ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新しい段階に向けての準備を...

ユーリの部屋」の購読者数がまた一人増えたそうです。ありがとうございます。どなたが「買って」くださっているのでしょうか。そこは個人情報保護が働いているらしく、私にはわかりません。最近始まった「はてなブログ」の統計によれば、「ユーリの部屋」は、どうやら毎日ランクが向上しているようなのですが、現在のところ、上位12.29%以内のアクセス数らしく、ブックマークも上位4.2%以内だというデータが本日付で届いています。人の意向をあまり気にせず、自分の考えや感じたことをそのまま気楽に書いてきたのが、かえって功を奏したのかもしれないと愚考しています。

ところで、昨日マレーシアから届いた『ヘラルド』記事によれば、またまたマレー語に関する問題が発生したようです。よく飽きもせず、これだけ同じ問題が続くものだと思いますが、そこがマレーシア。
一つは、クアラルンプールからサバ州のコタ・キナバルに向けて2006年7月14日に発送したマレー語のカテキズム700冊のうち、11箱分の670冊が紛失したまま戻ってこないというのです。「紛失物として補償金を払います」と中央郵便局が言ったそうなのですが、(当然のことながら)現在までお金を支払う形跡もないようです。(←「あれ、口で言うとるだけや」とおっしゃった某名誉教授のセリフが聞こえてきそうです。2008年6月17日付「ユーリの部屋」参照のこと)
もう一つは、ボルネオ福音教会(SIB)が、サバ州に運ぼうとしたキリスト教文献を不法に取り上げられた件について、内務省や首相や政府を相手取って起こした裁判についても、どうも先行き見通しは明るくなさそうだというものです。

さて、もうそろそろ、9月の学会に向けて、発表申し込みの準備をしなければなりません。
昨年以来、気がついたら3か月に一回は発表するペースになってしまいましたが、できるうちはできることをという程度で、欲張って無理しないことにしています。飽きっぽい性格で、一度公表したら、同じことを繰り返したくないという思いが強いので、ちょうどアイデアのたまった今が旬なのかもしれません。何年か前にも、「毎回、新しいことを発表するのは大変でしょう?完璧じゃなくてもいいんですよ」と東大のある助教授(当時)に言われましたが…。
特に、私の場合、休息をしっかりとらないと、ただでさえ乏しい発想がより枯渇する傾向にあるので、しばらくは気儘な読書でゴロゴロしていました。昨日あたりから、また片づけものに入る元気が出てきて、今もブリテンのヴァイオリン協奏曲を聴きながら書いているところです。五嶋みどりさん、ご紹介くださってありがとうございました!
ブリテンは英国の作曲家ですが、今朝も家事をしながら、ふとエルガーのことを考えていたら、「英国風の中庸」ってこういう作風のことをいうのかな、と自分の中でひらめいたものがありました。言葉で表現しにくいのですが、ドイツやフランスやロシアやスペインなどの作曲家とは明らかに違う点があります。
英国と言えば、2008年6月19日付「ユーリの部屋」でも書いたように、1987年の春休みに3週間ほどボーンマスとロンドンにホームスティしたことがあります。当時も今も、英国人は、アメリカ人(といってもいろいろでしょうが)と違って、率直に話すタイプではなく、どこかとっつきにくい印象がありますけれども、含みを持たせた表現で結論を押しつけない点は、さすがに一種の風格を感じます。あの時には、短期間だった割には皆さんがとても親切で、英国国教会福音自由教会カトリック教会の各家庭を知ることができました。主流派(英国国教会)の安定ないしは安住と、どこか遠慮がちだったけれど温かかったカトリック家庭の対照性と同時に、ほとんどペンテコスタル系に近かった福音自由教会でのカルチャーショックを懐かしく思い出します。「中庸」の反動でこういうグループが出現したのかどうか、あの頃も今も疑問が解けないのですが。

