ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ムスリム文書とキリスト教文書

昨日は、雨だったこともあり、ほぼ一日中“Christian Literature In Moslem Lands: A Study Of the Moslem And Christian Press In All Mohammedan Countries" George H. Doran Comapny, New York, 1923を読んでいました(参照:2008年4月19日・6月8日付「ユーリの部屋」)。
295ページある本ですが、昔ながらのタイプ打ち風活字で、当時が偲ばれます。元はといえば、ネット上で偶然見つけて、ダウンロードし、折に触れて必要な箇所だけを訳していたのですが、やはり通して読む必要があったために買うことに決めたものです。結論から言えば、入手して正解でした。ネット上の処理は、便利でペーパーレスで、と言われますが、目が疲れることと、持ち運び自由な本にはかないません。書き込みもできるのが、紙媒体のよい点です。ネットでも書けると言いますが、どうも私には合わないようです。かえって時間もかかりますし。
さて、こういうテーマは、「マレーシア」の項目だけを見ていてはダメで、特に中東アラブを筆頭に、「モスレムの土地」だと当時のキリスト教宣教師達が「認定」した地域全体を見渡さないと、歴史の流れや世界観がわからないままではないかと思います。特に、言語的な分水領も重要で(←むしろ、そもそも私の関心事は言語から始まっていたのですが)、それによれば、中心地点は次の6点に定められたそうです(p.276-277)。
1.コンスタンチノープル:トルコ、バルカン、ロシア系モスレム
2.カイロ:アラビア語の土地
3.テヘランペルシャ語の中心・アジア系モスレム
4.ラクナウ(デリーの東南東):インド系モスレム
5.シンガポールマレー半島島嶼世界のモスレム
6.上海:極東とフィリピンのモスレム

フィリピンをシンガポール領域に含めず、上海領域にしたところが、現在の我々の「東南アジア地域」認識と違っています。フィリピン人の多くがマレー系だとされるのに(例えば、英語で‘Malay Christian'と言えば、フィリピン人かインドネシア人のキリスト教徒を指すことがある。(参考)Robert Day McAmis"Malay Muslims: The History and Challenge of Resurgent Islam in Southeast Asia" Eerdmans, 2002:3-4, pp.xi-xii)、なぜこのような区分をしたのか不思議です。ミンダナオ島は明らかにムスリム多数派地域で、独立抗争をする側にとっては、マフィリンド構想に見られるように、マレーシア、フィリピン、インドネシアの大マレー・ムスリム圏に含まれるはずなのですが。そういうさり気ない相違に気づかされる点が、このような古い資料を見るおもしろさです。

なお、キリスト教宣教師達のホームベースは、予想されるごとく、米国、カナダ、英国、フランス、ドイツ、オランダ、デンマークスウェーデン、スイス、インド、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカ、となっています(p.275)。プロテスタントが中心のように思われますが、フランスが入っている点、注目すべきでしょうか。また、ヴァチカンに近いイタリアが入っていません。これらも、国別あるいは民族別に見るのではなく、教会の教派を含めて考えると、なるほどと思わされます。

この報告研究書には、日本の広島の事例がほんの少しだけ出てきます。ムスリムに関してではなく、新聞を通しての福音伝道の可能性が否定的に記述されていたり(p.263)、433の町中で15町しか伝道活動がなされていないこと、海軍将校や領事館勤務者や学校教師などから、受刑者や労働者や文盲者に対するキリスト教活動の応募が、150人以上見られたということ程度です(p.267)。
この小さな日本の事例からもわかるように、昨今はやりのジャーナリズムやアカデミズムの一部における「一神教こそが諸悪の元凶だ」など、とりあえずキリスト教を批判すれば平和になるかのような論調とは、実態がかなりずれているかと思われます。学者の高尚で抽象度の高い議論とは別の次元で、(何か人々のお役に立ちたい、立てるならば)というのが活動の動機で、その動機を支える信条・信仰がキリスト教であった、というシンプルな見方はできないのでしょうか。というのは、何だかんだ言ってみても、キリスト教だけが果たし得た肯定的役割も日本社会には存在した/するわけで、それを簡単に否定したり批判したりするのは、いささか当事者に失礼ではないかとも思うからです。例えば、医療や福祉や教育の現場で、人目につかないところで黙々と奉仕されている(往々にして無料でも!)人々やそれを喜んで受け取っている人々の姿を見て、「好戦的な一神教」「自らのみが正しいと思うキリスト教」と、直接目の前で批判できるかどうか、ということです。

マレーシアも含めた東南アジア諸国向けの医療団として、スコットランドの教会からも派遣されていたクリスチャンがいたということを、先日のRさん(ちなみに、Rさんは英国側の研究者です)との電話でも聞きました。事実の詳細を調べたわけではないので、これまで黙っていましたが、実は私も、マレーシアに関してそのような側面を、滞在中からうすうす感じていました。長年、研究のやりにくさを覚えながらも、やめるわけにはいかなかったという理由は、まさにここにあります。だいたい、このような献身的なキリスト者は、「私がやりました」などとえげつなく自己主張するはずがなく、大抵は静かに淡々と奉仕することに喜びを感じるタイプが普通なので、知らない人は本当に知らないままなのかもしれません。しかし同時に、気がつく人は気がつくものです。

