ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

社会の分断化工作

今朝届いたメーリングリストから。過去引用は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141022)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160330)。

国際派日本人の情報ファイル
「テレビは伝えない:日本社会の分断化」
No.2532  H28.04.06


・登場する「街の声」も、安堵するものより「不満」を述べる人の登場が多い世間の「分断化」を促進している。馬淵元ウクライナ大使によると、これらの報道は「政治工作」の一種になるらしい。


・おそらく日本共産党」の隠密ネットワークに指示が出たのだろう。


・マスコミは伝えない。「日本共産党破防法調査対閣議決定


<<政府は3月22日の閣議で、日本共産党に関し「警察庁としては『暴力革命の方針』に変化はないと認識している」との答弁書を決定した。同党が現在も破壊活動防止法の調査対象団体だとし、「日本共産党が(合法化した)1945年以降、国内で暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」とも記した。鈴木貴子衆院議員(無所属)の質問主意書に答えた。>>(毎日新聞


・部分転載:「変見自在」高山正之 週刊新潮二〇〇四年七月二十九日号より
明治維新は上からの改革でフランス革命みたいな下からの革命ではない」と学校で教えている。


○下等な日本に近代的な市民革命などあるはずがないと、、
欧米の学者が主張し、頭の悪い藤原彰一橋大教授などが何も考えずにそう教科書に書いたから、日本人はみなそんなものかなあと思い込んできた。しかし、それは正しくない。維新政府の中核は伊藤博文がそうだったように足軽郷士で占められ、彼らは実権を握ると武士を悉くクビにし、彼らの権威の象徴だった日本中の城を取り壊せと命じた


○少なくとも鎌倉時代からこっち、、、
軍人と行政官と知識階級を兼ねてきた武士は足軽たちに支配階級のポストを奪われ、失業した。武士は慣れぬ養蚕をやったり、商人の真似ごとをしたり、武士の商法と笑われながら愚痴の一つもこぼさず新しい時代に何とか適応しようとした


○そんな商売の中でただ一つ、結構うまくいったものがあった。
新聞だ。幕臣だった前島密は「郵便報知」を出し、徳川の藩校からは「海外新聞」が、福沢諭吉も少し遅れて「時事新報」を発刊した。諭吉も前島も海外にまで広げた見聞を背景に、紙上で政治や外交を論じた。華夷秩序にこだわり近代化の意味も分からぬ支那や朝鮮に特別の会釈はいらぬ」と論じた諭吉の脱亜論などはその好例だろう。


○その新聞に論じられる明治政府はというと、、、
足軽の出自ゆえに教養も見聞も幕藩知識人で構成する新聞にはかなり劣った。ちなみに他所(よそ)の国にはそういう新聞優位の歴史はなかった


○政府より新聞の方が出来も育ちもいいという逆転した関係は、、、
その後の日本の新聞編集者に妙な刷り込みを与えた。時の権力者の愚かさを笑い、見下すのが正しい新開の役割だと。時が移り、新聞記者が武士でなくなってもこの刷り込みは生き続け、宰相と見ればただ見下し批判するのが記者の本分で、辞任に追い込めば上出来と信じられた。
(終)   


・「美しい言葉に、だまされないこと」:馬淵睦夫元ウクライナ大使。
男女共同参画など、こんな日本語はありません。無理して作ったのだろう」。「男女共同参画」という用語を作ったのは東大教授の大沢真理さん。先の民主党共産党の大会で講演をしていた。「男女平等」では成立が難しいと踏んでいた。


