ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いつしか時は流れ....

内情に無知な故、勝手気儘で大変に失礼になることを予めお許しいただいた上で、昨日知ったことについて、少し書いてみたい。
驚いたが、しばらく前から徐々に少しずつご挨拶があったので、いつかはこの日が来るとは思っていたものの、まさか日本を去られるとまでは予想していなかった。ご決心と帰結には、いろいろと考えさせられた。
この10年間、さまざまなことがあったが、2007年3月に初のイスラエル旅行を契機に購読を始めた『みるとす』誌(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A4%DF%A4%EB%A4%C8%A4%B9)の編集者およびミルトス社(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DF%A5%EB%A5%C8%A5%B9)の設立者であられた河合一充氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%CF%B9%E7%B0%EC%BD%BC)、今月のペサハに合わせてアメリカへ移住されるのだという。
ここ数日書いてきた、日本の主流キリスト教の内部で起こってきたことの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170412)、いわば対極の思想潮流にある方だった。昔からノンポリの単なる保守中道に過ぎず、右翼にも新左翼にも属さない、単なる一読者、一購読者に過ぎない私は、結局のところ、一種のバランスを取る意味で、視野を広げるために、書籍の上で「いいとこ取り」をさせていただいてきたのだと思う。
元々、東大を出てアメリカの西海岸で博士号を授与された方であり、ご夫妻でアメリカ各地を回っていらした時期もあったので、イスラエルユダヤ文化、ヘブライ語によるユダヤ人中心の聖書解釈を日本に紹介する出版業と輸入業務の傍ら、米国の中東外交政策にも注目されているのだと思っていた。同時に、イスラエルの強力な国防や不撓不屈のユダヤ精神史を学ぶことによって、アメリカに任せきりの日本の防衛意識と日本人としての民族意識および歴史観に刺激を与える使命をお持ちなのかと思っていた。
ミルトスといえば「イスラエルのエージェント」だとの噂があり、その主体である「キリストの幕屋」については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170130)、1980年代頃より、キリスト教関係者にとっては「異端」だということで、あまり肯定的な話は聞いていなかった。ただ、私なりに読み物を拝見した限りでは、日本の土着文化に合わせた聖書の受容と解釈実践という意味で、個人的にはそれほど問題になるとも思えなかった。高度な西洋由来のキリスト教神学を研究しても、内部で妙な紛争を何十年も続けている教団よりは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)、遥かに一般の人々の心を慰め、支えとなり、むしろ健全ではないかとも感じていたのであった。
但し、独特の法被を来て、集団で歌いながらイスラエルを旅行する映像を見た時には、(多分、イスラエル国内でも目立つだろうなぁ)と思った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)。一種の新興宗教のようで、イスラエルのような独特の国には、ユダヤイスラエル人を応援したくて、世界各国から多種多様のおもしろいグループが集まるのだろうとも感じた。
ミルトス社の出版物については、リスト(http://myrtos.co.jp/bookslist.php)中の計18冊を、入手したり図書館で借りたりした上、『ヘブライ語聖書対訳シリーズ』をCD付で7冊ほど持っている。一時期、毎日の勉強日課に、朗々たる声調のCDを聴きながらヘブライ語の本を眺めていた時があった。そうでもしなければ、本来の私のテーマであるマレー語訳聖書のリサーチ研究上、底が浅くなると懸念したためだった。
河合先生とは、2013年3月に、広尾のユダヤ教団でのセデルの時に初めてお目にかかったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160423)、これが最初で最後となった。同じテーブルのお隣になり「こういう読者もいるんだな、と話をしていた。ダニエル・パイプスさんともつながっているんでしょう?どんな人かと思って」と、和やかな会話だった。
あの頃の私は、父を亡くした直後でもあり、パイプス訳文に没頭していたので(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)(http://ja.danielpipes.org/rev/year/all)(http://ja.danielpipes.org/spoken/)、河合先生の温かいご配慮が単純に嬉しかった。「ミルトス友の会」のカードも送られていたので、会員数をお尋ねしたところ、確か200名とおっしゃったと記憶するが、間違っているかもしれない。
「では、一度オフィスを伺ってもいいでしょうか」と奥様にもお尋ねしたら、「小さい会社ですけど、どうぞ」とのことだった。実は、当時のオフィスがあった靖国神社近くの九段櫻ビルの手前まで行ったのみで、畏れ多くて、結局は遠慮することにした。
今、出版リストの計136冊のタイトル一覧を改めて眺めてみると、確かに、日本の普通の読者層にとっては馴染みの薄い分野かもしれないが、1985年という日本の経済上昇期に、将来性を見込んで会社を立ち上げ、独自の貢献をされてきたことに感銘を受ける。日本のエネルギー政策と中東政策から、大学とマスコミ一般では、パレスチナ寄り、アラブ・ムスリム寄りの言説が優勢であった反面、小さなイスラエル国家とユダヤ人全般について、あまり知られていなかったり、誤解されたままであったことに対して、出版を通して是正を試みたことは、特に評価されるものと思う。
ちょうど6年前の今頃、そろそろ論文をまとめなければと思い、意を決して、半年間のみ、某キリスト教系大学へ聴講に行っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)。その関係上、人的側面から複雑な思いで教団紛争の余波を眺め、非常に落胆させられたが、当時、このブログにも河合先生は目を通してくださっていたようで、何かとご反応があったことが支えにもなっていた。
ただ、過去5年間にわたってパイプス訳文を進めて行き、会合出席や旅行同行を通して、パイプス先生の華やかな活動の周辺や内外事情の裏表を知るようになるにつれて、家族的経営のイメージのあるミルトス社は、多種多様で極めて複雑なイスラエルユダヤ事情の、正道ではあるが、ごく一部に角度を当てた紹介だということがわかってきた。なぜならば、他の大手出版社でも、イスラエルユダヤ文化に関する詳しい翻訳書などが出ているからである。
やはり、本当に理解を深めていくには国内外の大学との連携も必要で、その分野の研究者の層を厚くして広げなければ、限定的だろうと感じた。
また、キブツとの関連からなのか、あるいは、初期の国家成立時から長らく政権を握っていたからなのか、イスラエルでは労働党(左派)を、カトリックについてはフランシスコ教皇(リベラル派)を支持される一方で、日本では明らかに民族的で国家主義に近い右派の立場を取っていらしたことには、政治思想面で些か(あら?)と疑問には思っていた。普通は、国内で保守派なら国外でも保守層に共感するというように、一致するものだからである。
だが、ビジネスとハイテク面では、イスラエルと日本は相互交流の余地が大きいので、イスラエル製品の輸入、聖書関連での中東方面への旅行企画、エル・アル航空との事業もなさっていたようだった。安倍政権になってからは特に、各方面でイスラエルとの交流企画が増えつつあり、昔ほどの特殊な国という印象ではなくなってきたことは喜ばしい。
....と、過去10年の思い出を含めて、あれこれ思い巡らせていたところ、昨晩、こんなブログが偶然、目に留まった。一部を無断転載させていただく。

