ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不利か有利かではなく....

この頃、似たような話題が続き、なかなか演奏会の感想に入れず、申し訳ございません。
先日、Rさんと電話でおしゃべりしていて、「不利なテーマの研究かどうか」という話題がちらりと出た時、「それは自分で考えて」と言われました。文脈によっては明らかに不利、でも重要といえば重要なので、適切な場を選べばきちんと見てもらえるという意味かな、と私は思いましたが...。
普通ならば、時流に乗った教授について、注目を浴びやすいテーマで研究にとりかかるのが、「戦略的には賢明」だとされます。ですけれど、学部生の頃からつくづく考えていたこととして、「じゃあ、戦時中に素早く大政翼賛会風に乗り換えた人が、本当に戦後も有利だったのか」です。価値観が変わる時にどう振舞うかで人間性が判断されるのだとするならば、有利か不利かなど考えずに、最初から自分に合った方法でいくしかないのでは、とも思います。
故前田護郎先生も、「迷った時には、より困難な、不利に見える方を選びなさい」と指導されていたと、ご著書で読みました。
昨日は、キリスト教共同体を守るために、9世紀からイスラームと対話してきた中東と西洋のクリスチャン護教家達の分析論文の話を書きました。表面的に見れば、「イスラームの勝ち、キリスト教は不利」ですから、余計なことを考えず、ムスリム多数派圏では、大勢に順応した方が「楽な生き方」「得なやり方」であると考える人も少なくはないかと思います。実際、なぜこのキリスト教護教論が必要とされたかと言えば、当時、イスラーム改宗するクリスチャンが大勢いたからなのです。
ただ、この論文と巡り合えて幸いだったのは、神学論争で負けた側として長らく無視されてきた中東系キリスト教の指導者の中にも、こんなに一生懸命、シリア語やギリシャ語やアラビア語などを駆使して、ムスリム知識人に対して論理的にキリスト教の弁明をしていた人々がいたという事実を知ることができたことです。文書記録として残っているばかりではなく、「イスラームを誤解している西洋人」の中にも、その記録を英語などに翻訳して、出版している研究者がいるのです。それらをすべてきちんと読み込んで、このような研究論文にまとめられたのですから、不利か有利か、または、結果がどうかよりも、むしろ過程の方が重要だと感じました。
さて、話題を少し変えて、「反ユダヤ主義」に触れましょう。上記とどこかで重複する面があるかもしれませんが、これも避けて通ることのできない現実かと思います。

MEMRI(http://www.memri.jp)

Inquiry and Analysis Series No 442, Jun/18/2008


「アラブ・イスラム世界の反ユダヤ主義


2008年2月24日エルサレムで、「反ユダヤ主義と戦うグローバルフォーラム」の国際年次総会が開催され、MEMRI会長のメナヘム・ミルソン教授(ヘブライ大(アラブ学)名誉教授)が基調講演をおこなった。以下その内容である。


今日、イスラエルと世界のユダヤ人社会にとって一番危険な存在になった反ユダヤ主義が、アラブ・イスラム反ユダヤ主義である。近年フランスを初めヨーロッパ諸国で沢山の反ユダヤ暴力事件が発生している事実からみて、このアラブ・イスラム反ユダヤ主義の破壊的インパクトは、アラブとイスラム諸国に限定されぬことが明らかである。


このプレゼンテーションの冒頭に、いくつか前置きを述べておきたい。


(a) アラブとイスラム反ユダヤ主義は、新しい現象ではない。しかしながら、アラブの反ユダヤ主義になると、別の見方をする人が多い。つい数年前迄、イスラエルの学界やユダヤ人学者或いは著名人は、これを無視していた。勿論例外はある(イスラエル国内及び外国で各数人)。しかし、数は少ない。「反アラブ」のレッテルをはられ、「反イスラム主義」(Islamophobia)と非難されることを恐れて、圧倒的大多数の中東研究者が、この問題を避けてきた。

腰がひけていたのは研究者だけではない。報道関係と政界の人々がアラブの反ユダヤ主義に目をつぶったのは、極めて典型的な話である。理由をひとつ述べたが、あとひとつあげるとすれば、心理的理由が指摘されると思う。忘れてはならないが、シオニストの事業は反ユダヤ主義の問題を解決することにあった。我々はヨーロッパを出た時、憎悪から逃れたと思った。ところがその憎悪が中東に蔓延していることを知ったのだ。それは、多くの人が認めたくない、できれば打ち消したい話であった。

