ダニエル・パイプス先生のこと
久しぶりに、ツィッターの転載です。
(https://twitter.com/#!/ituna4011)
Lily2 @ituna4011
1m Lily2@ituna4011
"Vixi: Memoirs of a Non-Belonger" by Professor Richard Pipes (http://www.amazon.com/dp/0300109652/ref=cm_sw_r_tw_dp_VtnPpb0NTBF4R via @amazon) arrived here now.
3h Lily2@ituna4011
院生の時のある教官が、私に言われたことがある。「頭がよくて心がいい」「頭は悪いが心はいい」「頭がよくて心が悪い」「頭も心も悪い」。この4種類で、何が最も凶悪か、と言えば、「頭がよくて心が悪い」奴だという。確かに....。もっとも、何をもってして、「心の善し悪し」を測るのかは、別。
3h Lily2@ituna4011
結局のところ、私は世間知らずのお嬢さん育ちだったのだろう。というよりも、関心を向けるべきは、伝統文化、歴史、言語、純文学、世界の主流の諸宗教だと思ってきたので、極端なイデオロギー的立場には、単純な嫌悪感しかなかった。それにしてもひどいなぁ、という....。
3h Lily2@ituna4011
『ユダヤ人陰謀説』を少し読み始めたが、素人ながらも、これまでの自分の直感がそれほど誤ってはいなかったということは、確認できた。また、自分の立ち位置も、より明確になった。それにしても、気が重くてならない。この日本で、そんなにひどい読み物が出回っていたとは、本当にショックだった。
4 May Lily2@ituna4011
Two half-truths do not make a truth, and two half-cultures do not make a culture. (Arthur Koestler)
4 May Lily2@ituna4011
『ユダヤ人陰謀説―日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』 デイヴィッド・グッドマン(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4062095882/ref=cm_sw_r_tw_dp_qj0Opb1TF0Y20)も、昨晩届いた。好きなジャンルの本ではないが、ある雑誌で勧められていたので、中古で購入。アマゾンの感想では、好ましくないコメント有り。自分で確認せねば。
4 May Lily2@ituna4011
『中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて』(NHKブックス) 山内 昌之(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4140911883/ref=cm_sw_r_tw_dp_8h0Opb1E7F4ND)が昨晩届きました。よく読んで勉強しなければ....。ふぅ!
というわけで、冒頭に記したように、ダニエル・パイプス先生のお父様の自叙伝が届きました。何だか、とても畏れ多くて、思わず後さずりしてしまいそうなのですが、幸運に恵まれつつも、まさに波瀾万丈の人生。そこには、ホロコーストを生き延びた(vixi)ご自身と同時に、この世から消されてしまったポーランドの友人知人の思い出、そして、ハーヴァード大学で何十年も教鞭を執り、大統領にも仕えた自分が、1980年代に、ある地で家を購入したところ、そこの法律によれば、訪問者扱いであり、住民としての権利なし、とされてしまったことなど、淡々と飾りっ気なく記されています。
人と群れることをせず、危険も顧みず、損得勘定もせずに、ただ自分の信念に沿って公の仕事にとことん専心する姿勢は、お父様似のダニエル・パイプス先生の顕著な特徴ですが、どうにもこうにも、私には畏れ多いとしか表現できません。
一つには、やむを得ない理由ですが、文化や民族や宗教の相違があるということです。もう一つは、ロシア史にしても、中東研究にしても、私の専門ではないということが大きいです。よくわからないことについては、何を言われてもびっくりして不安や怯えを伴うのは、自然な人間心理ではないかと思います。そして、家系の背景の違いが大き過ぎるのです。私は、日本の中流階級の都市銀行員の家に生まれ育っただけの、単なる普通の平凡人。かたや、米国一流のエスタブリッシュメントに連なる東欧ユダヤ系の家系。学校教育も、そもそも違い過ぎるのです。
