ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

生命倫理のお話を巡って

昨日の午後は、久しぶりに京都の関西セミナーハウスへ。イエズス会司祭のホアン・マシア先生から、「生命哲学とキリスト教」と題するお話と議論(?)の時間に参加しました。
午後1時半から4時間、帰宅してみて、ぐったり疲れたことがわかりましたが、簡単に結論や答えの出ない諸問題について、考える契機やヒントを幾つかいただいたように思います。
お話そのものは、普段、一種孤独でもある司祭生活の反動のためか、ご自分でもおっしゃるようにやや冗長であったものの、スペイン事情も若干うかがえて、趣味でスペイン語を20年以上続けている私にとっては、興味深かったかと思われます。しかし、そもそも講師の考えを知るには、やはりご著書を読むのが一番。お話だけ聴いて分かろうなんて、そんな虫のいいやり方では通用しません。
そして、具体的な何らかの経験を持つ人と、ただ本だけ読んで知識で理解しようとする人とでは、この種のテーマに対する態度そのものが異なるとのご指摘には、まったく同感。私だって、関西セミナーハウスの講座には過去何度か出席したことがあっても(参照:2008年2月17日・2009年2月23日・2010年6月30日・10月13日付「ユーリの部屋」)、「生命倫理」に関してはこれが初めて。私自身は健康で、これまで恵まれて過ごしてきた方なので、「生命倫理」と言われても、実はあまりピンと来ず。医学研究や医療や福祉の実践を職業としていなければ、いくら全知全能で遍在の神を信ずるキリスト教だとはいえ、むやみやたらに‘素人’が関与すべきでもないと思ってきました。以前から「生命倫理」関連のプログラムを送付されてはいましたが、偏見をお許しいただけるならば、どこか上っ面の話か、個別問題に特化するような狭い話のように思われて、参加を見送っていました。
私自身が勝手に持っている「いのち」に関する基本的な指針としては、少なくとも、子ども時代から自然になじんできたキリスト教の考え方に加えて、シンクレティズムというのではないものの、日本生まれで日本育ちの日本人かつ‘良識ある’社会人たるべく、東洋文化や仏教の教えを無視するわけにはいかないという必然性の中で具体的に考えていく、というもの。そして、ここ数年、興味を持って学びたいと願い、極力そのように努めているのがユダヤ教で、ユダヤ教内では、いかにこの問題を考えて、どのように実践しているのか、という点。
そうはいっても、主人の病気のことがあるため、BS細胞やiPS細胞および新薬開発の問題は身近にとらえていて、医学技術の進展を期待していないわけでもありません。新聞記事は切り抜いてノートに貼ってありますし、患者友の会の冊子も、必要な情報には必ず目を通しています。
こればかりは、患者と患者の家族にしかわからない、切実な思いだろうと思います。換言すれば、現代のキリスト教倫理学に万能の答えを求めているわけでもない、と言ったら、不謹慎でしょうか。なぜかというに、昔は仰ぎ見て、教えられるところ多かったはずのキリスト教出版の本が、今では、著者名や題名を見ただけで本を手に取りたい気が失せてしまうほど、どこか中途半端な議論が多いような印象を持っているからです。どこが中途半端か、と言えば、語るだけ語り、書くだけ書いていても、その人自身が、己の主張を実践していないことが一目瞭然だから。あるいは、「多様な考え方がありますね」というありきたりの結びで終わってしまっているような予感がするから。本来、何か絶対的なものを求めての宗教信仰であったはずが、肩透かしを食らうというような....。
我田引水的でお聞き苦しいかとは思いますが、例えば、眼科学を専門としていた父方の大叔父(参照:2008年4月22日・2010年7月26日付「ユーリの部屋」)の頃は、医学のみに専念せず、有志が集まって仏教経典の勉強もしていたとか(参照:「追悼す内藤龍雄師」(初出『卓山房学叢』(昭和54年3月))出典『十年経たるかTiel pasis dek jaroj)加藤静一文集形象社 昭和56年 pp.145-146)。一回三時間で月二回、十年以上も続いた会合だったそうです。あの頃は、今よりも時間にゆとりがあったのでしょうか。それとも、いわゆる「エリート」層が限られていたために、相互理解もいわばツーカーで、その意味では能率がよかったのでしょうか。職に就くことの責任意識が、もっと明確だったためでしょうか。
今では、医療崩壊と叫ばれるほど(参照:2008年1月29日付「ユーリの部屋」)、現場が忙しく、医師の過労死まで報じられる有様。どうしてこうなってしまったのだろうか、と。複雑化し細分化され高度化した情報社会の中で、個別対応を実践しようとすれば、自分の首を絞めることになりかねないというパラドックス
ところで、今回の参加者は22名。関学同志社の男子神学生6名が若い層で、その他は中高年の方がほとんどでした。見たところでは、司会を務められた関学の先生と私ぐらいが、ほぼ中間の世代。本来ならば、我々のこの世代が主力にならなければならないのに、なんという情けなさか、とも思います。
ただ、いろいろと難しいんですよね、先日も書いたように(参照:2011年5月11日付「ユーリの部屋」)。シュペネマン先生の奥様と少しお話できたのはよかったと思いますし、ご高齢のご婦人方も、しっかりと前向きでいらっしゃるのですが、こちらとしては、学ばされるところ多いものの、いつも気を遣っていただいて、こちらもお行儀よくして、という感じになってしまい...。もっと気楽に、似たような生活環境や価値観で生きている同世代で、しかも話の通じやすい共通の仕事を持っている信仰の友となると、結局のところ、個別に学会や研究会などで知り合うとか、その筋の友達の紹介などになってしまいます。(その場合、必ずしも、日本国内とは限りません。)
かたやいつも褒めているカトリック教会にしても、ホアン・マシア先生の言動に関しては、知的で人気のある司祭だとの評判の一方で、信徒さんの一部から、さまざまな批判や反応があるようで、これまた難しいな、というところ。
ところで、地下鉄の駅まで送っていただいた帰り、なんとホアン・マシア先生が、駅構内の椅子に背筋を伸ばして座り、セミナーハウスで販売されていた日本語の説教集を、早速、読んでいらっしゃるのをお見かけしました。さすがはイエズス会、そのようにして文化の架け橋たるべく人材を世界各国に派遣してきたのですね。私はその本を買いませんでしたが、電車内で読んでいたのが、『ボンへッファー選集V』。読み進めていくうちに、(はは〜ん、佐藤優氏の『獄中記』(参照:2010年10月19日付ツィッターhttp://twitter.com/#!/itunalily65)は、これに倣っていたのだな)と気がつきました。