藩士の子弟に自治組織をつくらせ、相互に切磋琢磨させた。文武の指導はもちろんであるが、むしろ「心の爽やかさ」を高め合うことに目的が絞られた。


・言い換えれば、潔さと勇敢さ、それに弱者へのいたわりを身をもって知らしめることが、郷中教育の目的で、薩摩藩では、武士の学問・武芸以上に尊ばれた。


・大久保も「郷中」のなかでもまれ、組織というものの仕組み、強さと機動性、集団心理などを体得し、後年、組織運営の名人として、絶妙の冴えをみせた。「郷中」のリーダーシップをとることで、大久保はこの組織力を背景に、青年期にはいると薩摩藩の実務畑官吏となり、短期間に藩官僚の階段を駆け上がって、さらに日本という歴史の大舞台を登り詰めていく。


郷中での学問は、『四書』『五経』の素読、暗唱などであった。また、「伊呂波歌」「歴代歌」「虎狩物語」など、藩の選定した歌や物語を暗唱した。


・大久保は生涯、愚痴を言わなかった。愚痴は理非の分別をもたず、非建設的で無益である。彼は愚痴るかわりに考えた。「家族を守るために、実力を培い、藩内でのし上がる以外にない」栄達・出世をとげるためには、機会をとらえてそれに乗るための洞察力、行動力を磨かなければならなかった。大久保が逆境の中で、自らの立場を悟り、この苦境からはいあがろうと決意した時であったのが「陽明学」であった。



・大久保はやがて、朝廷、幕府、諸藩の虚々実々な駆け引きの渦中に身を置き、策謀の技術を実践的に学んだ。敵に勝つためには調査、観察、洞察が必要であり、それらを怠らずに分析してこそ、駆け引きにも負けないのだと知った。


・大久保はいくつかの書簡で、こう繰りかえしている。「組織を支えるのは人心であり、人心を納得させるのは当事者の公正な態度である」


戊辰戦争において、大久保は軍事に関して盟友の西郷隆盛を実質的な東征軍司令官として立てている。自らは、後方にあって地味な「兵站」業務を受け持った。


・新政府で事実上の宰相を務めるようになった大久保は、自ら行財政の知識や近代的実務に暗いという弱点を認識していた。さらなる未知の海外をも体験したいと意欲を示していた。どちらかといえば現実思考の大久保が海外視察使節団に加わったことは、42歳にしてみせた決断であった。


・やらせると決めたからには大久保は部下に全てを委ね、その責任を自らが負った。


徳川家康と大久保は、実によく似ていた。創業から守成への大転換を見事に乗り切った統率力、思考方法や決断の仕方、実行に至る手順の踏み方など。二人の常勝組織をつくるに当たっての人材登用も凄まじかった。大久保も家康を目標として、お手本としていた。

渡部昇一/岡崎久彦明治維新人物学:明治の教訓、日本の気骨


・連綿たる歴史と文明的土壌が維新の成功を導いた。


西郷隆盛を一言でいってしまえば、全く私心のない人だ。頭の中では天下国家のことしか考えていない。だけど、小さなことについてものすごく礼儀正しい。


勝海舟は剣道とともに禅の修行をしている。これは西郷との共通点でもある。禅が何に効いたかと言うと、度胸がつく。白刃の間を何度もくぐったけれど、全然びくともしなかった。


・勝という人は、実によくなんでも見えている人だった。見えていて、それに対して正確な措置をとっている。よくあれだけ物事を大きく見ることができたなと。


・勝は、理屈を言うんじゃなしに、問題があったらすぐに解決する。そうでなきゃいかん。何かあると、「考えさせてくれ」とか、「それは大事な問題であるから熟慮検討ののち・・・」なんて言わないで、「こうやって解決する」とスパッスパッと言える人間というのが、現代でも最高の人物だ。それができたのは、戦後では岸信介田中角栄ぐらいでしょう。


・大胆にして細心。一言でいえば、勝は超天才的な人で、加えて禅と剣道で腹ができていたということだ。


・明治の最高の頭脳である伊藤博文。伊藤の人物を推し量るときにまず言及したいのは、彼の書く文章のすべてが明治の最高の名文であるということ。論理の乱れがない。


・円転滑脱の柔軟さこそが伊藤の持ち味だった。


・驚異的な体力が伊藤の業績を生んだ。いつも4時間ぐらいしか寝なかった。彼はいつだれが会っても快活で機嫌がよかったというので、大変な体力だ。本当に病気をしなかった。明治天皇は、「伊藤の健康は病的だ」と評されたという。


