ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

東京から帰って来ました

しばらくお休みの続いていた「ユーリの部屋」ですが、この辺りで再開することにいたしましょう。実は、風邪なのか花粉症の再発なのか、このところずっと咳と鼻づまりと涙目が続いているので、もうしばらく休んでいたいのですけれども。

12日と13日には、東京の国際文化会館で聖書翻訳ワークショップが開催されました。国際文化会館と言えば、緒方貞子先生が結婚披露宴をされた場所として、また、松本重治氏の関わっていらっしゃったお仕事として、従来から一度は訪問してみたいと願っていた場所でした(参考:上坂冬子時代に挑戦した女たち文春文庫 1997年, p.144)。ところで明日は、緒方先生の義父に当たる緒方竹虎氏に関する講演を、大阪の朝日カルチャーセンターで聴く予定です。こうしてみると、一見、無関係なように見える物事にも、さまざまなご縁を感じます。

今回は、日程の都合上、イギリスから来られる予定だったスシロ先生とは時間差でお目にかかれず、とても残念でした。世界中を飛び回っていらっしゃるので、こういうこともあるということです。ただ、日本聖書協会のスタッフの方に「よろしくとお伝えください」とご挨拶できただけでもよかったと思います。ここのスタッフは非常に優秀な方ばかりで、小さな質問にも、素早く的確にお応えくださるので、とても気持ちが良いです。英国海外聖書協会が所有しているという古い書簡資料を閲覧したいとお尋ねしたら、即座にお返事をいただきましたし、今日も早速、文献の件で、丁重なお返事が届いていました。さすがは、日本聖書協会です。特に、私よりもお若いであろう女性スタッフ達の献身ぶりと有能さは、本当に素晴らしいです。その中のお一人が、聖書協会内で私の名前をよく見かけると言ってくださり、うれしく思いました。

ところで留守中に、マレーシア聖書協会から、新しいマレー語聖書2冊分とCD-ROMが届いていました。マレー語聖書の方は、2006年11月下旬にマレーシア教会協議会総主事のオフィスで見せていただいた版で(参照:2007年11月28日付「ユーリの部屋」)、大きな金色の十字架がつけられ、その下に同じく金文字で「キリスト教出版:キリスト教共同体の聖なる本のマレーシア語での翻訳」などと書かれています。こうすればムスリムが間違えて手に取ることがないから、なのだそうです。断るまでもないことですが、そんなことを言っているのは、マレー当局です。書かれてある中身が大事な書に対して、まるで意味のない表示なのですが。

それはともかくとして、ワークショップ中に、パプア州ニューギニア/イリアン・ジャヤで聖書翻訳に従事されていたM先生から、先生が翻訳された言語とインドネシア語の二言語版『ルカ福音書』をいただきました。また、‘Untuk Kaum Muda'(若者向け)と書かれた1992年版インドネシア語訳聖書から、マタイ福音書5章3節の「心まずしき者」の語意を説明した訳し方をご教示くださいました。実を言えば、この箇所については、私の持っているインドネシア語聖書とマレー語聖書でも、「まずしい」(miskin)と訳したものと、先生が教えてくださった訳し方との二通りがあります。そのため私は、会場でも何度か、‘miskin, miskin'と繰り返したのですが、どういうわけかどうも先生には通じなかったようでした。そこに、翻訳者の神学と、翻訳者やその言語共同体が置かれた社会的および心理的状況が反映されているのではないかと思われるのですが、この点については、シェラベア訳などもどう対処していたか、一度調べてみたくなりました。

今回行ってよかったと思ったのは、オランダから来られたアムステルダム自由大学教授のローレンス・デ・フリス教授に再びお目にかかれたことです。先生は2006年の国際聖書フォーラムにも講師として来日されました(当時の日本語訳では「ローレンス・ド・フリス教授」と表記)が、その時にはいずれも別の講義に出席したため、直接お話をうかがうことができませんでした。この度は、二日にわたって、休み時間に「イスラム教徒のための聖書翻訳」という先生の講義中の言葉に関して、マレーシアとインドネシアの事例をどうお考えなのか、ご質問しました。先生は、主にインドネシアによく行かれるとのことですが、マレーシアの首都にも時々は訪問されるそうで、マレーシアでの聖書問題のことをよくご存じでした。
私の二度に及ぶ個人質問を一つにまとめると、次のようになります。
インドネシアは、アチェ以外シャリーア法が撤廃されているので、ムスリムからクリスチャンになることは可能ですが、マレーシアではシャリーア法がさらに強化されつつあるので、マレー語聖書には問題がよく発生します。特に神に関して"Allah"をクリスチャンが用いることは、マレーシアではムスリムにとって侮辱的だと感じられています。ところで、先生はイスラム教徒のための聖書と言及されますが、今でもムスリムキリスト教に改宗する(convert)ことを期待(expect)されていらっしゃるのですか」
それに対する先生のお返事は、私なりにまとめますと、次のように理解いたしました。
「確かに、インドネシアでは、"Allah"の語に関して、ムスリムとクリスチャンの間で問題はない。ただし、マレーシアではムスリムが嫌がっていることは知っている。しかし、いつかは解決が見出されるだろうと思う。また、アメリカのファンダメンタリストのクリスチャン達は、キリスト教で〝Allah"を用いることに反対している。だがこの語は、イスラーム以前からアラブのクリスチャンの間で用いられていたものである」「ムスリムキリスト教に強制改宗(proselytisation)させることはできないが、ムスリム用に訳された聖書によって、ムスリムキリスト教を理解してもらうことを希望(hope)している」。