・「日本を侵略から守るには良き道義を取り戻すことだ」。「ヘイトスピーチ抑制法案は分断する政治工作」。「国が亡ぶのは、軍事侵攻の前に内部崩壊がある」等。

(部分抜粋引用終)
ちょうど二年前の今頃は、一人でニューヨーク市に向かっていたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140506)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)。今から考えても、公私ともに絶好のタイミングだった。あの催しへのご招待がなければ、恐らく、(初めての)イェール大学(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)にも(二度目の)ハートフォード神学校(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)にも、資料閲覧のために向かう機会がなかったであろう。しかも、図書館利用の巡り合わせにしても、取り次いでくださった方が今は米国外にいらっしゃるので、あの時を逃したら次はなかったことが判明している。何もかもお誂えのようにうまく運んだのだった。
(1)突然の出逢い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)の後の文通を経て、2012年3月下旬から開始することになったパイプス訳文(http://www.danielpipes.org/languages/25)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。その後、丸2年間没頭しつつ、勉強記録と私なりの思考変遷を本ブログで綴ってきた。同時並行して、1990年代初頭からの大量のビデオ録画とラジオ録音のほぼ全部を視聴し(http://www.danielpipes.org/spoken/)、ご著書の大半を読破し(http://www.danielpipes.org/books.php)、お父様(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Richard+Pipes%22)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160317)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160327)とお仲間学者のご著書(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140306)も極力入手して読み、お仲間活動家の動向と経歴も学ぶこととなった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150525)。
(2)最初は、日本でのパイプス評判が概ね否定的だったので、おっかなびっくり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)。しかも、中東はイスラエル以外、知らないことが殆どだったので、訳業も立ち上げが困難だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)。アメリカの外交政策や政治動向やメディア事情についても、まるで無知同然だったので、新鮮だった反面、毎度少しずつ学んでは、何事も小さなメモ帳(今は60冊以上)に記入して本棚に並べ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150108)、必要な画像やインターネット情報は、紙に印刷したりカメラに写したり自宅のビデオに録画したりして、ファイルを積み上げていった。
(3)従来から関心があっても混沌として複雑だった中東イスラーム問題、反ユダヤ主義問題(http://www.danielpipes.org/11417/)(http://www.danielpipes.org/12199/)(http://www.danielpipes.org/12503/)(http://www.danielpipes.org/12508/)(http://www.danielpipes.org/13262/)(http://www.danielpipes.org/13806/)(http://www.danielpipes.org/13808/)(http://www.danielpipes.org/14511/)(http://www.danielpipes.org/14862/)(http://www.danielpipes.org/14924/)、パレスチナイスラエル紛争、米国の外交政策や世界史観やイデオロギー問題の各種について、一つの立場に具体的に深く触れることによって、視野が広がり複層的になり、非常に勉強になった。この作業なしには、従来から細々と続けてきたマレーシアのリサーチも堂々巡りを繰り返し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160118)、さらに行き詰まっていたことであろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150820)。
(4)2014年4月の中東フォーラム二十周年記念の後(http://www.danielpipes.org/14028/)(http://www.danielpipes.org/14015/)、スタッフにも交代があり、期待の共和党大統領候補も今やご覧の通り。2001年の9.11事件から2003年のイラク戦争後、アメリカが徐々に内部から変化したのかもしれないが、日本も含めて、世界のマスコミの無責任な報道(ネオコンhttp://www.danielpipes.org/11560/)(http://www.danielpipes.org/11599/)(http://www.danielpipes.org/12683/)(http://www.danielpipes.org/13002/)(http://www.danielpipes.org/13357/)(http://www.danielpipes.org/14838/)、シオニストhttp://www.danielpipes.org/12488/)(http://www.danielpipes.org/12732/)(http://www.danielpipes.org/12941/)(http://www.danielpipes.org/13571/)(http://www.danielpipes.org/14454/)(http://www.danielpipes.org/15302/)、アメリカとイスラエルの陰謀、ブッシュ政権批判など)の影響もあったことであろう。私にとっては、もし2012年から2年間の作業がなければ、日常生活はもっと平凡で単調で落ち着いていたかもしれないが、一方で、知的にも精神的にも八方塞がりであったことだろう。
(5)一昨年の今頃、お目にかかったからこそ、昨年の4月下旬から5月上旬の中東旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)にも果敢に同行できたのだった。何もなければ、いくら何でも突然一人で参加することは、誰にとっても無理難題だ。このように、自分の冴えない人生が思いがけず彩られたのも、やはり、何事にも前向きで、いささか押しの強いパイプス先生からの働きかけによるところが大きい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)。
(6)一昨年と昨年の面会が可能になったのも、2012年から2年間、集中して訳業を進めておいたからだった。もし依頼された隔週コラムだけを機械的に提出していただけだったら、今でもせいぜい100本程度が終了していたぐらいで、パイプス先生としても「あ、あれね」程度であしらわれていたことだろう。