陸奥宗光というのは本当に天才だと思う。陸奥の目標は不平等条約の改正と議会民主主義で、日清戦争はたまたまだったが、あのときの処理ぶりは天才と言うしかない。天才を使えるような政府、これが明治ですね。もうそれに尽きる。


・日本の明治維新が成功したのは、極端な近代化と極端な復古運動とが一緒になった。まさにその微妙なバランスにあったと思う。明治天皇はその両方をなされた。


・伝統史観というのは要するに教養主義のこと。戦前の高等教育までは教養主義の伝統が残っていた


アングロサクソンとの信頼関係確立が、日本の繁栄を決定づける

田村耕太郎君に、世界との戦い方を教えよう


・日本を変えるには、まず教育を変えるしかない。アメリカは簡単に衰退しないと思う。それは、「知のインフラ」が他国を圧倒しているからだ。


アメリカの強さの土台はリーダーシップ教育にあり。アメリカの大学の成績は就職に直結する。


アメリカ企業の経営陣が、アメリカの大学教育を受けた人材を評価しているポイントは、おそらく以下の3つ。

1.圧倒的な読書量
学生は、哲学、科学、歴史と幅広い分野にわたり、大量の本や資料をとにかく徹底的に読まされる
2.その読書量で得た豊富な知識を背景にした仮説検証訓練
3.リーダーシップ(自己と他者を管理する能力)


・ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のある教授が私に向かって切り出した。

コウタロー、私は日本の問題の核心がわかった気がする。この国に来て、人々の優秀さや優しさ、団結力にすぐ気づいた。ただ、日本の停滞の理由は、リーダーシップがどこにもないことだ。どこにも問題の当事者がいない。すべてが他人事なんだ。政治家は官僚を悪者にする。官僚は政治家のせいにする。財界人は政治と役人が悪いという。『俺がやってやる。俺が変えるんだ』という人間がどこにもいない」


・インドの教育界のトップに君臨するのが、インド工科大学(IIT)。世界の理工系大学の中でナンバーワンだとされる。IITに落ちた者がMITやハーバードに行く、といわれている。


・インドの大学の経済学部は、かなり数学を重視している。基本的な経済数学と統計の知識を、すべて1年生の間に叩き込む。


・言いたいことを一気に言い切る英語力が必要な時代だ。私は世界最高のシンクタンクと言われる『ランド研究所』で日本人最初の研究員を務めた。ああいう場所にいると、いったん英語で詰まったり口ごもったりしたら、2度と話を切り出すチャンスはない。次は誰も目も合わせてくれない。


・大事なのは「一気に通じさせること」だ。インド訛りでもフランス訛りでも日本人のアクセントでもいい。言いたいことを言い切る能力があればいいのだ。


知性、見識、教養のすべてが発音に現れる。イフ外語学院の中野正夫氏は、こういう。「シリコンバレーで起業した私の教え子が、『国際会議では、発音がうまい奴がスターになれる。発音がうまいだけで華になれる』と言っています。公の場でこそ、発音は大事なのです」


アメリカ経済復活の根底には、アメリカの教育の強さがある。授業で求められるのは、記憶した答えを探すことではなく、答えの出し方、つまり「考え方のフレームワーク」を提示することである。

(引用終)

「台所の祈り」

この秋、引越しのために、冷蔵庫を動かしたところ、すっかり忘れていた紙が貼り付けてあった。
裏面に記してある日付は2001年6月23日で、「台所の祈り」と題する抜粋だった。

「台所の祈り


創造主であられるあなたとともに、
創造の喜びを少しでも味わうために、
家族への愛を、
心を込めたお料理を通して表すために、
私の見ていない所で働いていてくださる
多くの方々への
感謝の気持ちを持つために、
健康管理の責任を全うするために、
必要を満たしてくださる
あなたへの感謝を忘れないために、
遠くの人に思いを馳せるために、
みことばを思い巡らすために、
この台所を小さな喜びの部屋にしてください」

