ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラームをめぐる英マの関係

昨日の予告通りの内容を書こうと思い、昨晩からHugh Goddard教授のマレーシアとナイジェリアに関するムスリム・クリスチャン関係の論文‘Christian-Muslim Relations in Nigeria and Malaysia'Lloyd Ridgeon(ed.) "Islamic Interpretations of Christianity" Curzon, U.K.,(2001)p.231-247およびご著書“A History of Christian-Muslim RelationsEdinburgh University Press/New Amsterdam Books2000)の読み返しをしていました。(後者については、2008年6月8日付「ユーリの部屋」でも言及済み。)
ところが、思いがけず「事故」が発生してしまい、断片風メモを頼りにしなければならなくなりました。「事故」というのは、電子版で読んでいたはずのJacques Waardenburg(ed.)“Muslim Perceptions of Other Religions: A Historical Survey" Oxford University Press, USA1999)が、突然、期限切れか何かで、画面表示がストップしてしまい、検索からも消えてしまったのです。この本の中で、Hugh Goddard教授の博士論文やその他の論文が計35件、表示されていました。もっぱら、アラビア語文献によるムスリムの他宗教観を分析したものが中心です。
ということで、内容の比重に変更があることをご了承いただければと思います。

このHugh Goddard教授は、昨年5月にマレーシアで開催される予定だった、いわゆる「ムスリム・クリスチャン学者の橋架け会合」にも、英国代表として英国国教会カンタベリー総主教方と共に来られるはずでしたが、「アブドゥラ首相の都合が悪くなったので」というマレーシア政府側の理由によって、直前に文字通り‘ドタキャン’されました。(詳細は、英語版はてな日記“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080625)に掲載しましたので、ご興味のある方は、どうぞそちらをご覧ください。)
ただ、公平を期すならば、マレーシア社会内部を見ると、ムスリムの懸念や反対もそれなりにわからなくもありませんでした。イスラーム棄教者を認めるか否かの騒動や、クリスチャンのみならず非ムスリム全般のイスラーム化に対する懸念や不満の高まりを示す諸事件などが、次々に起こっていた時期だったので、英国から有名なキリスト教学者やイスラーム学の教授陣が来られたら、会合で間接的に自分達が責められるとでも思ったのかもしれません。あるいは、そもそもこの種の会合自体を無意味だとみなすムスリムも多かったのかもしれません。または、マレーシア側の少数派集団であるクリスチャン代表者が、英国出席者側と意識上のつながりを持つことを不愉快に感じていたのかもしれません。
私の憶測では、英国側の先生方も「残念です」などと言っているものの、直前の意志変更については、ある程度の予測はされていたのではないでしょうか。しかし、この会合の下準備をされたのは、未確認ですがどうもHugh Goddard教授らしいので(‘East meets west '(http://research.nottingham.ac.uk/Vision/display.aspx?id=1253&pid=215))、その辺りの判断基準も、私としては気になるところではあります。かつての旧宗主国として、独立後から現在までマレーシアのムスリムが英国植民地支配をどのように見ているのかについて、どこまで現地事情を繊細に掌握されていたのか、多少、疑問に感じたからです。

ご著書を拝見する限りにおいては、イスラームを政治的に見るのではなく、歴史的な過程としてアラビア語文献を駆使しながら理解する立場のようです。また、「現在の基準から見れば、差別的に思われるかもしれないが、当時の状況を客観的に判断すれば、ムスリム支配の方がキリスト教による支配よりも穏当だったこともある」という事実を、できるだけ認識してほしいということのようです。これ自体は、日本でも既にイスラーム研究者から提示されている見解でもあり、特に目新しいものでもないと言えますが、恐らくは、西洋人からの発信という点が重要なのでしょう。

私が率直に感じたところで、この種の研究がとても困難なのは、いくら公平に正確な記述を心がけていたとしても、クルアーンの中には、キリスト教(やユダヤ教)に対する否定的あるいは部分的に不正確な認識が含まれているため、ムスリムにとっては不利な状況が生まれかねないということです。例えば、故エドワード・サイード教授ならば、「それはイスラーム誤認」だと非難した/するだろう記述も、実際には皆無ではありません。ただし、これに関しても既に、「(サイードは)正確ではない」(Goddard 2000:148)「西洋のイスラーム学者は、それ故、時々あまりにも辛辣に判断されることがあるが、偏りなき自己批判的な理解のための探究は、継続されなければならない」(Ibid p.149)と牽制されています。
恐らくは、上記の消えてしまった電子版の『ムスリムの他宗教観』(1999年)で、1984バーミンガム大学神学部に出された博士論文“Christianity as Portrayed by Egyptian Muslim Authors since 1950: An Examination in the Light of Earlier Muslim Views"が、カナダのDr. Patrice Brodeurによって、「優れている」と認められながらも、偏見の強化になると酷評されていたこととも全く無関係ではなかろうとも思われます(p.246)。

