ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ルビン先生を失って絆を思う

地球温暖化が叫ばれていたものの、実は20年ほど前にその説は終わっており、地球は寒冷化に向かっていると言われています。映画『不都合な真実』を見た時の印象とまるで逆(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071014)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071016)。
真偽の程は確かではありませんが、昨日の立春は本当に冷え込みました。週末には、セーターを着て外を歩くと軽く汗ばむほど温かかった鹿児島と宮崎にいたので、大阪はやはり寒いと思います。(鹿児島・宮崎のお話はまた別途に。南国だからといって人々がのんびりしているのではなく、南国だからこそ、明るく元気に活発に人々が動いていて、必要を満たすに足る程、暮らしが潤っているという印象を受けました。)
混沌を極める中東情勢を厳しく見つめ、主流メディアと学界人の甘い観測を鋭く批判し、病状に苦しみながらも、最後まで歯に衣着せずに言論活動を続けて来られたバリー・ルビン先生がお亡くなりになり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140204)、同路線で頑張って来られた同い年のダニエル・パイプス先生も、既に後継者探しを始めているこの頃です。
私にとっても、子どもの頃からいつも責め立てられてきた自分だけが不足なのかと長年思い込んで、とにもかくにも必死だった暮らしの中で、この歳になって、父がいなくなってから判明した不可解な状況が改めて浮き彫りになり、ぎょっとするやら驚くやら...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。(なぜそんな対応をされるのだろう?落ち度がこちらにあるのだろうか?)と反省ばかりしてきたものの、結局のところ、(これは私のせいではない。非常識で世の中を知らない周囲に無理に合わせようとしてきたから、いつも何かと難しかったのだ)と、ようやく客観的に憑き物が落ちたように納得した一年。
それもこれも、中東情勢の分析を訳す上で、何でもかんでもアメリカやイスラエルのせいになったり、努力もせずに援助をせしめたりしている状況の理不尽さを学んだ結果でもあります。しかし、問題ゼロとは言わずとも、ユダヤ共同体が存在するところは大抵、栄えるのだそうです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130322)。理想主義と現実主義が見事に共存するユダヤ教の教えのお陰もありますし、長年の苦難の民の経験から来る叡智でもあると思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120318)。アメリカの繁栄も、ユダヤ系を温かく受け入れた移民政策と時代がマッチしたという側面もあるようです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130610)。その前向きで強靱な精神から自分も多大な恩恵を間接直接に受けてきたというのが、私のここ2年間の実感。
さて、昨日は久しぶりに再び大阪府立図書館からアブラハム・ラビノビッチ(著)滝川義人(訳)『ヨムキプール戦争全史』並木書房(2008年)を借りました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404)。英語原著は既に入手済みですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140125)、この本に「ダニエル・パイプス」先生の名が入っていたと過去ブログに書いてはみたものの、英語版には掲載されていなかったため、確認したいと思ってのことです。
確かにありました。次の通りです。

訳者あとがき
本書はアブラハム・ラビノビッチ著 The Yom Kippur War―the epic encounter that transformed the Middle Eastの全訳である。発刊以来多くの書評に取り上げられ、エドワード・ルトバック教授(CSIS―国際戦略研究センター)、ダニエル・パイプス教授(米合衆国平和研究所)など錚々たる専門家がヨムキプール戦史の決定版と評価した名著である。」(p.537)

