ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

一つの中間的考察 (2)

 ただ、基本的な規定要因があって、それはやはり啓典が、しかものちの福音書作家が書いたようなものではなくて、本当にムハンマドが言ったとおりに書かれているとされるものが護持されている。しかも、それが法的規範として、今でも少なくとも一部分では貫徹していて、その絶対性はだれ一人疑っていない。
 そういう状況では、例えばこういう他者との関係というところで、宗教的な意味での「他者」が析出されて、それに対する強制力も働くとか、そういうことにもなる。それは、それぞれの宗教の在り方があって、イスラーム教の場合はそうなりやすいのだといえるのではないかと思います。取りつく島がないというのは、確かにイスラーム教は取りつく島がないという気がするのですが、イスラーム教徒の方に聞きますと、「キリスト教というのはものすごくいいかげんというか、揺れていて、迷うばかりで、宗教の意味がないではないか」と言うのです。迷いがある中に何か出てくるのではないかという議論をしても、全然通じないのです。三位一体なんていって、どうして一神教で三位一体なのだと言うわけです。あの「三」というのをなくせば、キリスト教徒もけっこういけるのにという話をするのです。これはコーランに書いてあるせいもあるのですが。
(『一神教とは何か:公共哲学からの問い東京大学出版会 2006年 p.362

上記本で、一番笑ってしまったのは、引用中の「あの「三」というのをなくせば、キリスト教徒もけっこういけるのに」という箇所でした。
キリスト教一神教ではない」というムスリムの意見は、マレーシアでも聞いたことがあります。もっとも、それを言ったのは、現在はロンドン在住の広東系牧師でした。

ムスリム・クリスチャン関係史のテキスト本を何冊か読んでみると、結局のところ、文化交流や政治軍事的対決という側面よりも、根本は一貫して「イエスの十字架上の死」「イエスの神の子性/神性」および「復活」というキリスト教の中心信仰が、間違いなくムスリムに否定され続けてきたことがわかります。キリスト教側は、教派分裂や神学の潮流によって、時代を経るにつれ、それぞれのアプローチを試みるのですが、実際のところ、ムスリム世界と直接関わりを持とうとしたキリスト教側の人材は、極めて限られているらしいことも判明しました。どの本を読んでも、同じ人物が、何度も表現を変えて登場するからです。ただ、正直なところ、読み比べてみてより興味深く思われるのは、ムスリム学者による説明ではなく、それなりに変化や工夫を伴っているキリスト教側による記述です。つまり、上記の引用を借用させていただくならば、「迷いがある中に何か出てくるのではないか」ということです。
一言付け加えると、西洋の研究者による英語文献のムスリム・クリスチャン関係史では、「中世には、翻訳作業を通して、ヨーロッパはイスラームから多くを学んだ」という事例が、率直に具体的に綴られています。「西洋人はわかっていない」という強弁は、従ってあまり正確だとは言えないようにも思います。それに、高校の世界史でも、私自身そのように教わったと記憶しているので、ここ10年ほどずっと不思議に思っていたのがそこなんです。問題は、過去の栄光をどう語るかではなく、現在の‘苦境’の原因を探ることなのではないでしょうか。

「対立と改宗活動」から「対話」へとキリスト教側の路線変更が具体的に試みられてかなりたちますが、これだけの歴史の重みを伴っている以上は、それほどたやすい課題ではないとも思います。それに、どうやら「対話」に関わっている方達も、だいたい同じ顔ぶれのようです。文献を見ていて、最初は珍しかったのですが、しばらく経つうちに気づいたのは、限られた同じメンバーが、あちらこちら場所を変えて語ったり書いたりしているということです。そして、キリスト教側で宥和的態度を取る方は、学者や研究者ならば、何とか過去から友好的な新しい事例が見つからないかと、古い文献を一生懸命探しているらしいのです。裏返せば、それほど問題が根深いという意味ではないかと思われます。
「対話」を拒否するムスリム知識人の理由を尋ねると、「クリスチャンがムスリム地域での宣教活動を一切やめたら対話に応じてもいい」という返事だったそうです。ただ、マレーシア史を振り返っての私の知見では、マレー人と直接関わろうとしなかった宣教師や教会の方が圧倒的に多く、むしろ、故ワット教授のように「私達は過去の植民地時代にムスリムを無視しなかっただろうか」という反省すら出ているのです。つまり、同一事項が全く異なる解釈となって表れているわけです。恐らくは、ムスリムの言っていることも一面事実を言い当てているのでしょうが、記録を残し続けてきたキリスト教側の方が、実態により近いのではないだろうかと思います。

