ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

広島の原爆記念日の雑感

広島原爆記念日
日本で平和教育が浸透しているのは充分首肯できるところであって、記念日ならずとも、日々心の片隅に破片のように突き刺さっている。ここ数年は、特に沖縄(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110323)、広島(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、長崎(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)を巡り、日本国内の各地を旅行して、見聞を広げてもいる。
日本の戦後の歩みは概ね誤ってはいなかったと思うが、一方で安住し過ぎた面も否めない。また、「反戦平和」を叫ぶだけでは非現実的。残念ながら、話し合いや対話の限界も経験してきた。
その一方で、突然の遭遇によって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、まさにその対極思想にあるかのようなダニエル・パイプス先生から依頼されて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、著述を日本語に訳す作業に没頭してきた。出身背景も専門分野もレベルも違い過ぎるはずなのに、案外に思いがけない接点が少なくないことに驚いたり、持ち味の鮮やかな分析ぶりと明確な戦略性に惹きつけられたりした。左派や親アラブ・イスラミスト派からのしつこい批判を踏まえつつも、ただ切って捨てるだけでは惜しいような(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130109)、過去の桁違いの勉強と勤勉性から多くの刺激を受け、同時に、自分が受けた一般の学校教育や環境の思想動向との間でバランスを取る難しさを痛感し続けてきた、この二年半以上だった。
本来の研究テーマや趣味などを脇に置いて、毎日のようにブログで書き続けてきたのは、何よりも貴重な出会いと交流経験だと思い、個人の内部に留めて置くにはもったいないと考えたからである。また、もし過去に彼に関して日本国内で何らかの陰謀の疑いや誤解などがあったとするならば、その回避を事前に試みたかったということ、併行して、自分の勉強や思考の整理をしていきたいと願ったためでもある。
やはり、彼の業績や仕事のポイントは、中東イスラーム研究もさることながら、それを踏まえ、それを超えて、イスラエル・アラブ紛争とイラクの戦後処理の失敗が招いている、昨今の混乱した中東情勢だろう。熱心なシオニストとしての徹底したイスラエル擁護の立場から、アラブ・ムスリムに対しては非常に厳しくはっきりした態度を貫き、大量の文筆活動およびメディア出演と国内外での広範な講演活動に従事されてきた。当然、多くの批判も浴びているが、逆に言えば、そのお陰で世間の注目を集めることとなり、組織立ち上げと二十年間の組織存続に結びついたのであろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)。
一方で、湾岸戦争の頃から中東専門家として脚光を浴び、イラク戦争前にはアフマド・チャラビやカナン・マキヤなどとの華やかな人的接触を持っていたのに、その亡命イラク人の言動に陰りが出てくるや否や、言及も引用もぴたりと止めている。この辺りを質問したことはまだ一度もない。ブッシュ政権アメリカやシオニストネオコンなどを批判するのは簡単だが、関係当事者の内面を探るのは、それほど容易ではない。ましてや、私のような一般人が、である。
実を言えば、この頃のハマスイスラエルの紛争によって、拙訳へのアクセス数が二倍に上がっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)。どのような読み方をされているか、誰がアクセスしているかは全くわからないが、とにかく統計上はぐんと注目されるようになった。随分前に訳して、その頃にはあまりアクセスがなかったのに、最近になってよくアクセスされるようになったものも少なくない。つまり、何かが起こる前に、先回って公表しておくことの大切さでもある。
しかし、その一方で、従来はお中元やら暑中見舞いやら、普通に交流していたやり取りがなくなってしまった。熱中できることがあるのは幸せなのだが、それほどにエネルギーも時間も消耗するのが、中東情勢なのである。
昨晩も、「いつも思うけれど、どうして私なんかに依頼が来たんだろう?イラク戦争の戦後処理がうまくいかなくなったから、9.11以降の煌びやかな注目度が落ちて、私みたいな普通の者に降りて来たのかしら?」「リベラル派のように反戦平和を唱えている方が、日本では受けがいいし、誰だって戦争なんかしないで平穏に暮らしていきたいけれど、現実がそうでないとするならば、誰かが引き受けなければならない。そこんとこを、どうやって一般に知らせていくか、ということで毎日訳しているんだけれど」と主人に言うと、「同じことを何度も繰り返すのは止めろ。それは、パイプス氏を低く見積もっていることになって、すごく失礼だ。自分ではそう思っていないかもしれないけど、聞きようによっては、自分を無能化している上に、相手も引きずり下ろしていることになるよ。メールの返信もきちんとするし、英語がちゃんと書けるし、内容をしっかり理解していると判断されたから、訳してほしいと頼まれたんだよ。そこを自分で否定していたら、相手の判断能力を低く見積もっていることになる」。「でも、もしそうならば、なぜ私が二十数年間も、一人でマレーシアのリサーチを続けなければならなかったの?指導する先生も一次資料もなくて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)、ここまで馬鹿みたいな扱い受けてきて....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140305)」。「だから、そういう低い環境を相手にするなって。今でもずっと、テレビやラジオに呼ばれて話し続けることができる人なら、日本なんか相手にならないよ。そういう場にいたから、わかってくれる人がいなくて、大変だったんでしょう?」と主人。

