ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ご愛顧ありがとうございました

今年も残り僅か二日。
相変わらず、案の定、マレーシアでは「神の名」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)を巡って同じ問題が噴出しており(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121230)、いい加減、飽き飽きしてきました。ちょうどクリスマス前の20日夜に当地を飛び去ったことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)、我ながらよいタイミングだったかと思います。
イスラーム化は確かに問題ですが、こうしてみると、クリスチャン側にも相当の問題があります。案外に、植民地時代の遺産によって、西洋側メディアやキリスト教宣教師達に甘やかされてきてしまったのかもしれません。かてて加えて、複雑な民族問題が絡んでいるので、不満の放出先として、このような事例が格好の材料となっている側面も大きいかと思われます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121227)。
ダニエル・パイプス先生の影響で、私もこの度は「愛の鞭」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121108)として、はっきりと自説を主張するようになりました。幸いに、誰からも文句は出てきません。なぜならば、私のしてきたことは、例え無骨ではあっても、実体験に基づくものであり、筋だけは通してきたつもりだったので、外部リサーチとしては、何ら問題はないはずだからです。
パイプス先生とは、帰国後も、あれこれと興味深いメール交信をしています。もちろん、相変わらずお忙しいのと、慎重な性格でもいらっしゃるので、それほど長々とはお返事を書いてはこられませんが、それでも、基本的に私の考えや意見や立場をそのまま尊重し、最大限、好意的に遇してくださっています。何だか一種の褒め倒しみたい...。特に、英語と日本語の両方でお名前検索をすると、翻訳数が増えたことで、この一年間の顕著な変化が明らかなため(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121003)、年末グーグル検索レポートをお送りしたら、大変に喜ばれました。それに、私に対する妙な批判も非難も一切なく、それどころか、私が自発的に率直に書き綴ってきたこのブログが、パイプス先生のお仕事を日本語圏に紹介するのにいささか役立っているらしいことが、「検索リストから読み取れるのもうれしい」ともおっしゃってくださいました。
その他に、アメリカのパイプス先生周辺の活動家達の中には、イスラーム事項に関して、名前は伏せるが、ちょっとどうかと思う言論を展開している人々がいて、マレーシアでも「アメリカ人は何をしているのかわかっていない」と言う何人かの人々と会ったこと、彼らの判断は実は私と全く同じであること、でも、「ダニエル・パイプスは違う。彼は学者だ」と人々は識別していましたよ、と書き添えたら、その部分だけを殊更引用した上で、「何て勇気づけられるんだろう。ありがとね!」と素直にお返事が来ました。余程、ご自分の輝かしい学歴や若い頃の華々しいエリート経歴に見合わない現況が気になっていらっしゃるのでしょうね(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)。
また、元々日本を「非西洋諸国で初めて西洋の吸収と近代化に成功した国」として贔屓目に評価されていたパイプス先生にとって、ご自分が立ち上げられた中東フォーラムの業務内容について、「(准西洋的地位にある)日本のムスリムも含めたいところだけど、自分が見た範囲では、西洋のムスリム事例ほどのものが見つからなかった」と書かれてあったので、次のようにお返事を出しました。
実は、日本のムスリムについては、既に幾らか調査報告も出版物も出ています。モスクがあちらこちらで観察できます。大学は、近頃、ムスリムの宗教義務のニーズにもっと敏感になっています。改宗者や外国ムスリム男性と日本女性との結婚も増えています。ですが、全体として人口がかなり少なくて流動的なため、西洋の状況とは、全く異なるのです」「ですから、私が今年1月に先生に書き送った私的な事情は、かなり特殊で特別だったと申し上げてもよいかもしれません。だからこそ、かえって私は、先生の著作活動に真に心惹かれたのだろうと思います」。