アラブの反ユダヤ的態度に対応したくない気持ちの裏には、政治的な動機もある。アラブ側の反アラブ感情を暴くならば、イスラエル国内の強硬派はそれみたことかと反撥し、領土上の妥協に反対する政治グループの思う壺になる。そのような恐れから、余り表沙汰にしたくないのである。

しかしながら、アラブとイスラム反ユダヤ主義に目をつぶるのは、知的良心にもとるだけでなく、政治的に間違っている。アラブとイスラム反ユダヤ主義に真正面から向き合って対応することが、平和闘争上不可欠である。ユダヤ人を魔物視する非人間的イメージは、平和と正常な関係の構築を妨げる。



(b) 反ユダヤ主義イスラエルの政策批判とは別である。単なるイスラエル批判は、それが正しいか正しくないかは別にして、反ユダヤ主義ではない。私が言っているのは、ユダヤ人を悪の元凶と決め付けることである。反ユダヤ主義ユダヤ人を悪魔視するのみならず、ユダヤ人皆殺しをムスリムに期待する



(c) 現代アラブの反ユダヤ主義問題は、ユダヤ人及びユダヤ教に対する近代以前のムスリムの態度とは異なる。この二つの問題はいろいろな面でからみ合っているが、歴史上の文脈は全く違っているので、別個に扱うべきものと考える。


(d) アラブとイスラム反ユダヤ主義をあばくなら、それはとりもなおさず反イスラム主義の行為である、と主張する人々がいる。勿論この非難は間違っている。アラブの反ユダヤ主義を白日の下に晒すことは、アラブ人やムスリム全員が反ユダヤ主義者と唱えることを意味しない。根も葉もないユダヤ人非難には、実のところ意図がある。それは、アラブの反ユダヤ主義に対する戦いを封殺する意図である。先制攻撃を加えて口封じをやり、反ユダヤ主義者に免罪符を与えるのである。このような操作は断固はねつけるべきである。


(e) ここで強調しておかなければならないが、アラブの反ユダヤ主義プロパガンダは、ユダヤ人、シオニストイスラエル人の三つに明確な区別をしない。アラブとイランの反ユダヤ記事ないしは出版物では、この三つをよく一緒くたにする。同義語として使うのである。


アラブの反ユダヤ主義の特徴  
過去10年MEMRIはアラブ及びイランの出版物とフォーラム(新聞、雑誌、テレビ番組、モスクにおける金曜説教、インタビュー)をくまなくモニターしてきた。次に述べるのは、このモニターの結論である。
 アラブの反ユダヤプロパガンダは、次の三つの要素を含むと考えられる。


a.伝統的なイスラム文献からとりだされた反ユダヤ観。
b.ヨーロッパ及びキリスト教に起源をもつステレオタイプの反ユダヤイメージといいがかり。即ち、ヨーロッパからの輸入である。
c.ホロコースト否定、シオニストとナチズムの同一視。これも又起源はヨーロッパであるが、アラブの反ユダヤ主義に重要な役割を果しており、特に注目すべきである。


