ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

サバ神学院の出版物

昨日、サバ神学院から今年出版されたばかりの論文集が、1冊届きました。
Bercambah dan Berbunga”(拙訳『芽が出て花咲く』)と題する厚さ2センチ以上の本です。「国際聖書フォーラム2007」の項でも書きましたが(「ユーリの部屋」2007年7月13日)、レセプションの時に「新しい本が出たよ」とスシロ先生から教えていただいた、聖書とキリスト教に関する論考の出版物です。もちろん、スシロ先生も共筆者の一人として「聖書における正義」と題する論文を書かれています。
マレーシアのこの種の本に限って言うならば、人との関わりを持つことで初めて、資料のありかや出版事情を教えてもらえるものであって、日本でのように、アマゾンや大学図書館のコンピュータ検索で調べる独立方式が、必ずしも通用するのではなさそうです。
サバ神学院のホームページには、必ずしもすぐに出版物が掲載されるわけではありませんので、こちらがいくらチェックしていたとしても、すぐにはわかりません。スシロ先生ですら、本の題名までご存じだったわけではありませんでした。なぜなら、私が直後にメールで尋ねた時、「私が聞かされているのは、今その本は半島(注:「クアラルンプール」の意味)で印刷中とのことです」のみだったからです。それを「いい加減」ととるのか「スローだね」と思うかは、人によるでしょう。正直なところ、私も1990年代半ばまでは、そう感じることがしばしばあったことを告白しなければなりません。ともかく、リサーチで「成果を出せ」と焦らされたところで、国境を超え、文化の異なる地域では、あまり意味がないどころか害悪ですらある、と思っているのは、そういう経緯からです。
日本のマレーシア研究者では、恐らく私が初めてこの本を手に入れたとは言えるでしょう。スシロ先生、ありがとうございます!それから、私の問い合わせに答え、発送手続きまでいろいろ労してくださった、サバ神学院の図書館司書であるTai Fui Fong牧師にもお礼を申し上げたいと思います。ところで、Ps. Taiと私が呼んでいるこの方は上海出身で、ご主人は客家人だとのことですが、2006年11月に訪問した時には、私には英語で、神学院の講師とはマレー語で話されていました。そのマレー語が、半島部で聞くものと違う印象を与えるので、ますます社会言語学的にも興味が募ってきます。

日本のある大学の神学部の教授は、マレーシアのイスラームキリスト教との関係、すなわちムスリムとクリスチャンの‘対立’問題について、「あれはクリスチャンに華人が多いからでしょ」と私の目前で簡単に結論づけて、話を進めていらっしゃいました。そういう時、自分がこれまでしてきたことが無視されたような、強い脱力感を覚えます。何のための「専門分野」なのか、どうして「フィールドワーク」が必要なのか、という基本中の基本が、職位職階の優先によって、まるで無意味にされているからです。「論文書いてないからだよ」とか「学位がないからね」などと言う人もいますが、書いていたって読んでもらえなかったですし(参考:「ユーリの部屋」2007年7月18日)、学位があったとしたら、今度は「いつどこで何歳で」と差違化されることぐらい、目に見えています。長年一人でフィールドを頑張ってやってきているのに、こちらを呼んでおいて目の前で勝手に結論を下すなんて、ちょっと失礼ではないでしょうか。
私のテーマに関して、マレーシア国内で80年代から問題になっているのは、マレー系先住民族イスラーム化とキリスト教化の相克です。当然、マレー政府は各種政策によって前者を推進したがりますし、実際そうしています。ところが、一般の通念として、マレー系先住民族は、マレー人とそれほど良好な関係ではなかったこともあり、マレー人とのアイデンティティ区別のためにも、改宗するなら、イスラームではなくキリスト教を選ぶ人々も多いようです。そこが政府にとって不都合なので、頻繁にマレー語やインドネシア語の聖書やキリスト教出版物、そしてCDやテープなどを没収したり発禁にしたりしているのです。
マレーシア国内ではムスリムになった方が社会経済的にも優遇されるのに、なぜクリスチャンであり続けるのか、なぜキリスト教に改宗する人々が増えているのかという問題は、重要な考察テーマの一つです。韓国やアメリカのキリスト教団体からの潤沢な資金援助があるから、とも聞いたことがありますが、もし本当に単にそれだけなら、いかにも先住民族の人々を馬鹿にした話です。お金につられての改宗だとしたら、いくら何でも倫理に反します。
イスラーム改宗後は、アラビア語の習得や断食(プアサ)の実践や食生活と服装の変化などの行為が伴わなければならないので、それが嫌なのだろうという話も聞きます。つまり、文化変容を好まないというのです。これは確かに考えられることです。キリスト教ならば、例えば、聖書も自分達のことばで翻訳作業が進められているし、イスラームに比べればかなり社会規制が緩いからです。
私が思うに、これは精神や魂の自由度とかかわっているのではないかということです。証明が難しく、論文で立証することはできません。ですが、半島部にあるマレーシア神学院(Seminari Theoloji Malaysia)でも聞いた話として、「キリスト教では祈りの応答があるけれど、イスラームにはない」というものがあります。これも実証不能なのですが、例えば、水不足や病気でとても困っていた時、宣教師から教えられたようにキリスト教式で祈ってみたら、本当に雨が急に降り出したとか、劇的に治って元気になったとか、そういう経験を通して、信仰を持つようになったというのです。決して、押しつけられたり強制されたり無理強いされて信じるのではなさそうです。家長が、本当かどうかまず試してみて、納得がいけば一家で改宗する、というパターンも聞きました。私がいう「精神や魂の自由度」とはこのような意味です。こういうことを書けば、すぐに反論が出てくるでしょう。ただ、選択の自由が保障されていることが、人にとっていかに大切か、ということは、マレーシアにいると身にしみて感じされられます。理屈ではなく、肌で感じるものなのです。