それに、今回が初めてだった広島を訪れて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120504)、平和記念館の展示を見ているうちに、国際政治の絡み合いと国力の相違からくる駆け引きが、何とも陰鬱で、日米関係の難しさを、改めて考えさせられています。
広島は、世界で初めて原爆が投下された都市ということで、戦後長らく、世界にその名を轟かせているのですが、その解釈と意義については、私なりに複雑な気持ちがあります。東南アジア、特にマレー戦の資料を見ているだけに、何とも形容しがたい、被害者であると同時に加害者である日本とその子孫たる自分を、どう位置づければいいのか。特に、ムスリム知識人のある人々が、広島を引用(利用)して、米国(およびイスラエル)批判をぶっている講演を聴いたことがあり、それに同調し加担する日本人教授まで存在するのを目の前にすると、(もっとバランスよく史的事実を見て欲しい!)と叫びたくもなってくるのです。
何年も前のある会合で、ある日本人教授が「アメリカ人と一緒にいるよりも、あなた方アジア人と一緒の方が、親しみが持てるし、気持ちも楽だ」と公言されているのを聞いて、ハラハラ....。表面的にはそうかもしれませんし、国連票でもわかるように、人道援助や建設などで、イスラエルではなくアラブ寄りになっておいた方が、日本としても「得する」面があるということが、あるいは言えるかもしれません。しかし、いえいえ、東南アジアの知識階級は、実は日本以上に西洋化した面があるし、なかなかしたたかですよ、と。
しばらく滞ってしまっているものの、ダニエル・パイプス先生から「僕の書いたものを日本語に訳してみる気ない?」とお誘いをいただいて以来、ずっと抱え込んでいるのが、こういった何とも形容し難い複雑な要因の絡んだ事情を、どのように整理し、自分なりに折り合いをつければよいのか、ということです。これまでにも度々、控えめに「先生」「ある方」として間接的に綴り、お名前をあえて出さないようにしていましたが、今日は書くことにします。これまでの言及については、おおざっぱですが、次をどうぞご覧ください。
(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120415)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120417)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120424)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)
あまり、ぐちぐちと悩んで、提出すべきものが遅れると、気の短い先生のこと、「もういいよ。これまで、いろいろ考えてくれてありがとう。やっぱり、やる気なかったんだね」と、またもや誤解されそうなので(一度目は、海外での講演および旅行中だった先生が、忙しさと緊張のあまり、締め切り日を一日間違えて、勝手に断られそうになった!)、ここではっきりと申しますが、いえ、それは全く違うのです。
先生のように、頭の回転が極度に速くて、恐らくはタイプライター時代から、ものすごい勢いで原稿が大量生産できる方ならともかく、私は、自分なりに納得がいくように、じっくり慎重に考えて事を進めたいタイプです。事実、ある別の先生にもご相談してから始めましたが、おかげさまで(?)最初の懸念も含めて、今までのところ、何ら「実害」はありません。そこはやはり、このブログやその他の方法を通して、直接間接に、少しずつ「根回し」風に書き綴ってきた成果でもあると、自分では考えています。
もっとも、先生ご自身、そんなに深刻に考えなくても済むことだと、最初から計算済みなのでしょうが、しかし、ノルウェーのテロ事件でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)、あの白人青年がパイプス先生の「ファン」で、欧州をイスラームの脅威から守るんだという「信念」から、十数回もパイプス先生の文章を引用していたということが、日本でも批判的に話題となったぐらいですから、こちらも、「頼まれたからやっているだけです」と、そう簡単にシラを切るわけにもいかないと思うのです。やはり、自分の行為には責任が伴うのが社会人。一つの文章を英語で読むだけならば、長文でない限りは数分でできますが、それを日本社会に通じるように、背景も調べつつ、時には参考文献を入手して読みながら、よく考えて翻訳するのは、それほど単純な作業ではありません。(それでも、後でマイナーミスが見つかるのです。)特に、内容が重くて深刻。軽やかで、ユーモラスで楽しい文章は、ダニエル・パイプス先生の場合、ほとんどありません。大抵、どこか毒気を含んだ表現を散りばめながら、激しい内容をズバリと書いてのける、という調子です。