イスラムの要素
 1979年以降イスラム原理主義の勃興が、アラブ・ムスリム世界の反ユダヤ主義イスラムの次元を付与し、その伝播宣伝に一役買った。
・猿と豚
 極く当たり前のようにユダヤ人が「猿と豚」とか「猿と豚の子孫」と呼ばれる。この愚弄は、金曜説教だけでなく政治評論でも使われる。猿とか豚よばわりするのは、コーランにもとづいている。安息日を破った科で、ユダヤ人達が罰として神によって猿と豚に変えられたとある※1
 この愚弄は、単なる低級な悪口とか原始的な呪詛の類いとして、一蹴すべきではない。ユダヤ人を嫌悪すべき動物と同一視するだけでなく、何度もそれを繰返す。それはユダヤ人を非人間化し、潰してもよいという根拠を与える。さまざまなフォーラムでこの愚弄法が使われているが、次にその数例を紹介する。
 メッカのカーバモスクといえば、ムスリム世界で最も重要な聖廟であるが、そこのイマムであり説教師でもあるサウジのアル・スダィス(Sheikh Abd Al-Rahman Al-Sudayyis)は、次のような説教をしている。
 「歴史を読むがよい。そうすれば、昔のユダヤ人が今のユダヤ人の邪悪なる父親であることが判るだろう。左様彼等は邪悪なる子孫、邪教徒、(神の)御言葉の歪曲者…人類のクズ、アッラーが呪われて猿と豚に変えられた下種野郎である…これがユダヤ人である。欺瞞と頑迷、猥褻、悪徳、腐敗の系統がこいつらである…」※2。
 このイメージが、人民の意識に深く浸透した。子供の意識の中にすら入りこんでいる。2002年5月7日サウジの衛星テレビIqraaは、「ムスリム女性の時間」と題する番組を放送した。そのテレビ局のサイトによると、「寛容な真のイスラムの姿に光をあて、反イスラムの非難に反論することを目的」とした。番組では3歳半の「本物のムスリム女児」にインタビューし、ユダヤ人を好きかどうかたずねた。するとその女児は「嫌い」と答えた。何故ときかれると、「ユダヤ人は猿と豚だからよ」と答えた。「誰がそう言ったの?」「私達の神様よ」「神様はどこでそうおっしゃったの?」「コーランでよ」。インタビューの終りに司会者は満足気に「(御両親には)ほかに望みようのない程信仰心のあつい子を、アッラーが授けていただきました…この子と御両親にアッラーの祝福がありますように」としめくくった※3。画像で見る場合は次を参照されたい。MEMRI TVクリップNo.924「ユダヤ人は猿と豚―3歳児の発言」。(http://www.memritv.org/clip_transcript/en/924.htm
預言者ムハンマド毒殺未遂
 反ユダヤ非難のひとつに、ユダヤ人達が預言者ムハンマドの毒殺を企てたというのがある。なかでも毒々しいのが「或るユダヤ人女性による預言者ムハンマド毒殺未遂」と称する話である。これについてはMEMRI TVクリップNo.1184「ユダ人は、裏切りとだましのいやな民―子供ショーで語るエジプトの聖職者アル・ディン(Sheik Muhammad Sharaf Al-Din)」を参照されたい。(http://www.memritv.org/clip/en/1184.htm
・石と樹木の約束
 極めて一般的な伝統的反ユダヤ観のひとつに、「石と樹木の約束」のモチーフがる。預言者の言葉として広く引用される伝承(ハディース)によると、ムスリムは審判の日の前にユダ人と戦い、殺してしまう。ユダヤ人は石と樹木の背後に隠れるが、その石と樹木は「おおムスリムよ、アッラーに仕える者よ、ユダヤ人が私のうしろに隠れている。こちらへ来て殺せ」と叫ぶ。この伝承によると、審判の時が来る前にユダ人を一掃し世界を清めなければならない。(MEMRI TVクリップNo.669「ムスリムアメリカとイギリスを支配する。ユダヤ人はエイズに似たウィルス菌―説教師ムディリス(Sheik Ibrahim Mudeiris)によるパレスチナの金曜説教」を参照されたい。http://www.memritv.org/clip/en/669.htm


