ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

愛さるるより恐れらるることを求む

ダニエル・パイプス(著)『大シリア』(オックスフォード大学出版)(1990年)を読み終わりました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)。
内に秘め、繰り返し浮上するかもしれないが、歴史的な陰に消滅しかかったトピックだと当時は思われた「大シリア構想」。膨大な資料(英語の博士論文、書籍、雑誌、アラビア語文献、アラビア語のラジオ・スクリプト、フランス語の新聞や書籍、ドイツ語の雑誌と書籍、イスラエルの資料)を渉猟した上で、なぜここまで細かく分析して本にまとめられたかと言えば、ひとえにイスラエルの存続と関わっているからです。
シリアがレバノン(私がこれまでに読んだアラブ系のクリスチャンに関する英語論文によって理解しているところでは、フランスのキリスト教宣教師が、ムスリム・アラブ圏の中に何とかクリスチャンの「逃れの場」をつくろうとして、聖書にちなんだ「レバノン」の地を境界線にして住まわせたところが、いつの間にかムスリムも移住してきて、結局は妥協案からモザイク国家になり、内戦も経験し、イスラエルがクリスチャンを仲間に引き入れようとした作戦も失敗した国)を子分扱いにしているらしいこと、その上に、「汎アラブ構想」との兼ね合いで、地域主義の「汎シリア構想」として、パレスチナも含められているばかりでなく、ヨルダンやトルコも射程に入っていること、この状況がよくわかりました。
「アラブ民族、アラビア語は一つ」という掛け声に、昨今はイスラーム主義が顕著なので、イスラエルとしては、うかうかしていられません。
中東の専門家ではないのに訳業を依頼されて、遅まきながら一生懸命に著書を読んで勉強しているところですが、マレーシアの自分のテーマで長年、苦労続きのために、私にとっては、こういう文献を読めることが非常に励みになります。
どういうことかと言えば、マレー・イスラーム圏でも、かつて失敗したマフィリンド構想(マレーシア、フィリピン、インドネシアを、マレー系民族、マレー語、イスラームという要因で一つにまとめようと試みた政治運動)の時機があり、その意味では、中東と類似しているように思われるからです。その中で、シンガポールはどうするのか。と考えると、イスラエルのような国が非常に参考になるわけです。道理で、この二ヶ国は、リークアンユー時代から仲良くやっているのですね。
もう一つは、以前にも書いたことですが、ウェブサイトで仇敵の研究者やイスラーム組織を名指しであげつらったものを見たり、巻き込まれそうになったり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily//20120929)、一般向きのコラムを次々と訳したりするよりは、この種の本や昔の論説文を読んでいる方が、自分としても落ち着くし、いかにもパイプス先生らしいのに、本当にもったいないことを、とも思うのです。確かに知名度は上がり、お金にもなったのでしょうが、やっぱり残念だな、と。
で、昨日読み終わったダニエル・パイプス(著)『ミニアチュア』(2004年)ですが、一つ、ヒントになることが書かれてありました。2002年1月18日の日付のコラム「アラブはまだイスラエルを破壊したがっている」です(p.175)。

イスラエルには、破壊という夢が失敗するだろうことをアラブ人に確信させるというやっかいな仕事がある。
・行動に翻訳すれば、それは決意とタフさを意味する。
・愛されることではなく、恐れられるようになることを意味する。
・その過程は、国内においては楽しくはないし、国際的には人気がないだろう。
・でも、他にどんな選択があるか?

この箇所を読んで、何となく連想してしまったのが、(それって、もしかしてパイプス先生の人生訓でもありませんか?)ということ。ものすごい勢いで大量に読み、論考文を書きまくって相手を驚嘆させ、恐れさせ、とりあえず黙らせる。反論には冷たく無視するか、理屈を極めて反駁で返しておく。敵を作って孤立しても、どんなに批判されても、表向き微動だにせず、それをネタにしてまた書きまくる。もしかして、この繰り返しだったのでは?
何かあれば「反セム主義だ」と文書にして公表し、警戒を怠らない。でも、ムスリムに対しては、一部の教養のある穏健な人々を除いて、「野蛮だ」と直撃する。「私の愛の鞭」だと。
会ったこともないのに突然降ってきたような私みたいな者には、とりあえず「非西洋で非イスラーム圏の二等国家日本」の部外者で相手にもならないので、おとなしく言いつけさえ守っていれば、「よしよし、いい子だね」みたいな扱いなのでしょうか?文明度としてはどう見ても低いけれど、当分の間は害にならないようなので保留枠に留める、というところでしょうか?
う〜ん。
国際関係でも、「愛されること」って必要条件なのかもしれませんよ。昨日見ていた大統領選の二人のディナー・ジョークにしても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121019)、人をあれほど笑わせられるユーモアというのは、「恐れられ」た証拠ではなく、まずは「愛され」た条件なのでは?器が大きく、自己を突き放すだけの余裕を感じさせ、(よくおわかりじゃないの!)と仲間に引き入れたくなるような、そういう魅力を醸し出していると思うのです。わかっていないと笑わせられないし、こちらも笑えないですから。
1980年代半ばの日本滞在中、「イスラエルに対する敵意の壁」を感じたというパイプス先生のご経験は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)、もしかしたら、日本側の「だって、イスラエルは強いから、こちらが援助しなくても自分でやっていけるじゃない?」という反応も含まれていたのかもしれません。