ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

懸案事項を調べてみた結果

早くも明日から6月。今年は、新年明けからいろいろなことがありましたねぇ。 中でも最も大きかった出来事は、やはり3月11日の大震災。最近でこそ、少しは身勝手にも以前のような通常通りの暮らしに戻りつつありますが、今でも折に触れては少額ながら送金した…

近い将来を案じる

昨日の午後は、某所の講演会。新聞にも掲載されていたので、もっと大勢の人達が集まるのかと思いきや、目算で約70名前後か、といったところ。 ここでの講演会は初めての参加。今まで、いろいろな場所に出かけては、さまざまな講演を聞いてはきたものの、刺激…

とりとめもなく (その3)

昨日は雨だったこともあり、一日中、ヒルティ三昧。一気に200ページほど。もっとも、20代から繰り返し読んできたために、心身に染み込んでしまっていて、すぐに読めてしまうのでしょう。 こんな贅沢は、外で正規職として働いていたら到底できないもの。だか…

とりとめもなく (その2)

昨日は、神戸市立博物館で開催中の大英博物館「古代ギリシャ展」へ。風雨の中で客足が少ないのかと思いきや、大勢の人々で賑わっていました。 友の会のおかげで割引がきくのと、「ワーク・ライフ・バランス」とまではいかないものの、週末は、家族で過ごす時…

オール・ショスタコーヴィチの午後

電子コミュニケ−ションは、うまく使うならば、即時性と再現性の両面において、大変便利です。もっとも、手書きの手紙や対面の会話の方が、より大切で本質的だということは、忘れられてはなりません。使い分けが重要だということです。 その電子ツールのツィ…

昨日の続き

...と、いろいろと書いてはいますが、うちの主人によれば、「そんなことが言えるのは、ユーリだから。または女性だから。男同士なら、まず言えないな」と。でも、だからこそ、この世に男性と女性が存在することの意味、そして、互いに相補関係にあることの意…

女性は強い!

本日付の英語版ブログ“Lily's Room (Part 2)”(http://pub.ne.jp/itunalily/)に、ジェシカ・スターン氏による2005年1月の講演をアップしました(彼女に関しては、次を参照:2008年5月8日・5月10日・5月11日・5月13日・5月16日・2011年4月22日付「ユーリの部…

とりとめもなく (その1)

今朝は少し焦りました。 昨年のまだ寒かった頃から、暇を見てはコツコツと集めてダウンロードし、「私家版電子図書」のようにして、1800年代の英語版やドイツ語版のジャーナルや、現代のマレー語と英語の論文集などを作っていたのですが(参照:2010年4月7日…

生命倫理のお話を巡って

昨日の午後は、久しぶりに京都の関西セミナーハウスへ。イエズス会司祭のホアン・マシア先生から、「生命哲学とキリスト教」と題するお話と議論(?)の時間に参加しました。 午後1時半から4時間、帰宅してみて、ぐったり疲れたことがわかりましたが、簡単に…

チワワに学ぶ

チワワの生態をインターネットで拝見すると、確かに何とも、かわいい! You tubeとは便利なツールで、飼い主が自慢げに「うちの子、かわいいでしょ?」と言わんばかりに披露している、さまざまなチワワの様子が見られます。幸い、多くは一分前後なので、たい…

シモーヌ・ヴェイユの論考

昨日書いた、マレーシアと日本(大阪)のカトリック大司教制度に関する派生事項です。 いわゆる「ヒエラルキー問題」を避けて通ることができないと思われるので、たまたま今読みかけている、シモーヌ・ヴェイユ(著)冨原眞弓(訳)『根をもつこと(上)』(…

悩ましい係争問題

昨日の午後、雨の中を、初めて「アンネのバラの教会」へ行ってみました。 1980年頃、家で購読していた『毎日中学生新聞』に(参照:2008年2月8日付「ユーリの部屋」)、この教会の記事が掲載されていたのを読み、それ以来、(いつかは)と思っていました。30…

チワワから元気づけられる?

昨夕、東日本大震災の鎮魂として、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会で開かれた室内楽の演奏を、ドイツのラジオ放送を経由してNHK-FMラジオで聴くことができました。 このカイザー・ヴィルヘルム記念教会の前を通りがかったのが、1999年8月のこと(…

音楽が取り結ぶ再会

昨日の午後は神戸へ。カトリック神戸中央教会で、3時から4時45分ぐらいまで、テレマンのアンサンブル演奏会が開かれたのです。 初めて訪れる教会でしたが、直前までバザーがあり、(いかにもカトリック教会らしい雰囲気だなぁ)と、遠い幼稚園時代が思い出さ…

意味を求める

以前にも書きましたが(参照:2011年4月8日付「ユーリの部屋」)、この3月に私達が、宮城県沖で発生した巨大地震とその余波に驚愕し、狼狽し、沈鬱な気分に陥りながらも、気力を奮い起こして「できることをしよう」と努力していたちょうど同じ頃、マレーシア…

発言の耐えられない軽さ

とどのつまり、一言でまとめると、不愉快さの原因は、ミラン・クンデラをもじって「発言の耐えられない軽さ」ということ(参照:2009年2月25日・3月13日・3月19日・3月23日・3月24日付「ユーリの部屋」)。 そこから、不信感が生まれ、何となく距離を置きた…

„ Mut!”

繰り返すようですが、ここしばらく、ある面でやむを得ず、予想されなくもなかったこととはいえ、実際に起こってみると、半ば落胆、半ば(自分に対しても)腹立たしく、という事態に直面しています。自分なりに、かなりの年数をかけての決心と覚悟のつもりだ…

憲法問題はさておいて

昨日は、主人の実家のお墓参りに。(憲法問題については、家でほんの少し、話題にはしました。) すっかり遅くなってしまったけれども、今では遙か遠い思い出と化してしまった感のある、今年2月のフランス旅行(参照:2011年2月24日付「ユーリの部屋」)のお…

血は争えないのだから

今年は、1月から4月まで、震災のことも含めて、例年になく用事などがあれこれと重なっていたため、この五月連休が、殊の外ありがたく思われます。特に何をするというのでもありませんが、当座、直面している(私にとっての)深刻な問題について再考するため…