同じ時間帯を生きる
エルサレムのレヴィ君から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130715)、おととい突然メールが届きました。
「この頃、翻訳が出てなくて淋しいよ。バカンスなの?」
バカンスどころか、毎日せっせこと、これまでに入手した関連書籍(参照:ツィッター転載(https://twitter.com/itunalily65)(https://twitter.com/ituna4011))を手当たり次第に読みつつ、フランス語のドキュメンタリー映像などを見て勉強しながら(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Warsaw)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=NAZISM)、訳文を作り続けてますよ!25本以上、デスクトップに新訳の下訳が並べてあります。
しばらく前まで、三か月ぐらいウェブ掲載をため込んでいたこともあったレヴィ君からそんな風に言われるなんて、何だかおかしくて笑わされます。気まぐれレヴィ君、かな?ま、臨機応変だという解釈で....。
パイプス論考は、内容が重たくて深刻なだけに、単なる形式的な量産で済ませるのではなく、気力を保ち続けるためにも、お互いに少しは休む時期も必要かと...。
下訳をつくるのは、慣れてきたこの頃では一日に二、三本のこともありますが、単純な語学の問題ではないので、訳語の統一を図り、一つ一つの文章の思想的歴史的背景を探ったりする作業には、相当の時間をかけているつもりです。
それに、自分の国の歴史ではないこともあり、続けていくうちに、どうしても頭と心がパニックになる時期が定期的に訪れます。飽和状態の時には、お砂糖を口元までいっぱいに詰め替えた容器をトントンと軽く叩いて上部に隙間をつくるように、時間をしばらく置くことが必要。数日ないしは一週間後には、あれほど満杯だった頭がすっきり落ち着いてきます。この繰り返しで、少しずつ理解を深め、前進していくことができるのだろうと思います。
毎年恒例の夏のオーストラリア(現地は冬)に滞在中のパイピシュ先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120830)、しばらく前に会合でフランシス・フクヤマ氏と何十年ぶりかでお会いし、
「一時間かそこら前に、お喋りしたよ」。
とメールを頂戴いたしました。
「実はね、1982年には国務省で僕が彼の後釜だったんだよ」。
昔からの知り合いで、親しくはなかったけれども友好的な関係だった(フクヤマ氏がパイプス先生の著作に好意的な書評を書かれていた)のに、フクヤマ氏の『歴史の終焉』を屑だ(本当に‘junk’と書いてこられました!)と思って以来、「冷たい関係」だ、と。「多分、今度のオーストラリアの会合で会っても相互に無視し合うだろう」と書き送ってきて私を笑わせたのに、そこはやはり大人で、「お会いになりました?」と私が尋ねると、ちゃんと言葉は交わしたと素直に返答されました。
「僕達、今ほぼ同じ時間帯にいるんだよ」。
とメールをくださったことから、上記の会話に至ったというわけです。確かに、日米の時差が10時間以上あるので、普段は昼夜が逆転したりして、メールのやり取りが、場合によっては直後だったり、ある時には半日遅れになったりと不規則になりがちなのが、オーストラリア東部にいる今なら大丈夫だよ、ということなのでしょうか。イエメンでのテロ予告から多くのアメリカ大使館が閉鎖され、世界中に緊張が走ったので、私としても、この時期に海外に出かけるアメリカ人の安否は他人事ではありませんでした。(そのこともあって、前から知らされてはいても、パイプス先生の居場所を公表することはしません。)個人的に人と知り合うことの大切さは、ここにあると思います。
『歴史の終焉』に戻りますと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071026)、「あれは興味深い知的エクソサイズであって、真剣な歴史考察ではない」というのがパイピシュ先生の本音のようです。実は私もそれには同感する点が幾つかあり、現実に今、中東やムスリム世界全体で起こっているイデオロギー的混沌を観察すれば、あの分析に甘さと誤りがあることは肯んぜざるを得ません。
「僕だってブッシュのファンじゃないけど、でも彼のブッシュ批判は辛辣過ぎると思った」。
と。そこで私は
「フクヤマ氏が京都に招かれたのは、"ネオコン"を批判して去ったからです。当時、それは人気のある傾向でした。私が思うに、フクヤマ氏はそれに乗じたのでしょう」。
とお返事。
ただ、人との関係はそれほど単純に斬って捨てられるものではないというのが持論の私としては、小さなエピソードも付け加えました。
「実は、京都に来られた時、朝早く起きて、京都御所の周りを走っていらしたそうです。彼の精神的強さとタフさは、訓練と厳しい規律の賜物だとわかりました。会合の主催者から後に聞いたことですが、フクヤマ氏はアラブ・ムスリムの代表団からこっぴどく非難されたとのことです。でも、彼は動じませんでした。ただ、黙って彼らが満足するまでそのまま言わせておいたのだそうです。私は感動しました」。
そこでムッとしたらしいパイピシュ先生、「うん、彼は印象的だ。でも」と反論。私も負けずに返答を。
