ヨハネ受難曲とマタイ受難曲
昨日は、聖金曜日すなわち受難日ということで、マレーシアの思い出を綴ってみました。また、今日の英語版はてなブログ日記"Lily's Room"(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)には、マレーシアの英語新聞から、関連記事を複写掲載しておきました。ご関心のある方は、どうぞご覧ください。
私的には、昨年3月上旬のイスラエル旅行で、エルサレムの聖墳墓教会を訪問したことを想起したり、NHK教育テレビの「芸術劇場」でオランダ・バッハ協会の演奏する「ヨハネ受難曲」を鑑賞したりしました。昨日は、J.S.バッハの生誕記念日でもあったそうです。
「ヨハネ受難曲」そのものは、大阪・いずみホールで日本の演奏家によるものを堪能しました(参照:2007年8月6日付「ユーリの部屋」)。また、会場で「ヨハネ受難曲」のCDも買い求めました。ですから、先日の大阪のザ・シンフォニーホールでの「マタイ受難曲」との比較や類似なども、自然にできるかと思っていました(参照:2008年3月10日付「ユーリの部屋」)。
専門ではないので、あまりいい加減なことも書けませんが、オランダ人の指揮者ヨス・ファン・フェルトホーベン氏と大阪に来られたドイツ人指揮者ゲオルク・クリストフ・ビラー氏とでは、風格や指揮ぶりがかなり異なりました。バッハ当時の再現を試みるというのではないとされながらも、規模がバッハ時代に沿ったものであったことと、歌手がオランダ人中心だったため、ドイツ語発音がどこか曖昧で柔らかく聞こえたことがその理由ではないかと思います。その点、二週間ほど前に、ビラー氏指揮によるドイツ教会少年合唱団付の本格派発音の「マタイ受難曲」を生で鑑賞できたことは、非常に貴重な経験だったと改めて思います。
歌詞やメロディそのものの類似と相違については、マタイ福音書とヨハネ福音書を読み比べてみれば大凡見当がつきます。それにしても、福音書そのものは、読もうと思えばすぐに読めてしまう分量しかないのに、それを一時間から三時間以上に及ぶ感動的な合唱に仕立て上げたバッハという作曲家は、やはり偉大です。そして、その価値に目を留めたのは、フェリックス・メンデルスゾーンというユダヤ系改宗クリスチャンだったという点にも、歴史の不可思議さと人間精神の素晴らしさを思わせます。
ただし、ドイツ語キリスト教圏での長いユダヤ人迫害の歴史問題は、また別です。イスラエル建国と移住への大きな引き金の一つとなったこの問題は、非常に深刻で根深く、これがために、私にとっても、大手を振ってキリスト教がいいとは言い難くなりました。一方で、私も中学生の頃に「無言歌集」をピアノで練習して親しんだメンデルスゾーンの背景を少しでも知るために、趣味レベルであっても、ドイツ語を続けておいてやはりよかったと思っています。また、知り合いのイスラエル人の先生が、嫌な歴史を引きずっているからこそ、むしろ相手を理解するためにドイツ語を学ばれたことに、その強さを見る思いがします。
先日の聖書翻訳ワークショップでは、アムステルダムから来日されたオランダ人の教授がおっしゃっていました。「オランダでは、よくドイツ人についての冗談を言う。簡単なことも、わざわざ重い表現を使って難しく言うのがドイツ人だ、と」。その是非はともかくとして、その教授の聖書翻訳に関する講義が、通訳なしの英語で行われたものでありながら、ルター訳とブーバー訳の両方が聖書翻訳の一事例としてドイツ語で提示されていたので、やはりドイツ語を学ぶことの重要性は、強調するに越したことはないと思っています。
オランダでもドイツでも、ナチス時代に恐ろしく迫害されていたユダヤ人を、密かに匿ったり、抵抗運動に参加した少数派のクリスチャン達は、教会の教えに盲目的に従うのではく、聖書学の研究者やそれに連なる人々であったと、どこかで読んだことがあります。意味は多少ずれるかもしれませんが、似たようなことを、故前田護郎先生も書かれています(参照:2007年11月13日付「ユーリの部屋」)。すなわち、問題はあくまで人にあるのであり、聖書解釈も人にかかっているというわけです。
このようなことを、いろいろと思い出したりぼんやりと考えたりしながら、昨日の受難日を一人静かに過ごしました。