つまり、根が非常に真面目で、社交的というよりはむしろ内向的なのだろう、ということと、自分の背負ってきたルーツを踏まえて、全霊を打ち込んで文章に託しているのだろう、ということです。いつの間にどこで探してくるものやら、すごい情報量を、いとも簡単にハイパーリンクでつなげて、次々に原稿化。その合間には、世界と国内各地の旅行を頻繁に。依頼されているのか、ご自分で申し出てなのか、時折のテレビ・ラジオ出演(米国、カナダ、オーストラリア)。そして、講演をビデオ撮影してはご自身のウェブサイトに掲載して公表。
体力と時間配分が違うと言ってしまえばそれまでなのですが、とにかく、私の方は、メールで連絡を受け取って、読んだり聴いたりして、まずは考える。それから、すぐにワードに落として訳し始める。それはここ二ヶ月ほどずっと続けているのですが、提出するとなると、また時間を置いて見直したり、調べたりする必要があり、かれこれ70本以上、訳しかけのものがたまってしまっています。
正直なところ、お父様の文章は、いかにも学者らしくて淡々としており、ロシア史や東欧史や中東イスラエルの断片を、この自叙伝から学ぶのだと決心して読むならば、感動することはあっても(つい今し方、早速感涙...)毒気のようなものは感じません。しかし、ご子息のダニエル先生となると、これがどういうわけなのか、一言ずつ余計な形容詞が加わっている文章が目立つ時もあり、(はて、どう訳したものか....)と一瞬笑いながらも、考え込まされることはあります。つまり、その表現さえなければ、非難を浴びることはないだろうに、でも、ご自身としては、どうしても入れたかった語句なんだろうなぁ、と忖度してみたり、私なりに忙しく心と頭を動かしながら、どうしたらより、元の文章が活きてくるか、考えているわけです。
初めの頃は、早く提出した方がいいだろうと言っていた主人も、最近では、「数だけ増えればいいってもんでもないだろう」と、私寄りになってきました。
ダニエル・パイプス先生の方も、「僕も、あなたのやり方に一生懸命に合わせているよ」と、つい数日前にも書いてくださいました。「あなたは親切だから」と。いえ、そうではなく、ただ単に、自分が欲することを相手にもせよ、の教えに沿っているだけなのですが。
焦りや切実な思いは、痛いほどわかっているのです。最初の頃、マレーシアの記述が予想以上に多く、しかも、驚くべきことには、私と方針や考えが見事に一致していたのでした。そこから急速に、私のダニエル先生に対する関心と理解が深まり、ついでに先生の方も、日本に対する特別な感情というのか、一方的な片思いみたいな気持ちを寄せられているようで、メール文通が始まって3週間目に、「ね、今ちょっと思い立ったんだけど、僕の翻訳やってみる気ない?」と。その頃には私も、(どうして中国語訳はあるのに、日本語訳が4本で止まっているんだろう?)と気になっていたので、基本路線としては既に肯定的になっていました。それに、訳しながら勉強もできると思い、ありがたく受けとめていました。
ところが、「1986年に3ヶ月、日本に滞在したんだよ」。
(ユーリ後記1:実は「1985年」の間違い。気になっていたので、2014年4月にニューヨークでお目にかかった際、改めて確認した。最初の娘さんが生まれる直前に、NIRAの奨学金で東京のインターナショナル・ハウスに滞在されたとのことだ。(2014年5月11日記))
(ユーリ後記2:「インターナショナル・ハウス」とは「国際文化会館」の英語名称で、そのことにはたと気づいたのは、何と昨日の2015年2月19日のこと。学部生時代から、明石康氏や松本重治氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080815)や緒方貞子先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120420)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%EF%CA%FD%C4%E7%BB%D2)や犬養道子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B8%A4%CD%DC%C6%BB%BB%D2)のご著書や『日経新聞』の文化欄(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%FC%B7%D0%BF%B7%CA%B9)などを通して馴染みのあった場所であり、2008年3月には、二日間の会合で実際に訪れていたにも関わらず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080314)、どういうわけか「三鷹のICUの外国人訪問研究者用宿舎」のような場所を指しているのかしらと勝手に勘違いしており(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091124)、正確な場所が昨日まで不明だった。二人でお喋りしていた時にも、つい「三鷹の?」と尋ねてしまったが、曖昧に濁されたので、その辺りは、平均的な日本人に対する配慮というのか、私の普段の活動範囲を想像されての判断なのか、とも思った次第である。(2015年2月20日記))
