ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

悩ましい係争問題

昨日の午後、雨の中を、初めて「アンネのバラの教会」へ行ってみました。
1980年頃、家で購読していた『毎日中学生新聞』に(参照:2008年2月8日付「ユーリの部屋」)、この教会の記事が掲載されていたのを読み、それ以来、(いつかは)と思っていました。30年かかって、やっと実現。たまたま昨日が、西宮で用のあった日に該当していたというわけです。
湿度の高い蒸し暑い中を、傘を差して、地図を頼りにあちらこちら、何人かの方達に道を尋ねました。山を切り開いて造ったお屋敷町のような高級住宅街で、散歩するだけでも楽しそうな場所。でも、少し疲れました。
よく知らないままに訪れたのですが、たまたまアンネ・フランクのパネル展示中だったので、到着した4時10分から閉館の5時まで、ゆっくり一人で見させていただきました。庭いっぱいに咲いているオレンジ系のバラは、芳香かぐわしく、美しく見事。
アンネ・フランクについては、本や映画で少女時代から既にお馴染みだったとはいえ(参照:2009年8月3日・8月8日付「ユーリの部屋」)、初めて見た資料もありました。NHKテレビで報道されたらしく、昨年は、のべ4桁の訪問者があったとか。
普段は60〜70名ぐらいの礼拝出席数だという礼拝場を展示会場に使っているそうで、やや手狭な感じかな、とも思いました。メノラーと大型聖書とイエス像のついた十字架とアンネの写真が同じ場に飾ってあったのも、不思議な印象。
どんな教派なのか、気になって尋ねてみました。上記記事を読んだ昔は、アングリカン(英国国教会系)かなと思っていたのですが、聖イエス会という、ホーリネスの系統を引く、戦後作られた教会だとのこと。国内に100教会ぐらいあって、京都の嵯峨野に本部があるそうです。そして、「イスラエルの救い」のために祈る教会だとも聞きました。
そこでつい、出すべきではない、余計な‘リサーチャー’意識が出てしまって、「その、‘イスラエルの救い’って、クリスチャン・シオニズムのことですか」「日本基督教団聖公会の中には、パレスチナ寄りの味方をして、政治的なイスラエル批判に回る教会もありますが、そのことについてはどうお考えですか」「ユダヤ教徒に、クリスチャンとして‘救い’を説くのですか」「今も、反ユダヤ主義がありますが、どのように思われますか」などなど、受付近くに出て来られた女性に聞いてしまいました。もちろん、丁寧にお答えいただき、その場では、特に気になるようなお返事ではありませんでしたが、「詳細はインターネットに出ていますから、見てください」と。(あら?教会紹介のパンフレットのようなものは置いていないの?)などと、不遜なことを思った私。(ユーリ後注:もちろん、パンフレット数種はいただきました。でも、それはアンネの紹介や教会礼拝へのやさしいお誘いであって、詳しくはインターネットのアドレス表示を見てください、とのことでした。)
純粋な好奇心から尋ねているだけのつもりでも、もしかしたら、私、もっと気をつけなければならないのかもしれませんね。そう言えば、2月のフランス旅行の際にも、カトリックの方達から、「主我的」「知欲が勝っている」「プロテスタントの人達はよく勉強するけど、私達ならもっと祈ります」「プロテスタントの人って、そこで議論するんですか。私達は、自分の祈りが足りなかったと考えます」などと、深く反省を促されるようなことも指摘されました。長年、そういう習慣でやってきているので、言われるまで気がつかなかったことでもありますが、カトリックに尊敬のような気持ちを抱いていても、こういう点になると、(やっぱり自分は....)と。なんせ、チワワ似だそうですから(参照:2011年5月10日付「ユーリの部屋」)。