2ヨーロッパの影響
 アラブの反ユダヤ主義は、ヨーロッパの反ユダヤ神話を一切合切とりこんだ。ヨーロッパの反ユダヤ主義者自身が余りにも幼稚で粗雑すぎるとして捨てたものさえ、とりこんだのである。例えば、「血の中傷」「シオン長老の議定書」「ユダヤ人のキリスト殺し」といった話がそうである。コーランによると、イエスは十字架にかけられたことはない。ムスリムにとってはいささか奇異な話である。
血の中傷
 過越祭用のマッツァ(種なしパン)にキリスト教徒の血を練りこむという所謂「血の中傷」話が、アラブ・ムスリム世界で今でも流されており、主流中の主流の半官紙ですら、時々これを扱う。この話をまき散らすケースで最も悪質なのが、ムスタァ・タラスの本である。タラスは2004年までシリアの副大統領兼国防相であったが、「シオンのマッツァ」(The Matzah of Zion,1983)と題する本をだした。1840年のダマスカスの血の中傷事件を扱った話だが、本当にその犯罪がありユダヤ人がその犯人であるかの如くに語る※4。
 この儀式殺人の話は、アラブの作家達の手で焼直しされリサイクルされる。その度に新しい要素が加えられ話の方向が変る。例えば、ユダヤ教の祭日であるプーリムを祝うため、ユダヤ人が人の血を使って、伝統的な練り粉菓子を作るという話になったりする。
 アラブメディアで流される血の中傷は、パレスチナ人に対するイスラエルの行動を批判するなかで表明されるケースが、一般的である。その一例がエジプトの半官紙Al-Ahramである。中傷記事掲載の結果2002年8月にパリ最高裁が同紙編集局長ナフィ(Ibrahim Nafi)を召喚するに至った。2000年10月28日付同紙は「ユダヤのマッツァはアラブの血液で作られる」と題する記事を掲載し、反ユダヤ主義と人種主義暴力を煽動する記事の発行を許したとして、編集者が告訴されたのである。この記事は、占領地におけるイスラエルの行動を、1840年のダマスカス血の中傷事件と比較した内容である。
ナフィ編集局長はアラブジャーナリスト連盟の会長であるが、その本人が告訴されたことで、アラブ世界で湧きあがった怒りと抗議の嵐は、まさにみものであった。アラブメディアは、「知性のテロリズム」とか「言論の自由に打撃」、或いは「エジプトの報道に対するシオニストの攻撃」、「フランスのシオニストロビーによる歪曲工作」とか「アラブの報道全体に対する侮辱」という表現もあった。この表現はナフィの影響力と重要度を物語る。
 血の中傷例としてMEMRI TVクリップNo.972「ユダヤ人は子供達を殺し、その血液を過越祭に使った―イランのテレビに関する政治分析」を参照(http://www.memritv.org/clip/en/972.htm)。
・シオン長老の議定書
 「シオン長老の議定書」は、1925年にアラビア語に翻訳され、以来アラブ世界における反ユダヤ攻撃にしばしば使われてきた。「ユダヤの世界支配陰謀」の有力な証拠というわけである。アラブの世論形成者の多くが、でっちあげのこの偽書を引用し、議定書に詳述されたユダヤの悪の計画が、今や実現しつつあると主張するのであるユダヤ人は、自分達の野望達成のため、よからぬ手段を使っているとして非難される。経済を牛耳り、メディアを支配し、人心を腐敗させ、国際紛争、国内紛争を煽りたてるというのが、非難する時の決まり文句である。
 アラブメディアにおける「シオン長老の議定書」の利用が、2002年末世界的な話題になったことがある。エジプトの衛星テレビ局が、この年のラマダン月(太陽暦で11−12月)に「馬なき騎士」と題するシリーズ番組をアラブ世界に向けて放映したのである※5。翌年のラマダン月には、やはりゴールデンタイムにヒズボラのテレビ局Al-Manarが今度はシリア製の反ユダヤ物をシリーズで流した。このシリーズ物はディアスポラ(Al-Shatat)と題し、ディアスポラユダヤ人社会とシオニズムの勃興を描くと称するが、キリスト教徒少年の儀式殺人、異教徒と結婚したユダヤ人の儀式殺人などおどろおどろしい不気味な話が展開していく。このシリーズにはロスチャイルドも登場するが、アムシェル・ロスチャイルドユダヤの秘密世界政府の創設者として紹介し、死の床で息子達に、「ユダヤ人の経済利得を確保し政治目的を達成するため戦争を始めよ。世界中の社会を腐敗させよ」と指示する※6。
 パレスチナ自治政府発行の2004年版10学年用歴史教科書には、シオニズム史に一章をさいている。その章は、バーゼルで開催された第1回シオニストコングレスの決議をあつかっているが、決議の要点を事実にもとづいて紹介した後、「シオン長老の議定書」として知られる秘密決議がコングレスで採択された。全世界の支配を目的とする決議である」と書いている※7。
 エジプト製ドラマ「馬なき騎士」についてはMEMRI TVクリップNo.934「シオニスト毒蛇運動の脅威について友人達に説明するファレス」を参照(http://www.memritv.org/clip/en/934.htm)。
