日本に関心を寄せる西洋学者
昨日は、五月連休の最終日ということで、体休めと同時に、たまった仕事を片付けようと意気込んでいたのですが、結局は、目の疲れもあってか、ブログ更新も翻訳もゼロで終わってしまいました。
体を休めるには、寝転んで本を読むのが、私にとっては一番。というわけで、角地幸男(訳)『ドナルド・キーン自伝』中公文庫(2011年2月25日)(参照:2012年4月13日付ツィッター)を楽しく読んでいました。
(https://twitter.com/#!/ituna4011)
13 Apr Lily2@ituna4011
『ドナルド・キーン自伝』(中公文庫) ドナルド キーン(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4122054397/ref=cm_sw_r_tw_dp_U7.Hpb0M99VEV)が届きました。気分転換に、昔を懐かしみながら読むのが楽しみです。キーン先生、日本国籍を取得してくださって、ありがとうございました。
キーン先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120407)のご専門である近世文学は、実のところ、私の最も苦手とする時代なのですが(紀記万葉から源氏物語、そして明治から昭和初期にかけての近代文学が好き)、さすがに関西に居住するようになって15年も経つと、新聞記事などを通して自然に入ってくる情報などの蓄積で、キーン先生の言わんとすることが、少しずつ身近になってきたように思われます。
学生時代は、とにかく畏れ多きアメリカの日本文学者ということで、わけもわからず見上げるばかりだったのが、今読んでみると、その解釈の的確さと独自性、決して日本人全般に媚びているわけではない毅然とした態度、西洋人の目でまっすぐ見据えた日本文学の美意識「再」発見(?)、ご自身の個人史と密接に関わり、ある面でご自身の人生を根底で支え、励まし続けてきた日本文学の存在、素直で初々しい好奇心に充ち満ちた気質などが、そこかしこに伺え、確かに学ぶべき点の多い学者だな、と感じさせられます。
生涯学問は続けるものだとのことで、一度も結婚して家庭を持つことのなかったキーン先生が、手術経験と東日本大震災を契機に、なじんだ米国を離れ、日本国籍を取得する決心をされた経緯も、はっきりとは語られないものの、何となく心境が読み取れるような気がしてきました。
何がおもしろいか、と言えば、表記法の複雑な日本語が読める西洋人という共通項によって、世界中の日本文学研究者と同志感覚で親しく結びついたという記述。これは、我々、日本語社会の内部で当たり前のように暮らしている者にとっては、絶対に経験できない希有なことなのでしょう。また、日本の伝統芸能を自ら学び、実践して、舞台にまで立ったという写真が、本当に興味深く感じられました。今ならともかく、当時は、実に珍しかったでしょうに、並々ならぬ意気込みがうかがえます。
それに、今では驚くような「お金」の問題。日本に来たくてもお金がなく、財団の奨学金を当たってみたことなど、(へぇ、あのアメリカで?)と改めてびっくり。同時に、共産圏の問題およびソ連訪問時の経験。エッセイ風の読み物を読むことの重要性は、こういった、案外に盲点のような意外性を知る点にあるかと思います。
そして、自分が楽しいと思えるような教え方をしたい、おもしろい本を書きたい、という真っ直ぐな願い。この、少年のような瑞々しさは、キーン先生に対する、私の新たな視点となりました。
読みながら漠然と感じていたことですが、日本文化(と言っても、昨今の「カワイイ」「アニメ」「マンガ」のような大衆文化ではない)を、どのように西洋が受けとめて評価するか、という点は、現在だからこそ、そして、今の私の年齢だからこそ、かえって興味があります。その関連で、おとといも書いたリチャード・パイプス名誉教授の自叙伝には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、「しばらく、日本の広重の浮世絵を収集してきた」(p.119)という一文があり、ハッとさせられます。リチャード先生は、1984年頃に、中国での研究滞在から帰国されたそうで、当時、日本人との比較までされています(p.120)。道理で、ご子息のダニエル先生が、1985年に日本のシンクタンクの研究資金を申請して、1986年には日本でのリサーチ滞在を選択されたわけですね。
そこで派生的に考えたこと。私のような一介の平凡な日本女性に過ぎない者に、どうしてダニエル・パイプス先生のように輝く知識階級のご出身が、「僕の翻訳を引き受けてくれて、とてもうれしいし、本当に光栄だよ」なんて、育ちの良さからくる礼節だとはいえ、実に謙虚な挨拶をされるのか、と。かえってこちらは恐縮なのに....。
お父様のご著書を拝読してみると、ご家族一緒の、研究目的の海外滞在が結構あるのですが、それ故に自然と得られた幅広い知見と教養を持つポーランド移民二世としてのダニエル氏が、1968年69年の学生運動で、(表向きはベトナム戦争に対する見解の相違ということになっていますが)仲間から激しく非難されたのです。もともとお父様似で、安易な付和雷同を嫌う性格から、自己の意見表明をした途端、即座に友人を失い、全く孤立してしまったことを、今もずっと深く気にされているのではないか、と。