実は、この問題は非常に難しい側面を含み、私としても即断はしかねます。つまり、「聖書翻訳による宣教活動(propagation activities)の実態は何か」ということです。聖書翻訳そのものは広い意味での文化活動だとしても、その意図および結果が、「宗教変更」(conversion)か「(強制)改宗」(proselytisation)か「福音化」(evangelisation)かに関して、そのいずれも含むのか、それともどこかで重なり合うだけなのか、さらには分離した状態なのか、ということは、その土地における政治社会状況や時代によっても違うことがあり得ますし、教派や宣教師によっても異なるでしょう。また、同じムスリムでも、インドネシアならキリスト教化するムスリムの存在を建前上は認めたとしても、マレーシアなら、そんな状況を見たくもない、と言うでしょう。ですから、聖書翻訳のあり方も、おのずとその姿勢に違いが見られるのはやむを得ないのではないか、とも思うのです。

それはともかく、先生の方も、冗談っぽく私にインドネシア語で話しかけられ、「バハサ(言葉)が話せるの?」「アルキタブ(聖書)を読んでいるの?」とにこやかにおっしゃいました。でも、発音がマレー半島と違うので、やっぱりオランダ人だなあ、と思いました。オランダがジャワ島などを植民地化し、イギリスがマレー半島ボルネオ島の一部を植民地化したのですが、もしイギリスが全支配していたならば、今のインドネシアはもっと経済的に発展していたかもしれず、民族闘争もそれほど激化しなかったかもしれないという仮説を聞いたことがあります。つい、先生のインドネシア語を聞きながら、そんなことを思い出してしまいました。

その他は、現代日本語の変化の話とウィクリフの総主事のお話をうかがいました。前者は、昔の私の専門分野で耳にタコができるほど聞いていたので、(ああ、まだ同じことをやっているんだ)と思い、正直なところ、新鮮味がなくてつまらなかったです。「特定の価値観を持ち込まずに、なぜことばが変化するかを見ていく」とされながらも、実はそれも一つの価値観に過ぎないことを立証した形になっていたからです。また、ご年配の方からの質問の「これは日本聖書協会の主催するワークショップですが、それと今回の楽しいお話とは、どう関連するのですか」に対して、正面から誠実に答えていなかったように感じられたからです。二日目午後のディスカッションにも欠席されていたので、結局は自分の業績換算の一貫としての講義引き受けであり、参加者がどう感じているかを最初から拒絶した態度のようにも思われました。もし、日本語教育や日本語学を続けていたら、私もこの種の研究者と対峙しながら、神経をすり減らしていたのかもしれません。だとしたら、今の状況の方が、よほどやりがいがあります。

後者は、ウィクリフの聖書翻訳の活動方針や翻訳の進め方などについての総括的なお話でした。こちらは非常にわかりやすかったです。最もおもしろかったのは系図の話で、ある種族では、自分のルーツを系図化して記憶することが重視される文化を持つため、マタイ福音書とルカ福音書に出てくる系図に親近感を持ち、「やはり聖書は神のことばだ」と言うのだそうです。

その他には、「荒れ野/荒野」という概念を実体として持たない社会文化で、どのように訳すのか、あるいはあえて訳さないという可能性はないのか、という意見交換も出て、興味深かったです。

