ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オーストラリアのABCラジオ放送

昨夕久しぶりに、オーストラリアはブリズベーン在住の聖書翻訳コーディネーターでいらっしゃるジャワ系インドネシア人スシロ先生から、メールが届きました。
ちょうど半年前に、「マレーシアの神の名問題で、オーストラリアのABCラジオリングア・フランカ』からインタビューを受けました」というご連絡をいただいていたので、その頃予定されていた学会発表でも、一重要証拠としてご披露できるかと思い、「書き起こし文書か記事になったものがあれば教えてください」と頼みました。けれども、不思議なことに、スシロ先生からは珍しく何のお返事もなかったので、(そういう不躾なことをしてはいけなかったのかなあ)と反省していたところでした。覚えていてくださってうれしかったですね。結局、マレーシア研究の盛んなオーストラリアのこと、3月頃はまだマレーシアで本件が安定していなかったので、挑発になってはいけないと考えたのか、あるいは、放送局内部での調整問題があったのかどうか、それは不明ですが、ようやく9月6日にオンエアされたのだそうです。そして、今日もオーストラリアの東部時間の3時45分に、再放送されるとのことでした。
短波でオーストラリアのラジオを聞くことはできますが、今の時代、何でもパソコンで可能です。早速、Podcastをメールで送ってくださるようお願いしました。すると、即座に「重いファイルですよ」と、返信がきました。主人が「うちのパソコンは大丈夫」と保証しているだけあって、何ら問題なく聴くことができました。総計14分30秒の短い番組でしたが、聞き手の女性が非常によく下調べされていて、過不足なく品よくまとまり、落ち着いたトーンの充実した放送だったと思います。
内容は、もう既にマレーシア研究会で発表を済ませ、一部は論文にしたものの重複で、特に新しいものではありませんでしたが、聴きながら、(スシロ先生も大変だなあ。問題が発生する度に、いつも同じ説明を何度も繰り返さなければならないから)と、かえって同情的になってしまいました。
ただ、一つ新情報だったのは、ジャワ語とインドネシア語で育ったスシロ先生が、英文学専攻だった大学生の頃のエピソードを披露されたことです。英英辞書で、「神」の項目を見ていたらは、「‘Allah'はイスラームの神」と説明されていたので、既にインドネシア人クリスチャンとして(確かお父様も牧師だったと思いますし、ご長男も技術関連の専門職を持ちつつ牧会修行中のようです)、‘Allah'を用いて礼拝し、聖書も読んでいたスシロ先生にとっては、(これは偏見だ)と感じられたのだそうです。
もっとも、辞書説明に関しても、10数年以上も前に、私自身、インドネシアやマレーシアや日本のマレー語辞書およびアメリカとイギリスの英英辞書でも調べてあり、マレーシアの言語出版局(Dewan Bahasa dan Pustaka)にも問い合わせて文書回答をいただき、これもマレーシア研究会で披露しましたので(1999年12月11日、第8回マレーシア研究会 於:北九州市)、これとて特に新発見ではないのですが、何よりおもしろいと感じられたのは、スシロ先生ご自身が学生時代の思い出として語られたからです。
早速、感想をメールでお送りしました。「1980年代以降、同じ説明を繰り返さなければならず、先生もお疲れでしょう。私が思うに、マレー当局の高官は、インドネシアアラビア語を用いる国々のクリスチャン達が‘Allah'を使ってきたことを知っているはずです。ただ、マレーシアの総人口の60%以下を占めるだけのマレー人の間で政治的凝集を作り出すために、あえて意図的に国内のクリスチャン達から、その語の使用を制約し続けてきたのだと考えます。恐らく、我々は、この問題でもう時間を浪費すべきではないでしょう。速やかに完全にこの件が解決するよう、心より希望しております。」
すると、スシロ先生も早速、「あなたの考えは正しい。だけど、英語辞書の定義は、マレー当局の意図を支持しているので、修正されなければなりません。それは、司会者の女性も合意していましたよ」と。私がおもしろいと感じたエピソードは、ご本人も力が入っていたのでしょうね。
ご参考までに付け加えますと、『岩波イスラーム辞典』(2001年)には、「アラビア語ではキリスト教の聖書における神もアッラーと呼ぶ」(p.28)と書いてあります。また、1994年7月28日にマラヤ大学書店で購入した“Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English”(4th Edition) Oxford University Press(1948/1963/1974/1989)には、‘name of God among Muslims and among Arabs of all faiths.'という説明です。対照的なのが、Longmanの “Dictionary of Contemporary English: The Living Dictionary”(New Edition, 1978/1987/1995/2003/2006)で、前者よりも新しい版のはずなのに、‘the Muslim name for God’とあることです。

いずれにしても、オーストラリアでは、国営放送でこの問題が論じられていることを知り、俄然、自分の問題意識に自信が出てきました!マレーシアの勉強を曲がりなりにも続けてきたおかげで、こうしてスシロ先生とも共通意識を確認できる上、昨日のブログで書いたように、シンガポール人の元開発局副所長さんとも、かなり率直に意見交換ができるようになったのですから。

昨日から今日にかけて、4冊の英語文献と2冊の日本語書籍を注文しました。「本ぐらい、思い切ってどんどん買えばいいじゃないか」と言ってくれる主人と、ゆっくり好きなように読書と勉強ができる今の環境を、改めてこの上なく幸せで恵まれたことと感謝しています。