どこでこの紙切れを手に入れたのか、なぜこれを冷蔵庫の脇に貼ったのか、今では記憶が曖昧である。だが、9.11前の時期で、まだ日本全体が、今よりも何となく、いい加減な雰囲気に満ちていた頃ではなかったか?あまり物事を考えなくても、(そのうちに何とかなるだろう)という根拠なき楽天性に満ちていたのではなかったか?
結婚して4年目に入る時であり、祖母や父は健在で、妹と弟は未婚だった。主人は、既に深刻な進行性難病の診断を下されていたが、それでも「しんどい、しんどい」とボヤきつつ、米国出張に行っていた。
私は「論文、論文」と、毎日逼迫した焦りで神経を尖らせていた。何しろ、一次資料がどこにあるかもわからず、あちこち駆けずり回るばかりで、ただ時間が過ぎていったからだった。
将来の希望どころか、将来そのものが何もなく、周囲は光り輝いているのに、自分だけは真っ暗な闇をトボトボと歩いているような感覚だった。
そんな時、自分には「健康管理の責任」が課せられていると気付かされたのは、この紙に書かれた祈りの言葉によってだった。
隣には、他の紙も貼り付けてあった。

「食は命なり」「考える力と感じる力」「医食同源」「変化・バランス・安定」「春=芽・夏=葉・秋=実・冬=根」「陰性と陽性」「色彩(紫・青・緑・黄・赤/赤・白・黒・青・黃))と味(辛・酸・甘・塩・苦)」「遠心力と求心力」「(体内を)温めるものと冷やすもの」「固いものと柔らかいもの」「五感(触覚・視覚・聴覚・嗅覚・味覚)」「手足をよく動かし、心と体と頭のバランスを取る」「手作りの工夫」

これらは、さまざまな本から取り入れた知恵を列挙した一覧表である。
信心深くもなく、祈りに欠けた者だが、これらの可視化体系のお陰で、夫婦共々、何とかここまで生き延びることができた。
あの頃は、まったく予想も想像もできない境地であった。

上に立つ人の資質と力量

ちょうど一週間前、フェイスブックに、以下のまぐまぐニュースの記事を要約して掲載した。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima


7 December at 08:22


https://www.mag2.com/p/news/378812


・国、自治体は修繕費を積み立てておくこともせずに、次から次へと政治がらみの公共工事に税金を注ぎ込んできた
・日本の市場を虎視眈々とうかがうフランスのヴェオリア社、スエズ社、イギリスのテムズウォーター社といった水メジャーの参入
・水道料金の高騰
フランスのパリでは、85年から09年のあいだに水道料金が265%も上昇した。
大阪市は水道の一部業務をヴェオリア社に委託、浜松市などは下水道の長期運営権を同社に売却した。
・全体をまとめるコーディネーター機能が不足している。
自治体は実績のあるフランスやイギリスの企業を選ぶ可能性が高いだろう。
・海外では、いったん民営化したものの、水道料金の高騰や、コスト削減によるサービス低下を招いたため、再びもとの公営に戻すケースが相次いでいる。
・なぜ、命の源泉である水の供給まで民間企業の手に委ねなければならなくなったのか。
厚労省によると、高度成長期につくった全国の水道管のうちすでに1割は耐用年数を超え、老朽化した管路を今後130年以上かけて回収していかなければならない。
竹中平蔵氏がいまだに主導している民営化、規制緩和路線による職員数の削減、団塊の世代の退職などで、技能者はすっかり減っている。
自然に恵まれた日本の豊かな水が、世界のウオータービジネスの渦に巻き込まれるきっかけとなるだろう。