さて、そうは言うものの、昨夏は約三ヶ月のパソコン故障問題が大きく影響した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)。ウィルス対策もしてあったし、パソコンそのものは比較的新しかったはずだ。なぜ突然、雪崩のように次々と動かなくなってしまったのか、今でも疑わしい。あれによって、2012年から少しずつ訳しかけていたワード文書も、長年ためておいたマレーシアの資料文書も、壊れて開けなくなってしまったものが多い。同時に、ちょうど締め切りだった学会用の提出文書も壊れてしまい、結局は見送る羽目になった。あの時の精神的打撃は大きい。
もっともその間、それまで一本調子でグイグイと積極的に続けてきた作業を別の角度から見直すことができ、パソコンから離れて読書三昧にふける時間ができた。パイプス先生に関する恐ろしい暴露本も入手して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150820)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)、本当にアメリカの知的環境の怖さを感じることとなった。今振り返れば、現場に短期間しかいなかったその著者のやり方(古いメモを元に、自分の地位が安定して成功してから、昔の若輩の上司だった‘ライバル’の悪口を公表)にも少し疑問符がつくが、そういう見方も世の中にはあるということを認識する機会となった。
気を取り直して少しずつ修復作業を始めたが、昨年12月から今年3月上旬にかけての約三ヶ月、今度は家庭事情で、訳文作業が滞ることになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160320)。自分の人生をコントロールしたいのは山々だが、家族親族の問題は各人の過去半世紀以上に及ぶ人生の反映なので仕方がない。もっとも、パイプス訳業という目標があったので、これまで日常の憂さに取り囲まれる状況からは回避されていた側面もある。
夢のようだった2015年の中東旅行後から16年の前四半期までの合計約半年のブランクによって、日本語訳文については、昨年は仕上がりが初年度(2012年)の二分の一から三分の一の本数に下がってしまった。その代わり、テーマ毎にある程度はまとまった本数ができたので、このブログで新たな読者用に、私なりの見方や考え方に沿ってご紹介したものも少なくない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes&of=200)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes&of=150)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes)。
自分が納得していなければ、横文字を縦文字へと機械的に直す作業だけでは説得力に欠けると思ったので、素人ながらの利点で、少しずつ勉強しながらマイペースで訳業を進めてきた。嬉しかったのは、ツィッターや各種ブログやフェイスブック上で反応があったり、若い方が「もっとパイプス先生の書いたものを日本語で読みたい」と刺激してくださったり、牧師の方が「このコラムを紹介したいので、翻訳を」と申し出てくださったり、この拙ブログを読んでダニエル・パイプス先生を知って「イスラームについて鋭いですね」と感想を寄せてくださったりした方々の存在だ。最初から私ののんびり気質や制約の多い生活環境のために、ウェブ上での爆発的な読者数獲得を狙っていなかったこともあり、地味ではあるが、何らかのお役に立てたならばありがたい、といったところである。
1990年頃に外部勤務と並行して自宅でオフィスを立ち上げ、正式に1994年に設立された中東フォーラムが軌道に乗り、社会的にある程度の知名度を得るまでは、負けず嫌いのパイプス先生は極めてせっかち。家庭を犠牲にしてでも、野次り倒されようが何だろうが、招待されればどこでも何でも敢然と受けて立ち、一人で朝から晩まで猛然と働いていた。さすがにこの頃では、国内外の講演旅行は相変わらず頻繁であっても、ようやく落ち着かれたようだ。私にとっても、一昨年と昨年の面会のおかげで、アメリカのみならず、カナダやオーストラリアやイスラエルでの支援者の顔ぶれも大体つかめたところであり、お仲間学者のご著書も原書で読んで理解する余裕ができ、やっとこれから本格的に、と思っているところである。
繰り返すようだが、冒頭で引用したマスコミの社会分断にもあるように、それほどまでに日本が「失われた二十年」に陥っていたという証左でもある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160310)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160320)。イデオロギー上の問題や思想面において、日本で中東理解の不足や偏りや歪みがあることは、池内恵先生が繰り返し訴えていらっしゃる通りだと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)。大学とメディアの責任は大きい。
最も痛感するのは、日々のニュースを目敏く追っかけているように見えても、実は振り回されずに世界史の知見に基軸を据えて、自分の戦略方針を立てて、その原則に沿ってきっちりと論陣を張り続け、敵対者を説得して世の中の流れを変えることができるまで書き続ける、堂々たる息の長い姿勢だ。西洋史の主流とは、そのような堅固な保守性があるのではないだろうか。私が最も学んだのは、その点である。しかし、日本だって縄文時代からの遺跡に日々囲まれて暮らしている現在、その精神を取り入れられないはずがない。
