ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ムスリム改革運動」の実態

昨日付の英語ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170225)に書いたことだが、印象的だったので私見を綴ってみよう。
ここに挙げられている13名の小さな「ムスリム改革運動」の署名者のうち、お二人を私は存じ上げている。一人は、昨年9月の欧州旅行でもご一緒した「カラチ夫人」で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161106)、その後、別の企画者による昨年11月のカリブ海でのクルージング講演会でも、スピーカーとしてダニエル・パイプス先生と同乗された(https://raheelraza.wordpress.com/2017/01/04/learn-from-yesterday-live-for-today-and-hope-for-tomorrow-albert-einstein/)。もう一人は、2012年秋にニューヨークでの討論会でパイプス先生とチームを組んだり(http://ja.danielpipes.org/article/12472)、“Grand Deception”(https://www.youtube.com/watch?v=K5QRB5nf8iY)(https://www.youtube.com/watch?v=1Ke8Tn7hh7c)と題する一般啓蒙ビデオに出演したZuhdi Jasser博士である。
パイプス先生のみならず、他の旅団メンバーも、「このような‘穏健な’ムスリムをもっと私達は支援しなければならない」と主張してきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161005)。
私としても、それに異存は全くなかった。むしろ、混乱続きのパキスタンやシリアを出国して、移住先のカナダやアメリカに溶け込み、足場を築いて、西洋文脈と折り合いをつけて暮らしているムスリムの見本として、このように西洋社会で活躍の場が広がり、非ムスリムから支援まで受けて、何だか羨ましいような気さえしていたものである。
英語も達者で、見事に人前でイスラームの説明ができ、しかもムスリム社会の問題点を率直に認め、ホスト国の北米の自由と安全を享受しているので、ムスリムイスラーム問題に関心のある西洋人には、受けがいいのだ。「カラチ夫人」の経歴は未詳だが、「ムスリム改革運動」発起人であるZuhdi Jasser博士の本業は、確か心臓内科学が専門のお医者さんだった。しかし、いつの間にか病院経営はそっちのけで、毎日のようにムスリム改革運動のためにテレビに出たり、講演をしたり、あちこち奔走されている。キリスト教圏の欧州を世俗社会に移行するために主張された「国家と教会の分離」に倣って、「国家とモスクの分離」をスローガンにされている。
それで人々の注目を集め、仕事になっているのだから、結構な話だ。
ところが、冒頭の『ジハード・ウォッチ』の2017年2月24日付のStephen M.Kirby博士によれば、そのような、一見テレビや講演で注目を浴びているはずの有名な「穏健ムスリム」は、アメリカに居住しているムスリム共同体の大半からは無視されているというのである。未見だが、筆者にはイスラーム関連の著作も四冊あるという。