Hugh Goddard教授のお考えでは、「ムスリムとクリスチャンのいずれかが真理を把握しているというのではなく、共に真理を求める巡礼過程にあるのではないか」ということのようです(“Christians and Muslims: Divided by History" http://www.christianitytoday.com/history/newsletter/2006/nov9.html)(Goddard 2000: 193-194)。それは確かに、学術的立場では当然望まれる姿勢ですし、そうでなければ歴史家としてやっていけません。端くれのアマチュアみたいな私でも、結局のところ、「なぜマレーシアでこんなことになっているかわからないからこそ、答えを求めようとして続けてきた」というのが事実であり、それ以外の理由はありません。
ただ、いつもこの件で一つ疑問に思うのは、聖職者資格を有しているなら、教会に来る人にも同じことが言えるのかどうかということです。例えば、昨日も、英国国教会の一信徒でもいらしたC.S.ルイスの『キリスト教の精髄新教出版社1977/1990/2004年)を読み直していましたが、数少ない‘回教徒’の事例も出すたびに、自分は違う、キリスト教はそうではない、とはっきり立場を出していることを確認しました(p.131, 178, 331など)。

ここで、英国国教会のサウスウェル・ノッティンガム教区のホームページから(http://www.dioceseofsouthwell.couk.com)、「キリスト教とは何か」「クリスチャンは何を信じているのか」「クリスチャンであるとは何を意味するのか」の抜粋を書いてみようと思います。

・2000年以上、どの国の人々もどの文化もイエス・キリストの物語を通して神に近付いたという発見をしてきました。
キリスト教は、世界で最大宗教であり続けています。聖書は世界のベストセラーで、最もよく読まれた本です。
イエス・キリストのうちに神が人となられて、信仰や価値や人生の意味を従う者達に教えたと私達は信じています。今は中東とされるところでイエス・キリストは暮らし、30年頃、十字架にかけられて処刑されました。30代の初め頃でした。自分の信念を表明し、ローマ人やユダヤ教徒の社会の価値を批判したかどで捕らえられ、死刑になり十字架にかけられたのです。彼が死んだことを見た従う者達にとって驚くべきことに、三日後にイエスは死から蘇りました。この経験は、私達と同じような男女の集団の人生を転換しました。悪が善によって打ち負かされることを証言したのです。
・これがキリスト教の始まりです。
イエス・キリストの命、死、復活によって、神が私達を常に気遣ってくださっていることを信じています。イエスの生涯で教えられたことは、私達がどのように生きるべきかを示しています。日常生活でこれらの教えに従い、自分自身の状況に当てはめます。
・誰も完璧な人はいません。私達は皆、過ちを犯すものです。過ちから学ぼうとし、神に謝罪する時、許されることを信じています。
・多くの答えを持っているわけではありません。神だけです。イエス・キリストの教えを通して神との関係に入り、神が与えられた人生で、よりよく仕えることを求めます。人生そのものが新たな意味を持ってくるのです。回復なしに失敗や災害はあり得ません。
・ひとたび神が、私達それぞれを気にかけてくださることを受け入れたならば、人々を違った風に見るようになります。なぜなら、神は等しく私達に配慮されるからです。
・死後、私達は、人生をどのように過ごしたか神に説明することになります。
・クリスチャンにとって、神は、父、子、聖霊として理解され知られています。父とは何か。神は愛であり、創造物や、神が愛された子としてすべての人間を気にかけています。子とは何か。神はイエス・キリストという歴史的な人のうちに自らを啓示されたので、イエスの人生、死、復活は、神を知り愛すること、そして、死の前も後も人生に意味を与えることの鍵となります。聖霊とは何か。神は、今日、生きて愛され働かれています。信仰、正義、真理に息吹を与え、世界の命を支え、教会に霊的な賜物を授け、世界に霊性の実を与えます。人生を変え、社会を変えるのです。

一見何でもないようですが、注意深く読んでみると、これまでキリスト教の枠内で論争の的になった諸点については、さりげなく省かれ、無難な表現が採用されていることにも気づきます。しかし、特にムスリムとの関係で根本教義が変更された形跡は、全くありません。
Kenneth Cragg名誉教授の場合も、随分前にハートフォード神学校の女性教授から説明があり、「彼には非常に深いディレンマがある」「でも、このような研究を通してムスリムと関わることで、彼はよりよいキリスト教徒になれたと思う」などとおっしゃっていたそうです。(Kenneth Cragg名誉教授の苦闘については、Goddard(2000:155)にも共感的に説明されています。)
何だか非常にややこしい問題だなあというのが、率直なところです。私の立場はと言えば、これまでこのブログに書いてきた通りです。ただし、研究過程で全くの内的葛藤がないとは言えません。もしそこに意味があるとするのなら、ありがたいのですが。