ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

復活祭とプリム祭と

今月は、学会発表前は片付いていたのに、いつの間にか、資料などが山積みになり、家計簿をつけるのも滞ってしまっています。記録をきちんとつけておくことや、資料を整理することも、自分の大切な仕事のうちだと認識しているので、これは早急に済ませなければなりません。「ユーリの部屋」がこまごまと書き続けられるのは、記録整理のおかげでもありますし。これができているのといないとのとでは、能率も心理的な落着きも全く違います。
風邪の方はずいぶん良くなりました。咳がまだ少し出るのが難ですが、花粉症でないことがこれで判明したので、気合が入ってきます。(I先生、同志になれず、ごめんなさい!)ただし、2月に大学病院で診断された症状が広がってきているので、こちらも要注意です。普段の生活には、まったく支障がないのが幸いですが。
さて、おとといは、日本聖書協会の聖書図書館から、依頼しておいた文献複写が届きました。スシロ先生の書かれた文章も入っています。それにしても、スシロ先生のご著書のおかげで、マレーシアのカトリック新聞『ヘラルド』も、マレーシア聖書協会のニュースレターも、マレー語聖書の歴史やインドネシア語との相違などの解説は、このところ大助かりです。マレーシアのキリスト教指導者層は、インドネシアやオーストラリアに足を向けて寝られないのではないでしょうか。
私の見るところ、今頃マレーシアがそんなことをしているようでは、本当は遅過ぎるのですが、1990年代のリサーチの苦労を思えば、かなりの前進だと喜んでいます。

ところで今日は復活祭。昨年のイスラエル旅行直後には、イエスの墓が本当はどこにあったのかの論議で『エルサレム・ポスト』などが騒いでいたのを、懐かしく思い出します。
それにしても、つくづく思うのは、ユダヤイスラエル人の寛大さです。キリスト教圏のヨーロッパ各国で、長年いわれなき差別を受け続けてきたのに、(それも、聖書の読み間違いからきた誤解によって!)イスラエル国内にキリスト教ゆかりの地を保存して、差別した相手であるクリスチャン達に巡礼まで許しているのですから。私の場合、聖書をよりよく理解したいという思いもさることながら、現代イスラエル社会事情やアラブ・イスラームとの関係が知りたかったので、必ずしも純粋な信心深い巡礼とは言えなかったと思うのに、それでもきちんと巡礼証明書をイスラエル観光省からいただきました。
それは外貨を落としてほしいからだろう、という下品な憶測は別として、やはり一つの豊かな叡智の表れであろうと思います。ちょうどプリム祭(参照:エステル記9:20-32)の頃でしたので、きれいにかわいらしく着飾った子ども達と出会いましたが、少年少女達は、外国人観光客に対しても、相当の振る舞いを見せていたのです。また、ホテルのレストランでは、夕食前にすれ違った初老の品のよいおばさまから、あれがイーディッシュ語なのでしょうか、癖の強いドイツ語で“Guten Appetite!”とにこやかに声をかけられました。思わず、“Danke schön, Danke schön! Für Sie auch!”と答えましたが、爽やかさと同時に、その歴史をかえりみて非常に感慨深く思いました。