但し、しばらく訳文をお休みしていると、確かにアクセス数が落ちるのも現代のウェブ特徴だ。パイプス先生としては、(自分が完全に引退した後も)永久に個人のウェブサイトを残すと、数ヶ月前に(2015年7月28日付メール)私におっしゃったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)、当座の受けを狙って人気アクセス数を意識し過ぎて躍起になるのもどうかと思っているが、どうだろうか。
昔の長く学究的な論文、主流テレビ番組に出演した際の長いトランスクリプト、季刊誌での(故人も含む)著名人とのインタビューなど(http://www.danielpipes.org/6303/the-view-from-baghdad-tariq-aziz)(http://www.danielpipes.org/6304/looking-back-on-the-middle-east-james-a-bakerhttp://www.danielpipes.org/6306/tansu-ciller-secularism-indispensable-turkey)(http://www.danielpipes.org/6321/boutros-boutros-ghali-support-algerian-government)(http://www.danielpipes.org/6332/caspar-weinberger-let-muslim-army-occupy-iraq)(http://www.danielpipes.org/6340/prince-el-hassan-bin-talal-jordanian-christians)、英語だったら読まなくても、日本語になっていれば目に入るというケースもあるのではないだろうか。私は、何かと批判されてきたパイプス先生の活動や著述を今後再考する上でも、日本語で記録として残す価値はあると考えている。今でこそ、過激なイスラーム問題で盛り上がっているアメリカの各組織だが、誰が最初にその識見を公に言い出したか、なのだ。
特に、日本語の数少ない学術論文で否定的に部分引用された英語のパイプス著述は、極めて数もトピックも限られており、彼の仕事全体を把握していないように思われる。私が見た限りではシリアのハーフェズ・アル・アサドの対イスラエル対応を巡るパイプス非難、オバマ氏が(子ども時代に)ムスリムだったというパイプス主張に対する非難が目立った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160323)。もっとも、何も批判せずに参考意見としてパイプス著述が引用されていた研究論文も二本ほど見かけたが、私にとってごく自然で、何ら特記事項はない。仮に日本の学界ではパイプス非難が主流であったとしても、アメリカの保守派層ではそうではなかったという発見は、私にも多々あった。しかも残念ながら、日本の学術論文で書かれていたことは、今では事実認識として間違っていたことが判明しているのである。
冒頭で引用したメーリングリストの資料でも、2004年7月号の『週刊新潮』誌が使われている。週刊誌など、その場で読み捨てて終わりというのが通常の運命なのだが、スクラップして保存する習慣のある人なら、物の見方が断然異なることの証左だ。
同じようにパイプス先生も、皆が追いかけるトピックを目立つように書き散らしているようでいて、実は歴史学の訓練を受けた矜恃によって、時に若い頃読んだ古い本を取り出して、現状と照らし合わせ、「何と今と類似していることであろう」と書くこともある(http://www.danielpipes.org/14440/)(http://www.danielpipes.org/blog/2016/01/paris-eerily-familar-1930s-immigrant-problem)。
つまるところ、パイプス先生が私に以前おっしゃったように、左翼思想の社会操作によって傍流化され、一見埋もれていた見方や考え方は、必ずや軌道修正されて日の目を見る時が来る、というのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140718)。その時に、基本的な本も読んでおらず、歴史の大局的な流れも把握できていないようでは、お話にならない。
一昨日と昨日、私の訳文提出が昨年滞った事情を知らなかったイスラエルのレヴィ君から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EC%A5%F4%A5%A3%B7%AF)、「成功の秘訣」を教授された。昨年5月上旬に彼ともヘブライ大学で会うことができたので、今では大体雰囲気がわかるのだが、キッパを被って敬虔ながらも、英語圏出身のいかにも活発志向のイスラエル人らしい。ウェブ上での順位づけにはこだわるタイプだ。しかも、私よりも若いので、「そんな古くて人気のないものを訳してたら、誰も読まないよ」という、ありがたい助言だった。
仰せごもっとも。ただ、やはり日本独特の事情というものがある。そんなに欧米で人気抜群の記事だったら、日本人でも英語で直接読んでますよ。
訳者がその気にならなければ、内容にも空虚さが伴う。贅沢な言い訳かもしれないが、私は私なりの道を歩むしかない。勢い込んで自転車操業でウェブ上の順位狙いをしてみても、日常生活が破綻するだけだ。
二年前の今頃を思い出して、そんなことを再確認した次第である。
後は、ご両親も含めて、パイプス先生もレヴィ君もそれぞれのご家族も皆様、お元気で長生きしていただければと願っている。

