ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

一つの中間的考察 (1)

昨日の続きです。3年前に複写を入手した、Hugh Goddard教授のマレーシアのムスリム・クリスチャン関係のリサーチ論文‘Christian-Muslim Relations in Nigeria and Malaysia'Lloyd Ridgeon(ed.) "Islamic Interpretations of Christianity" Curzon, U.K.,(2001)p.231-247を見てみましょう。

その前に、ひと言付け加えたいことがあります。
4年ほど前、日本のある神学部の教授から、「今の時代、キリスト教は自信がなくなっている」とうかがったことがあります。その先生は長年ドイツで研究されていたのですが、ドイツのキリスト教学界では、ナチス時代の反省が非常に強く、ユダヤ教徒に対して罪悪感を深く抱いているのだそうです。しかしその路線でいくと、せっかく聖書やキリスト教を学びにドイツに留学しても、日本の教会文脈にそぐわない点もあったらしいのです。
サミュエル・ハンチントン教授の「文明の衝突」は、世界的にあまりにも大きな反響を呼び起こしました。前面に出ている知識人の見解では、反論や反発が中心のようですが、むしろ黙っている人達の声はどうなのでしょうか。随分前に日本人のある先生からいただいたお手紙には、「多くの欠点にもかかわらず、ハンチントンの‘文明の衝突’はある程度当たっていると思う」という意味の意見が書かれてありました。
一方、Hugh Goddard教授の場合は、ご著書の中で「ムスリムとクリスチャンの間には、特定の段階では、より肯定的で宥和的な考え方も存在したことを歴史は示している」と述べ、西洋とイスラーム世界の対立的関係は、必ずしもクリスチャンとムスリムの関係と同じではない」と追加されています(Goddard 2000: 4)。また、冒頭論文では、同じくハンチントンを引用して「ナイジェリアとマレーシアでは、ハンチントンの‘西洋’以上に重要なクリスチャンの存在がある」という事例から、やんわりと反論されています。ただし、ここで明記すべきは、「世界中のムスリムとクリスチャンの各共同体には、確かに、協調と相互学習の関係よりも競争と対立の関係だと見る人々もいる」と認めていることです(Goddard 2001: 247)。その中で、「どちらの見解が勝つかを見るのも、興味深い」(Goddard 2001:243)と、判断保留を示しているわけです。
しかし、当事者の立場に立つならば、そんなに悠長なことも言ってはいられないという状況があるのではないでしょうか。冒頭論文の内容を見てみましょう。
マレーシアの場合は、ナイジェリアよりも国土面積が小さく、人口が少なく、より均質度が高く、アジアの経済的成功の中では唯一のムスリム多数派国であるという特徴を述べています。また、概要として、人口の51%を占めるマレー人のムスリム定義が明らかにされた上で、35%の華人と10%のインド系の人口比と職業別分布を加え、半島部とサバ・サラワク州との相違も、クリスチャン人口比や政治的動向などから示されています。そして、イスラーム化政策とマレーシアの各イスラーム組織が列挙された後に、政府が穏健であっても過激なグループが出現する可能性を、事例付きで述べています。
キリスト教に関しては、各組織の成立の概略的説明に引き続き、神学的傾向が排他的立場と包含的立場とに分かれること、同じ英国国教会系でも、インド系はより普遍的立場をとり、華人系はより福音派的立場をとるとの観察が書かれています。興味深いのは、イスラーム化やイスラームに対する評価がエスニック別で分かれるという観察です。華人クリスチャンは、かなりネガティヴで恐れを抱いているのに対し、インド系クリスチャンはより積極的で緩やかな見方をしているというのです。その相違の理由は、出身国であるインドと中国の宗教事情の違いが反映していること、経済的保護がマレー人に与えられるために、圧迫されるのは華人系だからだという考えのようです。その根拠として、インド系クリスチャンの代表には英国国教会司祭のSadayandy Batumalai博士を、華人系クリスチャンの代表にはカトリック司教(現在)のPaul Tan Chee Ing博士を挙げられています。

論文は、ここで終わっています。
おもしろいと言えばおもしろいのですが、私に言わせれば、マレーシア社会の概略は既知済みですし、中国系とインド系の比較は、この二人だけでは論証に不十分です。5週間という短期滞在の一時的な観察に過ぎず、事実を反映しているとはとても言えません。クアラルンプールをベースに、イポーやペナンやマラッカやシンガポールを訪問し、特にサバ州には10日間いたと書いてあるのですが、主に大学や宗教施設が中心なので、仕方のないこととも思いますけれども。
実は、Batumalai博士の提唱したマレー人との融和やイスラーム理解を説く神学は、私も「アジアの神学ジャーナル」で論文を何本か読みました。どうやらマレーシア社会の実態から見ても、賛同者が少ないようです。提唱の内容そのものは立派だけれど、現実に存在するマレーシアの差別的な各種政策が邪魔して、実践しがたいのではないかと思いました。ただ、英国国教会は、基本的に当該国の指導者に従順な傾向があると読んだことがあります。Hugh Goddard教授と同様、この博士もバーミンガム大学神学部で学位を受けたそうですから、人的関係上、このような観察になったのだろうと思います。
また、Paul Tan Chee Ing博士は、カトリック研究センターを立ち上げた方で、もともとはっきりと物を言うタイプでもあり、10年ほど滞在されたヴァチカンの前にも、台湾その他の各国にも在住経験があるので、必ずしも「華人系だから」という断定は該当しないのではないかとも思われます。
このHugh Goddard教授の見解について、読了直後の3年前、友人で福建人のメソディスト系クリスチャン男性に尋ねてみたところ、次のような答えが返ってきました。「いや、華人系司祭でも、もっとはっきり物を言うL司祭という人もいるよ。でも、L司祭の場合は、弁護士をやめて莫大な遺産を捨てて司祭になった人だから、怖いものなしなんだ。華人だからじゃない。普通は、華人だって公には何も言えないことが多い。インド系共同体は、普通、最も不利益を被っているマイノリティだと感じてきた。開発政策の恩恵に預かることのできるオラン・アスリよりも、脇によけられた人々なんだ。だから、何事にも中道を取る傾向にある。宗教的発言もソフトなのは、そういうわけだ」。
私はといえば、過去4年間の滞在経験および総計18年ほどの観察期間がありますから、もちろん、Hugh Goddard教授よりも、この友人の方に近い意見を持っています。もっとも、マレーシアではなく、エジプトなど中東アラブがご専門なので、やむを得ない面があるとは思います。また、旧宗主国の立場から、マレー人を保護する現政策を正面切って批判できないのかもしれません。以前も書いたことですが、上記の友人から、「最近、西洋人はこれ以上問題を悪化させないために、ムスリムに対して丁重になってきている」とも聞いたことがあります。確かに、冒頭に挙げたドイツの事例のように、過去を克服しようとするあまり、いささか消極的な態度になっているということも考えられるのかもしれません。だからこそ、ブッシュ大統領に代表されるように、白黒はっきり決着をつけたかのようなアメリカの対応が、より劇的に対立的に映るのでしょう。