確かに、パイプス訳文に取りかかった直後に驚いたのは、(全然、反イスラームじゃない!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528))(イラク戦争について、ネオコン人脈とはここまで違っていたんだ!)ということ。理屈っぽいけれども、筋が通っていて、昔の論考文や著書は記述の水準が高い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)。相当の情報や資料を読みこなした上で、一文で言い切っているところに圧倒された。また、私とのやり取りでも、多忙な中、いつでも実直でストレートかつ簡潔で無駄のない表現をされる上、別の角度から何度か日を改めて問い直しても、ほぼ一貫した同じ返答が返ってくる点でも、信頼できる。そして、応えたくないこと、口外してはならないことは、固く守っていることもよくわかる。トルコやイラクに関する認識の失敗や間違いも、慎重ながらも真っ直ぐに認めている面がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)(http://www.danielpipes.org/14482/)。
そこから考えると、ご自分が真っ当に理解されていないことに対して、相当の苛立ちや不満がたまっているのではないかと思われて、かえって不憫な気もしたぐらいである。
広島原爆の日に寄せて、こんなことを考えている。
もう一点付け加えるならば、イスラエルユダヤ共同体では、8月4日から5日まで、神殿崩壊を想起する日だった。紀元70年の第二神殿崩壊後、世界中に散らばって生き抜いてきた人々が、今もそのことを覚えて祈っているのだ。河合一充先生のご説明では(http://kawaikazu.blog73.fc2.com/blog-entry-2422.html)、「この日付には、第1神殿、第2神殿、1290年英国から追放、1492年スペインから追放、1914年第1次世界大戦勃発、1942年ワルシャワゲットー蜂起、等」と関連づけられているそうだ。それを思えば、なぜあのような戦略を取るかが、よくわかる。
最後に、たまたま目に留まったブログから部分引用を。

http://mediamarker.net/u/personalmileageclub/?asin=4198619379
◆《ロシア軍事思想における「核抑止の不在」と「核戦争の存在」は、文献においても明らかである。私は永年ロシア側の軍事文献を数多くチェックしてきたが、西側の専門家による、それらをわかり易くまとめた、日本の外交と国防にたずさわる者すべてが読むべき基礎的な文献として次の二つを紹介しておこう。
 1 Richard Pipes, "Why the Soviet Union thinks it could fight and win a nuclear war", Commentary, July 1977.
(中略)
私事であるが、リチャード・パイプス教授の、世界的に話題をよんだ、この著名な論文を邦訳出版しておかなかったことを後悔している。

末尾の一文で目が覚めた。普段、私の周辺で見聞してきた子どもだましのような平和論の危うさが、どの程度のものかわかる。だからこそ、そのご子息のダニエル先生の訳文作業だって、我ながら恐れおののいているのは、故なきことでもないのだ。
「パピ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140718)ことリチャード・パイプス先生は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121003)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130207)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130814)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130911)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Richard+Pipes%22)、今年91歳。早いうちにお目にかかれる機を持たなければ、と実は焦ってもいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140804)。でも、相当の準備をしなければならない。
そういうわけで、アメリカで調べた研究資料の複写も大量にあるが、今年は、学会発表や学会出席を見送ることに決めた。