ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

久しぶりにブログを...

エレーヌ・グリモーさんやアンネ=ゾフィー・ムターさんの演奏会は、時間的に無理かと思っていたのですけれども、今から考えても、行けるうちに行っておいてよかったなあ、というのが正直なところです。やはり、よいものに触れるかどうかで自分の感性も違ってくるということを、最近つくづく感じます。下手な演奏会は不満が残るだけですが、世界一流の方の演奏は、さすがに引きつける力が違うというのか、心が弾むというのか、あっという間の2時間であっても、その後も自分の中で何度も音楽が蘇ってくる経験をします。
6月6日の夜フェスティバル・ホールに出かけて、7時から9時15分まで、ムターさんと北欧のトロンヘイム・ソロイスツ弦楽奏団の演奏を満喫しました。お客さんは8割程度だったでしょうか、やや空席が目立ちましたけれども、バルトーク、バッハ、ビバルディを、澄み切ったみずみずしい音で表現豊かに奏でられ、心から充実した気持のよい時を過ごすことができました。バルトークでは、なぜか一楽章の後で拍手が起こってしまい、演奏者の方が一瞬戸惑った顔をされていたように見えましたが、こういうところで、会場の質を測られてしまうのでしょうね。とても残念です。それでもやはりプロはプロ。何事もなかったかのように、平然と続けられました。楽しそうな表情で生き生きと演奏される姿に、こちらもずいぶんと励まされ、安らぐ思いをしました。音楽には本当に不思議な力があります。
帰宅後は、明け方5時まで発表準備にとりかかりました。決して楽しい話題ではなく、どちらかと言えば義務感が先行するものなので、疲れましたけれども、二つの演奏会のおかげで持ち直した感じです。演奏会の感想詳細は、また後日に。
みるとす』最新号が届きました。またまた拙稿を掲載していただきました。
おもしろかったのは、建国60周年のイスラエルに関する日本のマスコミの態度です。「一方的にイスラエルの強硬性を非難し、パレスチナに同情する傾向が見られた。西側諸国は指導者級が祝賀に駆けつけたのに対し、日本政府は特に使節団を送らない。アラブに気兼ねして中立を保つ姿勢なのか、単にイスラエルを軽く見たのか。ともあれ、残念に思う」「アラブ人の心に潜む反ユダヤ主義の誤解と偏見を知って驚かされる」「問題の根は深く、イスラエルだけで、どうこうできるものでもない」。
ユダヤ教の「ホフマー」(知恵)と「マアセー」(実践)の話もとても興味深く思いましたが、これは、イスラエルパレスチナの問題を判断する時の分かれ目かもしれないですね。
6月3日には、William Montgomery WattMuslim-Christian Encounters: Perceptions and MisperceptionsRoutledge1991)が届きました。2006年に亡くなった方ですが、スコットランド監督教会の司祭でもあり、アラビア語イスラーム学の第一人者として有名です。Hugh Goddard教授の本の方がもっと現代的なアプローチのように思われますが、それもこれも、長い接触と研究の積み上げがあってこそ。(故ワット教授の別の本は日本語訳されています。)
非常に示唆的なのは、やはりバルナバ福音書の箇所です(pp.117-118)。キリスト教側にとっては、学問上の検証でも偽書だと明らかにわかっていて、信仰上も何ら揺らぎの影響を受ける文書でもないのに、インドネシア語などに訳されると、ムスリムがクリスチャンに対していかにキリスト教が間違っているかを説得するのに使われる、とのこと。何だかカリカチュア的ですが、マレーシアのクリスチャンにとっては、嫌でも対応せざるを得ない状況がままあるようです(参照:2008年4月28日付「ユーリの部屋」)。
他にも、私が言いたかったことがずいぶんとはっきり書かれていて、参考になりました。例えば、「もしムスリムが他の諸宗教と共に生きようとするならば、自分の排他性を放棄することが必要だろう」「ムスリム・クリスチャン関係において、ムスリムは聖書の歴史性を受け入れることと聖書の変造についての教義を拒否することが必須である。ムハンマドの時代よりはるか前に聖書の写本類が存在していたのだから、この教義は事実に矛盾する」(p.149)。そうなんですよねぇ。マレーシアでも、ミッションスクールで英語教育を受けた中高年のクリスチャンはこの種の話をよく知っていて、自信も落ち着きもあるのですが、日本だと、キリスト教人口が少ないことを逆手にとってか、聖書学を知らない人が、何だか一気に素人っぽくごちゃごちゃ言っている感じがしますから。私も、適切なよい先生にもっと早く巡り合っていたら、こんなに時間を浪費することがなかったのに...。そのあたりは、今でも本当に悔しくて仕方がありません。
昨朝は、出かける直前にもう一冊の本が届きました。“Christian Literature in Moslem Lands: A Study Of The Activities Of The Moslem And Christian Press In All Mohammedan CountriesHesperides1923)です。シェラベアの名前が予想以上に出ているのに気づきました。

また、キリスト教史学会から別の初校が届きました。一生懸命書いたつもりですが、読み直してみると、自分でもその内容にほとほと嫌気がさします。でも、「気がつかなかった」とおっしゃった先生がいらしたので、こんな程度でも、とにかく事実をあるがままに書き記すことが大事なのでしょうね。そういえば、マルティン・ルターが「このままでは、キリスト教国はイスラームに巻き込まれてしまう」と述べたとか(Hugh Goddard, "A History of Christian-Muslim Relations" New Amsterdam Books, 2000, p.111)。でも、ルーテル系の日本語訳書でも、読み方が足りないせいか、その種の話は読んだことがありません。情報格差はこんなところにも表れているのでしょうか。