もしそうだとすれば、西洋社会で育ち、親の職業のおかげで自然に身につけた知識で、社会的には有利な立場にあるのと比べて、東洋人の私なぞが、社会常識としての、仏教と神道と世俗社会のそれぞれの要素を踏まえた上で、聖書だの、イスラエルだの、ユダヤ問題やユダヤ教への関心だの、イスラーム・ムスリムと対峙する諸問題だの、西洋古典音楽だのに、小さい頃からそれとは気づかずに興味を覚え、客観的には相当の文化的距離があるのに、一生懸命に学ぼうとし、しかも、自国語ではない英語で訥々と真っ直ぐにメールで綴ってくることが、余程うれしかったのかしら、と。
または、私達日本人が、空気のように当たり前のように感じている日本語や日本文学に対して、努力して意識して学ばれ、我々の気づかなかった点を教えてくださるドナルド・キーン先生を尊敬するように、もしかしたら、ダニエル先生も、逆のベクトルで、好感を持ってくださったのかな、と。
他の人々からのお褒めの言葉は、自分を甘やかし、成長を妨げることになるかもしれないと懸念して、極力忘れるように努めていますが、昨晩ふと感じたのが、(あれ?だけど、満更、お世辞でもないのかもしれない....)と。
例えば、私がメールで、論文ではないので、かなりおおざっぱなエッセンスだけ、淡々と自分の意見や経験を綴っても、ダニエル先生は、いつも「すごくおもしろいね」「なんて興味深いんだろう」と、各部分を引用して、率直に褒めてくださることが多いのです。「おもしろい」「興味深い」ぐらいなら、私でも書けますが、嘘だけは相手にばれる上、かえって失礼です。でも、ダニエル先生の場合、お父様のご著書を読んでもわかるように、お世辞や社交辞令が、あまり通じないタイプというのか、性格的に嫌いなようです。だから、いつでも語り口も文章も、ぶっきらぼうだし、唐突だし、飾りっ気がなく、慣れるまでは(え?)(ん?)の連続。その代わり、生真面目で冗談もめったに言わず、公には大笑いすることもないタイプなので、取っつきにくい割には、いったん親しくなったら、とことん誠実に、という安定感はあります。その一方、もし仮に余計なことを言って怒らせたなら、大変なことに....。
おとといの朝日新聞で、「東大で続く有名教授流出」という大きな記事が目にとまりました。肩書きを定年前に捨ててしまう東大教授が相次いでいるのだそうです。
・東京大学がかつてもっていた輝きが失われてしまった。
・今はあくせくしてまったくなくなった。
・大学改革で、国からの補助が減り、外部から研究費をとってくる人が優遇されるようになった。
・すぐに成果が出る研究が増え、長い時間をかけて成果を出す研究ができない環境になってしまった。
・年がら年中会議ばかり。研究や教育にかける時間は全然とれない。
・ここ10年ぐらいで大学の雰囲気が急速に変わった。
・大学改革で教員の管理強化が進み、自由な空気が失われてしまった。
・近年の大学院重点化の弊害→大学院を荒廃させた
・少子化で大学のポストが減る中、大学院を拡充すれば、おのずとパイの取り合いがおき、少しでも取り分を増やそうとする動きが避けられない。「そういうことがいやな人は去っていくのでは」
...とまあ、こちらは昔から予測のついた内容の羅列でしかありませんが、確かに、私のささやかな経験でも「え!これが東大?」とびっくりさせられる事例が、後を絶ちません。
実は、アメリカの大学事情に長らく疎かった私が最近知ったことですが、米国有数の諸大学でも、(一部の)中東研究やイスラーム研究で、何やらおかしなことになっているらしいです。だからこそ、ダニエル先生が、果敢に挑戦を挑まれたというわけですね。アメリカの風潮は、数年遅れて日本にも伝染するので、やはりしっかりしていただきたいものです。この先が、大変に思いやられます。
今日もまた、ドナルド・キーン先生で始めたつもりが、いつの間にか、ダニエル・パイプス先生になってしまいました。主人が「よくそこまで入れ込めるもんだねぇ」と笑っていますが、我ながら確かに....。
ただ、多言語への翻訳が活発な理由として、主人が指摘したには、「あの人達が、米国内で孤立しているんだよ。著名で、あちこちで講演して大勢の人々と会っているかもしれないけど、でも、本当の意味では、多数派に準じているのではないかもしれない。だから、海外へと広げていくんじゃないか?」と。
確かに、南メソディスト大学のロバート・ハント先生と比べてみても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120419)、お祖父様がテキサスかダラスかで最初の学院を設立したという教育家系の出で、しっかりと米国南部に根を下ろしているからこその、余裕ある風貌と生活態度。ご著書も何冊かありますが、日本で紹介しているのは専ら私一人であっても、英語のままで充分。「日本でも知られてうれしいよ」ぐらいは、一度書いてこられたことがありますが、だからといって、それ以上に「翻訳してね」みたいなことは、一切おっしゃいません。
であるのに対して、ダニエル・パイプス先生は、性格もあってか、いつもどこかイライラと神経質に焦っている感じです。これは、いくら米国でよい暮らしに恵まれていたとしても、ユダヤ系の身の落ち着き所が、結局はあの地にしかないことを、現実感覚として肌身で感じていらっしゃるからでしょうか。だとすれば、やはり、私には到底、実感に達することの不可能な境地ではあったとしても、日本国内に安住できる身分として、少しでもお助けできる面でお役に立てればと願うのです。