多様性を踏まえた上で立場を決定
エルサレムに住むレヴィ君から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)、スコットの祝いの写真が送られてきました。
「うちのテラスから撮った写真だよ。興味あるかと思って...」。
日本の七夕みたいに、色紙でつくったわっかの飾りが天井にかけてあり、送られてきたカードも天井からぶら下がっていました。
「日本の伝統的な行事に何となく似ているように見えるわね。何て懐かしいんでしょう!」
と、お返事を出しました。
このやり取りは、そもそも、ユダヤ暦のお正月の9月16日から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)シムハット・トーラーの10月9日まで、ずっと、オンラインの訳文掲載が遅れ気味なので、「しばらく待ちましょうか?」と申し出たことがきっかけです。
パイプス先生は、アメリカ人らしく「ユダヤ暦のこの時期は、何日も仕事がないことを意味するんだ。でも、訳文があるなら遠慮しないで送りなさい。古い日付のは後回しになるけど、最新のはアップデートするから」と、おっしゃってくださいました。
そこで張り切った私が、「親切なお返事をありがとうございます。えぇ、知っています。この仕事のために買ったユダヤ暦のカレンダーによれば、かくかくしかじか、と祝日が続きますね。おかげさまで、私、前年度までよりも、ユダヤ文化にもっと近づいているように感じます。それは、先生が私に与えてくださった小さなお仕事の中で、最も報われることの一つです」。
パイプス先生とレヴィ君宛に連名でメールを送ったところ、レヴィ君から冒頭のお返事をいただいたというわけです。
レヴィ君には、付け加えてこのようにも書きました。
「ダニエル・パイプス博士は中東の政治分析家なので、翻訳を始めてから、私は政治的側面についてより多くを学んでいます。でも、実は私、伝統的であれ現代的であれ、聖書的であれ世俗的であれ、それらに関わりなく、ユダヤ文化に興味があったんです。今日は、『現代ユダヤ教の文脈におけるヘブライ文化の再生と日本との関わり』という集まりに行きます。A.B.イェホシュアも明日、京都に来られるんですよ」。
A.B.イェホシュアと言えば、ピース・ナウの三羽がらす作家として、ディヴィド・グロスマンやアモス・オズ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080910)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120515)と並ぶ、有名な方です。
もちろん、左派なので、レヴィ君やパイプス先生とは、イスラエル国家のあり方について、政治的な色彩がかなり異なることは承知の上です。日本国内では、大学関係者が招聘することが多いために、左派の平和運動家が紹介されることがほとんどかと思いますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121003)、私としては、まずご本人の作品に触れ、ご本人にお目もじするチャンスがあるならば機を逃さずに、という立場です。
左派だと言われているから絶対に避ける、というようでは、外部の第三者としては、教養あるバランスの取れた態度とは言えません。なぜ、パイプス先生の方が、イスラエルの存続の上で、外交戦略上、論理的にまっとうだと私が考えるようになったのか、それをはっきりと知るためにも、せっかく来京されるならば、お話だけはうかがっておこう、ということです。
そもそも、政治分析家と作家とでは人間観や視点が異なるのは当然です。ユダヤ系アメリカ人とアラブ圏系統のイスラエル在住ユダヤ人とでは、生活感覚が違う以上、対アラブ観が異なるのもやむを得ないと思います。(私がA.B.イェホシュア氏のお名前を知ったのも、ディヴィド・グロスマンの作品中に登場されていたからです。アラビア語を話すユダヤ人という自己紹介だったかと記憶しています。)
そういう全体像をある程度把握した上で、訳文を進めていくのが筋だと思います。もっとも、こういう私の立場を、左派と右派で考えや態度をはっきり見分けたがる傾向のあるパイプス先生達がどうご覧になるかは、また別問題です。