ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

故パトリック・シールについて

…少し考えてみたい。実はかなり前から、お名前を存じ上げていたが、著作を手元に置いていない、というより、読んでいない。

これまでに掲載されたパイプス訳文(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9%CC%F5%CA%B8)から、彼がどのような思想なのか、片鱗がうかがえる。

http://www.danielpipes.org/11399/ (1991年12月『中央公論』掲載)
「もう一つはパトリック・シールの著によるものである。シールの方がアサド自身やシリアについて多くの新しい情報を含んでいるが、全体的に弁解がましい調子になっており、その信憑性が損なわれている。」

http://www.danielpipes.org/12310/
「シリア: ハフェズ・アル・アサド大統領は、1985年3月に「大イスラエルの樹立を防止するために」結集するようアラブ人達に呼びかけた。シリア政権の西洋における指導的な護教家パトリック・シールによれば、アサドは本当に、この拡張が長期のイスラエルの目標だと信じている。」

http://www.danielpipes.org/13807/
「紛争フォーラムは、ジャーナリストのパトリック・シールに称されたのだが、イスラミストのテロリズムの恐ろしさを減少する、個人外交という楽しげな形式に従事する『影響を受けない外交官や諜報官僚達の倶楽部』である。」

http://www.danielpipes.org/14440/
「おもしろいことに、(他の書物の中で)パトリック・シール自讃的広告であるハフェズ・アル・アサドの伝記を予期しつつ、暴君的なオスマンのスルタンであるアブドゥル・ハミド二世の伝記をアイヴィウッドが『進歩的君主』シリーズ用に書いたと、我々は知る。」

つまるところ、「信憑性が損なわれ」るほど「全体的に弁解がましい調子」でハフェズ・アル・アサドの「自讃的広告」を書く「指導的な護教家」で「外交官や諜報官僚達の倶楽部」を知っている著述家ということなのだ。

では、日本の中東専門家が、彼をどのように描写しているか見てみよう。と思ったら、都合良く、超多忙のはずの池内恵氏が、何とも暇そうな長文のブログ(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-111.html)(ユーリ後注:2015年6月初旬より、新たなアドレスに移行(http://ikeuchisatoshi.com/i-1111/))を書いていらした。

「ここまでは基礎編。

上級編は?

よく知られた「あのこと」はどこに書いてあるんだろう。

「あのこと」というのは、奥さんと娘さんのこと。」

(ユーリのコメント)しかし、以下が「上級編」だとすれば、私も無意識のうちに「上級編」をなぞっている毎日。だが、(私でさえ知っているならば、世の中の人達はもっとご存じでしょうねぇ)と思うので、書かないことが多い。「デリラ」という名前も、19歳の頃から耳に馴染んでいた。「怪力サムソン」。だから、伏せておく。
でも、池内恵氏の場合は、学歴もピカピカで知的係累にも恵まれていらっしゃるから、あえて書けるんでしょうねぇ。じゃぁ、私みたいなのは、どうすればいいんでしょうか?
どうやら、ブログに無料で提供する程度の情報は、たかが知れたレベルであって、金銭に換算される(つまり原稿料を受け取れる)貴重な情報は、インターネットで無料公開しないのだそうだ。当たり前じゃないか、と思うが.....

「私生活について、上品なガーディアンやビジネス誌フィナンシャル・タイムズでは書かないにしてもよそではどうなっているんだろう。もうちょっと大衆的な(純然大衆紙ではないですけれども)テレグラフを見ると、、、書いてありましたよ。控えめですけれども。」

「さらっと書いてるけれども、かなりの悲劇を私生活で体験してきた人だということは分かりますね。1971年にラモーナ・ヒースと結婚したけれども、彼女は7年後に自殺した。息子一人、娘一人を残して。娘の方は、実際には小説家のマーティン・エイミスが父だった。シールはそのことを娘が18歳の時に告げた。」
「ものすごく端折っているので、なんだかすごいひどいことが行われたという印象をかえって強く受けるような文章ですね。」
「しかも、娘の名前が「デリラ」・・・・
娘にそんな名前つけるかあ?」

「母は1971年にパトリック・シールと結婚したんだけど、7年後の1978年に母は自殺して、実はデリラちゃんはシールとの間の子供ではない?相手はマーチン・エイミスとかいう作家?」
「デリラさんが二歳の時に母は首を吊った・・・それだけで怖いですが、勇気を振り絞って先を読んでみましょう。彼女はこの時まだ2歳。」

「パトリックさんは優しいけれども、複雑で、かなり残酷な一面があるんじゃないかな。」
「中東専門家として世界中の学生に知られているシールさんですが、イギリスでは、奥さんが有名な作家とあんなことがあってこんなことがあった人なんだよ、と常に語られてしまう人でもあったんですね。」

