ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

発言の耐えられない軽さ

とどのつまり、一言でまとめると、不愉快さの原因は、ミラン・クンデラをもじって「発言の耐えられない軽さ」ということ(参照:2009年2月25日・3月13日・3月19日・3月23日・3月24日付「ユーリの部屋」)。
そこから、不信感が生まれ、何となく距離を置きたくなってしまうのです。余程の鈍感か、何らかの下心がなければ、みすみす近づく人なんていないのではないでしょうか。くわばら、くわばら....。
時代背景のためなのか、世代の特徴なのか、性格のせいなのか、よくわかりません。しかし、その調子で、よくここまで数十年も呼吸が続いたものだ、とも。それとも、何かのカモフラージュ?あるいは、自己防衛?
今日、ツヴァイク全集三巻を返却。2011年4月1日・5月4日・5月5日付ツィッターhttp://twitter.com/#!/itunalily65)に書いた通りの感想。学生時代に夢中になり、もはや懐古趣味のようであっても、震災直後の沈鬱さの中で、何だか急に読み返したくなって借りたもの(参照:2011年3月27日・4月3日・4月14日付「ユーリの部屋」)。すっかり遅れてしまったものの、何とか必要箇所をノートに取り、複写ページも整えて、やっと図書館へ。しかし、肝心の『女の二十四時間』は、読んでいるこちらが気恥ずかしくなるような描写がかなりあり、半ばで読むのを中止。時代がかった雰囲気のせいなのか、ツヴァイクの筆力があまりにも秀逸なためなのか、理由はわかりません。
二十代の頃にはよく理解できなかった欧州事情も、さすがにこの歳になると、すんなり読めた点、我なりの時間経過を思い、感謝。