「いえ、私がお伝えしたかったのは、彼の見解についてではなく、彼の落ち着いた『態度』に感動した、ということです。フクヤマ氏はもう日本語を話されないし、私は普段、フクヤマ氏を日系アメリカ人だとしか考えないけれども、確かに日本精神を受け継いでいらっしゃるということに、感銘を受けたのです」。
これにはお返事はありませんでした。ひょっとして、ご自分が常日頃、考えの合わない人とは誰とでも積極的に討論したり文章で攻撃したりして、対立を厭わない姿勢を若い時から貫いてきたことを、暗に批判されたとでも受け取られたのでしょうか?私にとっては、わかっていてもあえて沈黙を守る静謐の東洋精神に比して、言葉を尽くして理屈を振り回して、何でもとことん議論し合うのが得意なユダヤ文化、と対照的に捉えて興味深く思っているだけなのですが。
しかし、エジプト情勢に関して、8月22日にニュージーランドで13分ほどのテレビ対談番組に出演された直後には(http://www.danielpipes.org/13311/egypt-moderates)、私のメールを喜ばれたようです。
「最新のテレビ出演を今、映像で拝見したばかりです。このアラン・リー氏とのトーク番組は、これが二度目ですね?この種の地味で静かな番組の方が、騒々しくて、人々が不必要に喋り過ぎるアメリカの番組よりも、私には好みです」。
すると、
「僕もだよ!基本的に、うるさく叫んでいる米国番組からは退避してきたけどね」。
う〜ん、そうでしょうかねぇ?9.11直後のテレビ出演の映像やトランスクリプトを見る限りでは、何やらけたたましく早口で喋っているものも多かったように思いますが。いえ、パイプス先生ご自身は、比較的小さな声で落ち着き払っているのですが(時には怖いぐらい冷静に)、対談相手や司会者の方が興奮気味というのか、言葉がかぶったり、相手の言葉に顔をすぐに歪めたりされている点、古風なサムライとは違いますよ!
それに、「メディア出演の年」の訳文を提出した際(http://www.danielpipes.org/13270/)、「テレビ出演の依頼に応じた後、シャワーを浴びる」って、どういう意味なんですか、と改めて真っ直ぐに質問したところ、
「不愉快な相手(けたたましくお喋りな左派やイスラミスト達)との共演では、自分が汚れたように感じるので、洗い流すためにシャワーを浴びるんだ」「陰謀論の本を書いていた頃には、毎日シャワーだったよ!」
と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130508)。これは冗談でしょうが、私の問いがおもしろかったのか、レヴィ君まで一週間後に同じことを書いてきました。ユダヤ教の沐浴文化の延長でしょうか。
というように、ちょっとした文化の違いはいつでも残りますが、決して超えられない相違ではありません。私の推測はそれほど間違っていませんし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121117)、質問することはユダヤ文化で奨励されているのですから、勝手に想像して理解したつもりになるよりは、多少面倒でうるさがられたかもしれなくても、一つ一つ、何でも言葉に出して表現することは、大切なコミュニケーションではないかと思っています。
数日前に、うれしいことがありました。マレーシアのキリスト教組織で働いていて今は別の仕事に移った有能なインフォーマントの華人女性の友人が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071229)、パイプス訳文を見て「大事な仕事をしているのね!きっと神様からの導きよ。そうよ、マレーシアだけ見ていたら駄目よね。イスラーム化の深刻さは世界問題なんだから」と書き送ってくれたのです。
シンガポールでもマレーシアでも、私の限られた経験の範囲内では、華人のクリスチャンは反応が早く、非常に肯定的です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130108)。情報に敏感だということと、日常生活から経験的に知っていることが多いからでしょう。その点やはり、日本語の世界に浸っていては世の中の流れから遅れるということです。英語はもちろん、フランス語でもドイツ語でも、良心的で質の高いドキュメンタリーがあり(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Simon+Sebag+Montefiore)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Full+BBC+Documentary)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Fethullah+G%C3%BClen)、探せば勉強することはいくらでもあります。そして、欧米の知識階級には、歴史感覚が非常に長く維持されているということも見逃せません。日本では、「え!日本ってアメリカと戦争したの?」などとバカな発言をする女子大生がいるそうですが、ナチ時代も、今のアラブ世界で隠然たる影響力をまだ発揮していることを思えば、いつでも学びと吸収を怠ってはなりません。
それにしても、最近の日本のメディアって、本当に情けないほど質が低下していませんか?新聞もテレビも、もう不要。私が昔購読していた小中学生新聞レベルが、今や平気で大人向け全国紙になっている感覚です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)。そんなことなら、数百ページある英書を次々読破している方が、有益な人生の使い方だと実感しています。