本書にも、このように記述されています。「すべての宣教師が、モスレム論議の主人になるのではないだろう。多くは人々への奉仕に人生を費やすだろう。イスラーム思想の魔術の下にあるにもかかわらず、自身はその論議に無知なままで...」(p.39)
この表現から、即座に「それはキリスト教による偏見だ」とか「ムスリムへの差別だ」という反応が聞こえてきそうですが、実は、本書によれば、「ようやく19世紀になってクリスチャンがモスレム兄弟を考慮し始めた時、それまで無視し分離してきたことへの罰金を払わなければならなかったのだ」(p.33)そうです。つまり、19世紀の植民地時代やキリスト教大宣教時代以前、キリスト教信者の多くは、距離を置いていたために、ムスリムがどれほどキリスト教に敵意を抱いているかも知らなかったというのです。これが、本書をまとめる主目的だったようです。
とすれば、私がこれまで見聞してきた「ムスリムに対するキリスト教化の試みだ」という主張は、もし、キリスト教側に立つならば、いささかずれているようにも感じられます。また、重要な点は、今年3月の東京での聖書翻訳ワークショップでも知ったように、現在でも「ムスリムキリスト教を正しく理解してもらいたい」というクリスチャンの希望が継続しているということです(参照:2008年3月14日付「ユーリの部屋」)。

本書では、ムスリムによるキリスト教への敵意及びそれに対するキリスト教側の否定的な反応が、繰り返し報告されています。

・宗教文書を知っているモスレムは、概して断固としてキリスト教に反対する。(p.23)
パンジャブ地方にある300冊以上のアハマディーヤの本は、キリスト教作家への応答として書かれたものだが、ほとんどがキリスト教への破壊的な批判と大変辛辣なコメントが含まれている。(p.30)
・教会が古いイスラームの敵意ある声明に出会っている(p.38)
・モスレムにとって、キリストは「ただの人」で、クリスチャンは多神教徒で、キリストは十字架刑になったのではなく、死んだのでもない。モスレムの知るキリストはカリカチュアで、揺り籠から話す不可能な子供で、泥から鳥をつくる魔術師である。(p.45)
・現代イスラームは、西洋の非クリスチャン勢力から学んだ合理的で破壊的なキリスト教への攻撃を、好ましい武器として用いる。(p.58)
・この宗教(イスラーム)は、この世界のみならず来世にも提供する幸福を有しているというのだが、しかし、あらゆる点で世界中のすべてのモスレムが、低く、貧しく、不清潔で、文明がなく、ばかげていて、無知で、一般的にアメリカやヨーロッパのキリスト教徒より、いや、ゾロアスター教徒よりも、200年は遅れている。(p.99)
・モスレムのキリスト教に関する誤解を解く文書が非常に不足している。(p.144)
・異教徒のモハメッド教徒は、常にクリスチャンが不信仰者だと言われているのを聞いてきた。キリスト教徒は不潔だと表現されている。イスラームはより最近の啓示なので、キリスト教は時代遅れだと言われている。誤った教義だとも言われている。例えば、三位一体の教えが多神教だというのである。学問もないと責められる。(p.144)
・モスレムの間であらゆるキリスト教運動への目覚めの動きがある。キリスト教文明の弱さや邪悪さを示すことに躍起になっている。歴史的キリスト教に反対することのできる武器は何でも歓迎している。(p.180)
コーラン的啓示の卓越性やムハンマドの理想的人格やモスレム女性の地位やキリスト教文明の凶悪さや新約聖書の非歴史的性格が、ムスリムの文書プロパガンダである。(pp.180-181)
・ほとんどの国々での我々の文書(キリスト教)は、嘆かわしいほど弱く、しばしば危険にさらされている。(p.230)
・モスレム国では、キリスト教の本は猜疑の元にある。これは、モスレムの東洋といわゆるキリスト教の西洋の間における政治的憎悪の意識によってしばしば強化される。(p.232)
キリスト教の定期発行文書に関しては、かなりの弱さを示している。モスレム世界での雑誌文献は、キリスト教を攻撃したいという人々によって価値ある道具となっている。エジプトの『マナール』やデリーの『同志』やロンドンの『イスラーム論評』やカルカッタの『ムスリム』やベンガルの『イスラーム』『ムハマディ』などがそうである。これらのすべては全く明確に、反キリスト教政策で、意図的な攻撃を表明している。(p.262)

ほとんど、どっちもこっちといった風に見えますが、これもそれも、一神教文明から離れた日本という「安全な」島国であるからでしょう。ただ、本書を信頼する限りにおいて、先に敵意を示したのはムスリム側のようです。クルアーン記述のある部分に従っているからなのですが、このブログでたびたび証言しているように、現在でもマレーシアその他の国々で続いている問題で、だからこそやっかいなのです。