ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

成人式から二倍半を生きて

虐められているのに、相手が悪意でやっていることに気づかず、ニコニコしている人がいる、と読んだ。その人のことを、愚鈍で馬鹿ではないか、と論評しているのだった。
なるほどねぇ、世の中は広い。半世紀近く生きてきても、まだ未知のことが多過ぎる。

昨日は成人の日だった。自分の成人式を思い出すと、当日の一月十五日は、朝五時起きだった。暗いうちに歩いて、予約しておいた美容院で振り袖の着付けと髪の結い上げをしていただいた。町代表で「君が代」をピアノ演奏するというご指名をいただいていたことが美容院にも伝わっており、特にお祝いの言葉をかけていただいて、とても緊張していた。
ところが、自宅に帰ったら、開口一番「馬子にも衣装」と言われたのだった。咄嗟に意図がわからず、「馬子にも衣装って、どういう意味?」と聞き返したら、言った人はぐっと返答に困っていた。「二十歳にもなって、言葉もろくに知らないの?」と。
父だけは黙ってうれしそうに、成人式の後、自分が運転する車で親戚回りなどに連れて行ってくれたことを思い出す。

さり気ないエピソードだが、多分、私はこのような環境で、心理的に理不尽で陰湿な圧迫を受け続けながらも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)、(大したことない、大したことない)などと繰り返し自分に言い聞かせつつ、これからはそのような扱いをされないよう、少しでも自分を高めていかなければと、必死の思いでいたのだと改めて思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100219)。それに、悪意に対して悪意で返すことをせず、いつでもそばで黙々と、なすべきことをしてくれた父は、いなくなってからの方が、むしろ雄弁に存在感を増していることを痛感する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。

いつも自分のことで精一杯なので、周囲の否定的な思惑に気づかず、一緒に笑ったり無邪気に喋ったりしていると、隣で「あんたって赤ちゃんみたいだよ」と嫌そうに突き刺すようなことを言う人もいた。「自分を何歳だと思っているの?」と。

そう言われると、ますます努力して、年齢相応にもっと硬派の本を読み、しっかりと物を考えていかなければと思い、必死になっていった。むしろ、そういう私の態度が気にくわない人もいたのだろうか、ということにハタと気づいたのは、何と昨晩のことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140910)。

成人式を迎えてから、その二倍半を生きてきた、というのにである。実におめでたい話だ。

ついでながら、学校でいじめに遭っていた子が、気づいてなのか気づかずなのか、「先生、僕の机が廊下にあります」「上履きがなくなったので、貸してください」など、堂々と逐一皆の前で先生に報告していたので、いじめている側もやりにくかったのでは、という話を読んだ。先生からも、この子はいじめで自殺するんじゃないかと心配して、殊更に気を遣って声を掛けてもらっていたので、元気に卒業することができた、という告白だった。

これを読んでふと思い出した方がいる。ダニエル・パイプス先生だ。(奇しくも、ちょうど三年前の今日、彼が私の英語ブログをご自分のウェブサイトに引用してくださったことも合わせて想起(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://www.danielpipes.org/blog/2007/09/john-esposito-and-me))。

学歴も経歴も見事に輝いていらして、先見の明と勇敢な気概の持ち主なのに、9.11前までは、自分の中東見解に関して「孤立感を覚えていた」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。
何とか認められよう、米国の外交政策に貢献しようと、力こぶの入った長い論文やコロンブスの卵のような本を一生懸命書いていらした当時(『神の道』(1983年/2002年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)『長い影』(1989年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)『ラシュディ事件』(1990年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)『大シリア』(1990年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)『隠れた手』(1996年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)『陰謀』(1997年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626))、著名な政治雑誌に寄せられた読者コメントや投書には、まるで的外れだったり、悪意的なものが目立つ。「こいつははた迷惑な煽動者である」というような内容だったり、語ることが困難な現代イスラームおよびムスリム中東の諸問題に関して、「なぜこんなネガティブなことをパイプスは書くのか」という態度だった。つまり、存在をつぶしたかったのであろう。
しかし、9.11同時多発テロが発生した途端に、「荒れ野の預言者」みたいな持ち上げ方をされて(http://www.danielpipes.org/13270/)、突然、「以前から彼の発言に耳を傾けていたら、9.11は防げたかもしれない」などという調子(http://www.danielpipes.org/10987/)(http://www.danielpipes.org/11525/)(http://www.danielpipes.org/11594/)(http://www.danielpipes.org/12974/)(http://www.danielpipes.org/13002/)(http://www.danielpipes.org/13795/)(http://www.danielpipes.org/15326/)。
しかしそこは、ナチ・ドイツ支配下ポーランドアメリカの冷戦期を生き延びた教授をパパに持つダニエル先生もしたたかで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130104)、テロの犠牲者に対する悲嘆と同時に、これを機に、どうしたらアメリカおよび西洋世界をイスラーム過激派から守るか、人々を啓蒙するために自分を売り込み、国家貢献する戦略を考え、実践していたのだった(『戦闘的イスラーム』(2003年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)『ミニアチュア』(2003年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140305))。