話は多少飛びますが、ムスリム・クリスチャン関係を考えていて、ふと思い出したのが、ジミー・カーター元米国大統領の自伝本です。ジミー・カーター氏と言えば、うちの主人が院生だった頃、実験を見学するために大学まで来られたのだそうです。今でも、拍手してお迎えしたことを覚えているとのこと。政治家としてどうだったかというよりも、いかにも質実素朴な飾りっ気のない方というイメージを私は持っていますが、イメージだけでなく、ご著書2冊も持っています。とはいえ、実は重複した内容なので、実質的には1冊で、“The Personal Beliefs of Jimmy Carter" Three Rivers Press, New York, 1996/1998というものです。確か、日本語訳もあったかと思いますが、極めて易しい英語なので、高校1年生程度の力があれば、辞書なしでも、そのまますぐに読めます。
この本で印象的だったのは、ジョージア州のプレインズという故郷にある南バプテスト系のマラナサ・バプテスト教会は、数百人集まる会衆の2割だけが南バプテストであって、その他は正教会カトリック、他のプロテスタントも含み、ユダヤ教徒ムスリムも歓迎しているという箇所でした(June 1997, p. vi)。アメリカの保守福音派の教会であっても、それそのものが他宗教に対して必ずしも排他的だとは限らず、つまるところ、人の選択によるのではないかということです。
それに関連して、2005年5月15日のペンテコステの日に、ノッティンガムにある英国国教会の聖ペトロ教会が、ノッティンガム新市長であるムスリム議会議員をお迎えした時の礼拝説教を思い出させます(http://www.stpetersnottingham.org/sermon/muslimmayor.html)。説教者は、ノッティンガム大学のHugh Goddard教授で、冒頭は、通常のキリスト教の「父と子と聖霊の御名において」(In the Name of the Father, the Son, and the Holy Spirit)ではなく、ムスリムの通常の冒頭句をそのまま用いて「慈悲深く憐れみ深い神の御名において」(In the Name of God, the Merciful, the Compassionate)と英語で唱えられました。途中でアラビア語の‘bismillah al-rahman al-rahim'という説明も加わりました。こういう点、さすがは英国だけあって上を行っていますね。2008年6月8日付「ユーリの部屋」で、「故ワット教授よりもHugh Godard教授の方が現代的なアプローチ」と書いたのは、ここにも理由があり、いわばクリスチャンがムスリムを立てて歩み寄っていることの一つの証でもあろうかと思われます。
しかし、これは単なる妥協でもありません。5世紀のイエーメンの考古学的証拠によれば、イスラーム発生以前の当時のアラブ系クリスチャンのアラビア語碑文に上記の言葉が書かれていたのだとのことです。使徒行伝を引用して、ペンテコステの日には聖霊によって新しい劇的なことが起こったのだから、特に今日は、伝統的なキリスト教のやり方ではなく、この新しい表現も受け入れられることを望んでいる、とのお話でした。クルアーンにも聖霊(al-ruh al-quddus)についての言及があるのだから、と。イエスも、クリスチャンだけのためではなく、ムスリムにとっても預言者として重視されているのだ、と。新市長はクリスチャンあるいはムスリムだけの市長ではなく、あらゆる人々のための市長なのであることを喚起されての説教でした。
実際には、多宗教の共同礼拝は、特定の機会ならともかく、通常はまだ人々の間で抵抗があるようで、慎重な対応が求められているそうですが、アラビア語に精通されている教授ならではこその説教であると、感慨深く読ませていただきました。(ご参考までに、2001年統計によれば、ノッティンガム市民の宗教分布は次の通りだそうです。クリスチャン58%, ムスリム5%, シク教徒とヒンドゥ教徒がそれぞれ1%,仏教徒が0.5%, ユダヤ教徒が0.25%,無宗教が25%。圧倒的にキリスト教が多数派を占めている場合、個人としてのムスリムとの共存は割合にうまくいくようですから、冒頭のマレーシアの事例とは逆だということです。)

明日以降、Hugh Goddard教授の博士論文(1984バーミンガム大学神学部)の孫引き概要とその批評についても述べてみたいと思います。どうぞお楽しみに。あ、それから3月にスイスから来京されたSamuel Vollenweider教授のご講演についても、まだ終わっていませんでした。長い歴史の積み重ねがあってこその現在という点で、ヨーロッパのキリスト教圏がどのように多宗教化社会の現実と向き合おうとされているのか、非常に学ぶところが多いものですから、折をみて是非ご紹介させていただきたいと思ってはいます。