「たくさんの日本人に会ったけれど、イスラエルに対する敵意の壁を感じた」なんて(今から考えても、これまた不用意に唐突な一文かも?)が書かれてあったことが、どうにもショックというのか、ひどく気になってしまい、(いったい、大丈夫かしら、この先生...)と、こちらも慎重になったということがあります。
1973年の石油ショック以来、日本がアラブ寄りの外交方針になったことは、自明の事実。しかしそれとて、元々日本は、中東にさほど真剣な関心を寄せた形跡がないとも、古い『モスレム世界』ジャーナルには書かれています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101022)。だからこそ、(敵意の壁なんて....)と、例え日本語に不自由されていたかもしれないとはいえ、こちらはびっくり仰天。
この、面識がないのに、直感的に(この人ならば)と思い立つとすぐに声をかけてこられたノリの軽さ(?)は、アメリカ人ならではのものでしょうか。それとも、ご本人の性格なのでしょうか。
一生でめったとないような得難い出会いで、こんな私にさえ、マレーシアと某教授の京都講演がきっかけとなって親しみと信頼を寄せてくださったのだから、ダニエル・パイプス先生を絶対に裏切りたくはないという気持ちはあります。ただ、それほど簡単に日本社会を考えてもらっては困る、後で期待外れだったと問題が発生するよりは、最初にちょっともたついているぐらいの方が、ちょうどいいのでは、という私なりの読みもあります。
日本のユダヤ陰謀論についても、ちょうどご滞在中に、その種の本が出回っていた時期と合致していたこともあってか、私から見ると(そんな怪しげな本や著者なんて、私でも知っていて手を出さないのに、どうしてわざわざ調べて本に書いて出版されたのかしら)と気になっていたのですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120201)、ご本人にまっすぐ尋ねると、さすがに動揺したらしく「注意深くメールを読んだけど、今はとても忙しいから、短く返事をする。あなたのことは、ユダヤ陰謀論に引っかかる人だなんて、最初から思ったことないよ。あれはね、稀な事例として、人が陥りやすい話をちょっと記しただけなんだよ」と。
思いやりはありがたく受けとめるとしても、(本心はそうじゃないでしょう?相当、ご自身の民族的ルーツに対する恐ろしい差別の歴史が気になっていたから、日本の事例も絶対に書きたかったんでしょう?)と(私の独り言)。
ナチのホロコーストと言うと、ドイツのユダヤ人迫害が真っ先に語られますが、実は、パイプス先生と知り合ってからというもの、欧州では戦前からポーランドが最大のユダヤ人口を有する国だったという、案外に日本では盲点ではないかと思われる事実に、目が覚めました。また、日本に対するパイプス先生の「特別な感情」について、私が勝手に憶測していたところでは、ご両親あるいはどちらかが、杉原ビザで、リトアニアからウラジオストック経由で神戸に一時滞在した後に、米国に移住された背景をお持ちだからではないか、と思っていたのですが、お父様の上記の自叙伝によれば、そうではなく、どうやらイタリア経由で米国に来られたようです。(自叙伝のインデックスには、「Japan」がありません。)
いずれにせよ、ナチのユダヤ人迫害を逃れて米国に移民として渡られたのですが、何かのインタビューで「祖父は軍人でした」と語っていらしたことを思えば、情報通の家系だったということは、よくわかります。
では、その「日本に対する一方的な好意」というのは、どのように解釈すればよいのか?
ご本人がおっしゃらない限り、こちらが勝手に考えても仕方のないことですが、結局は、ご自身の人生の一コマとして、お父様も言及されていない「日本」が、肯定否定の両面の意義を持つだろうことがあるのでしょう。