ところが、注目が集まると今度は、左翼やイスラミストや、にわか仕立てのイスラーム論評家や、時流に乗って自分も目立ちたい人などが寄って来て、あることないこと、長々としたパイプス評を書き散らすようになった。
それに対しては、「あんたの長たらしい講釈は、一文で要約できる」「自分は○○と述べているのであって、××とは言っていない」「その論法でいくなら、これについてはどうか」「その問いは、全く無関係の文脈から来ている」「それに関しては、私は十数年前に既に論文を書いている。これを参照せよ」「駄文を投稿する前に、まずはスペルミスから直せ」「宛先が間違っていないか」「それは私の専門ではないので答えない」「私には、そのような映画や本を見ている暇はない」「諧謔として、記録のためにここに掲載する」「私に質問する時は、事前に私の著述をよく調べてからにせよ」「初心者向けに、ここから始めよ」などと、アイアンドームのように端的に的確に撃墜を繰り返されていた。あるいは、最初から峻厳に無視黙殺されていた。
厄介だったが、数年経つうちに質問やコメントが徐々に整理されていき、今では明らかにくだらない投稿は確実に減ってきたか、最初から篩いにかけられるようになった。そうすると、「あいつは、気の合う人間だけ周囲に集めている」という文句が出現するようになった。

...という話を昨晩、夕食の時にしていたら、主人が一言。「ユーリはパイプス氏と友達になれて、本当によかったと思うよ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)。これからは、少しはパイプス氏を見習って、どんどん書いていきなさい」。

確かに、書くネタには困っていないのだ。子ども時代から、新聞雑誌への投稿は全く苦にならなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)。いくら「かわいくない」と嫌みを言われても、本を読むことは子ども時代から好きだったし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103)、世の中の多くのことに興味がある。勉強したいものはたくさんある。人の話を聞くことも好きだ。文章表現も好きで、大学院の時には、指導教官から特に褒められていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070905)。パイプス先生からは、「上手に英語が書けるね」とお褒めの言葉を頂戴した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)。

ただ、論文となれば逐一論証を挙げなければならず、マレーシアのような、事実そのものが隠蔽されがちな噂社会では、思い切って書くことが困難だったというだけだ。それに、分かっていない人が高見から変なコメントを寄せてきたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130906)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131218)、精神衛生上、避けて通る必要もあった。いくら頑張っても、イデオロギー的に時流に乗っていないと、丁重に退けられる風潮もある。(池内恵先生、日本だけじゃないですよ!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150109))

しかし、私には常に防波堤があった。父や主人や「あしながおじさま」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)や太平洋を超えたパイプス先生...。パイプス先生の場合、学歴や経歴に関しては全く雲泥の差だが、結構、私には気が合うのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)。勤勉で相当な努力家なのに醒めたところ、どこか斜に構えたところ、ユーモラスで愛嬌のある側面(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)、そして根は温かくて素直なところ、年齢の割にかわいくて素朴なところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140802)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)等々。
共和党はほろ苦さを噛みしめた人生だと描写されているのを読んだことがあるが(冷泉彰彦民主党アメリカ・共和党アメリ日経プレミアシリーズ2008年 p.119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140528))、言い得て妙だと思う。

昨日、成人式を迎えられた若い皆さん、こういう者も世の中にはいます。どうか荒波に対して早々と狭く結論を出さず、長い人生を悠然と構え、あなただけの人生を大切にお過ごしください。