ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム理解の一側面(続き)

昨日一部ご紹介した故ワット教授のムスリムとクリスチャン関係に関する概説書『ムスリム・クリスチャン遭遇:理解と誤解』(1991年)から、続きを見てみましょう。今なら当たり前と思える内容ではあっても、出版当時、これだけのことを勇気を持って誠実に記述し続けられた姿勢には、敬服以外にありません。
故ワット教授については、池内恵氏もご著述の中で「まともな」イスラーム研究者だと評していらっしゃったかと記憶していますし、そのワット教授を引用された阿刀田高氏のことを「センスがいい」と褒めていらしたと思います(阿刀田高コーランを知っていますか新潮社2003年)解説欄)。もっとも、阿刀田高氏の奥様がプロテスタントでいらっしゃるので、それは半ば当然の流れなのですが、大学の研究機関ともなると、なんだか話が遠回りしてしまうこともありますね。立場/専門を持つことのある面での限界というのか不備というのか...。
ちなみに、この故ワット教授もハートフォード神学校が出版している『ムスリム世界』の編集に関与されていた時期があります。私がブログで引用させていただくのも、こうしてみれば、自然な成り行きなのかもしれません。

・三つの中世のムスリム歴史家の作品を見てみよう。これらは非イスラーム的なもの、特にユダヤ教キリスト教の歴史的な背景はすべて無視する傾向の証拠を提供するだろう。同時に、キリスト教に関する幾つかの純粋な情報もだんだん知られてくる。(p.44)
・実に、少数のムスリムキリスト教とその歴史についてもっと正確な理解を得ようとしたのは、ようやく20世紀になってからのようである。このイスラームイスラーム世界以外のあらゆるものへの興味の不足は、ムスリム学者によって発展したクルアーン的認識からの世界史像を思い出すならば、驚くべきことではない。ムハンマドは最後の預言者イスラームは最終の宗教なのだから、歴史的過程は世界中でのイスラームの最終的な勝利へ向かわなければならないのである。これは、キリスト教が恐らくは全く消え去ってゆくか、あるいは、イスラーム帝国内でのあまり重要でない少数派集団として残るだけだということを意味する。ここから、キリスト教の本当の知識を持つことは意味がないということになる。キリスト教聖典と教えにおける真なるものと偽りの見分けができたとしてもである。キリスト教史への関心の欠如は、多くのムスリムの間で見られる歴史への一般的な態度と連携することも確かである。(p.49)
ムスリム植民者の時代に、どのようにムスリムによってキリスト教が無視され、ほとんど価値のないもののように扱われたということを知ってクリスチャンが傷つけられた時、自らに尋ねるべきである。キリスト教の植民地時代にイスラームやその他の宗教の被支配者達に同じようなことをしなかったかどうか、と。(p.51)
・恐らくはウラマーの後進的で抑圧的なやり方が、東方イスラームの哲学の低下を招いたのであろう。ムスリムの間での科学の追求の低下へと導いたのもウラマーの態度によるのだろう。それゆえ、イスラームが現代ヨーロッパの思考を扱うことができないのは、ギリシャ思考の特殊性を拒否したためではなく、新しい真実に対するギリシャの公開性を拒否したことによるのだ。(p.58)
・それゆえ、過去の歴史でムスリムが攻撃的な帝国主義的あるいは植民的権力を持っていた時があったのだとムスリムに思い出させることは重要である。現代の護教家の中には、イスラームの拡大は植民者ではなかったと主張しようとする者もいる。なぜならば、ムスリムの主要な目的は、領土的なものではなく、イスラーム領域以外で不幸な者たちへイスラームと政体の利益をもたらすためであったからというのである。この主張は、アラビア語文献によって支持されていない。ムスリム支配下で領土拡大へと導いた軍事的遠征は、基本的に戦利品を求めての急襲だったからである。(pp.59-60)
・後に、四福音書の間のいわゆる矛盾に言及し、まったく信用できないものだと証明するという議論へと移った。換言すれば、キリスト教聖典は全く壊れているのだ。(p.66)
・Ibn Hazm(b. 994- ?)のあらゆる研究と著作の結果は、キリスト教のよりよい理解ではなかったが、キリスト教の非常に不十分な認識の強化であった。(p.67)
シャリーア法によればイスラームからの棄教の刑罰は死である。ムスリム支配下ムスリムへ福音を宣べ伝えることはクリスチャンにとって不可能ということを意味する。もしムスリムがクリスチャンになったら、当事者が危険に陥るばかりでなく、恐らくはクリスチャン共同体に対する幾ばくかの反撃があっただろう。それゆえ、もしクリスチャンがムスリムとの宗教議論に関わるならば、クリスチャン側からの慎重さが非常に求められる。(p.70)
ムスリム学者はキリスト教信仰の理解にあまり興味を持たなかった。それで、ムスリムの研究は、伝統的なキリスト教認識をほとんど変えるに至らなかった。(p.72)
大半は、キリスト教を真実が歪められたものと見なすことで満足していた。キリスト教の真実とは、ムスリムにとっては精査するのに危険だったのである。(p.72)
原理主義的な「聖書的クリスチャン」の中には、本当にイスラエル国家を預言の成就として歓迎した人がいたかもしれない。また、それを聖書の真実の証明や批判の否定と見なしたかもしれない。が、ほとんどのクリスチャンは十字軍とは全く正反対の目的で、ユダヤ人の手でキリスト教の聖地が置かれたのだと見るだろう。歴史的な考え方をする現代のクリスチャンは、あまり十字軍を誇りに思ってはいない。十字軍には植民地主義の要素があったことを認めるかもしれない。しかし、過去数世紀のヨーロッパの植民地主義と十字軍運動の間に連携や同一化を見ることはないだろう。(p.82)
・20世紀に新約聖書の批判がより深刻な問題を取り上げたが、深い信仰者である学者達はこのような批判の否定的側面を撥ねつけたし、批判的方法を自らの信仰をより深く理解するのに用いた。キリスト教にも適用されてきた学的方法をムスリムが悟ることは重要である。その学的方法とは、イスラームへの適用にムスリムが不満を持っていたものである。それら方法論はクリスチャン達に、キリスト教の歴史に関して以前は受け入れていたある考えを放棄するよう強いたが、中心的な真実については疑いを投げかけなかったのである。
その反対に、キリスト教へのより成熟した理解を感謝するようクリスチャンを導いたのである。(p.95)
・今やすべての教育を受けたクリスチャンは進化論の事実を受け入れている。そして創世記の説明は、科学的見解の対立項ではなく、人類と神の関係に関する重要な真実を表現する方法だと理解している。多くのムスリムも、進化論の事実に立腹してきたが、ダーウィン理論は一般的に科学者によって受け入れられていないと主張するムスリムもいる。しかし、彼らが認識し損ねているのは、他の科学者がダーウィンについて批判したものは、より低い型の命から人類への進化という事実ではなく、これが発生した方法の理論についてであったということである。(p.96)
・言うまでもなく、ムスリムが特に考えるべき問題は、つまり、なぜすべての石油資産で日本人がしたのと同じ方法で産業を発展させることができなかったのかということである。(p.99)
・多くの点で、イスラームの自己充足性の伝統は、西洋から学ぶことを躊躇させている。この問題に答えを与えようとは思わないが、そのことを真剣に考慮すべきはムスリムのアラブ人だと私は考えている。(p.99)

(以上)

この続きはまた後ほど...。
[後記]強調のためのあずき色は、後で追加いたしました。