 議定書がアラブメディアに登場する時は、100%本物として紹介される。アラブの評論家で、議定書が贋造文書であることを知っている人は多い筈である。それでも彼らは、「世の中はここに書かれている通りに動いているのだから、この際偽書かどうかは関係ない」と称して、この議定書を利用する
 2003年11月にアレキサンドリアで起きたことは、如何にも象徴的な事件であった。アレキサンドリア図書館で、三大一神教聖典展示がおこなわれ、ユダヤ教のコーナーには、トーラ、タルムードと並べて「シオン長老の議定書」が展示されたのである。アレキサンドリア図書館アラビア語写本センター長のザイダン(Dr.Yousef Zeidan)所長は、エジプトの週刊誌Al-Usbu'に寄稿し、「この危険な本の珍しい写しが私の目にふれた時、私はすぐトーラの横に置こうと決めた。本書は一神教聖典ではないが、ユダヤ人の聖典と化し、彼等の基本憲法の一部になっている。宗教法のみならずユダヤ人の生き方になっている。換言すれば、議定書は、単なる思想の書や理論の書ではないのである。シオニストユダヤ人にとって、「シオン長老の議定書」はトーラよりも重要であると思われる」と得意気に書いた。
前述のように例外はある。著名人のなかで議定書を偽書として非難する人に、例えばシリアの哲学者アル・アズム(Dr.Sadeq Jalal al-'Azm)、ムバラク大統領アドバイザーのアル・バズ(Usama al-Baz)、ユダヤ史の権威でアラビア語ユダヤ教百科事典の著者でもあるエジプトの学者アル・マシリ(Dr. Abd al-Wahhab Al-Masiri)がいる。
・キリスト殺しとしてのユダヤ
 ユダヤ人がイエスを殺したとするキリスト教側の非難が、アラブの反ユダヤ観にとりこまれ、定番のひとつになっているアラファト議長のアドバイザーであったアブ・シャリフ(Bassam abu Sharif)がロンドン発行アラブ(サウジ系)紙Al-Sharq Al-Awsatに寄稿した内容は、その一例である。第二次インティファダ時、ベツレヘムの生誕教会にパレスチナ武装集団が籠城したことある。この立て籠もり戦でイスラエル軍の発砲によって処女マリア像が破損した。するとアブ・シャリフは「自分の嬰児メシアをかばう処女マリアの憂いを帯びたほほえみも、イスラエル占領軍兵の射撃をとめることができなかった。彼等はパレスチナ人天使(イエス)の顔を撃ち、ほほえみを殺した…2000年間殺すことができなかったものを殺したのである」と書くのである※8。
2000年12月11日付Al-Hayat Al-Jadidaには、十字架にかかったパレスチナと題して、典型的なカリカチュアが掲載された。十字架にはりつけになった女性(パレスチナ)がユダヤの矢に射抜れ、まわりでキッパをかぶったユダヤ人達が笑っている絵柄がある。
 アラブの反ユダヤプロパガンダの一環として、ムスリムユダヤ人をイエス殺しと呼ぶのは、極めて皮肉な話である。コーランによれば、イエスははりつけになっていない。つまり十字架のうえで死んだことにはなっていないからである。イエスが十字架にはりつけになったというキリスト教の信仰は、ムスリムによって冒瀆的ウソとみなされている※9。
 ユダヤ人のイエス殺しを語るイスラム聖職者については、MEMRI TVクリップNo.1249「現代のユダヤ人にはイエスに対する父親の犯罪責任がある―アル・カラダウィ師(Sheik Yousef Al-Qaradhawi)を参照(http://www.memritv.org/clip/en/1249.htm)。
ホロコースト否定と「シオニズムはナチズム」のスローガン 
 ホロコースト否定は、いろいろバリエーションがある。いずれもためにした内容である。
ホロコースト否定にかかわる言説には、例えば、シオニストは在欧ユダヤ人のパレスチナ移住を促進するためナチスと協力したと称する主張もある※10。
 シオニズムとナチズムを同一視する操作も、反ユダヤプロパガンダでは極めて一般的な風潮になっている。アラブ世界における論議や出版記事は、二つの運動を同じカテゴリーに入れ、ナチスアーリア人種の優越性を信じたように、シオニストユダヤ人が“選民”であることを信じるなどと主張する。シオニストナチスと同じように拡張主義政策を持つとも唱える。
 更に、パレスチナ人に対するイスラエルの扱い方は、ユダヤ人に対するナチスの扱いと同じ、いやもっと悪いという言い方もする。
 このような主張はためにするものであり、その政治的意図は明らかである。ホロコーストがおきなかったのであれば、ドイツ人がユダヤ人に罪の意識を抱く必要はないという話になる。ところが、ナチズムとシオニズムの同一視論になると、ドイツ人と欧米世界はパレスチナ人に対して当然尽すべきであるとなる。ユダヤ人がパレスチナ人に対して、ナチスがやったと同じことをしているのであれば、ドイツや欧米のみならず国際社会がイスラエルと戦わねばならぬという論法になる。どっちにころんでもユダヤ人非難となる。  アラブの反ユダヤ主義と西側の反ユダヤ主義が結びつくのはここであり、戦略的な反ユダヤ枢軸がここで形成される。


