ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレー語における神の名の問題

昨日は、9.11米国同時多発テロ事件の7周年ということでしたが、私自身は、ブリズベンのスシロ先生と、思いがけず、マレー語における神の名をめぐる議論で、メールを何度も交換して楽しく(?)過ごしました。もっとも、きっかけはABCラジオ放送の件なのですが、これまで、マレーシアに何度も来て、聖書翻訳の指導やとりまとめなど、大変な仕事をされてきた先生のご苦労がしのばれるようなやりとりでした。
インドネシア人としてオーストラリアに滞在されているのは、もちろん、お仕事上、アジア太平洋地域を飛び回るため、出身国のインドネシアから距離を置いて、オフィス本部がある安全で暮らしやすい地域に居住することが第一目的なのですが、先生ご一家は、西洋化したインドネシア人なのか、それともアジア人としてのアイデンティティを大事にされているのか、その辺りはどうなんだろうと思っていました。私にとっては、博士号を二つもお持ちで、英語も達者で、優秀だけれども穏やかで腰の低いインドネシア人の先生、という印象が強かったのですが、昨日の交信を考えると、もちろん、はっきりとはおっしゃらないものの、先生なりの深い悩みというのか、責任者としての大きなディレンマを感じさせられました。
「今の私は西洋文脈の中で暮らしているので、マレーシアやインドネシアイスラーム環境下で暮らしているクリスチャンの神の名の共有問題は、なかなか理解されにくい」というのが、先生の本心のようです。また、「マレーシアでも、英語や華語で教育を受けたクリスチャン達が、ムスリムと神の名を共有しないで済むなら、それは祝福だと考えている」とも。しかし、昨日も書いたように、先生ご自身は、‘Allah'を用いるジャワ語やインドネシア語で礼拝し、聖書を読むような、インドネシアキリスト教的環境で育ってきたので、国が違うとはいえ、オーストラリアやマレーシアでの、非マレー系クリスチャン達の反応や態度にも困っていらっしゃるようでした。
もちろん、この深いディレンマは、外部環境に置かれている私にも、よくわかります!そのためにここまで長年、神経をすり減らすようにして時間をかけてリサーチを続けてきたんですから。文献を用いて、頭の理解だけで済むなら、むしろ簡単です。平気で安楽椅子に腰掛けたまま、高みから幾らでも書けるし、論評さえできるでしょう。でも、私のとった方法はいささか違いました。少しでも地元感情に寄り添う努力をしつつ、しかし、外部者だからこその「客観性」「異なる観点」で記述分析を試み、何らかのお役に立てれば、というのが、そもそもの私の願いでした。問題は、それが実現できているかどうか、なのですが。
昨日は、私からも集めた資料をお送りすると約束し、マレーシアやインドネシアに関する『岩波 イスラーム辞典』の評判をお伝えし、ムスリム文脈も理解した上でのマレー語聖書翻訳問題である、と書き添えました。「ウィキペディアの‘Allah'の釈義説明は、バランスがとれていて、よく書けているんじゃないでしょうか」とも申し出たところ、「そうだ、あれはいい」と合意に至りました。
重要なのは、西洋人やマレーシアの英語系や華語系やタミル語系の一般クリスチャンがどう感じているかではありません。この人々は、ムスリムと神の名を共有するマレー語教会の礼拝が嫌ならば、他言語使用教会を選択できるからです。問題は、マレー語をもっぱら主要言語とするマレーシアのマレー系先住民族のクリスチャン達が、本当に、神の名に関して、言語上、ムスリムと共有したいと願っているかどうかという点です。決定権は、ここにあるのです。そして、前イスラーム時代からのアラビア語圏でのキリスト教的言語遺産を、遙か離れた東南アジアでも借用語の一部として大切に引き継ぐのかどうか、です。さらには、マレー当局の圧力に屈して、インドネシアなどマレー語圏内でのキリスト教的紐帯から分離することが、長期的に見て果たして賢明なのかどうか、です。ただし、聖書翻訳はまた別問題です。「神」「主」の両方を適切に使い分けなければならないのですから。
メール往復で論じ合っていたのは、このような内容でした。どうしてもスッキリおさまりきれない面があるので、結局はいつも同じ話が繰り返されるのですが、先生ご自身、ある程度は地域事情を知った上で、「宗教感情的にではなく、どちらかといえば学問的に」意見交換する相手が日本にもいるということを、とても喜んでくださいました。
私としても、この問題は非常にやっかいですが、少しでもよりよく理解しようと長年取り組んできたので、力が入ります。来週の学会発表とも一部重複するため、ちょうどよい時期に当たって幸いでした。