ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

意味を求める

以前にも書きましたが(参照:2011年4月8日付「ユーリの部屋」)、この3月に私達が、宮城県沖で発生した巨大地震とその余波に驚愕し、狼狽し、沈鬱な気分に陥りながらも、気力を奮い起こして「できることをしよう」と努力していたちょうど同じ頃、マレーシアでは、またもやマレー語訳聖書の問題が起こって、かつてと同じ議論や主張が、飽きもせず、繰り返されていました。
もちろん、これを主なる研究テーマとしてきた私は、データ落としをして、マレーシアの友人知人から送られてくる資料も赤印をつけて保存してあるのですが、ここ2ヶ月、あまり意欲が湧かず、もっぱら、震災や原発その他のことで気を滅入らせていました。
とはいえ、昨日届いた、広東系マレーシア人の友人牧師からの懇切丁寧な助言や共感に励まされて(参照:2011年4月24日付「ユーリの部屋」)、再び気を取り直して、英語版ブログに、できるところからアップデートを始めようとしています(参照:“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20110507))。
この作業の面倒な点は、当局とマレーシアの教会指導者層の間で、いわば綱引き状態にあり、1980年代以降、常に同じパターンが何度も出てくることです(参照:2007年10月18日付「ユーリの部屋」)。これにまともに付き合っていたら、「どんどんダメになってしまう」(某日本留学組の華人男性の言)ということは、外部の空気を存分に吸える私の立場でも、よくわかるところです(参照:2010年6月29日付「ユーリの部屋」)。しかし、もしリーダー層が放り投げてしまったら、過去の事情を知らない若い層が、最初から同じ手法や主張を繰り返す羽目になり、何とも無責任な話です。ネット情報では、そういう側面がなきにしもあらずですが、だからこそ、何もわからなかった1990年代初から、手探りでフィールドワークを続けてきた私の‘作業’も、それなりに意味がないわけでもないという証左ではあります。
ムスリムとの対話をするには、「自分のキリスト教信仰に対して、本当に確信を持っていなければならない」と、かつてグレゴリアン大学で聖書学を学んだことのある、マラヤリ系カトリックの友人(参照:2008年7月2日・7月3日・2009年4月4日・10月21日付「ユーリの部屋」)が私に言ったことがあります。「でないと、相手の言い分に飲まれてしまうんだ」と。
今回、上記の広東系牧師の友人が送ってくれた複数の長文メールには、政治的主張を含むキリスト教神学の一派に対する疑義および信頼性の失墜が綴られていました。「あれは、聖書から語っていない。聖句を引用するにも、飾りとして、自分の都合の良いように使っているだけだ」と。それには同感しますが、その一方で私が気づいたのは、そもそも、出発点としては、それほど政治的ではなかったということです。現在、そのグループに関与しているキリスト教指導者にしても、その昔、執筆した博士論文などを読むと、若き日には福音主義的でオーソドックスな信仰を基盤としていたことがわかるからです。
では、どうしてこのようになったのか。私的な憶測に過ぎませんが、恐らくは、指導者として公の職に就いた時点で、海外の教会ネットワークとの関係維持や、当局との交渉に直面せざるを得ない立場に身を置くことになり、その意味で、何事にも、あからさまに対立的なやり方が得策ではないことに気づいたためではないだろうか、と思います。海外の教会会議で新たな方向性が打ち出されれば、それを国内に持ち帰って紹介する仕事も付加されますし、当局との対峙においては、ソフトな方法で人間関係を維持しながら、少しずつ主張を受け入れてもらえるよう、時間をかけていくという作戦です。問題は、そのことによって、現地キリスト教共同体内部での分裂を生み出した面もないわけではないという点でしょうか。
私自身に関して言うならば、繰り返される本件に対する全面的な解決のメドが立たないので、正直なところ、データ収集もうんざり飽き飽き、常に揺れ動く葛藤との闘い、という気分なのですが、それにも関わらず、もし何らかの意味があるとするならば、この作業経緯を通して、内なる対話、すなわち、当該テーマと自分との対話、自分と自分の間の対話が継続されているところに存するとは言えます。
政府系の正規ルートの仕事を通してマレーシアと関わる前から、もしも、聖書を読んでいなかったならば、教会に行ったこともなかったならば、観光もどきの楽しいマレーシア紹介ではうかがいしれなかったであろう、この種の問題が潜んでいることに気づくこともなかったはずなのです。換言すれば、私にとって、イスラーム圏における聖書とは、一体いかなる意味を持つのだろうか、ムスリムであれば圧倒的に有利で、社会的にも優遇される社会において、自由という名の「放任」の下に少数派のクリスチャンとして生きることの意義は、果たしてどこに求められるのだろうか、という極めて重要な問題を、常に考えざるを得ないよう迫られていると言えるわけです。
日本語にしてしまえば、至極単純な話とも言えなくはありません。また、そのことによって、こちらの頭の程度も推し量られてしまうという屈辱にも直面しなければなりません。ただし、日本や欧米のキリスト教の内輪話だけに生ぬるく安住していたら、決して知ることも考えることもなかったであろう、さまざまな観点が学べたのは、全体として捉えれば、一つの恵みでした。そして、長年、個人的にリサーチを助けてくれた、数知れない多くの方達とも、これがなければ交情を育む機会を逸していたであろうという点で、やはりそれだけのことはあったであろうと思います。