しかし、輝かしい経歴付きの著名な米国人研究者にしては、由緒正しい日本の奨学金で3ヶ月も日本に滞在したのに(なぜ日本人の友達がいないんだろう?)と、こちらに奇妙な印象を抱かせるような面があることは、最初から不思議でなりませんでした。「日本人のイスラエル観」の本音のところだって、中東専門家やお役人達に会っていらしたのだから、ちょっとお茶でも飲んでいる時に、ちらっと尋ねればわかりそうなものを、「敵意の壁」を感じたまま25年以上も過ごされていたなんて、いくら中東事情と米国同時多発テロで多忙だったからと言っても、何だか変な感じ....。それにもかかわらず、テレビ出演の映像などを、まだ寒かった頃、オフィシャルサイト以外にyou tubeで見ていたところ、多分、福音派の番組なのでしょうが、30代ぐらいの女性司会者と二人向き合っての対談中、イスラームやムスリム移民との共生問題から多文化主義の話題になり、「私がよく引き合いに出す例としては、イタリアン・レストランにするか、日本食にするか、というものがある」とおっしゃっていて、(ん?何でそこで、突然、日本が出てくるの?)と驚いたことを覚えています。ちょうどそこへ帰ってきた主人と映像を見ながら話し合ったのは「どうもパイプス先生、日本に愛着みたいなものを持っているね?」ということ。それにしても、何だかチグハグな事例で、これまた唐突な印象。
そうこうするうちに、イラン問題やトルコのイスラーム化で、イスラエルの存続が緊張感を帯び、ハラハラさせられていたところへ、突然、彗星のように目の前に落ちてきたのが、私だったというわけ、でしょうか。
「最初から、あなたのメールは例外だったよ」とまで書いてくださって、うれしい反面、(一体どんな「下心」があるのかしらん)と、気にはなっていました。もちろん、ここまで大事な点で考えが一致し、気が合いそうなのだからと、日本語訳を依頼したかったのでしょう。そして、日本語読者層に、自分を売り込みたかったのでしょう。それはわかるのですが、ネットでも日本人の中東専門家による論考および他の著者による日本語訳本などでも、目立つのは、「ダニエル・パイプス」イコール「陰謀論者」「右翼で強硬なイスラエル論者」みたいな、おどろおどろしい表現で、私としてもおっかなびっくり。これは、よく周辺を確認してからでないと、火の粉が飛んでくるどころか、とんでもないことになるのではないか、と身構えていました。
今のところ、かなり頻繁な個人メールのやり取りと、フェイスブック上の子ども時代から青年期のお写真などを通して、私の直感は外れていなかった、と。お母様のことは、冒頭のお父様の本で初めて拝見しましたが、目元はお母様似で、鼻はお父様似。5歳年下の弟さんの様子も、今回でやっとわかりましたが、元々、ご本人に関しては(多分、そうだろうな)と、ほぼ予想通り。
また、お父様の研究の関係で、小学生の頃パリに暮らして、現地校に通っていたため、フランス語ができるのも自然だということ、3歳の時にはミュンヘンに滞在したこと、などの他に、若い頃から欧州によく出かけ、スリランカにもいらしたことがあることが判明しています。
私が恐ろしいと思ったのは、確かに、偉大なお父様の大学教授としてのお仕事のために、ダニエル先生にも自然と多くの恩恵が与えられ、ボストン育ちの知識階級として、相当に恵まれた暮らしを送ってこられたことは事実ですが、だからといって、日本語で私が目にした限りの、中東専門家の一部とブロガーによる、ダニエル先生に対するひどい非難と中傷。普通の人は、他事で忙しく暮らしているので、ネット上でさっと読んだら、そこで固定観念が植え付けられてしまうのではないでしょうか。「あ、パパは尊敬されている有名なロシア史の教授で、その息子は、中東研究者として悪名高いヤツか」みたいな....。
最初から気になっていたので、よく気をつけて調べてみたのですが、どうも本でもネットでも、日本語で批判的に書いている人達は、大量のパイプス著作の内、ほんの一部だけ根拠にしていること、しかも曖昧で不正確な引用の仕方をしていることがわかりました。これでは、いくら何でも、失礼極まりないどころか、基本的な品性に欠けるのではないかということです。人権侵害にもなりかねません。
それに、奥様やお嬢さん3人にとって、心の痛むことではないかとも思います。大好きなパパが、自分の信念に沿って、若い頃の学問的訓練と知見に基づいて、イスラーム過激派の脅威から米国を守り、イスラエル動向に心を砕いて、専門家として自分の意見を述べているのに、それが、人種差別主義者(レイシスト)だとか、「イスラエルのために死ね」とか公然と叫ばれて、大学講演でのボイコットが相次ぐなどすれば、さぞかし不愉快でしょう。
プライバシーについては、「自分の権利として、壁を高くして守る」とおっしゃっているインタビューも読んだことがありますが、そうは言っても、限られた時間で、ご家族の話になると途端に相好を崩されたそうなので、やはり、最も寛ぎ、落ち着く場はご家庭なのでしょうねぇ。
