ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

タカ派時代が平和を...

左派と右派のイデオロギー上のあり方と国の動向について、よく主人と話すのですが、学校時代は単なる違和感で済んだとしても、歳をとるにつれて、「血は争えない」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)「出自に沿った生き方が最も楽だ」という結論に落ち着きます。問題は、うまく時流に沿えればいいのですが、合致しない場合、人生が破壊的なことになってしまう点です。
ところで、母校の副指導教官だった白井成雄先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111006)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111226)のご友人でいらっしゃる廣淵升彦氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111009)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120511)が、2012年10月4日付ブログで、次のようなことを書かれていました。

http://hirobuchi.com/archives/2012/10/post_562.html#comments


しかし外交や世界の政治について詳しい人々の間では常識として語られている一つの言葉をあらためて思い出します。「タカ派と呼ばれる政治家の時代が意外と平和であり、逆にハト派といわれるトップの時代に戦争が起きることが多いものだ」というものです

振り返ってみれば、イスラエルにもそういう面があったのではなかったでしょうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120702)。でも、世界平和運動とか学校教育の場では、どうしても、「一般市民の目線に沿って」というお題目の下、「情緒的な訴え」の方が優先されてしまいがちです。もちろん、啓蒙教育効果としては、その路線は理解できますが、これのみでは、混乱と迂遠は招いても、本来の専門家としての英断に仰ぐという姿勢が欠けてしまいます。何のための専門家なのかと言えば、第一級の最新情報がそこに集まり、優秀な頭脳と英知によって、適切に決断する責任を委ねられているからです。それなのに、(権力や権威に対しては何でも疑いの目で)というような誤った「批判思考」の流れが一般市民にできてしまうと、本当に危機的な場合でも、見逃してしまう結果となりかねません。
A.B.イェホシュア氏の原作による映画(2010年)と翌日の講演に出かけてきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121005)。
「なぜ、パイプス先生の方が、イスラエルの存続の上で、外交戦略上、論理的にまっとうだと私が考えるようになったのか、それをはっきりと知るためにも、せっかく来京されるならば、お話だけはうかがっておこう、ということです」。
「そもそも、政治分析家と作家とでは人間観や視点が異なるのは当然です。ユダヤアメリカ人とアラブ圏系統のイスラエル在住ユダヤ人とでは、生活感覚が違う以上、対アラブ観が異なるのもやむを得ないと思います。(私がA.B.イェホシュア氏のお名前を知ったのも、ディヴィド・グロスマンの作品に登場されていたからです。アラビア語を話すユダヤ人という自己紹介だったかと記憶しています。)」

と書きましたが、確かに、その意味はあったかと思います。
いただいたプログラムには、以下のようにありました。

1936年エルサレム生まれ。父親は何世代にもわたるエルサレムスファラディの名家の末裔。母親はモロッコ生まれ。結婚前にエルサレムに移った」。

講演の際に配布された「イスラエルの作家の非文学的現実」と題するA.B.イェホシュア氏の1989年のヘブライ語の文章を翻訳された悦子先生とは久しぶりにお目にかかり、一緒に四条までご一緒させていただきました。イスラエルに10年ほど、留学のためにご夫妻で住んでいらして、お二人とも知力体力精神力共に、抜群の生産性を発揮されている方です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080112)。
現地経験のある方と、そうでない者とでは、全く感覚が異なるので、いろいろと教えていただきたいと思います。同時に、「マレーシアの論文も」と言われた時、つい、「経済的には繁栄していても、マレーシアは状況がどんどん悪くなっている」「組織の上に立つ先生の意向で、いくらこちらが頑張っても、意見が通らないことがある」とお答えしました。また、「大学に残ることと、勉強を続けることは別物だ。昔はよかったけれど、今の大学はせわしない」「余計なことに煩わされるよりも、もし生活が何とかなるならば、自分のペースで、専門以外にも視野を広げて勉強していきたい」とも。これは、私のこれまでの経験からの率直な意見です。(余談ながら、ヘブライ大学の博士授与式では、「おばあさん」みたいなご年配の女性も、堂々と授与されていたのだそうです。学問に年齢なし、ということは、若くして博士号だからといって威張っている人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081006)は視野が極度に狭いということも意味します。)
だから、イスラエルの動向についても、決定権はイスラエル人にあり、もちろん私が影響力を行使するわけではありません。また、日本人としての専門家の意見は、素直にお伺いを立てて聞くべきだとも思います。
それを踏まえた上で、今回の催しの私なりの感想を以下に記します。

