米国の出版物の話
『ワシントン・タイムズ』というアメリカの日刊紙に、ダニエル・パイプス氏は長らく定期的にコラムを寄稿されています(http://www.danielpipes.org/articles/?&order=publication&order_type=SORT_ASC&group=TRUE)。
ところが、この新聞、かの著名な『ワシントン・ポスト』と名称が紛らわしいばかりでなく、新聞社のオーナーが、先月亡くなった統一教会の文鮮明氏とその一族だとのことです。この関連については、日本の中東研究者が出版した本で立ち読みしたことがあり、パイプス批判の一端を担うのではないか、と長らく心配していました。
もちろん、パイプス氏から翻訳の依頼があって、二ヶ月ほどメールで言質を取りながら粘っていた間にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120404)、その件を私から持ち出したことがあります。3月初旬のことでした。
「疑問の余地のあるキリスト教組織を立ち上げた人が、その新聞のオーナーだから、私としては訳出するのはためらわれます」と。すると、どうしても日本語訳が欲しかったせいでしょう、パイプス氏の方から、「Moonieのことだろう?でも、ワシントンでは、この新聞は尊敬されているんだよ。翌日には同じ原稿が『ナショナル・レビュー』にも掲載されるから、そちらで訳しなさい」と、わざわざ『ナショナル・レビュー』のリスト一覧のアドレスまで教えてくださいました(http://www.nationalreview.com/author/200443/archive/2012)。
『ワシントン・タイムズ』は、故レーガン大統領が好んで読んでいた新聞だそうです。父子でレーガン政権に仕えたパイプス家にとっては、所詮、ユダヤ系のためにキリスト教とは直接の関係がなく、新聞の経営者が誰であれ、徹底した反共方針と掲載記事の内容の方が重要だと言いたいのでしょう。
二週間に一度のコラムは、大抵、『ナショナル・レビュー』か『ワシントン・タイムズ』のどちらかに掲載されていて、私はこれまでの半年間、一貫して、同じ内容の論説文ならば、『ナショナル・レビュー』を選択して訳出し、ウェブサイトに掲載していただいていました(http://www.danielpipes.org/articles/?language=25)。
日付けの確認が結構面倒で、いずれもオンライン上の掲載手続きのためか、ある場合には同日掲載、別の場合には『ナショナル・レビュー』が一日遅れの掲載となります。レヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121005)が気を利かせて、私が間違えたのだろうと、日付けを直してウェブサイトに載せたところが、実はそれこそ余計なお世話だったこともあったりして、一度、お互いに手間取ったこともあります。基本的に、レヴィ君はとても素直な人で、何でも私の言うとおりに黙って動いてくれるので、非常に助かりました。
ところが、今回、ユダヤ暦のお正月の9月16日からシムハット・トーラーの10月9日までの長い休暇中(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121005)、私の方の訳文がかなりたまったばかりでなく、パイプス先生の著述も、世界中のムスリム騒動のために(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)、輪をかけて量産される結果となりました。すると、結果的に9月分の中で2本、『ナショナル・レビュー』ではなく、『ワシントン・タイムズ』のみに掲載された文章が出現することになったのです。
さて、困りました。自分の方針を貫くと、せっかく、前もって訳者宛に「これは連載分だから、翻訳に余計な時間を取るかもしれない。公表する数日前に、一応早めに、送っておきます」とメールで案内があった長文も(訳文を送ってはありますが、まだウェブ掲載はされていません)、無駄になってしまいます。
そこで、今回は、このように自分のブログで、背景説明と釈明を添えることで、ご理解をいただければと願った次第です。
パイプス先生は非常に頭のいい、聡明な方ですが、さすがに半年前の私とのメールのやり取りは忘れてしまったらしく、「これまで『ナショナル・レビュー』版だけを訳文に使ってきましたが、今回は、『ワシントン・タイムズ』版しか原稿掲載がないので、初めてこちらで訳しました」とメールで書き添えたところ、「ありがとう。世界にとっても、僕にとっても、どちらの出版物も重要なんだよ」とお返事が来ました。そこで、2本目の『ワシントン・タイムズ』版の訳文を送った今日、もう一度、3月と同じようなことを書き添えました。
「以前のように、両方の出版物に寄稿してくだされば、私個人としてはありがたいのですが。その唯一の理由は、最近亡くなった『ワシントン・タイムズ』のオーナーが、疑わしいキリスト教組織を設立したことなんです。そのことは、広く報道されてきましたし、ここ日本では今でも知られています」。
すると、さすがに飲み込みの早いパイプス先生、早速お返事をよこされました。「あぁ、やっと『ワシントン・タイムズ』に躊躇していることがわかったよ。通常、そちらで掲載された論説文は、もう一方でも掲載されるけど、これはそうじゃない。悪かったね。設立者の疑わしい評判にも関わらず、『ワシントン・タイムズ』は米国では重要な新聞だよ」。
こういう割り切った合理的な考え方が、パイプス先生の特徴と言えば特徴で、私にはいささか欠けている部分です。率直で物事を隠さない姿勢は、私がパイプス先生を尊敬しているところで、「設立者の疑わしい評判にも関わらず」とストレートに表現する点は、信頼が置けます。
また、私ならば、発行部数や評判を気にして、書きたいことがあってもためらうことも多いのですが、パイプス先生の場合、長年、なりふり構わず書きまくっているように見えながらも、結局は、自分の思想や主張と合致する出版物に書いてこられたようです。もっとも、9.11以降、一般への啓蒙普及の意図から、依頼されてコラムニストになったものの、数年後に経営上の理由で出版物が閉鎖された経験もお持ちで、ともかく、書ける場が提供されているならば、ありがたく書かせてもらい、それによって収入を得て組織維持と生計を立て、自分の考えを広く人々に知ってもらおう、という強い意志が感じられます。
それもこれも、中東情勢の混沌とした情勢不安定から目が離せず、イスラエルを何としてでも守りたいために、手段を選んでいる暇はないという現実がなせる技でもあるのでしょうね。書き続けることは、大変な事業だと思います。慣れればある程度は楽になるようですが、パイプス先生にとっては、それでも大変だ、と。「いつも新しい話題を探しているんだよ。それは、簡単なことじゃないんだ」とも私に書き送って来られました。書けば書いたで、思慮のない批判も飛び交うわけですし...。