この頃は、イスラエルに対するダニエル先生の基本的なお考えを知るためにも、根拠となる思想として、ジャボティンスキーを読まなければならないことに気づき、日本語文献を一冊買い求め、他にも2冊、英語によるジャボティンスキーを注文しているところです。この方も、どうも誤解されているようで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/comment?date=20120503#c)、きちんと著作を読まなければ、勝手に批判することは危険だと痛感します。
そして、ユダヤ教に関しても、専門家のこむつかしい議論は学会などで勉強することにして、もっと一般向けに解説された本を読む必要があると感じ、一冊、新著を入手しました。それに関連して、ユダヤ教が土地(イスラエル)と結びついているとは、2004年のある研究会で話題になったことですが、その際、忘れられなかったのが「だからユダヤ教が改革されなければ、中東問題が解決しないのだ」といわんばかりの態度だった某先生の姿。
「アラブの春」の一連の騒動で、判明しましたよね?中東問題の悪の根源として、何でもイスラエルが悪いみたいな、ユダヤ人が背後でシナリオ操作をしているような、そういうことを、立派な学歴と肩書きに依存しつつ、大真面目に語る専門家が、この日本にも皆無ではなさそうなのですが、とんでもないことです。今回だって、あのチュニジアでさえ、シナゴーグなどユダヤ関連施設が暴徒に襲われたではないですか。パイプス先生が必死になって、30代の頃から旺盛な文筆活動で防衛と警告に回っていらしたのは、何もパラノイアに取り憑かれたからではなく、アラビア語とフランス語ができるので、早くからわかっていたからではないかと思うのです。学者の責務として、語るべき事は体を張ってでも、単独でも、きちんと語らなければならないと、使命感に燃えてらしたからだと思います。
そこは、私が非常に惹かれ、尊敬するダニエル先生の特徴です。そもそも、書かれたものを自分の言語に翻訳する作業は、単純に、機械的に、横のものを縦に直すことではなく、仮に、見解や分析や意見に自分と異なる面があったとしても、本当に著者その人に真剣な関心を寄せ、敬意を抱いていなければ、すべきではないし、できないと思うのです。初めの頃は「どれでも自分の自信の持てる内容から訳し始めたらどうかな」と鷹揚に構えていらしたダニエル先生も、途中で、煮え切らないように見える私の態度決定に不安を覚えられてなのか、「もう、私の個人的なバックグラウンドのことはいいから、私の鍵となる考えを表明している意見文だけを訳しなさい」と言われてしまったこともあります。
でも、そこで私は頑張りました。「いえ、先生。日本で、一部の人達の、単なる現象であろうとはいえ、ここまではっきりと批判が出ているならば、やはり、その誤解を解くところから始めた方がいいと、私は考えます。私、先生の書かれたものに魅了されています。そして、先生の勇気あるイニシアティブにも敬意を表します。だから、私が心から興味を抱いた先生について、その感情や人柄がよく滲み出ている文章を、是非とも日本語読者にご紹介したいのです」と。
まだ数は少なく、計画していたよりも遅れているのですが、2月頃までは、お名前をカタカナで入力すると、1ページ目か2ページ目に出てきていた前の日系アメリカ人女性の訳した4本が、今ではすっかり後退してしまい、私が訳したものの半分ぐらいが、グーグル検索の初めの方に出てきます。それも、ワードに落として分析結果としてお渡ししたら、「大変興味深かった」と、肯定的に感想を述べてくださいました。「ほらね、これが日本なんですよ。私、最初からこれを予想していました」と、偉そうにコメントをつけたにも関わらず....。
もっとも、今後、翻訳数を増やしたら、結果はどんどん変わってくるでしょう。でも、私自身が、本当に興味を持ち、日本に紹介したいと願って、真剣に翻訳作業をしなければ、単なる機械翻訳に任せた方が能率的だということにもなってしまいます。
フランス語訳者は、イスラームとアラビア語の大学教授だった女性らしく、その他にも二人ぐらいフランス語担当者がいるそうですが、コンスタントに翻訳が素早く仕上がってできているので、驚かされています。機械翻訳についても、仏語と英語は、言語間の距離が日本語よりは小さいこともあってか、私自身がフランス語を英訳にかけても、問題なく読めてしまいます。従って、新たにダニエル先生の原稿が仕上がると、その翌々日ぐらいには仏語訳がウェブ上にアップされているというスピードなのですが、日本語では、機械翻訳の未熟さもあって、そんな芸当はまず無理です。
それに、仏語以外の他の欧州言語に関しても、ダニエル先生自ら、ご自分の文章で「私の翻訳者」と紹介されている方がいて、その原稿を読む限りでは、どうやら単に言語を移行させるだけが目的なのではなく、自分の中東観やイスラーム観などに対するスタンスに共鳴し、積極的にリサーチにも協力してくれるような人を「翻訳者スタッフ」に組み込んでいらっしゃるようです。