最後に、この著作の背景を、サバ神学院長の巻頭辞および巻末の執筆者紹介から探ってみましょう。
巻頭のことばでは、客家人の学院長Dr. Thu En Yuが、国際聖書フォーラムのレセプションに持参していった前書“Matang dan Sempurna”と同様、やはりマレー語使用について言及されています。このサバ神学院は、マレーシアで初めての、国語であるマレー語を用いて神学教育を行うキリスト教機関なのですが、その設立経緯で、サバ州のムフティ(法学裁定ファトワを出す法学者)との間で騒動があったようです。この土地はサバ客家人の所有だったのに、「キリスト教組織がマレー語を使うのは、マレー人やその他のムスリムキリスト教化するためである。クリスチャンは英語を使用すればいい」とムフティが言い立てたからです。実際には、サバ州サラワク州のクリスチャン達は、いわゆるブミプトラと範疇化されており、多くが学校教育や種族間でマレー語を用いているので、サバ神学院もマレー語で神学教育や牧師養成を行う決意をしたのです。もっとも、すべてのクリスチャンが、ムスリムに対するキリスト教宣教に無関心だとは言えませんが、大抵の人々は、自分達のためのマレー語使用を念頭に置いているわけです。ムスリムとの話し合いや政府当局との齟齬をどのように導き、解決したのか、経緯については詳しい内部資料を見なければわかりません。もっとも、周辺事情についてはおおよそ固めてあります。誰が資料を握っているかは教えてもらいましたが、時間をかけて慎重に、と思っています。

執筆者の背景は多様です。スシロ先生については既述のため省略させていただくとして、その他にもさまざまな経歴の方が多く、とても興味深いです。例えば、グジャラート地方出身でインドとアメリカで教育を受けた牧師博士、フランス語とドイツ語を母語とするチューリヒ出身の博士、サバ出身でインドネシアシンガポールで神学教育を受けたボルネオ福音教会(Sidang Injil Borneo, SIB)牧師、1967年からサバ在住で奥地の学校教育に従事し、シンガポールシドニーでも教育活動をしてきたオーストラリアのアングリカン系女性宣教師、1990年以降マラヤ大学で講師を務めた後、ノッティンガムの学院や大学で神学学位を取得された博士、ルーテル教会牧師でペラ州やパハン州のオランアスリに伝道している方、マレーシアの華人やカダザンドゥスンの牧師や講師などです。

ここで是非とも紹介させていただきたいのが、Dr. Olaf Schumannです。首都圏在住で、ケンブリッジ大学から博士号を授与された広東系クリスチャンのDr. Ng Kam Wengも、去年の11月下旬の面会時に「あの人はいい人だ」と評価されていました。私も以前、マレーシアにおけるムスリム・クリスチャン関係の彼の論文を読んだことがありますが、とても参考になりました。

ご経歴がまた多彩なのです。ドレスデン出身とのことですから、子ども時代に旧東独から移住したのでしょうか。キールテュービンゲンバーゼル大学でプロテスタント神学を学んだ後、カイロのアル・アズハル大学でもイスラームを勉強し、さらに南エジプトのアシウト大学でドイツ語を教え、ドイツ、スイス、オランダでインドネシア系教会に奉仕し、インドネシアなどアジア各地の高等神学校で講師をし、ハンブルク大学で1980年代に数年間講師をした後、ジャカルタで教え始め、東アフリカ、韓国、台湾、アメリカ合衆国でも説教したドイツ人博士(テュービンゲン大学)です。1988年以降、サバ神学院の講師を務められています。カダザン人の女性講師が「Olaf Schumann博士は、ここでイスラーム学を教え、どちらかといえばインドネシアに関心があってよく出かけている」と教えてくださいました。

去年の11月中旬にサバ神学院を訪問した際、彼の研究室の表札(?)を見て、一度お話させていただければと思ったのですが、あいにく不在とのことでした。共産圏では最も発展していたとされる、あの美しい街ドレスデンを去って、暑いイスラム圏の国々で奉仕したり教えたり研究したりされているとは、感嘆の思いです。何がきっかけでそういう道を歩まれたのか、またその根底に流れる思想は何なのか、うかがってみたい気がします。特に、学生時代、最も頻繁にドイツ語の手紙のやり取りをしていたのがドレスデンの女性でしたので、行ったこともない場所ですが、何となく懐かしく思うのです。そういえば彼女、今どうしているかなぁ…。

日本人のキリスト教神学者の中にも、アメリカの有名な神学大学で学位を授与された後、国内ではなく海外に居住して活動されている方がいます。外国でよく論文が引用されるのに、その割には日本でそれほど広く知られていないケースもあるという話を聞いています。例えば、大変失礼ながら、小山晃佑先生などが該当するかと思われますが、これは、どういうことなのでしょうか。マレーシアのプロテスタントカトリックの指導層レベルでも、「Kosuke Koyama論文をよく読んだ」などと会話の中で言及されるのに、日本の教会で私がそう言っても反応がほとんどなかったというのは、非常に残念です。

今日は、久しぶりに自分の研究テーマと密着した内容が書けて、気分がいいです。毎日こうだといいのですが…。