ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

音楽が取り結ぶ再会

昨日の午後は神戸へ。カトリック神戸中央教会で、3時から4時45分ぐらいまで、テレマンのアンサンブル演奏会が開かれたのです。
初めて訪れる教会でしたが、直前までバザーがあり、(いかにもカトリック教会らしい雰囲気だなぁ)と、遠い幼稚園時代が思い出されました。
受付で、2月のフランス旅行でご一緒させていただき(参照:2011年2月24日・4月18日付「ユーリの部屋」)、お世話になったリーダー格の方と、久しぶりに再会。お若い頃からカトリック学生会の長をなさっていたのみならず、仕事の上でも、三十数カ国を回って精力的に活躍されていたという、大変優秀な方です。お写真やお手紙はいただいていたものの、お目にかかれると(お元気でいらしてよかった)と嬉しくなるので、やはり「会う」ことが大事なのだ、と思います。ご挨拶すると、早速、同旅行で知り合ったご婦人にも、「今日、ご主人と来ている」と紹介されてしまいました。
目算で300名ぐらいの盛況ぶり。池長大司教さまはじめ、数名の聖職者の方々や日本人および外国人シスター達も含めて、満席。毎度の事ながら、この集客力には、さすがは、といったところです。私の印象では、カトリックはオープンで包摂性が高く、懐が大きいんです。「ミサはどこでも同じで、聖書朗読の箇所も同じだから、どこの教会に行っても『私の教会』と思える」と、フランス旅行中、私におっしゃった別のご婦人がいました。学生だった頃、全く同じことを、カトリックの友人が書いてきたことがあります。「プロテスタント教会だと、中に入ってみないとわからないけれど、カトリック教会なら安心」と。この「普遍性」「公同性」こそが、カトリックカトリックたる所以で、失礼な表現かもしれませんが、実にうまくできているなぁ、と。
その他に、上記旅行で知り合ったおじさま、おばさま達も何人かいらしていて、お声かけやご挨拶があり、初めての教会なのに、初めてのような気がしませんでした。あの時以来、大震災やら私事やら、公私共に大小さまざまな出来事があり、改めて、何事も一期一会、一瞬一瞬が大切なのだ、と痛感しておりましたから、特に、という気持ちが働くこともあってなのかもしれません。
「あなた、見た目よりも、おもしろい文章を書くのね」と言ってくださった、私とほぼ同い年の息子さんのいるおばさま。心理的に一歩近くなったかしら。そして、旅行中、ある日の朝食時にお話をしていたら、たまたま主人と同じ企業勤務の大先輩だったことが判明した、同じグループのおじさまからも、主人に直接、励ましをいただきました。
ここのカトリック教会も、東京の聖イグナチオ教会のように、品よくシンプルな構造で、座席の配置も円形風の御聖堂。いわゆる古楽器演奏なのですが、弦楽器の音色がよく響く、よい会場。今回は、特にチェンバロに強く印象づけられました。
テレマンは、これが初めてではありません。毎年、教会音楽会を開いているプロテスタントの東梅田教会でも(2008年6月16日・2009年5月28日付「ユーリの部屋」)、延原武春氏の指揮でテレマンを聴いたことがあります。バロック中心なので、強い興奮やワクワクするような感動はなくとも、自然にすっと深く染み入るような曲目と演奏。奏者は、まだ若い世代が中心なのに、安心して、落ち着いて聴いていられます。
そして、延原武春氏の巧まざるユーモアと謙虚な姿勢。東梅田教会では、ご自身が拍手を浴びようとすることなく、演奏後はさっと壁の後ろに身を隠すように去られるのです。いつだったか、ライプチッヒから指揮者ビラー氏が事故で来日不可になった時のいずみホールでの演奏会も(参照:2007年8月5日・8月6日付「ユーリの部屋」)、代役を引き受けられたのが延原氏。でも、「皆さん、今回は残念でした」とおっしゃったのです。そういう時こそ名を挙げようとする指揮者も、世間には少なくないというのに。しばらく前に放映されたNHKテレビの宗教番組で、ご自身の来歴を語られていましたが、クリスチャンではないとおっしゃりつつも、実は、安穏とした信徒さん(というタイプがいるとして)よりも、かなり本質に限りなく近い方なのではないか、という印象を持ちました。
末筆で恐縮ながら、演奏会終了後、池長大司教さまにも、主人と二人でご挨拶できたことを嬉しく思いました。あのフランス旅行を「楽しかったです。ありがとうございました」とおっしゃってくださいました。帰国後は、とてもお忙しいのに、たくさんのお写真を一人一人にお送りくださったのです。それも、集合写真に各人の名前まで添えて。
実は、出発前の説明会の時、「ご主人も一緒だといいのにねぇ」と言ってくださっていました(参照:2011年1月18日付「ユーリの部屋」)。上記の職場の大先輩に言わせれば、「休みなんてとれない。職場の人に言っても、こういう話(カトリック巡礼の旅)は通じない。これだけ休暇を取ったら、現役なら首が飛ぶ」とのことで、その意味でも同業者のありがたみを感じていたのですが、一方で、(いくら了承を得た上とはいえ、主婦なのに、こんなに家を勝手に空けるなんて)という自責もなかったわけではありませんでした。
年齢や世代もありますが、旅行に参加された方達には、表面的には皆様、お元気そうに見えても、既に配偶者を亡くされたケースも複数あったり、外見ではわからないような重い病気を経験されていたりした方も何人か。だからこそ、今ある状況と関係を大事にしなければ、と暗黙のうちに教えられてもいました。
しみじみ、興味深い組み合わせだったというのか、恩寵に他ならない、というのか....。深謝。