ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

血は争えないのだから

今年は、1月から4月まで、震災のことも含めて、例年になく用事などがあれこれと重なっていたため、この五月連休が、殊の外ありがたく思われます。特に何をするというのでもありませんが、当座、直面している(私にとっての)深刻な問題について再考するためにも、本棚の整理や勉強計画の練り直しなどの作業に当てる予定です。

この連休の初日(4月29日)は、母方の祖母の法要で久しぶりに名古屋へ。孫が7人、ひ孫が6人で91歳の寿命ということは、今の日本社会を考えれば、世間的に見て、相当に恵まれていたということが言えるだろうかと思います。7年間、施設に入っていたものの、「遠方」に住み、「それぞれの生活」を送っている孫達には迷惑をかけたくない、とのお嫁さん(叔母)の配慮により、気になりながらも、結局は会わないままで来てしまいました。
でも、私は祖母の初孫であり、誕生月も同じで、祖母の誕生日に挙式した者。(果たしてこれでよかったのか?)と、終わりのない問い、しかしこれで閉じてしまった問いが、ないというわけではありません。もちろん、仮に会えたからといって、何か進展したアテもなく、他に方法もなかったのですが。
1990年代初期、マレーシアで文字通り汗水垂らして仕事をしていた私に会いに、祖母が孫達4人を連れて、わざわざクアラルンプールまで来たことがあります。あの頃は、とにかく業務がやたらと忙しくて、何らおもてなしなどできませんでしたが、祖母のかねてからの願いであった「孫達と一緒に旅行がしたい」が、これで実現できたということで、唯一の最初で最後の孝行になっていれば、との心づもりでもありました。それにしても、今にして思えば、よくあんな暑い所まではるばる来てくれたものだ、と感心さえします。
ともかく、叔母達の采配で何もかも段取りが整っていて、親族20人が勢揃い。久しぶりに会ったいとこ達との会話が弾んで、いい時間でした。年下の男のいとこからも、「ちゃんづけで呼んでいいの?」などと一応は断りを入れられながらも、遠慮なく楽しかった思い出話や近況などの話が進み、これは思いがけない収穫(?)。うちの両親を含めて、叔父叔母達の年齢を考えると、これからは、緩やかながらもいとこ達との連絡も大切にしなければ、と思わされた時間でもありました。
久しぶりに生まれた初めての赤ちゃん孫ということで、小さな頃は、祖母をはじめとして、叔母(母の妹)や亡くなった叔父(母の弟)に、大変かわいがられ、大切に育てられた私。それだけに、かなりの期待もあったようで、成長期には、プレッシャーや重荷や確執を感じてもいました。結局は、祖母の願った通りの人生を歩んでいるわけではない私です。まだ元気だった頃、最後にかかってきた電話は家計簿に記録して、今でも覚えていますが、「一人でいいから赤ちゃんを産みなさい。そうしたら、おばあちゃん、いいものあげるから」。こんな年になっても、いつまでも孫は孫で、小さい時のままなんだな、と。
だからこそ、今後の課題としては、自分なりの人生をしっかりと生きていって、「おばあちゃん、いろいろ心配かけたけれど、思った通りじゃなかったけれど、私はこうしてやっているから安心してね」と言えるようになりたいのです。
ところで、上記いとこ君や、うちの主人や弟に言わせると、叔母(母の妹)に私がよく似ている、らしいです。その叔母は(自他共に)美人の誉れ高くて、子どもの頃の私も(女優さんみたい)と思っていました。かたや私に関しては、決して誰も美人だなどと思わず、いつも理屈っぽくて堅苦しい本ばかり読んで、地味に暮らしているのに、どういうわけか、「うちの母に似ている」と、息子さん自身が言うのです。血は争えないとはこのこと。小さい頃、よく遊んでもらったので、雰囲気が似てくるのでしょうか。華やかな話し方や感情表現の豊かさなどは、叔母から少しずつ感染してきたかもしれませんが。(正確には、妙なところで突然、大胆になり、喜怒哀楽が激しいのが私。)
小さい子どもは大方、母方で育てられる傾向にあるので、母方の親戚が集まると、もちろん、慣れ親しんだ環境の共有という基盤が確かめられるのですが、自分の内面の芯の部分は、やはり父方を受け継いでいると思います。そうでなければ、価値観の似た主人とも出会えなかっだろうし、恐らくは、今の自分もなかっただろうと思うのです(参照:2007年12月27日付「ユーリの部屋」)。
そして、この頃感じるのは、歳をとるにつれ、社会的規制による躾いかんに関わらず、本来の自分が内側からこんこんと湧いて出てくるということ。これは、どうしようもありません。好奇心や探求心、表面的な物事にとらわれない態度、新しい側面を開拓したいという気持ち、これらは、小学校高学年の時、既に担任の先生が見出した私の気質のようですが、思春期に至って、いつしか抑制していた部分でもありました(参照:2008年2月8日・3月3日・11月13日・2010年1月6日付「ユーリの部屋」)。気がついたら、最近、まるで小学生の頃のように、生き生きした部分が芽吹いているのです。もし、そこを素直に伸ばせていけるなら、冒頭に記した「(私にとっての)深刻な問題」も、ある程度は解決するように思うのですが。