ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ブログとメモの山は本来不要

この頃、雨後の筍よろしく突然出現したかのような、自称他称の所謂「保守派」と呼ばれる人々に関して、方向性はいいのだが、情緒的で主観的で幅が狭く、左派の情報ネットワークや分析力には負けていると私も感じる。だからこそ、学生時代に保守系雑誌を殆ど読まなかったのだ。というのは、知っていることやわかり切ったことばかり書かれていて、仲間内で気勢を上げているだけのように思われたからだ。つまり、簡単に読めてしまって、読み応えに欠けた。

そもそも、私の世代で「保守」を名乗ろうものなら、「知的に劣る後退的な人々」「懐古趣味に浸る人々」「親の(知的社会的)財産で食べている安楽な人々」「批判精神に欠ける人々」と軽蔑的に見られたものだ。

左派のインテリ雑誌や論文は、新鮮な見方や情報分析が含まれていて、知的訓練としては相当に鍛えられた。だが、やたら過去を断罪し、「今ここ」精神で、あるべき解答は未来にあるかのような妙に明るい論調には不信を覚えていた。また、その戦略や意図する目的、背後のイデオロギー思想や哲学を充分に知らなかったので、今となっては時間の無駄だったかもしれない。

一昨日から昨日にかけて、部屋中に積み上がった引越し荷物のダンボールを片付け、業者に引き取ってもらった。まだ半分ほど残っているが、それは自分で定期的にゴミ出ししていく。
今日は腰がだるいので、少し休む。
そもそも、荷物の中身は、本と資料(論文複写)と書き散らしたメモが大半。前に住んでいた所では、気がついたら資料の山が出来上がり、畳の上や床の上に積み上がっていた。また、洋間の一部屋には本棚が密集していて、ここも他人が見れば「ゴミ屋敷」さながらであったことであろう。

自分の荷物なのに、見ているだけでどっと疲れる。というのは、なぜこれほどメモを書き散らし、本を読み進める必要があったのか、その状況を思い出すと、あまりにもエネルギーと時間の浪費だとしか思えなかったからだ。また、ご高齢の名誉教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110302)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110308)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110330)から譲っていただいたマラヤ・マレーシアの貴重な文献資料や、自分が使っていたピアノの楽譜等を見ていると、昭和時代の文化は、何と落ち着きがあり、重くて厚みがあったことか、と改めて思う。

基本的には几帳面で記録をつけるのが好きなのだが、あまりにも混乱した状況に置かれると、メモでも書き散らしていかないと、おさまりがつかない。このブログで、自分なりに少しは整理できたかと思うが、本来ならば必要のないメモの堆積とブログだっただろう。

本が著しく増えた時期は二つある。一つは2004年から3年間、同志社で仕事があった頃(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)、もう一つは、2012年3月下旬から今年3月まで丸6年間、パイプス訳文(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)に没頭していた頃である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171201)。いずれも、日課の勉強計画に沿って、自分の小さな研究テーマを、黙々とこつこつ調べているだけでは到底間に合わないと気づいた。

パイプス訳文に関しては、話題が中東やアメリカ以外にも、高尚な堅いものから大衆的なものまで幅広く飛び散っており、訳語一つ調べるにも、相当な労力を必要とした。今でも不完全なままだが、目まぐるしく追加変更されるウェブ上のことなので、完璧を期していたら、何もできない。何しろ、頭と目が非常に疲れる。

大学の研究会と講演会については、出席しても、誰がなぜそのような発言をしているのか、最初は皆目見当がつかず、当惑した。イデオロギー背景と人脈ネットワークと情報源と戦略操作、これを理解するには、ウェブ上での発信情報と同時に、英語原書と日本語解説のような参考本を相当数、読まなければならなかった。
その間、家の整理整頓はなおざりになってしまった。特に、週末に研究会があると、途端に予定がずれ込んでしまう。

子育てしながら大学の仕事も続けている女性達は、余程体力があるか、恐らくは親御さんの協力があってのことだと思われる。ご主人が子育てや家事を手伝う例もあるだろうが、普通は、夫に分担させると、あたかもプラスとプラスの磁気が相互に跳ね返るように労力が摩滅し、家庭内がいずれ分裂する。その結果は、三世代先に現れるだろうと、私は思う。