ただし、私の感じているところでは、ウィクリフ宣教師の方達は、話者人口が比較的小さい種族の人々の中に直接入って行って、厳しい環境の中で人々と暮らしを共にしながら聖書翻訳を試みるために、信仰的には非常に熱心で、人間的には穏やかであられても、神学的には厳しく妥協を許さない態度があるのではないかと思われます。教会の中ではもちろん、大変尊敬され、尊いご奉仕をされていると高く評価されているのは改めて言うまでもないことですが、学問的に見た場合、自由な批判精神や異なる角度からの見解をどこまで受け入れていただけるのか、という点では考えさせられる面がなきにしもあらずです。聖書協会の方は、国語や公用語なども含めて、ある面で既に確立された言語について、特別な例を除いて、各国の政府に公的に認可を受けた上で聖書頒布を行うことが通例のようなので、教会外の批判や意見に対しても、態度はより開かれているように感じます。

この点でも、マレーシアは好例です。例えばM先生の場合、インドネシア聖書協会とウィクリフとの間で、良好な協力関係を保ちながら聖書翻訳をされているようですが、私のリサーチに基づくならば、マレーシアのウィクリフは、ホームページを公開しているものの、政府に対しては「会社登録」をしているのみで、マレーシア国内の翻訳ではなく、外国向けの翻訳をしていると聞きました(2000年3月面談より)。また、マレーシア聖書協会とは、協力関係にあるというよりは、むしろ対立関係にあるようで、「あの人たち(マレーシア聖書協会)は問題ばかり起こしている。トップのキリスト教指導者層は、ストレスが多い。だから、ウィクリフのスタッフは彼らに関わるなと申し渡してある」と言われました。つまり、同じウィクリフでも、マレーシアとインドネシアでは、翻訳宣教師の在り方も異なるようです。同時にそれは、宣教師の資質や性格にもよる面が大きいのではないかと私は思っています。

そういう点で、今回、日本聖書協会ウィクリフ聖書翻訳協会を招待してワークショップを開かれたということは、意義あることと思われます。私としては、ウィクリフ宣教師のお仕事を尊敬する一方で、ウィクリフの中には、少しでも異なる立場の人に対して対立的あるいは敵対的な態度をとる宣教師が皆無ではないことに、一面の危惧を覚えないわけではありません。例えば、いずれの聖書翻訳であっても、いくら信仰深く祈りのうちに訳されたとしても、結局は人間の業ですから、教会内外からの批判や意見を受けて、改訳を繰り返すことで発展し洗練されていくわけです。それは必ずしも一直線にスムーズに進むものではなく、ある場合には昔の訳の方がよかったという場合も実際にあります。どちらが正しいのかは、歴史の判定を経なければわからないこともありますし、その場である程度わかることもあるでしょう。ですから、我々は、すべてを自分がわかっているとか知っているという態度をとるべきではなく、また、祈っているから導かれたことがすべて正しいと即決すべきでもなく、批判に対しても常に開かれた態度を保つのが妥当ではないかと思うのです。この点は、キリスト教の中でも見解が分かれるところのようですが、若い頃の私は、知らなかったが故に、ずいぶん悩まされました。

話者人口が多く文化程度も高い言語の場合、批判の目を向ける人も比例的に多くなるので、聖書翻訳者の覚悟もそれ相応のものがあるでしょう。しかし、文化人類学者か言語学者を除き、その言語を習得していく外部者が聖書翻訳宣教師以外にほとんどいない場合、誰がその聖書翻訳に意見することができるでしょうか。もっとも、ウィクリフ内部で、逆翻訳などの作業を通してチェックを繰り返すという話は、今回以外に、10数年前にも聞いていました。しかし、学校教育を通して社会変容が起こった場合に、その言語を用いる人々がどのような意識を当該聖書翻訳に対して持ち続けるのか、という地元の人々の視点も、是非ともお聞きしたいところです。また、教会やキリスト教関係者の間では、宣教師の働きを地元の人々が喜ぶ事例ばかり知らされるのですが、そうではない事例は本当に皆無なのか、またそういう事例がある場合、それはどこで報告されるのかも気になるところです。もっとも、それは宣教師にとって都合の悪い話かもしれません。しかし、都合の悪いことを隠したり耳に入れないようでは、本当の福音化ではないようにも思うのです。

その他に銘記しておきたい点として、手話通訳があります。手話による聖書翻訳を考えていらっしゃる方達を前に、各セッションごとに二人の女性手話通訳者が見事な通訳を披露してくださいました。目的がはっきりしているだけに、質疑応答でも積極的に質問されていたことは、とても刺激的でした。

この二日間は、全般的に楽しく過ごせた反面、風邪気味というのか熱っぽかったので、頭がぼんやりしたままでした。それゆえ、上記に書いたことは、あくまで私見に過ぎないことを、念のためお含みおきいただければと思います。間違いや意図せぬ誤解もあるいは多々あるかもしれません。その点は、どうぞご容赦ください。