https://blogs.yahoo.co.jp/samtaneoutput/38974250.html


「旧友歴訪」
2013/12/7


29日、午前中は[ユーリ省略]さん、午後は河合一充さん、といずれも幕屋の友である。後者とは、経営難が続く「ミルトス」の再建策について長時間語り合った。だが、出版不況の中、キリスト教イスラエル、といずれも日本ではごく狭い分野だけに限られての事業だけに、いろいろ話したけど、打開策らしいのもは見当たらないまま終わらざるを得なかったのは残念だった。

(部分抜粋引用終)
2013年といえば、お目にかかった年だが、まさか「経営難が続」いていたとは、一読者ゆえ、知る余地もなかった。「再建策」を模索しても名案がなかったという記述にも、かなり意外な気がした。
みるとす』誌が途中で月刊から隔月刊になったこと、サイズが小さくなったこと、会社のオフィス移転も、結局はそのようなご事情と関連があったのだろうか。
今から振り返っても、最初の頃は、薄い冊子だが、こちらの知らなかった話が満載で、ぐいぐいと興味を惹かれたのだったが。
インターネットの普及と、紙媒体の「出版不況」下で、「日本ではごく狭い分野だけに限られての事業」だった事情を鑑みても、次世代に課せられた課題は大きいだろう。
思えば、初めてギル・シャハムさんのリサイタルに出掛けたのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070728)、『みるとす』誌に書いてあったからだった。
壁に掛かっているヘブライ語の飾り物も、ミルトス社から読者プレゼントとしていただいたものである。
ここ数年、部屋に立てかけてあるイスラエルのカレンダーは、ミルトス社から購入したものだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。
院生時代の副指導教官だった故白井成雄先生と晩年に思いがけず交流が芽生えたのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C7%F2%B0%E6%C0%AE%CD%BA)、『みるとす』誌が先生の訳書を書籍紹介されたからだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161026)。
ご学友だった廣淵升彦氏による(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160119)、三年ほど続いた『みるとす』誌のレギュラー執筆によって、一層視野が広がったことも忘れ難い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%D7%A2%CA%A5%BE%A3%C9%A7)。
このように、『みるとす』誌によって豊かにされた面は、思い起こせば数え切れない。
イスラエル・レストランをご紹介しますよ」とも言われていた気がするが、私が家に篭って自分の作業に熱中しているうちに、いつしか時は流れ、人も去って行かれたのかもしれない。