簡単に要約してみよう。
2015年12月上旬、イスラームの改革を議論するために、ワシントンD.C.にムスリムの小グループが集まった。メディアの鳴り物入りで、自らを「ムスリム改革運動」と名乗り、「ムスリム改革のための宣言」を発布し「ムスリム改革者達」のニューフェースとなった。
だが、一つの根本的な問題があった。「ムスリム改革運動」は、もっと大きなムスリム共同体からの支援が一度もなかったのである。
発起人のZuhdi Jasser博士は、今年1月30日に『フェデラリスト』誌のインタビューで、「10ヶ月以上、メールや電話等で、3000以上のモスクと500名以上の公に知られたアメリカ系ムスリムに連絡をしたが、たった40ほどの却下応答を受け取り、悲しいことに、肯定的だったのは10以下であった。事実、南キャロライナ州のモスクは、我々にボイス・メールで脅迫をした」と認めた。
要するに、3500件のムスリム接触をして、肯定的だったのは9件だけだったということである。
当初のファンファーレにも関わらず、当該運動の最大の達成は、宣言のみとの由。
その2ページの宣言は、近くのモスクのドアに貼り付けたが、速やかに取り去られ、ウェブサイト上のみで閲覧可能だという。
筆者のStephen M.Kirby博士は、「西洋的なユダヤキリスト教価値に好意的で、ムハンマドイスラームを拒絶した宣言」であることを指摘し、宣言内容が冒涜的なために、このような結果になったのであろうとまとめている。
Zuhdi Jasser博士は、「大半のムスリム指導者からの沈黙に落胆している」とも認めたという。その理由の研究をもっと科学的にしたいが、ムスリムからの資金援助はなく、お金は非ムスリムから来たとも述べた。
だが、Stephen M.Kirby博士は、上記の理由によって、改革運動の時間と非ムスリムのお金を節約したいと思っている。
ムスリム世界にとっては、このムスリム改革運動は、可視的だが無関係なままであり続けるだろうという冷酷なまとめで終わっている。
以下に、宣言のウェブ・アドレスを記す。
https://aifdemocracy.org/declaration-of-the-muslim-reform-movement-signed-by-aifd-december-4-2015/
簡潔にポイントのみを抄訳すると、以下のようである。
「我々は21世紀に生きるムスリムである。尊敬に満ち、慈悲深く、包摂的なイスラーム解釈に依拠する。イスラームの魂のために、カリフ制のみならず、イスラーム国家を造ろうとするイスラーム主義あるいは政治的イスラームというイデオロギーを、イスラームの革新が打ち負かさなければならない。7世紀に生まれたイスラームは、21世紀に向かって速やかに前進する進歩的な精神を求めている。我々は、1948年の国連人権宣言を支持する」。
「暴力や社会的不正義や政治化されたイスラームを要求するイスラーム解釈を拒絶する。イスラームの名におけるテロの脅威や不寛容や社会不正義に直面して、我々は平和、人権、世俗統治という三原則に基づいて、我々がどのように共同体を転換できるか反芻してきた」。
「我々には、世界中からの勇敢な改革者がいる。同胞ムスリムや隣人に参加するよう、お招きする」。
三つの宣言は、平和(国家安全、対テロ、外交)と人権(女性と少数派の権利)と世俗統治(言論と宗教の自由)に分けられているが、特に注目されるのは「イスラームのカリフ制は必要ない」「制度化されたシャリーア法には反対する。シャリーア法は人造である」「公にイスラーム批判を表明する権利は誰にでもある」「冒涜法を拒絶する」「ijtihadあるいは批判思考において、等しく個人の参加権を保証する」「棄教は犯罪ではない」「我々のウンマ共同体は、ムスリムのみならず、全ての人類である」という箇所である。
カリフ制はともかくとして、シャリーア法が人造であるとか、冒涜法を許容しないとか、棄教を認める等は、我々非ムスリムにとっては当然であっても、現代に生きるムスリムにとっては、たとえ暮らす場が西洋の地であったとしても、あまりにも斬新過ぎて、時期尚早であると言えよう。
また、大学等の学問の場で教わるイスラームとは、他の諸宗教とは異なって、何より法学が基本であり、法学者が全てを決定し、聖職者が優位に置かれる。従って、出身のムスリム国が嫌で西洋の移民国へ移住して、ホスト国に順応しようといくら努力してみたところで、法学者の承認や聖職者の支援がなければ、所詮は西洋化したムスリム個人の活動としか認められない。
従って、大半のムスリムが応答ゼロあるいは無視という態度に出たというのは、最初から予想されたことかもしれない。
だが、あまりにも残念な結果ではある。

もう一点、目を開かされたことだが、パイプス先生のメディアや文筆や講演等による華やかで活発な活動は、少なくとも私の知る限り、カナダやオーストラリア等の英語圏イスラエルやフランスの保守派、右派ユダヤアメリカ人、福音派系列のクリスチャン達に支援されていて、資金も最近では年間4億円以上が集まっている(http://www.meforum.org/5099/job-announcement-director)。左翼やイスラミストから執拗な意地悪い批判を浴びて、一見、孤立した活動のように見えながらも、あの強い個性と多大な執筆量と国内外の幅広い講演活動によって、確かに寄付金の率あるいは額が上昇しているのだ。ところが、石油等の資源で裕福なはずのムスリム諸国は、上記のような小さな同胞ムスリムの活動に、びた一文も払わないという。
この対照は、一体全体、どうしたことだろうか。
私が想像するに、パイプス先生達は最初からこのような事態を予測した上で、あえて「穏健ムスリム」支援に回っているのではないだろうか。いわば、戦術としての同盟関係である。むしろ、そのようなジェスチャーを取ることによって、ムスリム全体を敵に見立てているわけではないという立場を示すことができ、それによって、攻撃の標的になりやすいユダヤ共同体を守ることにもつながる。
「穏健ムスリムの改革運動」が本当に実を結ぶには、まだ相当に長い道のりが必要であり、目下のところは現状維持を保っているというところではないだろうか。