「なお、パトリック・シールは再婚して、そして離婚しているのだが、その相手の名前を見ると中東研究者にはピンとくる。」
「シールの次の奥さんは、調べてみるとやはり、ニザール・カッバーニーという、シリアの近代史上最大の詩人の姪のようです。」
「かつてのイギリスの中東専門家というのは、イギリスの上流・エリート社会の文化に根差していた。もちろんすごい主流というよりは、ちょっと脇の方の『影』の方なんだけれども。それでも社会の注目を集める人士であることは確かだ。彼らは植民地支配や世界大戦を背景に中東に渡って経験を積み、現地の上流・エリート階級と交じり合った。欧米の植民地的な中東への進出は、双方の上流階級を結合させることで、現地の民族が国家として独立した後も、影響力を保っているのです。シールさんは元の奥さんとの関係を通じて、シリアの上流階級の一部でもあるわけです。そういうところから、アサド家への排他的なアクセスも得られて、誰にも書けない本を書ける根拠になる。」

「日本で大学のアラビア語クラスで必死に単語や活用憶えて、ひげ生やしてアラブ人風にしてみて、、、などというやり方では到底敵わない世界ですね。」
「でもまあ、中東と関係の薄い日本から中東を見ているのは、息苦しくなくていいんですけど、個人的には。」

(ユーリのコメント)読者をどの辺りに想定されているのか、よくわからない文章なのだが、この程度ならば、私の場合、今では棚に一列に並べてあるコクヨの小さなノート40冊ほどに、既にまとめてある。しかも手書き。ブログに公表したものは、ちゃんと印鑑も押してある。日付入り。
・ダニエル・パイプス先生の場合も、アメリ東海岸のエリート層の中東学者ということで、まずはピンときて、念のため、密かに個人情報を調べ上げた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。つまり、「上級編」の「あのこと」だ。だって、よりによって、なぜ私みたいな平凡な一般日本人で、アメリカのこともよく知らず、中東の非専門家に、突然、面識もないのに訳文なんて頼んでこられたんでしょうか?それに、日本でも悪口中傷合戦がひどかったので…。
・調査結果としては、身を守ることには用心深いけれど、基本的には真っ直ぐで素直な、はにかみ屋だということがわかった。世界中、テレビやラジオに出演して、あちこち講演旅行をして回っている割には、内向的で神経質で、本ばかり読んで書きまくっていて、若い頃(と言っても数年ほど前まで)は、気に入らないことがあると誰とでもすぐ口論して、別れてしまうことが多かったらしい。全体として、活動範囲の割に、あまり人と深く付き合ったことがなさそうな印象を受けた。
・お目付役の証拠に、二番目のお嬢さんも連れて来た(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)。彼女ったら、私がサインをいただくために持参した1983年のお父さんの写真入りの本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)を見て、「すごく若い!」と叫んでいた。「姉が生まれる前のことよね?」と。家庭内でいろいろあったとはいえ、隠し事なく、何でもよく知っているのだ。歳の割に、仕事も住む場所も、ちょっと落ち着きのない感じの子だけど、お父さんの前では、「はい、はい」と聞き分けのよい可愛い娘さん。だから、お父さんからも、無事に記念会合が終了した後、ぎゅっと抱きしめられていたのだった。
「我々の大統領(オバマ)は、エルドアンとハグまでしたが、“Don’t’ do that!”」と、2012年3月下旬の会合で、怖い顔で発言して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130911)、思わず会場から笑いと拍手を誘っていたパイプス先生が、私の目の前で娘さんとは…そういう方なのね、と、何だか安心した次第。

…さて、話を元に戻すと、上記の池内恵氏のブログ宛に、珍しくコメントがついた。

「パトリック・シールは『アブ・ニダルはイスラエルのスパイである』という説を唱えていた人でした。
眉につばつけて読んだ覚えがあります。
またヒンダウィ事件も、イスラエルの謀略との見解を取っていたように記憶しています。
池内様は上記の見方についてどうお考えでしょうか。アサドの評伝などのおかげで、評価は欧米でも高いようですが、『謀略史観』に囚われていたと私個人は考えていました。 」

このコメント氏、相当に筋の良い方だとお見受けした。はい、その通りなんです。でも、肝心のお返事が池内氏からありません。どうしたのでしょうか。
コメント氏を裏付けるかのように、昨日提出したばかりのパイプス訳文をどうぞ(http://www.danielpipes.org/14470/)。
お父様のリチャード先生の見識の確かさと、息子さんのダニエル先生の勤勉かつ手堅く戦略的なお仕事に私が信頼を置くのは、出自は全く異なるにも関わらず、基本的に気質や思想路線が合うからなんでしょうねぇ。中東ならばイスラエル、アジアならば日本、という地政学的な着目点を設定し、歴史軸をしっかり据えて、そこに共時学的な視点で細かく観察を継続していく。記録を並べると、一つの分析ができる。それをこまめに文章化してつなげていく作業の繰り返しで、主張を組み立てていく手法のようです。
訳文提出直後に送信した、6月12日付の私のメール。