(引用終)
なぜ、この記事を要約掲載したか。理由は以下の二つ。
(1)今秋まで20年と10ヶ月暮らしていた大阪府の小さな町は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180624)、長らく名水百選を誇っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)。実は、ある時期から府営水道が数%混じっているらしいのに、最近になって「みづまろ」君の「離宮の水」としてブランド化するという動きが出てきた。
(2)主人の勤務先の都合で、今秋から住むことになった兵庫県の某市は、かつては酒造で栄えた城下町でもあり、元来、水質は良かったはずである。そこで、(1)との兼ね合いで、来年度の市の水道モニターに応募してみた。
生きとし生けるもの全てにとって、とても大切な命の水。少しは勉強をしなければ、と思った次第である。
ところで、元官僚の八幡和郎氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)、早速、異論を出されたので、以下にその要約を。

http://agora-web.jp/archives/2036139.html


「世界の趨勢は水道の再公営化だというデマ」
八幡 和郎
2018年12月13日


・12月6日に改正水道法が衆院本会議で可決され成立したことで、水道事業の民間委託が促進されることになる。これを受けて、「命にかかわる水は公営であるべきだ。まして外資なんてとんでもない」「水道料金が倍になる!「海外では再公営化の流れにあるのに逆行」とかヒステリックに騒ぐ人がいる。


・お笑いは、共産党を始めとする左翼とネトウヨなど国粋主義者が共闘している。しかし、こんな議論は、滅茶苦茶であることが詳細を検討するまでもなく分かる。


・水が命にかかわるとかいうが、それなら医療、薬品、食品などなんでもそうではないか。私立病院や診療所、民間製薬会社、農業、食品産業などみんなかつての共産主義国のように公営化しなくてはならない


・フランス企業が運営したら、水に毒をいれるとか心配するなら水道局の職員にテロを企む反日分子でもいないか心配したほうがよい。水道局にはフランス人よりは相対的に心配に値する外国籍の職員だっているのではないか。


・公営にしておくと、値上げが政治的理由で難しいというだけのことで、それを税金で補填するか、それとも、将来への投資を怠ってしのぐかという傾向があるというだけのことだ。


・海外では再公営化の流れがあるというのなら、あらたに民営化された数と再公営化された数を比較しての話でなければならないが、そういう数字は見たことない。


・水道に限らずあらゆる役所の仕事も公営事業も、アプリオリに公営、民営のどちらであらねばならないということはないと思う。


国鉄でも国労があんなにストばかりしたり、合理化を邪魔しなければ民営化しなくてもよかったかもしれない。


地方公共団体の仕事のような場合には、選択肢が広い方がいいというのは当然のことだ。今回の改正は、別に民営化を義務づけるものでないわけで、地方自治体ごとに広い選択から選べることになったのだから、結構なことではないか。


・水道については、通産省の工業用水道の運営や水処理産業の育成など水問題全般を所管する工業用水課の課長補佐を1980年代にやっていたのだが、そのころから、技術水準でかなわないものだから、日本のメーカーや水道局の職員など水道マフィアが屁理屈つけ嘘八百つけて世界一と定評があったフランスの水道産業の参入を妨害していた。


・日本の水道関係者の技術や経営がそんな立派なら海外で引く手あまたのはずだが、そんなことはない。フランスの水道産業は、世界的に信頼をそのころから得ている。


日本の水道が素晴らしいなどと、いうのは、伝説だ。海外の水道の水は飲めないなどというのもだいたい伝説で、たとえば、フランスでも半世紀以上の前のことだ。その改善を支えたのが優れた水産業の発展だった。