ご夫妻とも東大出で博士号を持ち、子供を5人も育てているというスーパー女性と知り合いになったことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080112)。「ことがある」というのは、いつの間にか連絡が途絶えたからだ。転居通知もなく、年賀状が戻ってきたが、どこにお住まいか不明である。通常、郵便局に転居届を出せば、10ヶ月ほどは転送してもらえるはずなのに、である。
覚えているのは、2005年頃だったか、「(論文も出産も)実に生産的ですね」と私が言ったことである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160115)。その頃、別の大学の少し年上の女性と話をしていたら、「それは、ご夫婦で協力してやっていらっしゃるからでしょう。お手伝いさんを雇っていらっしゃるかもしれません。とにかく、親に頼るなんてことは、勧められません」と断言された。
ところが、現実には、ご主人のお母様が同居され、家事一切をされていたようである。これを、どのように考えるか。
ちなみに、今秋から居住している市では(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181214)、子育ての自助共助を促進するために、40歳未満で親子が同居や近隣居住の場合、一部補助を出しているそうである。そのためか、人口増加中で、子供をたくさん見かける。

閑話休題

普通は、正規の学校教育を受け、試験を通って合格とされた後、それぞれの人生を踏み出すべく、職を決めて社会に出て行く。数年のうちに結婚相手を見つけて、家族や親族の了承のもと、挙式して新居を定め、家族を増やしていく。人生の節目毎に、それぞれの通過儀礼がある。その循環が人間の社会構造の基本中の基本である。

ところが、日本は敗戦後、突然、「指導された個人の自由と民主主義」よろしく、まずは経済集中できたために、今から振り返ると、大衆向けメディアや教育制度等、何かと歪みがあった。その矛盾があちこちに吹き出しているのが現在だと言えるかもしれない。特に、憲法や国防や皇統譜等、国の根幹である重要なテーマについて、戦後の平等主義的な志向の公立学校で習った程度では、高学歴であれ、ハイスペックであれ、到底間に合わない昨今である。
子供の頃、「うちは◯◯大学卒ですから」「息子がいるので」と称して、なぜかデンと家の中で満足気に座っている女性達を見る度に、(どうしてそれほど安穏としていられるのだろう?)と不思議だった。学校を出てからが勝負なのに、二十歳前後の学校の成績だけで一生が保証されたかのような人生観には、とてもついていけなかった。

平成の三十年は、よろず横幅が広がり、暮らしは機能的に便利にはなったが、反面、知的にも文化的にも非常に平板化して、明らかに国力が下がった。

これは、最近の秋篠宮家のご長女の長年の交際相手から発覚した、ご両親および御祖父母の公の言動にも明らかである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)。ある事柄の正否を知るには、三代先に現れた事象を観察すればよいのでは、というのが持論だが、いかがであろうか。

誹謗中傷や人格批判はいけないが、国民の側として、不可解な点は証拠をしっかりと出して、声を上げなければならない。それは、皇族にかかる経費が我々の納税によるからではなく、第一義的に「国民統合の象徴」だからである。「象徴」を支える皇族の直系がこのような軽々しい態度では困る(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180809)。我々国民が全世界からそのように見られて、長年営々と築き上げてきた国益を損なうからである。

以下の秋月瑛二氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%B7%EE%B1%CD%C6%F3)の鋭い指摘には、上述の意味で同意する。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1073252879.html


2018/12/19
1895/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」①。


・2018年9月の新潮45<騒動>の出発点となったのは杉田水脈の文章で、それを大きくして決着をつけた?のは、小川榮太郎の文章。

産経新聞2016年7月4日付、杉田・なでしこリポート(8)。
保育所を義務化すべきだ」との主張の「背後に潜む大きな危険に誰も気づいていない」。
「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしている」。
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」。
「これまでも、夫婦別姓ジェンダーフリー、LGBT支援−などの考えを広め、…『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。…保育所問題もその一環ではないでしょうか」。

・この言葉とこれに直接に関係する論脈自体は別として、秋月瑛二は上のような議論の趣旨が分からなくはない。また、一方で、「保守」派はすぐに伝統的「家族」の擁護、<左翼>によるその破壊と言い出す、という<左>の側からの反発がすぐに出るだろうことも知っている。戦後日本の男女「対等」等の<平等>観念の肥大を、私は懸念はしている。