それにしても、いろんな教会があるんですね。幼稚園がカトリックでよかった。そうでなければ、あまりにも数多いプロテスタントの教会についても、日本国内では、恐らく近寄れなかったはず。世界で多数派を占める歴史的なキリスト教の基本を、幼少期に上手に導入されたおかげで、自ら学び、ある程度は判断することができたのではないか、と思われるからです。
関西に来て14年。教会探しは、本当にやっかいな重い問題。昔は知る由もなかった、妙な議論や党派対立のような話を聞くはめになってしまい、何が何だかわからなくなり、内心、胸騒ぎがして怖くなるんです。
2006年秋に、名古屋の教会の後任牧師の方が、「関西は、教会探しが難しいですよ。学閥もあるし、日本基督教団の総会でも、本当に鼻持ちならない牧師が多い。うちは、父方母方どちらも日本基督教団の牧師だから、親戚が集まると、よくその話になる。伯父(叔父?)達、いつも言ってましたよ」などと、電話でおっしゃいました。そのため、私が直面している懸案についても、「よ〜くわかります」と、力強く同意。「まだ、大阪万博の頃の傷跡が、癒されないまま残っているんじゃないですか。本来ならば、同じ一つの潮流だったんですけどね」と。
そして、「僕だったら、ユーリさんみたいな人にこそ、是非うちの教会に来てください、と言うのに、どうして関西の先生はそういう対応をするんですか」とも。ノートに記しておいた記憶を辿って、その時のお言葉を借りるならば、つまるところ、進行性難病を抱える夫を支えつつ、若い頃に仕事で赴いた東南アジアの一国のキリスト教について研究しているような、はっきりした背景を持つ人なら、ということらしいのです。それ以上に、教会のご婦人方が、私の名前を久しぶりに聞いて、「あ〜ら、ユーリちゃん。お元気だったの?」などと懐かしがっていらしたそうで、「相当、教会でも目立っていたのではないですか。皆さん、よく覚えておいででしたよ」という、牧会的配慮もあってのことなのだろうとは思います。
そこへ通っていた理由は、三部礼拝があったから。早朝礼拝に夕拝が加わっていて、今から考えれば、牧師負担は相当なものだったとは思いますが、それなりに忙しかった学生時代には、静かな夕拝はありがたかったです。そして、男女比率がほぼ半々で、その当時は、赤ちゃんからご年配まで年齢層もバランスがとれていました。つまり、後任牧師の方にしても、改革派の牧師を務めているという弟さんにしても、そして私にしても、それなりに、さまざまな理由があっての選択なのであって、単純に出身校や教派神学のみで表面的に推し量ることは、大変危険だということです。それに、上記の全共闘時代や教団紛争のことは、1980年代に学生だった私でさえ聞き及んでいて、ぞっとしたものです。だから、若いうちは、そういう影響を極力受けないような教会を選ばなくては、と。

もっとも、数年前までは、電話帳を繰って、あちらこちらの教会に電話をかけてみたこともあります。数駅離れた都市の北部にある、東神大系の牧師だという日本基督教団の教会では、「そういう方にこそ、むしろ、教会に来て安らいでいただきたい。教会というのは、こういう人は来てはいけないという所であってはならないはず」と、力説されていました。しかも、驚いたことに、信徒向けの聖書の学び会には、いわゆる福音派だと言われる機関名を挙げられたのです。またもや、何が何だかわからなくなってしまって、遠そうだったこともあり、結局はあきらめました。牧師の方は、とても気落ちしたような返答をされ、誠に気の毒だったのですが。
一方、ある時には、同志社系の教会で、「教会は弱い人の集まるところです。あなたのような(元気いっぱいな)人は、他所へ行きなさい」などと言われてしまいました。それというのも、「前田護郎先生の本を好んで読んでいる」と、つい口走ってしまったからです(参照:2007年11月2日・11月9日・11月11日・11月13日・11月16日・11月18日・11月22日・11月23日・11月24日・11月25日・12月8日・12月9日・12月16日・12月18日・12月22日・12月28日・2008年1月28日付「ユーリの部屋」)。「前田護郎?新約学だな。あなた、そういうものを読んでいるんですか。どこの大学出ているの?」と詰問調で問われ、事実を述べると、先のお返事。つくづく、難しいなぁ、と痛感させられました。