・むしろ、日本の水道水のほうが問題が多く、浄水器を取り付けたり、ミネラルウォーターをつけざるを得ないのではないか。


・パリの水道の話などは、私も5年間、パリ市民だったからあまりにも馬鹿げた議論に呆れるばかりだが、また、回を改めて論じたい。

(引用終)
....とのことです。
余談だが、この度、転居をきっかけに、いろいろなことに気づいた。
前住んでいた町の今の若い町長さんは、なぜ選出されたのか、私にはよくわからないのだが、ツィッターアーレントレヴィナスサルトルを並列引用する等、首を傾げたくなるような記述が目立った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181109)。有名人の名言だからと思って、安易に孫引きしたのだろうが、そこで教養が問われよう。
既に住民票がないのだから、今ここで、はっきり指摘してあげますが、「サルトルなんて、今時、相当に遅れていますよ!」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121007
私の学生時代でも、実存主義だと教科書に紹介はされていたものの、本当に好んで読んでいたのは、フランスにあこがれている人や、共産主義社会主義のシンパだった。私がサルトルを初めて一冊だけ読んだのも、今年になってからのことで、それはユダヤ人に対する彼の思想を知るためだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180428)。
もし、ずっとあの町に暮らすことになっていたら、恐らくは無知から(だと思われるが)、このような政治思想を滅茶苦茶に平気でツィッターに掲載するような町長さんの指示に従うことになり、知的に圧迫される上、精神的な負の影響が増したことだろう。
これは非常に重要なことで、町立図書館(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C4%AE%CE%A9%BF%DE%BD%F1%B4%DB)で働く女性スタッフを採用する際にも、なにがしかの影響を与えるはずだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)。端的に述べると、乳幼児をはじめとして、町民の知的水準を低下させ、偏向させることにもつながる。
今暮らしている市は、地理的な規模としては小さいのだが、文化活動が活発で、さすがは地元出身で元官僚の現市長さんが四選されただけある。上に立つ人は、視野が広く、教養豊かで、的確な判断が下せるような高い知性と、しっかりした実務経験を持っていてもらわなければ困るのだ。
かくいう私も、暮らし始めて2ヶ月半だが、知り合いもいないのに、もう市内の10の行事に参加した。全部、ほぼ無料だったのが凄いところだ。
例えば、生け花展や書道展は勿論のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181103)、図書館の一階フロアで歯科検診も受けた。
この「図書館で歯科健診」という珍しい取り合わせがミソで、親子連れ等、老若男女が大勢詰めかけていた。というのは、一人一人の歯の隙間に楊枝を差し込んで採取した口内菌の状態を、顕微鏡パソコンで見られる仕組みだったからだ。
私の前にいた小学一二年ぐらいの子供の方が、私より虫歯菌が活発にたくさんウヨウヨしていたのは、我ながら(勝った!)とニンマリ。私は、年齢の割に虫歯菌や歯周病菌等、少なかったようだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171214)。
ただの歯科検診ではなく、検診にまつわる俳句や川柳まで募集していて、受賞者の作品が張り出されていた。ここが違うんだなぁ.....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181121)。
その後は、階を上がって図書館カードを作ってもらい、館内をぐるりと閲覧できた。恐らくは、主催者側としては、このドッキングを密かに狙っていたのではないだろうか?
他にもある。行基菩薩と呼ばれる天平時代の高僧が、昔、この辺りの大きな池、溝、橋、用水、寺等を公共福祉事業として開拓されたのだが、生誕1350年の今年を記念して、市が主催した「行基さん巡りツアー」に、早速、加わった。11月3日の午前中、徒歩で三時間も、手作り資料を片手に案内していただいた。お陰様で、新参者なのに市内の重要な地域をガイド付きで一周することができ、見落としがちな古く小さな石碑なども、丁寧に解説していただいた。
その日の午後には、「行基さん」ゆかりのお寺で専門家から講演を聴き、その約二週間後には、図書館で「行基さん」に関する勉強会に出席。講師は、大学院で歴史学を専攻されたという市役所の社会教育課長(女性)。その四日後には、埋蔵文化財センターで、「行基さん」展示を見学。
これら一連の行事に関するレポートを簡単に文章化して、11月末には市立図書館に提出した。
レポートそのものは至極単純だが、提出前に、行基菩薩にまつわる本を図書館で数冊調べて複写したり、大学図書館も含めて、近隣の所蔵図書リストをノート12ページ分取ったりして勉強したことは、言うまでもない。