・しかし、上のようなかたちでしか国会議員が論述することができないということ自体ですでに、「知的」劣化を感じざるをえない。


・第一に、現在日本での「保育所」問題あるいはとくに女性の労働問題と「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」とを、あまりに短絡に結びつけているだろう。


・感覚の正当性をもっと論証するためには、幾十倍化の論述が必要だ。旧ソ連の「子育て」・労働法制(または仕組み・イデオロギー)と日本の現下の保育所を含む児童福祉・労働法制等の比較・検討が必要だ。


杉田水脈一定の「観念」にもとづいて、「思いつき」でこの文章を書いている。


・第二に、唐突にコミンテルン」が出てくる。これはいったい何のことか。


・いったい何を読んでいるのだろうか。また、その際の「コミンテルン」とはいかなる意味か。


・江崎は戦争中の「コミンテルンの謀略」を描きたかったようだが、そして中西輝政本当に読んだのかが決定的に疑われるほどに(オビで)絶賛しているが、江崎自身が中で明記しているように、「コミンテルンの謀略」とはつまるところ「共産主義(・マルクス主義)の影響」の意味でしかない。


正式には<共産主義と日本の敗戦>という程度のものだ。しかも、延々と明治期からの叙述、聖徳太子に関する叙述等々があって、コミンテルンを含むソ連の「共産主義者」に関する叙述は三分の一すらない。


・「一番のターゲットが日本」なのだとすると、本拠?は日本以外にあり、かつ日本以外にも攻撃対象になっている国はある、ということのようだ。本部は中国・ペキンか、それともロシア・モスクワか。ひょっとしてアメリカ・ニューヨークにあるのか。


・「コミンテルン」=共産主義インターナショナルという言葉に限ると、<デマ>宣伝にすぎない。この人の「頭の中」には存在するのだろう。左にも右にもよくある、<陰謀>論もどきだ。


レーニン十月革命(10月蜂起成功)ー1917年、ヒトラーミュンヘン蜂起失敗ー1923年。両者の<因果関係>は、間違いなくある。ほんの少し立ち入ると、両者をつなぐものとしてリチャード・パイプス(Richard Pipes)もかなり言及していたのは<シオン賢人の議定書>だ。


・ロシア・十月革命の原因・主導力をユダヤの陰謀」に求める。又はそのような解釈を積極的に許す。かつ、その影響を受けたドイツを含む欧州人は「反ユダヤ人」意識を従来以上に強くもつに至り、ヒトラーもこれを利用した、また実践した、とされる(なお、いつぞや目にした中川八洋ブログも、この議定書(プロトコル)に言及していた)。


・理屈・理性ではない感情・情念の力を無視することはできないのであり、中世の<魔女狩り>もまた、理性・理屈を超えた「情念」あるいは「思い込み」の恐ろしさの表れかもしれない。


・現在の日本の悪弊または消極的に評価する点の全てまたは基本的な原因を、存在してはいない「コミンテルン」なるものに求めてはいけない。もっときちんと、背景・原因を、そして戦後日本の政治史と社会史等々を論述すべきだ。


・<左翼>は右翼・ファシスト軍国主義者の策謀(ときにはアメリカ・CIAも出てくる)を怖れて警戒の言葉を発し、<右翼・保守>は左翼の「陰謀」に原因を求めて警戒と非難の言葉を繰り返す。


・要するに、そういう<保守と左翼>の二項対立的な発想の中で、左翼またはその中の社会主義共産主義「思想」を代言するものとして、おそらく杉田水脈は(まだ好意的に解釈したとしてだが)、「コミンテルン」が息を吹き返しつつある、などと書いたのだろう。


共産主義あるいはマルクス主義社会主義に関心を寄せるのは結構なことだが、簡単にこれらを「観念」化、「符号」化してはならない。歴史と政治は多様で、その因果関係もまた複雑多岐で、「程度・範囲・濃度」が様々にある。


