ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

組織や肩書ではなくその人自身を

というわけで昨日は、いささか気抜けしたような感じがしました。
案の定、今日の午前11時過ぎになって、ようやく17日付名古屋発消印、18日付こちらの郵便局消印の速達が届きました。つまり、例のおばさんが自分を守ろうとしていい加減なことを言ったようなのです。自分ペースで気楽に、土曜日のポストに放り込んだ結果、2日も遅れ、こちらの人生計画を棒に振っているなどとは、つゆぞ考えもしなかったのでしょうね。即刻、電話をかけてご本人に抗議し、上司にもメールで申し入れしました。おばさんの方は、相変わらずわあわあ何か言っていましたが。

結局のところ、何事も無理せず余裕を持って、という教訓だと思います。そして、世の中の仕事は、たとえどんな小さな仕事であれ、きちんとする。信用と誠実さが第一。これに尽きますね。
ただ、ようやく開示されたシラバスを見てみたところ、この歳になって、週二日の毎回のテストで確実に高得点をとれるかどうか、一瞬怯む気分になりました。それに、後期のテキストの一部は、私が持っているものと同じだったので、上記でいうところの‘余裕’を持つならば、自学自習をある程度進めておいてから受講した方が、心理的に楽という面もありそうです。

学部生の頃に読んだ犬養道子氏のエッセイには、「40歳から55歳という、けじめの年齢期に、かつて中学や高校で勉強したときと同じていどに、集中的(ミニマム丸一ヵ年、最良は三ヵ年)に、意識して頭をうんと使い、時に痛めつけるほどのトレーニングをした人。その後もやりつづけた人」の記憶・判断力は、その人が25歳だった時点より上回ったという研究データが紹介されていました。また、40代半ばになってからギリシャ語の勉強を始めた中卒の中産階級中の下くらいの家庭の主婦が、91歳でハーヴァード大学に入学してきたというエピソードもありました。家事の合間に自家製トレーニングを自分に強いたのだそうです(犬養道子幸福のリアリズム中公文庫1984年 p.86-88)。もしそれが本当ならば、まだ可能性が閉ざされたわけでもなさそうなので、せいぜい、気持ちだけは広く持っていたいものです。

ところで、一昨日のNHK教育テレビこころの時代」では、京大哲学科卒業の天龍寺高僧で、40代半ばで医学部に入って国家試験にも合格され、現在は研修医をされているという対本宗訓氏がお話されていました。主人が見ていたものですが、さすがは禅の僧医は、姿勢からして違うのだなあ、と敬服しました。淡々と落ち着いて率直に語られるところに、敬意を覚えました。(ご本人のホームページはhttp://www.sokun.netです。)
緩和ケアなどのお話が出てきた時、1月に神戸バイブルハウスで白方誠彌先生にご質問した仏教系ホスピスを思い出し(参照:2008年1月25日付「ユーリの部屋」)、自己満足かもしれませんが、あの時言及させていただいてよかったと思いました。禅は、日本での伝統が長い上に、文化的にも洗練され修行も厳しく、京大系でヨーロッパにも留学されるような優秀な人材が集まっているような印象を受けます。それだけに、僧から医師への転身には内部での批判が多かったそうですけれども、一般社会の方がむしろ公平に判断し支援してくれたとのことでした。
私の率直な感想では、仏教の方が日本社会への浸透度が深く広いので、今後、このような仏教による緩和ケアも、それを望む方々のために広まるとよいのではと感じています。白方先生もあの日、「結局は、キリスト教も仏教も目指すところは同じです」とおっしゃっていたと記憶します。上記ホームページには、「よきサマリヤ人の譬え」とアッシジ聖フランシスコの「平和の祈り」も仏教の教えと並べて掲載されていました。

さてそれでは、先日東京で出席した聖書翻訳ワークショップとの関連は、一体どのように考えればよいのでしょうか。

私にとっては有意義な学びでしたけれども、その後、講師を務められたM先生からご連絡をいただきました。聖書協会と自分の仕事は少し違うと感じられたようです。そして、やはり自分は宣教師であり、遣わされた場所で奉仕していきたい、とのことでした。全く敬服以外にありません。M先生は、あの土地と人々が本当に好きなんだろうな、信仰以上の何か深く熱い思いがあって聖書翻訳をされているんだろうな、と思いました。

