ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

圧倒されながらも学ぶ

今年は、9月の恒例の学会発表も出席も、見送ることにしました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)。
残念と言えば残念ですが、すっかりたまってしまった資料整理をすることと、この時期にパイプス翻訳をある程度集中してまとめておきたい、ということがあります。
私など、後から考えればそれほどではなくとも、ダニエル・パイプス批判の情報で頭がパニックになり、飽和状態(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)。今日も、4月頃にダウンロードしたパイプス非難などの文章を久しぶりに読んだところ、今では、出てくる人名とその背景がだいたいわかったこともあり、やっと落ち着いて読めるようになりました。それにしても、事実ミスが多く、次元の低い悪口合戦。アメリカがこんな社会だとは、これまで距離を置いていたので知らず、すっかり幻滅してしまった感もあります。
そして、1月下旬に英語で書いていた「なぜ私がパイプス博士を擁護するか」という内容の12ページのエッセイも、しばらく放置してあったのですが、読み直してみると、寒かった時期に、よくここまで熱くなれたな、と我ながら感心。基本的に、私の考えは今も変わらず、むしろ、パイプス先生の明快な分析力に対する敬意は深まるばかり。
彼のイスラエルに対する情熱は、ユダヤシオニストの立場に加えて、長い中東・イスラーム研究経験の積み重ねから立証できることであって、私としては、遠方からひたすら中東の安定とイスラエルの安寧および発展を願う他はありません。ささやかな日本語訳が、理解を広める一助となればいいのですが。
ここしばらく、パイプス先生と関わる複数の著者による数冊の積ん読本を読みながら過ごしていましたが、何とも重苦しいこと、重苦しいこと。ぐったり憂鬱になり、何もする気になれないぐらいです。従って、慣れているからとは言え、パイプス先生達の知的体力や胆力気力のたくましさには、ひたすら敬服させられます。
映像でも、2001年11月頃だったか、視聴者からの電話質問に答えるテレビ番組で、ロンドンからかけてきた男性が「パイプスさん、あなたのおっしゃっていることは、典型的なアメリカ人コメンテーターのイスラエルプロパガンダです。半分だけ真実で、時には本当ではないことに基づいて述べています。アラブ人は、今ではイスラエル国家の存在を認めているのに、イスラエルは、いつも国連の決議を破っている。占領地で暴力を振るうのはイスラエルだ。だから、ますますパレスチナ人が反抗して、争いと憎しみがやまないのです。まずは、イスラエルが国連決議を守るよう、米国はなすべきです。以上」と、怒りを抑えた声で言っていました。すると、(あ、またか)みたいな表情で少し顔を歪めながらも、落ち着いて聞いていたパイプス先生。ペンで何か少し書きながら聞いた後で、すぐに気を取り直した様子で、「はじめに客観的になりましょう。私は自分の意見を述べているだけであって、イスラエルプロパガンダではない。私は、あなたが誰か、名前を特定したりはしないし、あなたがしていることが何かを特徴づけもしない。まずは、そこが大事な出発点だ。いいですね?」と凄みのある表情で述べた後、「私の見解はユダヤ人としての立場からだ。あなたが言っていることは、もしイスラエルがこうしたら、パレスチナはこうする、と条件付けるやり方だ。アラブは既にイスラエルを承諾した、とあなたは言う。私の見解は違う。私は違う証明をしている。1993年のオスロ合意から今は2001年。この間、何があったか。パレスチナ人は、まずはイスラエルを承諾することから始めるべきだ。話はそれからだ」と、何とも単純明快なご意見。司会者の男性も、(もういいでしょう)と最後の方は遮って、メール質問に移っていました。
これが、私の出席した日本の会合ならば、どうだったか。「パレスチナ・アラブ側がこんなに怒っているのだから、イスラエルも少しは譲歩しなさい」みたいな流れになっていったのではないでしょうか。ひどい例では、「ベルリンの壁のように、パレスチナとの間に建てた壁もあるべきではない」という、背景が全く異なるのに、あたかも意図的な混同の発言さえ聞かれたことがあります。(言うまでもなく、ベルリンの壁は、東ドイツ側が、西側からの資本主義の浸透を防ぎ、共産主義社会を維持するために建てたもの。イスラエル分離壁は、パレスチナ側からのテロリスト侵入を防ぐための安全弁。)
パイプス先生は、原則と戦略を明確に守っていらっしゃるようで、複雑な事実をきちっと整理して分析した後は、絶対に路線を崩さず、相手に迎合することはないのです。メールも、一人一日二往復までと決めていらっしゃるようで、だらだらとは時間をかけません。人付き合いも無駄なことは一切せず、自分と価値観の合う人達との限られた関係を大切にするタイプのようです。本当にプロ意識が徹底していらっしゃいます。だからこそ余計に、上記の非難悪口合戦の無力さや非道さを思い、こちらにとっても憂鬱さが増すのです。
ところで、前回書いた、アメリカ国籍の中国在住の研究者の男性から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)、メールが届きました。私と出会えてうれしかったこと、翌日に、もう一人の日本人学生と京都の大学で会う予定だが、時間があれば昼食に誘いたいので、来ないか、という内容でした。そして、シンガポールキリスト教関係者の連絡先も教えてくださいました。
ただ、そのメール、ご本人が帰国する当日の夜中の3時過ぎに届いたのです。あり得ない再会なので、その旨、早速返事を出しました。もちろん、日本人学生さんに電話で尋ねたところ、「それはもう、昨日済みました。メールが届いたのが遅かったみたいですね」と。そうなんです。中国のプロバイダー経由らしく、一日以上経って、メールが届いたという...。
もう一点は、マラヤ大学法学部3年の華人女子学生さんからのレポート原稿(ドラフト)が届いたことです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120412)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)。55ページほどの力作で、私の名前も何ヶ所かで明記されています。そして、こちらの知らなかった新たな資料も含まれていて、刺激になりました。
毎度、ダニエル・パイプス先生の話題ばかりで、飽き飽きされている読者の方も多いかもしれませんが、こういう一連の出来事を通して、私のやっていることは、どうも海外向きなのではないか、と。上記の男性研究者だって、初対面で結構気に入ってくださった上、研究テーマは価値があるから是非ともまとめるよう、具体的に話を進めて励ましてくださったし、マラヤ大学の学生さんだって、こんなに私のメール・インタビューを信頼して、「マレーシアのキリスト教共同体でもなく、ムスリム共同体にも属さない中立の立場で、長年、このテーマについてたくさん書いてこられた経験ある研究者」という記述で紹介までしてくれました。
パイプス先生だって、私が翻訳を引き受けるかどうか、先生の人柄や仕事ぶりを確認させていただくのにかけた二ヶ月間の最終段階で、あまりにもモタモタして煮え切らないように誤解されて、「何も始まっていないのに、こんなことになってしまったけど....もうこの‘関係’をやめよう」とおっしゃたぐらい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)、先生から見れば、日本人にしては珍しい自分の理解者だと即座に判断されたのですね?
どうも、このギャップで私は無為な時間を過ごしてしまうらしいのです。本来、うれしいことのはずなのですが。