再三、mugiさんブログの抜粋引用の続きを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151009)。
私も読んだ本の要約をブログで書ければいいのだが、如何せん、読みたい本が山積みで、要約している合間に次の本を読まねば、という状態。また、私が読む程度の本なら、既に誰かが書評を出しているだろうと思うので、何となく気が引けてしまう。ただ、専門家内部で終結するのみならず、即時性、検索性、再現性を伴いつつ、広く一般に情報を拡散するのがブログの存在意義だとすれば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110521)、やはり書くべきなのだろうか。
以下は、同じくバーナード・ルイス著『イスラム世界はなぜ没落したか?』(原題:What Went Wrong?)の要約から。
(http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/767fa67c460097230db536a2784599a8)
・女性解放主義を初めて訴えた知識人は、皮肉にも西洋に亡命した体験を持つナームク・ケマル(Namlk Kemal)だった。1867年、彼はパリで発行した新聞記事で、こう訴えた。
―我々の女性たちは今日、子供をつくる以外に人類の役に立っていないと考えられている。彼女たちは楽器や宝石の如く、単に享楽に奉仕する存在と見なされている。しかし、彼女たちが我々種族の半分、おそらくは半分以上を構成している。彼女たちが自らの努力で他を支え改善することを禁じるのは、公的協力の基本的原則を侵害するものであり、我々の国家社会は半身が麻痺した人間のようになってしまう……
・ケマルは1870年にトルコに帰国した後、著述家・活動家として活躍するが、女性問題よりも愛国主義と自由主義の方を優先事項とする。そして1899年、アラビア語による『女性の解放』という題名の書物が執筆された。著者はフランス留学の体験を持つエジプト人弁護士カースィム・アミーン(1863-1908)。この本でも女性を教育し、社会生活に関わり職業に就く道を与えることによって女性の境遇を引き上げる必要性を説いている。
・当然ながらアミーンの著書は“西洋かぶれ”として、伝統的支配層からは強い反発を受けたが、彼の書は読まれ続けたという。アラビア語からトルコ語・他言語に翻訳され、特に若い世代の女性にかなりの衝撃を与えた。彼女たちは文字を学ぶ中で、この書物を読んだ者もいた。オスマン朝末期には、女性のために女性によって書かれた雑誌が既に存在していたという。
(部分抜粋引用終)
余談だが、ムスリム世界の男女関係についての一考察は、ご参考までにこちらを(http://www.danielpipes.org/9637/male-female-relations)。随分前から訳してあり、推敲もしていたが、この夏のパソコン故障等による三ヶ月の休養で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)、すっかり止まってしまった。
続きを。
(http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e7ac3590bb35e054f7e2eb56d06dd040)
・「イスラム世界はなぜ没落したか?」(原題:What Went Wrong?)という問に、バーナード・ルイスの回答は極めて率直だ。「イスラム世界が高度な発展により唯我独尊状態になり、他文明から学ばなかったから」、というのが結論である。著者は最盛期のイスラム世界を称賛しつつも、近世、殊に現代のイスラム世界には厳しい言及を重ねる。
―兵器や工場、学校や議会など、数多くの救済措置が試みられたが、どれひとつとして望みどおりの成果をあげることは出来なかった…何世紀もの間、豊かで強力だった後だけに、今や弱く貧しくなってしまったと感じたり、自分にとって当然の権利だと考えるまでになっていた指導的地位を失うばかりか、西洋の追随者の地位にまで役割を貶められたりすることは、相当に不快だった…
追随するのも相当に不快ではあるが、後ろの方で足を引きずりながら歩くのは遥かに酷いものである。経済発展、雇用創出、識字能力、教育的・科学的業績、政治的自由、人権尊重など、近代世界で重要な全ての基準からいって、かつて一個の強大な文明であったものは確かに没落してしまったのである…
・著者は「日本の台頭は激励であると同時に叱咤でもあった」というが、イスラム世界は西洋の衝撃に苦しむ他の東洋文明圏とは違っていた。ヒンドゥー教徒、仏教徒、儒教徒にとって、キリスト教及びキリスト教国家は新しく未知のものであり、キリスト教国から来た人々や彼らがもたらしたものが、多かれ少なかれ有益だと見なされたのはそのためであった、と著者は述べている。
・ムスリムにはキリスト教及びキリスト教にまつわる全てのものは、既知の見慣れた、軽視の対象だった。真の啓示に基づく聖典を持つキリスト教とユダヤ教はイスラムの先輩であっても不完全で、恥ずべき指導者のために堕落しており、それ故最後の、そして完全なイスラムの啓示に取って代わられたと考えていたのだ。
・イスラム世界での鬱屈のはけ口は、常に他者への責任転嫁というかたちをとる。アラブ人は何世紀もの間、自分たちを支配してきたトルコ人に災難の責任を負わせ、トルコ人の方では自らの文明が沈滞したことや、トルコ民族の創造的エネルギーを捕え身動きできないようにしてしまったアラブの過去に重荷を負わせる。そしてペルシア人は古代の栄光が失われた責任を、アラブ人とトルコ人、モンゴル人に同等に負わせる。