もちろん、このままであってはならない、といつでも思ってはいます。そのために、この4月から思い切ったはずの勉強なのですが、一体どうなりますことやら。覚悟の上とはいえ、どうにも収まりがたく、怖いような複雑な感情...。

あ、それでも昨日は、少し嬉しいことがありました。ある研究者の方と名刺交換するチャンスがあり、会話を通して、考えが近いのではないかと、感じられたからです。
「どうしてここへ来たんですか」と尋ねられ、かいつまんで、「私達の世代は、昔は教会に行っていても、今は行けなくなっているんです。ヘンな議論をいろいろ聞いてしまって、怖くて...」と言うと、実にお察しのよいことに、「例えば、聖餐論争ですか」と。「ええ、昔は経験的にそんなものだと思っていたので、何ら問題はなかったのに、当事者達から、いろんな批判や議論を聞くと混乱して、やっぱり、体系的な知識がないから、基本を勉強しなければ、と」。

その研究者氏曰く、「来ている人皆に(パンとぶどう酒を)与えたいという教職者の気持ちはわかるけれど、そのままではヒューマニスティックになってはいないか。自分のやっていること(信仰)に確信が持てないから、そういう傾向になったのではないか」と。私もそれには、全く同感。「もし、聖餐に与かれないからといって、疎外感を抱く人がいたとしても、その後で愛餐会をやればいいんですよ。主の食卓とは、そういうこと」という意味のこともおっしゃいました。
そうです、そうです。昔は、牧師の配慮ある一言で、そういうものだと思って、誰も文句を言わずに丸くおさまっていたはずなのに、気がついたら、何やら闘争めいた議論づいた派閥のようなものができていて、こちらとしては至極迷惑。一体、震源はどこの誰なのか、それさえわからず、さりとて、専門でもないので、無闇に関わりたくもなく...。お一人お一人は、決して悪い方ではないのでしょうが。

その方にも私、言ったんです。「例えば、学会があって遠方に出かける時、カトリックのミサなら時間差で行けることがあるから、可能な場合、カトリック教会に行きます。でも、私はカトリックじゃないから聖体拝領はいただかないし、『遠慮してください』と言われても、別にそのことで疎外感なんて、ありませんねぇ。だって、『前に出て祝福をいただいてきたら』と勧めてくださるから、それだけでもありがたくって。洗礼を受けていないのに、信仰もないのに、なんで聖餐式の時だけパンやぶどう酒を欲しがる人がいるのか。私が最初に行っていたプロテスタント教会は、バプテスマ(洗礼)をまだ受けていなくても、受洗準備中で信仰があるなら、その方もどうぞ、という所でした。聖餐式は毎月あるけれど、洗礼式はそんなに頻繁にはないから、その間をどうするか、ということで。どの教会でバプテスマ(洗礼)を受けていても、それ自体は問題ない、と。でも、ただ教会に来ただけの人は『ご遠慮ください』でした。仏教だって、結界ってありますでしょう?どの宗教でも、踏み越えてはならない領域ってあるんですよ。でも、それはそれとして、別に排除されているなんて、こちらは思いませんけどね」。

とにかく、安心しました。その研究者の方とお話できて。そして、望むらくは、ベテラン牧師の方達にも、これから牧師を目指そうという若い方達にも、一般人はこんなことに「つまずいて」、不信感や警戒心を持つが故に遠ざかっているんですよ、ということもお伝えできれば、と願っています。「文化的クリスチャン」など、安易なレッテル付けで解決を早めようとせずに。そんなところにも、マイノリティ・コンプレックスとマイノリティ・プライドの両面が見え隠れしているようにも思われるのです。