ユダヤ人魔物視
 これまで指摘してきた反ユダヤ観のいわば当然の帰結ユダヤ人魔物視である。つまりユダヤ人は、個人であれ集団であれ悪の権化として扱われる。例えば9月11日のテロ攻撃に関して言えば、犯人達の素性、身元について公的機関の調査資料が沢山あるにも拘わらず、アラブとムスリム世界の政府関係者、ジャーナリスト、宗教指導者は、攻撃犯はアラブ人やムスリムではないと言い張る。アメリカとユダヤイスラエルの分子達が攻撃したという神話が、アラブ・イスラム世界ですっかり根付いている※11。


[対策]
 それでは、アラブの反ユダヤ主義に対して、何をどうすべきであろうか。
 まず第一に、アラブとイスラム反ユダヤ主義がつきつける危険を理解すべきである。この反ユダヤ主義がアラブ・イスラム世界の世論を形成し、ユダヤ魔物視の雰囲気をつくりだした。つまり、個人であれ集団であれ人格を持った人間として扱わない。「ヨーロッパユダヤ人社会の潰滅」の著者ノーマン・コーンの言葉を借りれば、これがジェノサイドの根拠となるのである。これが如何なる邪悪な意図につながるのか、説明するまでもないだろう。
 従って、アラブの反ユダヤ主義も対応することは、単に嘘偽りや偏見と戦うだけではない。イスラエル国内外のユダヤ人は平和と安全そして人間として尊重を守るために敢然と戦うが、反ユダヤ主義との闘争はその重要な一環なのである。
 現実場面では何をすべきであろうか。第一は、アラブの反ユダヤ主義をモニターし、その内容を、西側のメディアと世論形成者に提供することである。敵意にみちたどくどくしい人種主義的内容を自白のもとに晒すことによって、当該アラブ政府と機関に対し国際抗議と外交圧力が生じることを願って、出版物やテレビ発言を西側の言語に翻訳しなければならない。
 頭のいかれた少数派の意見は、誰も注目しないが、この種の反応をすれば、かえって注目されるのではないか。放っておけばよいと主張する人もいる。これは、次の事実を見逃した発言である。つまり、アラブ・イスラム世界ではこれは決して少数派の意見ではない。反ユダヤ憎悪記事や発言は、主流紙や主流派の雑誌に登場する。大半は半官紙誌である。テレビも極めてポピュラーで影響力のあるチャンネルで流される。これに目をつぶれば、アラブとイスラム世界で最も過激な成分を増長させるだけである。よこしまな政治的影響力が野放しでおおきくなるだろう
経験の示すところによると、アラブの政府と知識人は抗議や外部からの圧力に無関心ではない。2002年12月にでたアル・バズ(Usama al-Baz)の記事は、反ユダヤ主義を非難する内容で、歓迎すべき前進である。カイロのアズハル大イスラム研究所はユダヤ人を猿や豚呼ばわりしないようムスリム説教師に勧告した。これも重要なニュースである※12。アメリカ議会と西側メディアによる批判と抗議がなかったならば、上記二つの前進もなかったであろう※13。