・21世紀でもトルコ人、モンゴル人、欧州帝国主義者はもちろん、ユダヤ人、アメリカ人に対する非難競争は継続し、殆ど止む気配がない。暴政・失政を正当化するため、国民の怒りを外にある標的へ向けるのは東アジアの国々でも見られる現象だ。
・この著作の冒頭には監訳者による解説があり、見出しが「バーナード・ルイス―ネオコンの中東政策を支える歴史学者」となっている。奇妙なことに著者の論説を否定するかのような解説なのだ。アマゾンにも案の定、ogacho3なる者の「キリスト教原理主義者にしてモダン原理主義者の横暴」という的外れの書評があったが、ルイスはユダヤ系の人物なのが冒頭の解説にも載っている。ちなみにルイスは、イスラエルにも厳しい見解をしている。
・バーナード・ルイスの名を日本で有名にしたのは、“オリエンタリズム”を巡るエドワード・サイードとの論争だった。一般に日本ではサイードの方が知られており、メディアでも好意的扱い一辺倒だ。
・池内恵氏は著書『書物の運命』の中でルイスのこの著作を取り上げ、評価していたという。
・山形氏は記事中で、「サイードがイメージほどはアラブ世界ともパレスチナとも関係なく、アラビア語も大してできず、アラブ世界ではまったく相手にされておらず、アラブ中東をネタに欧米で英語でしか書かない人物」とも書いている。これが事実ならば、日本のメディアで称賛される知識人はやはり鵜呑みに出来ないとなろう。
・ルイスはイスラム世界の復活のためには、自己批判の必要性を説いており、自己憐憫と被害者根性、他者への責任転嫁姿勢が続けば、もう一度、外国による支配に行きつくことになるだろう、と警告する。
―かつては他の支配的な諸文明が存在したのであり、将来もまたきっと他の支配的な諸文明が台頭するだろう。西洋文明は先行した数多くの近代性を自らの内に組み込んでいる――つまり、かつて指導的地位にあった他の諸文明の貢献や影響によって豊かになっているのだ。そして、そんな西洋文明自体、今後やって来る他の諸文明に西洋の文化遺産を伝えることになるだろう。
(部分抜粋引用終)
ダニエル・パイプス先生がバーナード・ルイス教授を公私共に師と仰いでいらっしゃることは、既述の通り(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151009)。
ただし、ネオコンなどと悪口を言われていた時代もあったので、次の過去ブログも参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140306)。この話題は、海外ではしぶとく、最近でもまだ続いていることに留意(http://www.danielpipes.org/blog/16101)。
ルイス教授の上記邦訳書はもちろん10年ほど前に図書館で借りて読んだが、監訳の臼杵陽先生とは某大学の研究会で何度か同席したこともあったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130920)、当時は非常に緊張したものである。
パイプス先生とのつながりも、繰り返しになるが、実に人知を越えた奇しき業なのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140526)。
自宅にあるバーナード・ルイスの著書リストを以下に。既に書き込みもページの折り目も付箋もあちこちにあるが、私の要約は予定なし。
林武・山上元孝(訳)『アラブの歴史』みすず書房(1967年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100514)
Islam in History: Ideas, Men and Events in the Middle East(Library Press, 1973)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)
Semites and Anti-Semites: An Inquiry into Conflict and Prejudice (Norton, 1986)(2012年7月20日付https://twitter.com/ituna4011)(http://www.danielpipes.org/13262/)
The Middle East: 2000 Years of History from the Rise of Christianity to the Present Day(Weidenfeld & Nicolson, 1995)(2012年5月31日付https://twitter.com/ituna4011)
The End of Modern History in the Middle East (Hoover Institution Press Publication, 2011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)
Notes on a Century: Reflections of a Middle East Historian(Phoenix, 2013)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130715)