中東についてずっと書いてきたはずのパイプス先生門下のお兄さん研究員達の中には、なぜか突然、インドネシアムスリムによるクリスチャン迫害事例を取り上げるようになった人も複数、含まれているので、その件についても、率直にお尋ねしてみました。「インドネシアイスラームに関しては、長い間、ここ日本でたくさんの研究調査があります。インドネシアよりもマレーシアの方が、歴史的に、宗教的に、言語的に、中東の影響をもっと受けているというのが私の見解です。両国におけるイスラームを、同一基準で同一手法で観察することは間違っていると思います。中東の人々、特にムスリムにとっては、マレーシアは最も‘発展し’‘成功した’ムスリム多数派国だと言われています。事実、これまで、何人かのムスリムがそのように言うのを私は聞きました。今回の旅でも、マレーシアの首都圏では、もっと多くの中東人を見かけました。では、なぜ突然、中東フォーラムのウェブサイトでは、インドネシアが取り上げられるようになったのですか。いずれにせよ、専門家だと名乗る以上、誰でも一分野あるいはある地域に限定した方が賢明だと思います」。
我ながら思い切った発言だとは思いましたが、言論の自由を標榜されているアメリカ人向けならではの問い。しかも、マレーシアから帰った直後の自分にとっては、怖いものなしでもありました。すると、翌日のお返事にはこうありました。
いい点をついているね。彼らはアソシエートで、中東フォーラム本部のスタッフじゃないんだ。だから、好きなことは何でも書いてもいいと思う。でも、確かに、本来の使命から外れた原稿については、取り除くように頼んでおいたから」。
そうはいっても、実際のところ、パイプス先生の指令がどのように伝わり、どこまで拘束力を発揮できるのかは不明です。特に若いアソシエートにとっては、自分の力作が、たとえ専門領域から外れていたとしても、せっかく書き上げた以上は広く読まれてほしいという本音は、私も充分に理解できるところだからです。(それに、恐らく、オバマ大統領の再選に不服な層にとっては、子ども時代にインドネシア経験を有するオバマ氏を批判する意図から、殊更にインドネシアムスリム状況を取り上げたいという戦略なのでしょう。)それはわからなくもありませんが、しかし、研究者と名乗る以上は、住んだこともないムスリム国について、その現地でのムスリム言語を知らないのであれば、ちょっと昨今のニュースだけを取り上げて論ずるのは、百害あって一利なし。なんと言っても、誇り高く文化的には興味深いインドネシアであっても、まだ政治的にも社会的にも脆弱な基盤なのですから、力でたたいては逆効果。
しかし、パイプス先生が、そういうアジア視点を有する私をも、本音はどうであれ、一応は大事なお抱え訳者の一人として、意見を尊重してくださったことは、ここに明記すべき点であろうと思われます。
ところで、昔の思い出がいかに人を支え、思いがけない人が思いがけない連絡をしてくれるかということに、改めて気づかされています。若い頃のことなんて、恥ずかしい限りですが、案外に、「昔、(名古屋大学に留学していた頃)お世話になったユーリちゃんかと思って、お友達リクエストを送ってみました」とフェイスブックに書いてきたのが、インドネシアのスラバヤ在住のジャワ系ムスリムの男友達(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070825)。今は、二児のパパとして、家具作りの日系企業に勤め、年に一度は大阪へ出張に来るのだそうです。いつか会えればいいですね。「マレーシアやシンガポールへはよく行っているようですが、インドネシアは?」とも。こういう、若い時の掛け値なしの付き合いがあるかどうかで、その国に対する見方が変わってくることもあるので、やはり勉強だけではなく、人間関係は大事。私なんて、こういうリサーチを始めてしまってからというもの、もしかしたら怒っているんじゃないかな、と引け目に感じてもいたのですが、案外にジャワ系の人々は大らかで大人で、その点は感謝しています。
また、オーストラリアからも、名古屋に留学中は非常におとなしかった人が、昨年3月11日の地震を機に連絡をくれるようになり、今年も、クリスマスのみならず、早めの新年メールを送ってくれたのです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111229)。「マレーシアとシンガポールのその旅、忙し過ぎたんじゃない?」と、心配までしてくれました。ええ、忙しかったですけど、仕方がなかったんです。その代わり、こうして日本ではゆっくりできます。いささか、マレーシアには飽き飽きしながら...
今年も大変にお世話になりました。ご愛読くださった皆様には感謝申し上げます。
それでは、よきお年をお迎えくださいますよう。