 以上の理由により、今後もアラブとイスラム反ユダヤ主義のモニターと暴露を根気強く続けていかねばならないと思う。それと同時に、反ユダヤ主義を非難し寛容の文化を推進する人々を励ます必要もある
 MEMRI TVクリップNo.653「我々は生の愛ではなく死の愛を青年の心に植えつける―カタールイスラム法学部前学部長アル・アンサリ('Abd Al-Hamid Al-Ansari)」を参照(http://www.memritv.org/clip/en/653.htm)。MEMRI TVクリップ No.242「ホロコースト否定を非難するムバラク大統領アドバイザーアル・バス(Osama Al-Baz)」も参照(http://www.memritv.org/clip/en/242.htm)。


※1 コーラン2章65、5章60、7章166。このテキストのうち2章と7章は、安息日を破ることが変形の原因になるとする。第5章では、真の信仰の受入れを拒否した啓典の民Ahl al-kitab ユダヤ人とキリスト教徒)に対する罰、とされる。
※2 2002年11月1日付MEMRI No.11「アルマ・ソルニク著」を参照。
http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sr&ID=SR01102
※3 2002年5月7日付 Iqraaテレビ
※4 カプチン修道士会のトーマス修道士とイスラム教徒の召使いが殺され、ユダヤ人達に儀式殺人の冤罪がきせられた事件。
※5 2002年11月6日(ラマダン入りの第1夜)エジプトの国営テレビを含むいくつかのアラブTVが「シオン長老の議定書」にもとづくシリーズ「馬なき騎士、全41篇」の第1回分を放映した。ラマダン月の夜はアラブ・イスラム世界ではテレビ視聴が一番高い時である。このシリーズは、西側の抗議に火をつけ、アメリ国務省は番組の放映中止に向けエジプト政府に介入を求めた。エジプトの情報相アル・シャリフ(Safwat Al-Sharif)は即座に拒否した。このシリーズはエジプト及びアラブの新聞で論争をまきおこした。評論家の大半は放映を支持したが、少数ながら、反ユダヤ書に対するエジプトの強迫観念的執着を批判する人もいた。このシリーズは、エジプト政府の検閲官が任命した委員会によって事前に内見され、放映が承認されたのである。エジプトのラジオ・テレビ協会の一委員会は、「アラブドラマ史上画期的作品」と評した。エジプトの情報相は「このシリーズで表明されたドラマ上の意見には、反ユダヤ的なものは一切含まれていない」と言明した。
MEMRI No.109(2002年11月8日付)、No.113(同12月10日付)No.114(12月20日付)を参照。英語の字幕付きビデオカセットもMEMRIから出されている。
※6 2003年の番組「ディアスポラ」(Al-Shatat)のプロデューサーは、前年の「馬なき騎士」に対する抗議の嵐に鑑み、予防線をはった。即ち各回共番組の冒頭に、本シリーズは悪名高き「シオン長老の議定書」をベースとせず、ユダヤ人とイスラエル人の著作を含む研究並びに歴史的事実をベースにした制作した、と前置きを入れた。
※7パレスチナ教育省編2004年版「近現代世界史」(Tarikh al-‘alam al-hdith wa’l-mu’asir)
63頁、発行地ラマッラ・アルビレー。本教科書はベルギーの財政支援で作成された。
※82002年3月20日付Al-Sharq Al-Awsat
※9コーラン4章156−157
※10 PLO書記長でパレスチナ自治政府アッバス議長(Mahmoud Abbas)の博士論文がこのテーマであった。1982年、モスクワの東洋研究所に提出された論文で、1984年にアラビア語版が出版された。2003年4月29日付 MEMRI No.15「ヤエル・エホシュア著 アブマゼン―その政治的素顔、第5章シオニズムホロコースト否定」を参照。
http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sr&ID=SR01503
※11 「9月11日攻撃はユダヤの陰謀―中東メディアにみる新しい反ユダヤ主義神話」
http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sr&ID=SR00802
※12 2003年3月14日付サウジ紙Al-Watanに掲載
※13 2003年4月23日付MEMRI No.135「イガエル・カルモン著 アラブ世界の反ユダヤ論議における変化の前兆」。
http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=ia&ID=IA13503

(以上)