ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再びフェイスブックの転載を

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

1.

小説家としてのパイプス先生の腕前は?


http://www.danielpipes.org/15421/
「パロディ:この十年の選挙物語」
ダニエル・パイプス


このパロディは、1991年4月15日付『ニューヨーク・タイムズ』紙上のゲーリー・シックによる「十年の選挙物語」と題する署名記事への応答である。そこで彼は、「1980年のレーガン=ブッシュのキャンペーンに関連した個人が、アメリカの選挙後までアメリカの人質の釈放を遅らせるため、密かにイラン官僚と会った。この情実のために、イランはイスラエルからの相当な武器供給で報われた」と主張した。

小説ならば、あまりできがよくないと思いましたが、パロディということで...。
まだ十代半ばの末娘さんがとても上手にノンフィクションを書かれたので、「お父さんだって、昔は強い創作の才能があったんだよ」と説明しようとして、ちょうどこのブログが、ご家庭で話題になったのだそうです。
そこで、私が余計な突っ込みを。

「でも、このパロディを書いた1993年当時(パイプス先生44歳)は、彼女の年齢と合っていないじゃないですか」。

(独り言「それに、その時は、まだ生まれてもいなかったし、何よりも、彼女のお母さんとご一緒ではなかった…」。)
気位の高いパイプス先生、思わずむっとされたようで、しばらく時間を置いて、熱を冷ましてから(?)なのか、おもむろにお返事を。

「あんたが言及した僕の小説家としての才能以外に、関連はないよ」。

「小説家としての才能」だって?「中東イスラーム学者」で「政策分析家」だったんじゃないですか?
負けず嫌いで減らず口をたたく癖は、独特のもの。というよりも、そうやって生き抜く術を活用してこられたんでしょう。でも、日本人には該当しませんよ!
これは、小説ではない。パロディなんです!
そこで、私も切り返しを。

「時々、先生って不必要に私を笑わせますよね。かわいいEちゃんには、超自信家のお父さんがいるということが、今わかりました。ご幸運に乾杯!」

無言。

一言申し添えれば、パイプス先生の経歴の出発点は、非常に輝かしくて、多分、相当な理想や野心や意気込みを持っていらしたのだろうと思うんです。それに、その路線で一直線だったならば、私なんかに訳文を依頼されることもなかったでしょう。
お父様が、ナチ支配のポーランドを逃れてアメリカに渡った一世代で、急速に階段を駆け上り、国家に名を残すような目覚ましい人生を送られたので、それを間近に見て育った1950年代のダニエル少年は、(よし、自分も中東イスラームでやってみせるぞ!)と決心したのだそうです(http://www.danielpipes.org/9750/predicting-war-interview-with-marvin-olasky)。
そういう風に単純に真っ直ぐ思い込む辺り、移民社会のアメリカらしいな、若い国だなって思いますが。
博士号を授与された後のイラン革命(1979年)の頃から政権中枢に接近して、いろいろと画策。フランシス・フクヤマ先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131004)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140506)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)の後釜として国務省にも入って、中東政策の分析官を。その後、ハーヴァード大学に移られて講師を務め、イスラームに関する本を執筆(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)。将来はお父様の後を継いで歴史学の教授に、という人生を思い描いていらしたようです(http://www.danielpipes.org/10987/)(http://www.danielpipes.org/15324/)(http://www.danielpipes.org/15326/)。
ところが、1968年から69年の学生運動や対抗文化の反動精神に巻き込まれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)、内気で素直なダニエル青年は、保守的な「パパっ子」として、すっかりマイノリティ中のマイノリティに格付けされてしまいました。何とか生き延びたものの、その余波で、1980年半ば頃までは、どんなに頑張っても脇役に押しやられてしまったようです。
その経緯は、以下に示す、エドワード・サイードの論駁にも現れています。

時代の趨勢のみならず、パイプス先生の一本気な強い個性や対人関係の対処法の問題もあったかもしれません。それに、お父様があまりにも短距離でうまく行き過ぎたので、嫉みやっかみから、息子の代でやり返し、ということだったのかもしれません。

1985年、ちょうどアカデミアを去る区切りとして、奨学金を得て日本に来られたようです。昔から「興味のあった日本に少し住んでみたかったから」と以前のメールでうかがっています。大学のお仕事で、今でも時々日本に来られる最初の奥様とご一緒で、お腹の中にいた一番上の娘さんも、日本をあちらこちら旅されたとのことです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140608)。
つまり、繰り返しになりますが、公私共にいろいろな意味で、パイプス先生にとっては、日本が特別な位置づけにあるということです。
2011年12月20日エスポジト教授の来京講演のおかげで、突如、私がご指名に浮上したことも、興味深い成り行きです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)。

2.

どうぞ!派生的に、中国政府が促進しているアメリカでの孔子学院の問題についても、パイプス先生は気づいていらっしゃいました。


http://www.danielpipes.org/15424/
「議会:偏った中東研究に助成を止めよ」


外国の地域研究のため納税者の資金を受け取る見返りに、高等教育法(HAE)の第6(Title VI)によれば、幼稚園から高校までの教師と一般人に向けた「公共アウトリーチ」プログラムを行うことに、大学は同意しなければならない。...

この一考は、私の予想に反して、出だしからアクセス数が好調。人目を引くんでしょうか。

では、お次を。

3.

アクセス・データによれば、「オリエンタリズム」に関する批判的なパイプス論考の邦訳は、アクセス数が好調です(http://www.danielpipes.org/12188/)。それに励まされて、サイードhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141204)の衒学的なパイプス批判文を訳してみました。一文が長過ぎて、構造が込み入っていて、わかりにくい英語でした。気取った文章ですが、思考をすっきりさせれば、もっと明快になるはずです。


http://www.danielpipes.org/15425/

オリエンタリズム再考」


エドワード・サイードが1983年の拙書『神の道:イスラームと政治力』を批判した。『オリエンタリズム』という題の彼の書を批評した七年後という、かなり長い行程の応答である。


By エドワード・サイード



要するに、「パイプスの書いていることは気に食わない」。

(転載終)
そして、パイプス先生の方も、当事者がこの世に存在しなくなってからでも「サイードのことは気に食わない」(http://www.danielpipes.org/11948/)(http://www.danielpipes.org/12272/)(http://www.danielpipes.org/12488/)(http://www.danielpipes.org/13353/)(http://www.danielpipes.org/14059/)(http://www.danielpipes.org/14382/)(http://www.danielpipes.org/15196/)。
双方共に、なかなかしぶとい人達です。執着粘着気質そのもの。「水に流す」ことを良しとする、さらさらのお茶漬け民族(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100826)とは、気質が違います!
さて、勝敗はどちらに?