ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

振り返ればもうすぐ一年

数日前から、ちょうどこの「ユーリの部屋」のデザインと同じ色と形のユリの花が、テーブルの上に飾ってあります。案外長持ちするもので、一つは花びらが落ちてしまいましたが、他の花は次々と大きく咲き誇っています。そういえば、このブログを始めて、もうそろそろ一年になろうとしていることに気づきました。
ブログと言えば、昨晩、友人のRさんとの電話で、感想を聞かせてもらいました。「思想を体系的に知ることができた」「普通はあまり人が言いたがらないことも、正直に書いている点、好感が持てる」「とても重要なんだけど、とても大変なところに足を突っ込んだことがわかった」とのこと。(一部聞き間違いもあったかもしれません。もしそうであれば、どうぞお許しを!)こういう陰ながらの理解とご支援は、ありがたいものです。
ブログを書く前は、これだけの内容を胸のうちに抱え込むような日々で、年に一回ほどの研究発表ですべてを分かってもらおうと無理を重ねていたような気がします。発表の場所を間違えていたかもしれないとも思うのですが、マレーシアで現に発生した/している問題なのですから、他に方法がなかったことも事実です。くどいようですけれども、正直に認めましょう、この分野で日本は大変に遅れています!
Rさんの提案では、過去にはイスラーム圏に住んだのだから、今後はキリスト教圏に住むことも視野に入れては、ということでした。いくら世俗化していても、キリスト教の重さが生活しているうちに実感としてわかってくる、と。実際の状況を考えると、なかなか難しいのですが、先日、主人も「イギリスの会合で発表すること考えたら?旅費ぐらい出してあげるよ。研究を理解してもらうには、ちゃんとしたいい場所でやらないと...」と言ってくれました。
欧州や米国でのキリスト教の重みについては、1987年の英国(ボーンマスとロンドン)滞在や2005年のハーヴァード大学やMITやハートフォード神学校を訪問した際にも感じましたが、普段、何気ないさまざまな文献を見ていてもそう思いますね。C.S.ルイスが『悪魔の手紙』で「史的イエスの研究などに目を向けるな」という意味のことを書いていたかと記憶していますが(蛭沼寿雄・森安綾(訳)新教出版社1960年)p.120)、それはあくまで一般信徒向けであって、学問的には、なぜ史的イエスを研究しなければならなかったかの背景が、イスラームとの接触によって明確になってきます。すべて物事には理由があるのだと具体的に知るには、いったん住み慣れた日本を離れることも必要なのでしょう。だいたい、日本やマレーシアを通してキリスト教を知ろうとしたって、所詮二番煎じ的なところがありますもんね。
ところで、昨晩は、一割引で主人の会社に注文してあった本二冊が届きました。
園田義明(著)『隠された皇室人脈:憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?講談社+α新書2008年
藤原和彦(著)『アラブはなぜユダヤを嫌うのか:中東イスラム世界の反ユダヤ主義ミルトス2008年
園田氏については、既に2008年5月15日付「ユーリの部屋」でご紹介済み。氏からも、「お会いする機会があればいいですね」とご連絡をいただいています。
藤原氏は、隔月誌『みるとす』の連載でおなじみの方。東京外大アラビア語科を卒業後、読売新聞社の外報部に勤務。カイロ支局、ベイルート支局などを歴任されたそうです。決してぶれない、筋の通った論説を展開されます。事情を知らない方にとっては、(それは一方的ではないか)と思われる節も皆無ではないかもしれませんが、一つの立場としては傾聴に値すべきだと思います。私にとって、ムスリムホロコースト否認やユダヤ人/イスラエル/シオニズムについての否定的な言説は、マレーシアでも慣れていると言えば慣れているので、関心を持ったわけです。もっと直接的には、2007年3月のイスラエル旅行がきっかけになっていることも事実です。
イスラエルと言えば、6月15日に、我が町の医院兼教会に、私がお世話になったガイド氏が来られていたのだそうです(参照:2008年2月10日付「ユーリの部屋」)。牧師を務めるお医者さまのホームぺージ日記で知りました。こうしてみると、イスラエルと我が町が、一気に近づいたように思いますね。もっと早くに知っていたら、是非とも馳せ参じてお礼がてらご挨拶したかったのに...。お医者さまにもガイド氏にも、経緯をお伝えしてあったつもりだったのですが。

もう一点、追加事項があります。昨日のブログでも触れた東大出版会の『一神教とは何か:公共哲学からの問い』(2006年)の337ページでは、池内恵氏が次のような発言をされていました。
「もう少しちゃんとテレビを見ていただきたい。最近の大河ドラマなどでは、戦国ものをやっていても、クリスチャンがすごくいい役回りで出てくる。ちょっと都合が悪くなって、ストーリーがうまくいかなくなったなと思うと、クリスチャンが出てくる。そこで新たな地平がぱっと開けるのです。」
池内氏は、確かテレビのない環境で、ドイツ文学者のお父様宛に送られてくる本の山を次々読破しながら育ち、日本語はわかるがクラスメートの話題についていけない帰国子女感覚で普通の公立学校にずっと通った方というように理解していたのですが(ご自分でも、テレビのない生育歴を秋篠宮紀子さまのご実家になぞらえていたかと…)、その方が「ちゃんとテレビを見ていただきたい」と八木誠一氏や加藤信朗氏に主張されていたのです。変われば変わるものだなあ、と感じ入った次第です。
ちなみに、この本は、こういったどうでもいいような(失礼!)議論の端々の方が、むしろ先生方の本音や性格があぶりだしにされていて、おもしろいですよ。八木先生の方は早速、「日本がどうなったからといって、クリスチャンが発言の仕方を変えるわけにはいかないでしょう。」と一蹴されていたところが、年季が入っていて、またもやおもしろかったです。

PS:ただ今、新しい本が一冊届きました。Kenneth CraggMosque Sermons: A Listener for the Preahcer" Melisende2008)です。それにしても、Kenneth Cragg名誉教授の驚異的な体力と精神力には脱帽以外にありません。この本も、1.8センチほどの厚さで、決して活字も大きくはないのです。後書きには、2008年2月のカンタベリー総主教のシャリーア導入発言も当然のことながら含まれています。マレーシア現首相が英国でのシャリーア導入について言及したのは最近のことで(参照:本日付英語版ブログ日記‘Lily's Room’(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080619)、関連があるために購入しました。