「パトリック・シールは今年の4月11日に83歳で逝去しました。
彼のお父様は、アラブ世界向けのキリスト教宣教師でした。それで、彼の生い立ちのために、シリアの資格ある専門家になると思われていました。
でも、彼の私生活は、ドラマティックでトラウマティックだったようです。彼は後にシリア人女性と結婚したので、他の誰にもできないことを書くべきでした。でも、彼は書くべきだったことを書きませんでした。
英国や合衆国の中東専門家達は、上流階級か中上流階級出身者だというのは、本当でしたか?彼らはなぜ、当該地域を夢想化したのでしょうか?」

日本時間の6月13日になってからいただいたお返事。

「よい質問だ。ロバート・カプランが『アラビスト:アメリカ人エリートのロマンス』(僕が書評したもの(http://www.danielpipes.org/13352/))で示したように、これはほぼ二世紀前に遡るけど、今では枯渇しつつある」。

それに対する私の返信。

「はい、その本は昨年読みましたし、書評も日本語に訳しました。
ですから、新鮮な洞察として、鋭く、時には皮肉っぽい書評が私に訴えたのです。私にとって、自分の視野を広げ、深めるには、常によい入り口です。非常に刺激的で興味深いのです、実に」。


「さらにお尋ねしたいことが一つあります。分析は一貫して戦略的に諸原則に密着していて、とても明快で説得力があります。でも、先生の議論は、我田引水的あるいは一方的だという一種の批判を受けられませんか?」


「アラブ世界向けのキリスト教宣教師達は、当該地域を夢想化しました。中国向けの同僚もまた、宣教地を夢想化しました。でも、日本向けの同僚達は、一度も夢想化しませんでした。むしろ、大半は批判し、日本を変えようとさえしました。同様に、西洋の主流派キリスト教の諸教派は、今では神学的にイスラエルを批判することに傾いています。
どうしてでしょうか?」

そして同じく6月13日早朝に届いたお返事。

「力を組織化するために諸原則を見つけることは、若い人がしなければならないことだと、僕は信じている。その後、人生を通して、諸原則を修正して適応させるんだ。大学で政治思想を勉強して、自分の結論を引き出した。今では、それを応用しているだけなんだよ」。


「西洋人達が中国を夢想化したけど、日本はしなかったって本当か?僕が自分のリサーチから思い出すのは、多くの第二次世界大戦前の夢想だ。まず思い浮かぶのは、ロティのお菊さんマダムだね」。


「彼らは、負け犬という弱い側だと見なされた方を取るんだ。(http://www.danielpipes.org/6257/arabs-israelis-and-underdogs)を見てご覧」。

(ユーリ後注:「お菊さんマダム」については(http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/pdf/nogamitoyoichiro.pdf)が興味深い。(2015年5月23日記))

そこで本日6月13日付午後の私の返信。

「どうもありがとうございます。
私の世代の日本の普通の教育では、哲学や思想学派の体系化された知識を与えられませんでしたので、他の人の話を聞いたり、古典を読んだり、社会現象を観察したりして、専ら自分自身で考えなければなりませんでした。時間はかかりますが、経験に基づく発見や証拠のみが、諸原則が正しかったかどうかを保証し、テストできるのです」。


>「西洋人達が、日本ではなく中国を夢想化したって?」
私はそう思います。例えば、『大地』(1931年)の著者だった中国向け長老派宣教師のパール・バックがそうです。


「『西洋人』と『西洋のキリスト教宣教師』を区別する必要がありますし、私は後者について話していました。彼らは、近代科学、医療、教育、高い倫理を日本にもたらしました。私共は感謝して、吸収しました。でも、我々の伝統や知恵を変える彼らの本当の動機に気づくとすぐに、丁重に彼らから距離を保ちます」。
「ロティは、フランスのプロテスタント家庭に生まれました。彼は、キリスト教宣教師ではなく、軍人でした。私は全く彼の作品を読んでいません」。
「むしろ、ポール・クローデル(1868−1955)をお勧めしたいですね。彼もまた宣教師ではありませんでしたが、伝統の本質から日本人を観察しました」。


「(イスラエル批判の神学をするキリスト教主流派が負け犬側を取ること)それが実は、私が意味したものでした。中国や韓国で働いた宣教師達は、日本に対して批判的な傾向があります」。

実は、6月10日に、私はこんな感慨を送っていたのだった。

>「僕達がそんなにたくさん一致することが嬉しいよ」。

「はい、こちらもです。
ちょうど、4月10日にいただいた1983年のご著書のサインを見ていたところです。
とても素晴らしい思い出でした。海外読者にとって、最も賞賛し尊敬する著者にお会いして、自筆サインをいただけるなんて、めったにあることではありません。今でさえ、私は、二ヶ月前にニューヨーク市で二度も本当にお目にかかったなんて、信じられません」。