幼稚な戦後および現在の「知的」議論の実態を、杉田水脈の文章も、示しているように思われる。

(部分抜粋引用終)
コミンテルン」については、靖国神社遊就館http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181114)のパネル説明にもあった。それを見て、今年2月中旬に東京を数日間ご案内した「保守派」の米国人二人は、笑っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180704)。ひょっとしたら、スマホで写真を撮られたかもしれない。だからこそ、あのようなパネルを書く時には、各方面からよく調べて、気をつけなければならないのである。
江崎道朗氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%BE%BA%EA%C6%BB%CF%AF)と中西輝政氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%E6%C0%BE%B5%B1%C0%AF)に関しては、過去ブログに小さなまとめがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)。
久しぶりに登場した故リチャード・パイプス氏に関しては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Richard+Pipes)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Richard+Pipes)、亡くなる三年前まで出版された原書を含めて、きちんと完読していきたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180616)。映像インタビューや講演も同じく、である(http://itunalily.jp/wordpress/?paged=5)。
「シオン賢人の議定書」は、「シオン長者の議定書」として過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180401)にある。また、「シオン賢者の議定書」として拙訳にある(ja.danielpipes.org/article/12158)(ja.danielpipes.org/article/12310)(ja.danielpipes.org/article/12508)(ja.danielpipes.org/article/13262)(ja.danielpipes.org/article/13808)(ja.danielpipes.org/article/14420)(ja.danielpipes.org/article/14511)(ja.danielpipes.org/article/14644)(ja.danielpipes.org/article/16246)(ja.danielpipes.org/article/16704)。
中川八洋氏については、こちらにある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1073271438.html


2018/12/21
1896/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」②。


レーニンではなくスターリンのもとで、子どもに両親(二人またはいずれか)の「ブルジョア」的言動を学校の教師とか党少年団の幹部とかに<告げ口>させるというようなことがあったようだ。どの程度徹底されたのかは知らない。しかし、東ドイツでも第二次大戦後に、夫婦のいずれかが片方の言動を国家保安省=シュタージに「報告」=「密告」していることも少なくなかったというのだから、現在日本では<想像を超える>。


・しかし、「ブルジョア」的言動か否かを判断できるのは日本でいうと小学生くらい以上だろうから、保育所」の児童ではまだそこまでの能力はないのではないか。


・これはそもそも、産まれたヒト・人間を「社会」・「環境」がどの程度「変化」させうるのか、という基本問題にかかわる。


保育所児童がマルクス=レーニン主義を理解するのはまだ無理で、<歴史的唯物論>はむつかしすぎるのではないか?そうだとすると、ソ連が日本でいう小学生程度未満の「子供を家庭から引き離し」た目的は、その母親を労働力として利用するために「家庭」に置かない、「育児」のために「家庭で子どもにかかりきりにさせる」のではなく「外」=社会に出て、男性(子どもにとっての父親を含む)と同様に「労働」力として使うことにあったのではないか、と思われる。


・1917年末の立憲会議選挙(ボルシェヴィキ獲得票24%、招集後に議論なく解散)は男女を含むいわゆる普通選挙で、かつ比例代表制的な「理想」に近いほどの?方式の選挙だったともいわれる。


・もともと、社会主義」には男女平等の主張は強かったのかもしれないが、その重要な帰結の一つは、「(社会的)労働」も男女が対等に行う、ということだったと考えられる。


・当時のソ連の経済状態からして、男性を中心とする「労働」だけでは決定的に足りなかった。囚人たちも「捕虜」たちも、労働に動員しなければならなかった。そのような状況では、子どもを生んだ女性たちの力を「家庭内で育児にほとんど費やさせる」余裕など、ソ連にはなかった、と思われる。


・「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設」で受け入れる必要がまずあったのであって、「洗脳」は、幼児や保育園児童については二次的、三次的なものでなかっただろうか。


・女性の「労働」環境がソ連と現在の日本とでは出発点から異なることを無視してはいけないように思われる。


・多数の女性が「社会」に進出して?「工場」等で「労働」するようになると、それなりの(女性の特有性に配慮した)「女性福祉」の必要が、ソ連においてすら?必要になる。一般的にソ連または社会主義体制は「福祉に厚い(厚かった)」という宣伝を、資本主義諸国の状況と単純に比較して、前者を「讃美」・「称揚」することはできないのだ。


・しろうとよりは多数の知識をもっていて「専門家」とすら自己認識している可能性すらあるようにも見える八幡和郎は、しかし、日本史の「専門家」では全くないだろう。歴史好きの平均的なしろうと(私のような)よりは「かなりよく知っている」程度にとどまると思われる。

(部分抜粋引用終)
八幡和郎氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)が「日本史の『専門家』ではない」については、ご本人も認めていらっしゃることなので、了承済みである。多忙な昨今、物事を考える一つの手段として、(誠に失礼ながら)手軽に活用できるために、引用させていただいている。