この批判は、正当であるだけに誰も反論できず、かえって非常にやっかいでもあります。研究者に持続的な内的葛藤を抱かせるもので、かなりタフな精神の持ち主でなければならないのでは、とも想像されます。
Hugh Goddard教授の博士論文の研究は、1950年以降のエジプトのムスリムによるアラビア語文献から、キリスト教に関する言及があるものを70点選び出し、クルアーン内のキリスト教記述と中世のムスリムキリスト教観を踏まえた上で、現代にどのように反映されているかを分析したもののようです。資料はアズハル大学とカイロ大学所蔵から選択したそうですが、その知見をかいつまめば、どうやら「1945年以降、新しい文献もあるが、さまざまな見解の混じり合いが継続していること。より古い見解が驚くほど再生産され続けていること」のようです。その「見解」の具体は、「キリスト教の歴史的な変造」「キリスト教資料に予知されているものとしてのイスラームの真実性」「キリスト教帝国主義のつながり」「イエスの地上での性格についてのイスラーム的聖人伝の説明」「史的イエスの作り話的解釈」「初期キリスト教共同体」だとのことです。また、ムスリムキリスト教観を「否定的(かなり論争的)」「肯定的」「中間(明らかに肯定的でもないが等しく意図的に否定的でもない)」と三分類されたようです。
カナダ人研究者からの批判の一つは、「なぜ、この古い知見が新しい文献で再提出されているのかに答えていない」というものです。また、この種の研究は、「信仰告白的」(研究者の信奉する宗教をムスリムがどう見ているか)「国別」(民族や国家を焦点に当てる)「歴史的」(過程に注目する)に分類されるそうですが、当時のHugh Goddard教授は、「信仰告白的」立場をとっていらしたそうで(英国国教会の聖職者資格を有する)、そのために「彼自身の自己批判的気づきの欠如が、大変重要な情報を骨折って修復したという価値を弱めている」「彼の研究道程は実りがない」という厳しいコメントにつながっている模様です。もっと詳しく言うと、「クリスチャンの読者は、彼の分類を受け入れてしまい、その先の思考に入れないかもしれない。ステレオタイプの強化につながる」「ムスリム潜在的読者は、彼の分類の‘否定的’に賛同するかもしれないが、‘肯定的’‘正しい’見方に対して非難するかもしれない」というものです。

繰り返しになりますが、電子版文献が消えてしまったので、あるいは間違いがあるかもしれませんけれども、これを読んで、(誰かがしなければならない研究なのに、どんなに誠実に事実を分析したとしても、結局は「偏見だ」と非難されるのか)と思い、なぜか全く無関係の私まで気落ちしてしまった次第です。ただ、今年3月26日の「英国のシャリーア法導入問題」に関するノッティンガム大学による23分程度のインタビューを聴く限りにおいて、Hugh Goddard教授は、私の想像を裏切ることなく、答えや自己の立場をはっきりと表明せず、単に「英国社会の状況を分析的に語り、過程に注目する」という態度に徹していらっしゃいました。しかし、その将来性や問題解決の見通しについては、「この件を通して議論が深まることを期待している」という希望的観測をにおわせる程度に留まり、導入の是非あるいは可能性について、断定的に答えることをどこか避けていらっしゃるようにも感じられました。これは単なる私見に過ぎませんが。(参照:2008年2月12日付「ユーリの部屋」および2008年2月12日・2月13日付‘Lily's Room’)

付け加えるならば、この1999年の『ムスリムの他宗教観』では、Hugh Goddard教授の文献が何か所かで参考として引用されていて、二日間で私が瞥見した限りにおいて、酷評したのは上記のカナダの研究者一人だけのようです。また、この本では、例によって「バルナバ福音書」の項目があり、なんと詳細な論文まで出ていることを知りました。どうやら、インドネシア語に翻訳されたのは1969年のことのようですが、オランダ語訳が1990年だそうですから(p.274)、マレーシアやインドネシア以外でも、まだまだ論争が続いているのでしょう。私など、この種の話に関しては(こんなこと、論文の対象になるのだろうか)などと思い、自分で抹消してしまうのですが、さすが世の中は広いものです。(『バルナバ福音書』については、2008年3月30日・4月28日・6月8日・6月11日付「ユーリの部屋」を参照のこと。)

実は、Hugh Goddard教授も、上記博士論文と同類テーマで、1990年にハートフォード神学校のジャーナル『ムスリム世界』へ投稿されています。指導教官でいらした故David Kerr教授が、このジャーナルの編集者を務めていらした時期があったことと関係があるのでしょうか。(この先生は、残念ながら、2008年4月に進行性神経病で亡くなられてしまいました。長老派と会衆派の系統を持つご家庭の出身だそうですが、ご自身は聖職者になることはなく、もっぱら研究と教育に従事されたそうです。ただ、キリスト教信仰に確信を持ちつつ、同時にすべての諸宗教に対してオープンでいらしたそうで、論争的立場をとっていた過去のキリスト教関係者は、十戒の第九項「隣人に関して偽証してはならない」に反しているとのお考えだったそうです。‘Church Times’http://www.churchtimes.co.uk/content.asp?id=55614)‘Mission Studies’http://www.missionstudies.org/David%20Kerr230408.htm))こうしてみると、誠に不思議なもので、英領マラヤ時代のウィリアム・シェラベア博士の件といい、ハートフォード神学校訪問といい、この私までもが恐れ多くも、どこかでつながっているように感じられますから(参照:2007年11月12日・12月4日・2008年4月14日・4月18日・5月8日・6月13日付「ユーリの部屋」)、やっぱり何かしなければならないのかなあという気になってきます。

ところで、Hugh Goddard教授の博士論文を元に書籍化した“Muslim Perceptions of ChristianityLondon, Grey Seal BooksCSIC Studies on Islam and Christianity1996については、既に注文済みですが、さすがはイギリスだけあってかアメリカの書店よりも悠長で、届くのは7月下旬だそうです!それまでに、もう一つの書評と冒頭にあげたマレーシアのリサーチ論文についても、ご紹介できればと思っています。