行基菩薩に関しては、実は前に住んでいた所にも関わりがある神社やお寺があり、成立年代としてはそちらの方が古い。だが、それに関する勉強会や講演会について、20年以上暮らしていても、記憶する限り、広報で知らされたことがなかった。ちなみに、引越し前に隣町で行基菩薩に関するテーマで講演を聞いた時には、100名ほどの人々が集まり、盛況だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)。
蛇足だが、こちらは広報新聞の文字が小さく、かつ情報量が圧倒的に多く、とても役に立つ。
長岡京市もそうだったが、前に住んでいた町の広報は、せっかく冊子になったのに、文字が大きくて平仮名が増え、読める箇所が極度に減り、残念だった。子育てと老人介護ばかりが前面に出ていて、せっかくエネルギー満ち溢れる、学び働く世代(二十代から五十代)への知的刺激や向上心が、行政によって押しつぶされているような感覚があった。
町長さんが、いくら若いからと言って、災害援助や運動会や交流会だけに力を注ぐようなことをしていてはいけない。上に立つ人が町民と一緒になって水平に行動していると、いざという時、ぐらついてしまう。
図書館と言えば、既に書いたように、こちらでは自動貸借機を使って、一度に30冊も三週間まで借りられる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)。しかも、他の人による予約がなければ、自宅のパソコンで延長操作も可能である。返却は、市内のあちこちにボックスがあるので、近場を探して簡単に返すことができる。(私など、図書館までは自転車で15分ほどだが、返却は歩いて5分だ。)
つまるところ、図書館スタッフから、返却の催促をされる心理的負担が全くなく、細かいネチネチとした注意もなく、実に快適に図書館ライフを享受し、読書習慣が自然と身につく仕組みである。
これが可能なのは、まずは居住する市民の意識の高さと需要がある。
昔は、自分の努力次第で、暮らしの不便さは何とか克服できると思っていたが、こちらに来てみて、やはり環境は重要だと思った。
例えば、以前は日常の買い物にも往復一時間かかっていた。帰りの坂道が急勾配で、夏場には自転車を押して汗ダラダラ。(気分転換と足腰を鍛えるにはいい)と自分に言い聞かせていたが、それがいかに負荷をかけていたことか、今になって気づく。
バスの本数もどんどん減り、20年前にはあった各種のお店が次々と閉鎖されていった。つまり、高齢化に伴う人口減少である。
京都や大阪の中間に位置し、自然環境や史跡に恵まれているのだから、本来は、こんなはずではなかったのだ。新築だった頃、喜んで分譲を購入した人々は、恐らく「今後は地価が上がるから、今がお買い得」と説得されて決断したのだろうと想像される。
こちらは、10年前よりも人口が自然増も含めて上がっている。地価も、兵庫県内で唯一、下落なし。住みやすいと感じる市民の割合も85.4%と出ており、「元気印」ニコニコマークなのだ。
心配していた自然環境も、広大な公園がよく整備されており、歩けば近所に畑が結構残っている。山は遠くになってしまったが、朝は背広姿で自転車出勤する人々も多く、まずは健康志向と言えそうだ。
最も矛盾だと感じたのは、以前の町の福祉制度。
繰り返し書いてきたように、主人は結婚後一年で診断を下された特定疾患(指定難病)で、しかも進行性(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。町内には「お見舞金」制度があり、三十代の頃から毎月支給されていた。
進行性のために症状がどんどん進んで、高価だという薬も飲む量が増え、日常生活にも支障が出ているのは明らか。なのに、なぜか徐々に「お見舞金」が減額されていったのだった。引越し直前には、全額支給が片道のバス代相当までに減っていった。
勿論、その制度に依存して暮らしてきたわけではなく、特に支障があるわけではない。だが、完治に向かったので減額というならば理解できるものの、これから必要な経費が増えるばかりだというのに、逆行しているのだ。
しかも、毎年の書類の手続きは、年を追う毎にダラダラと不快な対応が目についた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180910)。
引越し前後には、行政から「ここは福祉制度が充実しているけれど、兵庫県は厳しいから、今まで通りのサービスは期待できないですよ」と脅かされたが、豈図らんや、実はこちらの方が臨機応変、親切にテキパキ親身になってくださっている。
保健所でも、女性職員の咄嗟の機転で担当者とすぐに電話連絡がつき、「オフィスアワーを過ぎても、到着するまでドアを開けて待っています」と言ってくださった。指定難病のカードを大阪府から兵庫県に変更する手続きでは、「今日付で発行しますから」と、最大限、こちらの便宜を図っていただいた。
また、薬局が新しく決まった別の日に届け出をすると、本当に高価な薬代も「保険証を提示したなら、それは薬局に払い過ぎですよ」と、親切に教えてくださったのだ。
一昨日には、毎年恒例の献血のため(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180628)、住所変更を兼ねて、隣の市の献血ルームに初めて出かけた。きちんと病名や薬の細かなリストが分厚いファイルに列挙されていて、「念の為」と、過去の病歴や薬の使用例を詳しく調べていらした。それでいて、冷たい応対では全くない。
何というのか、大阪府は、よろず緩い割に、変なところで遅延や縛りをかけるような気がする。
全ては、上に立つ人の資質(才覚)と力量に依る。