他にも、似たようなタイプのウィクリフの日本人宣教師を一人存じ上げています。インドネシア領ではない方のパプア・ニューギニアで翻訳されているN先生で、数年前までは何度かお手紙のやり取りがありました。病気になって帰国しても、治るとすぐに彼の地に戻られるのです。「私はここの人々が好きです」とおっしゃっていました。ただ、N先生に私の論文をお送りしたら、パプア・ニューギニアとは全く関係がなく、また、ウィクリフには一言も言及していないのに、いや、だからなのか、「大学の先生の書くことはよくわかりません」とやんわり拒絶のような返答をいただきました。(そんなつもりじゃなかったのに)と、淋しく思いました。

その点は、立場が逆なだけで、私がマレーシアのウィクリフに対して違和感を覚えたのと、いわば同種なのかもしれません。しかし、そもそも全く別の仕事でマレーシアに派遣されることになり、4年間も住んでいた私にとっては、仮に問題多しといえども、一応は政府公認の組織であるマレーシア聖書協会などのキリスト教組織に依存しなければ、一体何がどのように問題になっているかもわからなかったのです。

以下は、2008年3月14日付「ユーリの部屋」の続きになります。
マレーシアのウィクリフのオフィスで「もう、あんたの友達(マレーシア聖書協会)のところへ行きなさい」と追い払われ(?)た後、同じ首都圏郊外にあるマレーシア聖書協会のオフィスに連絡をとってみました。あっさり面会許可が出たので、気を取り直して別の日に訪問して、ウィクリフについて尋ねてみると、驚いたことに、面会してくださったスタッフ(サバ州のカダザン出身で半島在住のプロテスタント)の態度は、とてもおおらかで落ち着いていたのです。「ブミプトラのクリスチャンである私達を、マレーシア政府はまじめな国民として喜んでいるのよ。私達の聖書なんですから、マレー語聖書に問題はありません」と言い、「聖書協会に問題があると言っている側の方が、実は自分に問題を抱えているんじゃないの?問題がなければ、私達と協力できるはずでしょう?」と穏やかに答えました(2000年3月と同年6月の面談および彼女の夫が牧師を務める教会での参与観察より)。外国人としてリサーチする立場では、全体を客観的に見なければならないのはもちろんですが、同じキリスト教であっても、どちらかと言えば、より開かれた柔軟な態度を示す人の方に、自然と好感を持ちます。
ところで、8年前、東京外大のある教授が、「ウィクリフの人達は言語調査をよくやっていますね」と私におっしゃったことがあります。また、サイードの名前を継承するバングデシュ出身のムスリム学者が、5年前、名古屋での会合で、「文明の遅れた先住民族キリスト教を通して近代化する活動はいい。でも、ブッシュのように、ムスリムを攻撃するキリスト教は、絶対に反対」と私に言われたことも、よく覚えています。この二つのコメントは、カール・ヒルティの「諸君は、ある事柄、またある特定の人々に対する愛と義務感情から働きなさい。何らかの人類社会の大問題に参加するがよい。たとえば、諸民族の政治的解放、キリスト教の伝道、放置されている下層階級の向上、(以下略)」という言葉を想起させます(参考:ヒルティ)/草間平作)『幸福論第一部)』岩波文庫 p.23)。また、ムスリムは、一般のクリスチャンが考える以上に、キリスト教の果たす役割を一定の条件下で認めていることを示していると思います。

英領マラヤ時代にメソディストの宣教師だったウィリアム・シェラベアが、マレー人と接触を重ねるうちに、敵愾心から深い同情や理解へと態度が変わっていった当時、同じマラヤでも、相変わらずムスリム理解に乏しいままの宣教師もいました。また、当時は、オランダ聖書協会と英国聖書協会の関係は、ヨーロッパ情勢とそれぞれの植民地政策の影響もあり、ぎくしゃくした面があったようです。