それならば、私は最初から、条件としては、ダニエル先生にとって願ってもみなかった枠組みを備えているということになります。二通目ぐらいのメールで、「先生が1970年代後半期にハーヴァード大学へ提出された博士論文を基にしたご著書が、インドネシア語に訳されて、京都の私立大学図書館に入っていますよ」とメールをしたのがきっかけで、即座に返答があり、「それは初耳だ。参考資料を送ってくれるかな?」と。早速、大学図書館検索の結果をワードに落として添付で送ったところ、「ありがとうね。すぐに、自分のウェブに掲載するからね」とアドレスがついて、しばらくして確認したら、どこでどう調べたものか、本当にインドネシア語版の表紙と訳者と出版社がアップされていました。この素早さには、全く驚かされました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)。
それに気をよくした私は、ネット上で調べた限りで、日本の大学図書館と国会図書館にあるダニエル先生の著作リストを作り、これまたワード添付で送信しました。その中には、ご自分が1980年代に書かれた中東に関する論文や、『フォーリン・アフェアーズ』に掲載された論考や座談会の日本語訳3本が含まれていましたので、現物複写を取り寄せたりして、お送りしました。「すっかり忘れていた」と、とても喜ばれたのには、こちらもうれしくなりました。だって、私だって、マレーシアのキリスト教組織の印刷物や公式サイトで、私の寄せた一文がそのまま掲載されたのを知った時には、うれしかったですからね。どの国であれ、自国以外の海外で、自分の書いたものが名前入りで掲載され、印刷されて記録に残ることは、大きな喜びですから、その喜びを知っている者として、ダニエル先生にも、頼まれもしないのに自発的にお送りしたのは、私としては当然の行為でした。
あ、おもしろいことが一点ありました。グーグル検索にお名前をカタカナで入力すると、まずトップに上がっていたのがウィキペディアの項で、どういうわけか、お父様のリチャード・パイプス名誉教授も一緒にくっついていました。ところが、気がついたら最近、ようやく親離れ、いえ子離れ。お二人は別々のページに出現するようになりました。しかも、第一ページのトップは、ウィキペディアではなく、私の訳した先生紹介文なのです!
本当に、(多分)娘さん達に対してと同様、私にはずっと紳士的で優しい先生なんです。どこが「抑圧的で強権的な人」なんでしょうか。
これは、キャンパス・ウォッチを立ち上げたダニエル・パイプス先生に対する、ある日本人中東専門家の批判文にあった表現なのですが、少なくとも私には、一方的な非難としか思えません。キャンパス・ウォッチについては、米国でも相当の批判があったそうで、改める点はダニエル先生も改めていらっしゃいますし、我慢できない点については、きちんとしかるべき筋を通して、言論で反論されています。少なくとも、「イスラエルについての批判は一切認められない、マッカーシズムだ」という非難は、相当しません。私は知っています。ハートフォード神学校も、ウィリアム・シェラベア博士がご覧になったら、さぞ嘆かれるであろうほどに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080910)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)、現在ではイスラーム主義者の教官によって、かなりゆがめられてしまった点が明らかで、それをはっきりと指摘する場が、キャンパス・ウォッチなのです。イスラエルに関しても、国内があれほど多様なのだから、さまざまな見解が出るのは当然のことで、その批判が許されないなどとは、ダニエル先生の趣旨とは全く異なります。「誰も完璧ではない。私は、イスラエルが常に正しいとは言っていない」と、2004年のカリフォルニア大学バークレー校でのインタビューで、はっきりと明言されてもいます。むしろ、「イスラエル批判が許されないキャンパス・ウォッチ」ではなく、「イスラエル国家の存在を認めようとせず、破壊することばかり考えている人々」を批判する場としての「キャンパス・ウォッチ」なのではないでしょうか。いかがでしょう?
今日はすっかり長くなってしまいました。こんなことをしている間に、翻訳作業が進むのにな、と内心忸怩たる思いをしながら、半分ぐらいまで書いて、保存キーを押し、パソコンを閉じる前にメールチェックだけでも、と思ったら、なんとダニエル先生から13分前にメールが届いていたことが判明。
「(翻訳の遅れを)謝らなくてもいいんだよ。締め切りなんてないんだから。それに、あなたのすることは全て、僕にとって感謝すべきことばかりなんだよ」と。