[背景]


(1) イェホシュア氏にとって、今回が初来日。この催しはイスラエル大使館の後援による。京都のみならず東京でも講演予定があり、しばらく滞日されるとの由。
(2) 主題は、ユダヤ人のディアスポラと現代イスラエル社会に関する神話、アイデンティティ、歴史。
  (a) ヘブライ文学はシオニズムと深く関わっている。
  (b) シオニズムは「神話」であり、自由、自己解放、反運命論の思想である。
  (c) 今日のイスラエル社会では、自己嫌悪と傲慢さという二つの危険な過程が広まっている。
  (d) 残された唯一の希望は「連帯」である。


[講演の要点]


(1) イスラエルは米国と「あまりにも良好過ぎる」関係がある。
(2) 米国、カナダ、オーストラリアは神話的なアイデンティティによって建設された一方で、欧州、中国、日本は歴史的なアイデンティティによって造られた。 
(3) ポーランドでは、1000年間、ユダヤ人が存在した。シナゴーグは14世紀から建てられてきた。だが、シナゴーグの史的記録が全くない。それは、ユダヤ人は常に放浪してきて、場所を移動し続けたからだ。対照的に、京都の古いお寺は、古代から必ずご由緒が記録として保存されている。
(4) イラク戦争に関しては、アメリカのユダヤ人には責任がある。アメリカ人としては責任を担っているかもしれないが、ユダヤ人としてはそうではないのではないか。
(5) イスラエルパレスチナの紛争の唯一の解決は、二国間解決案しかない。二つの国家のための充分な土地がある。例えば、東京は人口密度が高いが、高い生活水準を維持している。
(6) イスラエルがシリアと和平を結ぶことは可能であろう。なぜならば、エジプトとヨルダンの間で和平を結べたのだから。


[私的コメント]


(1) 確かに氏はスファラディ系の作家だ。つまり、言葉と想像力の芸術家である。現実的な政治分析家ではなく、人間観察者である。
(2) フロアからの最初の質問は、氏ご自身がシオニストだと考えていらっしゃるかどうかであった。もちろん、答えは絶対的に「もちろん!」であった。若い女性からのこの馬鹿げた問いは、その教育機関の水準を反映しており、シオニストおよびシオニズムの定義における理解の全般的な混乱を示している。
(3) その理由は明らかである。ひとたび、イスラーム主義者とムスリム寄りの研究者を採用したならば、寛容の名の下に、徐々に、やがては、いかなる論理も理論も消えていくだろうからである。ムスリムは、己自身の混乱と無知に気づかずに、繰り返し主張している。ユダヤ人とユダヤ教を尊重するが、シオニストシオニズムは非難する、と。
(4) 氏は、今年秋のノーベル文学受賞の候補者の一人に指名されていると紹介された。しかし、私自身は異なった基準を持っている。例えば、1994年にノーベル文学賞を授与された日本の大江健三郎氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120421)、故エドワード・サイード教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080614)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120523)の良き友であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120226)。私は、大江健三郎氏の新聞紙上のコラムは読んでいたが、彼の見解には同意せず、これまでに小説を一編も読んだことはない。その理由は単純である。彼は、ジャン・ポール・サルトルhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090713)の影響を受けていたからだ。
(5) 社会的地位、肩書き、知名度は、人々の注目を引き寄せるために重要であるが、必ずしも効果的だとは限らない。

「解放」「連帯」「自由」がキーワードでしょうか。
ダニエル・パイプス氏は、二国間解決案について、PLOが健在だった30代の頃から懐疑的でした(http://www.danielpipes.org/180/imagine-a-palestinian-state-a-nightmare-for-the-arabs)。ただ、非常に慎重に、現実に即して、議論を進めていらっしゃいます。カイロに2-3年住み、アラビア語が理解でき、膨大な資料を基に、イスラミストの研究ばかりして来られた方であるばかりでなく、理論的根拠として、お父様のリチャード・パイプス先生から受け継いだ、確固たる論点をお持ちです。繰り返し、私が「新聞記事やテレビなどの発言だけで反応しないで、是非とも、著作を英語で読んで欲しい」と訴えているのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)、それが理由です。