いろいろと調べてみてわかったのは、結局のところ、一口にキリスト教宣教師といっても、その地と人にのめり込むタイプと、線引きをするどころか対立的になって地を去るタイプとがあるのかもしれないということです。例えば、10年ほど前のことですが、カナダ出身でアメリカ在住だという元ウィクリフの女性宣教師は、私に「あなた、その研究テーマをよく考え直したらどうですか。あの人達(マレーシアのクリスチャン)は、土地の文化に妥協していて、既に塩気を失っているじゃないですか。純粋な水が汚れた水と混じり合ったら、もう飲み水ではなくなるのと同じなのですよ」と聖句を引用した手紙をよこしました。私は、「もしもそれを言うなら、同じ聖書に書かれている隣人愛の教えやよきサマリア人の譬えは、どこで実践されるのですか」と反論しましたが、その後のやり取りは、当然のことながら、なくなってしまいました。

このように、マレーシアの聖書翻訳に関する研究リサーチは、始めた当初は、自分が知らなかったことがあまりにもたくさんあって、労多くして遠回り、という側面を多々含んでいました。

ワークショップに話を戻しますと、M先生から、次のような印象的なエピソードが語られました。
M先生が関わっていらっしゃる言語集団の人々には、キリスト教化された人々ばかりではなく、ムスリムもいるそうですが、インドネシア語を使う場合には、ムスリムが「アッラーッ」と喉音を用いるのに対して、クリスチャンは平板に「アラー」と発音するのだそうです。私の観察した範囲内では、マレー半島も似ています。ですから、聖書やカトリック新聞など紙媒体上の“Allah”表記だけで云々するのは誤りだろうと思いました。両者は、それぞれを発音上で区別しているからです。ちなみに、この母語集団に対してM先生は、聖書の示す神を「遠く高いところにいるおじいさん」というニュアンスを持つ語彙で訳されたそうです。
また、オランダ人や日本軍やジャワ人など、常に他者に支配された歴史を持つため、自分達の言葉を恥ずかしいと思っているところがあるとの由。例えば、歌を歌う時でさえ、他の種族の言葉で歌ったりして、自分の言葉を使わないようです。また、大学に行く人も出始めたものの、学校教育をドロップアウトする子ども達も少なくなく、インドネシア語を難しいと感じる場合があるとのことです。
これらの事例は、半島部のオラン・アスリやサバ州サラワク州の奥地の先住民族のケースを思い起こさせるところがあります。イギリス人や日本軍やマレー人に支配された歴史を持ち、土着先住性を政治的に主張するマレー人とは、必ずしも友好関係にあるわけではない先住民族の人々を。しかしマレーシアの場合は、マレー語が難しいのではなく、英語が難し過ぎるので、マレー語聖書が必要となり、さらには種族言語の聖書翻訳もそれに続くという点が異なります。また、マレーシア華人シンガポール華人スマトラあるいはジャワからのインドネシア出自を持つクリスチャン達がこれらの人々の伝道に当たるという点も、事情を異にするところでしょうか。
キリスト教化されればおのずと近代化するかどうかについては、必ずしも保証の限りではないようです。しかし、福音を受け入れることで人生が肯定的に前向きになり、自信と誇りを持てるようになるのであれば、幸いなことです。また、人々が周囲と比較して恥ずかしいと思っていた母語が、初めて文字化され本の形になるのが聖書だとしたら、母語集団内で既にキリスト教化された人々に、歓喜と威信がもたらされるであろうことは、容易に想像できます。マレーシアにもそのような話があります。そのような働きはますます促進されるべきだと思います。聖書翻訳宣教師がいなければ、もしかしたら、記録に残らないで消えてしまう運命だったかもしれないのですから。

M先生のなさっていることは、ですから、極めて重要であると私は考えます。M先生は、お子さん三人も含めたご家族との関係も円満なようです。また、インドネシア在住の頃、キリスト教系大学の管理職だったスシロ先生とも、ご近所のよしみで聖書翻訳上の議論を交わした他、家族ぐるみで仲良く交流されていたそうです。さらに、インドネシア聖書協会にも友人がいらっしゃるとのことです。
このように、M先生は、あらゆる面でとても恵まれた資質をお持ちのようです。一見当たり前のように思えますけれども、実は、誰にでもできることではないし、誰もがそうではないと、4年間のマレーシア滞在経験とその後10数年に及ぶリサーチ経験から、つくづく思い知ったからです。

PS:ご参考までに、故前田護郎先生も、「インドネシアで奉仕しようとするある姉妹に対して、もっと温かくあってほしいと思った」と記されています(参照:2007年12月8日付「ユーリの部屋」の文末部分)。