(2014年2月6日付ユーリ後注:2008年出版の邦訳書であれば、ダニエル・パイプス先生の「米合衆国平和研究所」の所属は不正確です。2003年4月1日にブッシュ大統領から指名を受けましたが、その旨が公表された直後に、イスラーム主義の団体(CAIR)等が猛反対をし、キャロライン・ケネディ現駐日米国大使の叔父の故エドワード・ケネディ上院議員も一緒になって「パイプスの経歴は、相違に橋を架け、紛争予防に関与したことを反映していない」と反対するなど、しばらく騒ぎになりました。しかしながら実は、ムスリムの中にもパイプス先生のイスラームおよび中東に関する学識に賛同する人々が存在し(http://www.danielpipes.org/usip/e_07.php“Muslims' Letter of Endorsement”)(http://www.danielpipes.org/usip/e_11.php“Letter of EndorsementーAmerican Muslims of the Shia Tradition - 1st Statement”)(http://www.danielpipes.org/usip/e_13.php“Letter of EndorsementーAmerican Muslims of the Shia tradition - 2nd statement”)、各種のユダヤ系団体も熱心にパイプス先生を後押しすることによって、議会休会中の2003年8月22日に大統領任命がなされたそうです。また、結局のところ、この指名および任命は、計15名の理事の空席を埋めるための措置だったようで、他8名と共に任命されたとの由。就任後にイスラミストが理事に含まれていたことを知ったパイプス先生は、一期を務めたのみで続投を辞退する決心をなさいました。2005年1月までの任期です。従って、長期に及ぶ所属ではありません。納税者の連邦資金によって1984年に設立された米国平和研究所は、70名の研究者を有し、年に6回の理事会を開き、会合出席の日当は当時400ドルだったとのことです。本書の出版期ならば、正確には、パイプス先生が自ら設立した「中東フォーラム所長」という肩書きだと思われます。)
2007年3月に初めてイスラエルを旅行した直後に、エルサレムに関する理路整然とした論文をインターネットで見つけたことにより、ダニエル・パイプス先生のお名前を知ったのでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)。ぐいぐいと引き込まれてノートを取りながら読み(ノートには「2007年4月5日」の日付有)、このような思い切ったことの書ける人となりに興味を持ちました。
その時には、エドワード・サイードに「ネオコン」「オリエンタリスト」だと酷評されている学者であるが、ハーヴァード大学でロシア関連の教授でレーガン大統領のアドバイザーだった方のご子息で、ご本人もボストン・ケンブリッジ生まれのハーヴァード一筋の博士であり、アラビア語とドイツ語が読めて、フランス語を話せるイスラーム史と中東の専門家であること、ご自分の専門については勇気を持って堂々と誰とでも論争を挑むものの、人柄としては控えめで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)、本好きでもの凄い量を読み(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)、あまり自身を語らない、とも英語で読みました。また、テル・アヴィヴのイスラエル人は彼の意見に反対で、65%がロードマップを支持し、その中には58%のリク―ド党も含まれる、とのことでした。そのギャップがおもしろくて、ますます(どんな方なのだろう?)と関心を抱いたものの、所詮、ご経歴から雲泥の差の私とは無関係だろうと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120809)、遠く極東の小さな町にひっそりと暮らす一般読者としてのささやかな感想に留めておくつもりでした。
何度も重複するようで恐縮ですが、その5年後に、まさかご本人から直接ご連絡をいただけるようになるとは、全く想像だにせず...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)。しかも、「自分が書いたものを訳してほしい。日本語になるのを見たい」とまで依頼されるとは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120514)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120731)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)、青天の霹靂とはまさにこのこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)。それから今日に至るまでの2年間、時にはウェブサイトに転写する際の翻訳者権の手続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)や「日本史認識」の点でいささか齟齬があったり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)、1985年から86年にかけての三ヶ月の日本滞在期に遭遇されたという反米感情に対するマイナス・イメージ(「イスラエルに対する敵意の壁」や「日本人から感じたのは冷たさだ、僕が共和党だからね」)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)など以外、全般的に私達はまずまずの良好な関係だったとは言えます。何よりも、私自身が昔から気になっていた分野を、一つの依り所として学べる機会となったのは非常に幸運だったと思います。
今、そのノートを読み返してみると、当時は雲をつかむようだった点も明確になっていることがわかります。誰がどのような意図を心の底に隠し持ちながら、世論操作をするためにそのような言論を展開しているかも、組織の動向や来歴なども、徐々にではあったものの、今なら大凡つかめるようになってきました。
確かに、学究肌のパイプス先生は非常に気難しく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)、国内外を頻繁に飛び回ってメディア出演も積極的な割には内気で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120713)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130713)、私も変なところで喧嘩寸前まで行きそうになったこともありました。ただし、それもこれもご多忙だからということと、中東情勢が思うに任せない苛立ちからくるものだということ、しかも、この方面に関する日本の大学やメディアの世論形成の未熟さと、私自身の理解不充分さからくるものでもあるかと思うのです。
ルビン先生を失った今、一つの区切りとして過去のブログを読み返してみると、思いがけず降って湧いたようなパイプス先生との交流に関して、何度も何度も同じ内容を重ね塗りするかのように繰り返し綴っている自分を見出します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。それは私の頭が単調平板だからという以上に、むしろ、繰り返し円をぐるぐる描くかのような中東情勢とイスラーム動向のなせる業であるかとも思います。
そして、強烈な個性の持ち主であるパイプス先生とは、その独特の知性と粘り強い精神力とコントラストを併せ持つ複雑な性格とが相俟って(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)、私にとって忘れ難く得難い貴重な経験をさせていただいていると思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)。何はともあれ基本的には、独自の文章能力と勇敢さを心から尊敬しており、知り合いにならせていただいて感謝していることは事実。何とも不思議な関係ですが、お互いに心身の健康に留意して、できる限り長く仕事を続け、いつかは何とかお目にかかれたらと願っているところです。