ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いわゆるマイノリティの強み

昨日は、所属学会の先輩女性研究者から紹介された、中国在住のアメリカ国籍の男性研究者と京都でお会いしました。
その方は、二つ目の博士論文をドイツの大学で書く予定だそうですが、過去、ある程度の年数をシンガポールで暮らしていたそうで、マレーシアにも数え切れないほど行ったことがあるとのこと。思いがけず、話に接点があるのに驚きました。
「リサーチに時間を割きたいので、定職には就かない」との由。また、「なぜアジアのキリスト教を?」という私の質問には、中国系インドネシア人の血を引いていることもあり、「自分のアイデンティティの確認のため」という、これまた明確なお答え。
最初の博士論文は、ジョン・ウィクリフについてだったそうです。そして、私がこのブログで書き綴ってきたアメリカやニュージーランドなどの関係者やシンガポールやマレーシアのことなども、共通する知り合いが多く、その点は有意義でした。
イスラーム問題については、「信教の自由はなければならない」としつつも、パイプス先生お得意のイスラーム主義の日本の大学への浸透については、いささか驚いていらしたようでした。
私のテーマについては「充分研究に値すると思うよ。博士論文はオリジナルでなければならない。やってみたらどうか」「ドイツ語ができるなら、オランダの大学だって問題ないよ」「アメリカなら、あそこの神学校はどうか」「イギリスだったら、ここもあるよ」など、あまりにもあっさりと開明的な話が出てくるので、それにも驚きました。これまでの私の経験では、日本だと、申し込めば発表はさせてくれるし、話は聞いてもらえるけれど、論文指導となると逃げる先生が多く、そのくせ、現地事情を知らないのに一方的に事実に基づかないで方針を決めていくような不愉快なことが少なくなかったのですが、さすが、世界は広い、いろんな人と知り合いになることは大事だな、と再認識しました。
最初は、初対面だし、一時間程度のおしゃべりで、せいぜいお茶ぐらいかな、と思っていたところが、いつの間にか話が弾んで夕食までご馳走になりました。「私もインデペンデントの学者だから、あなたのように自力でリサーチしている人と会話ができてよかったよ」「これからもメールで情報交換しましょう」と、にこやかに握手して、京都駅近くでお別れしました。
ところで、パイプス先生は今、二週間の講演旅行中でオーストラリアにいらっしゃいます。京都に出かける前に、最新の映像がオーストラリアから届いていたので、「こういうものを訳す必要が本当にあるのかどうかわかりませんけど、今しがたウェブサイトを見て、すぐに邦訳しました」と書き添えて、早速お送りしました。相変わらず、事実ミスではないかと思われた箇所には、(ママ)を挿入し、訳文の下には、赤字の英語でコメントをつけてのことです。
今朝早く、パイプス先生からメール。「あなたの訳すものは何でも歓迎だよ。それに、今回の集中講演の旅のことも、祝意をありがとね」。
パイプス先生から訳業を依頼されて、あまりに突然の展開にいささか当惑気味ながらも、2ヶ月のメール交信で先生の人柄や物の考え方や仕事の進め方を知るように努め、3月下旬にやっと本格的に開始。いつの間にか5ヶ月が過ぎ、気がついたら、既にオランダ語フィンランド語やトルコ語訳よりも本数を上回っています(http://www.danielpipes.org/languages)。
今回、上記の研究者の方との会話で出てきましたが、穏健な福音派(バプテスト)だという彼も、オランダのヘルト・ウィルダースという政治家のような「ムスリムはヨーロッパから出て行け」という考えは、極端でよろしくない、と。一方、パイプス先生は、確かにウィルダース氏を支持する発言をされていて、数年の時を置いて二回、一緒に並んだ写真も二枚ほど見ました。それでも「私はウィルダースとは基本的なところで多くの見解の違いがある。私はイスラームを尊重している」とも書いています。そして、「彼とはプライベートでも公にもいろいろ話した」とした上で、「だが、彼は有力な政治家だし、欧州のムスリム問題については、彼のような発言が必要だ」みたいな文章も綴られています。
こういう微妙で難しい点については、パイプス先生なりの長年の研究分析の上に成り立つ発言だという前提があります。私も、この度知り合った研究者の方と、マレー語聖書や神の名の話題が出た時、自信を持って語ることができました。これとて、現地滞在中の経験を元に、過去20年以上、現地資料や宣教師文献を相当見てきたから、自分の立場が明確に出せるのであって、ただ誰かに付和雷同していたら、とてもじゃないですけれど、いい加減なことしか言えません。
パイプス先生の主張や意見は、その場では浮いてしまったり、反感を買うことが昔から多かったようなのですが、不思議なことに、後で振り返ってみると(あの時点でここまで見抜いて見解を表明されていたなんて、やっぱりすごい!)と思うことがしばしば。もちろん、全部が全部、予測が現実になったというわけではありませんが、あっさりと簡単に分析しているようでも、それなりに筋が通っていて、いささか強引で冷淡なようでも、確かに頷けるということが多いのです。それに、ムスリムの中でも、抑圧下にあって(時には命の危険に脅かされながら)必死に声を上げようとしている研究者の人々を、参加した会合の中でいち早く見抜き、声をかけて一緒に報告発表をしたり、研究論文を連名で出したりしています。
恐らく、環境は全く異なる私も、その路線に連なる者だと思われて、パイプス先生は私に訳業を頼んで来られたのでしょう。私にとっても勉強になり、視野が広がる上、もともと関心があったテーマでもある上、パイプス先生にとっても、日本語で自分の仕事が紹介されるならば一つの宣伝になるし、ということで、どうやら「相当、パイプス氏に気に入られたんだね」という主人の言葉は、これで再三、確認する機会となりました。
そして、かなり趣向の異なるお二人のアメリカ人研究者との出会いを通して、アメリカの開放性や自立心旺盛な点や積極的に新しいことに取り組もうとする精神を、改めて感じさせられた一日でした。