訃報:
アンヌ=マリー・デルカンブル先生が2016年1月2日に72歳で逝去されたとの報に今日接しました。ダニエル・パイプス先生のウェブサイト上で最も印象的だったフランス語の翻訳者であり(http://www.danielpipes.org/13034/)(http://www.danielpipes.org/13782/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)、2008年から9年頃にかけては、活発な読者コメントでもいらっしゃいました。テレビ出演もあり、教会でもどこでも、フランス文化および西洋文明を守るために、勇敢なイスラーム批判の発言をされることで有名でした。長らく大学でイスラームを教えていらしたそうですが、フランスにおいてあのような言論を展開することが、いかに勇気の要ることだったかを思い、お悔やみ申し上げます。
パイプス先生が2013年6月下旬に、私のメールを彼女に転送された時には、とても喜ばれ、「これからはアジア文化にもっと興味を持つ」とまでおっしゃったそうです。
パイプス先生とお目にかかった2014年4月8日には、会話の中で彼女がベルギーの病院に急遽入院したと知って、もう一人のフランス語系スイス人のビジネスマンの翻訳者と一緒にお見舞いに行った時の話も出ました。その時、カトリック教会が二人の紳士をトランペット奏楽で歓迎した映像も見たことがあります。入院は、ムスリムに襲われてではなく、持病か何かの症状だったとおっしゃいました。
その頃、病気のご兄弟のために、訳業を休まれていましたが、また少しずつ復帰され、確か最後の訳文提出は2015年3月3日だったと思います(http://fr.danielpipes.org/blog/2015/03/antidote-islam-radical)。
いろいろと懐かしい思い出を残された女性でした。別の意味で、イタリアのオリアナ・ファラチさんを彷彿とさせる方でした(http://www.danielpipes.org/11975/)(http://www.danielpipes.org/12018/)(http://www.danielpipes.org/12574/)(http://www.danielpipes.org/12581/)(http://www.danielpipes.org/12761/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20160316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%AA%A5%EA%A5%A2%A5%CA%A1%A6%A5%D5%A5%A1%A5%E9%A5%C1)。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。