ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「時間の経済」と格差問題

昨日書いた、田辺聖子名誉館長の古典と図書館を話題とするブログは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)、非常にアクセスが高かった。
経済の循環には、人々の自発的な肯定気分と知的刺激が必須である。
その土壌を育てる政治思想は、非常に重要である。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://ironna.jp/article/11267


・生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。
マルクス予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。
マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857−58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。
・経済学者の杉原四郎(1920−2009)による以下の解釈が参考になる。
「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。
・人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。
マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。
正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。
・厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。
・今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。
・国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。
外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。

(引用終)

(転載終)
上記の意見には賛同し難い面が多々ある。「時間」の「差別問題」に関する私見は、過去ブログに少し言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180907)。
労働時間から「解放」されれば、自由に能力を発揮する「時間」が持てるかどうかについては、実際に経済下層とされる人々の家庭での過ごし方を少しでも観察すれば、一目瞭然だろう。
事の本質は、そこにはないのだ。

古典を読もう!

まずは、メーリングリストからの抜粋を。

致知出版社人間力メルマガ 2018.11.26
致知』2018年12月号
特集「古典力入門」p.38


世界が認めた古典文学『源氏物語
境野 勝悟(東洋思想家)


平安時代中期に紫式部が著した『源氏物語』。世界的にも高い評価を受けている古典文学の最高峰の作品の魅力を、境野さんが紐解きました。


源氏物語』の何が素晴らしいかといえば、まず一つには日本語の音の並び、文章のリズムが非常にいい


もう一つの魅力は、時代を超越した真実の愛を描いていることです。『源氏物語』を読むと、人間の情、男女の愛というのはここまで尊いものかと教えられます。


ただ、物語に出てくる女性の和歌や言葉の真意が、男性の私には十分理解できないことがよくありました。そういう時には、「こう思いますがどうですか?」と奥様方に聞くのですが、ほとんど「それは違うわ」という返事が返ってくるのです。それで私は、物事の感じ方や愛のあり方は、男女でこんなにも違うのかと驚きました。


「男女平等」を教えられてきた現代人は、ともすれば、男女は何もかも一緒だと考えてしまいがちですが、やはり、法的に同権ではあっても、同質ではないのです。ここが理解できないと、よりよい人間関係、人生もつくれません。


そして『源氏物語』の登場人物たちは、その男女の違いを知り尽くした上で、理解し合い、お互いの愛の生活、あるいは人生を充実させていく。主人公の光源氏も、付き合った女性たちの心を深く理解し、皆を幸せにしています


ちなみに、源氏が若い頃に付き合った女性は、ほとんど全員年上です。男女関係が大らかだった時代には、男は年上の女性とたくさん付き合うことで、恋愛のみならず、人情の機微や人生を教えてもらったのです。


それは女性も同じことでした。とにかく、多様な人との心通った交流の中で自分の人格や教養を完成させていった。

(部分抜粋引用終)
源氏物語』に関しては、過去ブログにも何度か言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B8%BB%BB%E1%CA%AA%B8%EC)。二十代の頃、私は日課の勉強リストに、湖月抄の『源氏物語』を2ページずつ音読する課題を入れていた。湖月抄を選んだ理由は、学部時代の指導教授が勧めていらしたからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)。
それに従えば、上記の「皆を幸せにしています」には同意できない。むしろ、最後には、世をはかなんで出家した光源氏ではなかったか?そういう読み方をしなければ、仏教思想に基づく「もののあはれ」が理解できないのでは?

偶然にも、昨日の午後には一時間ほど、市立図書館で「田辺聖子が輝かせる古典の世界〜『新源氏物語』を中心に」と題する講演会に出てみた。今年9月末から居住することになった街にある市立図書館の名誉図書館長が田辺聖子さんで、昭和55年から「住み心地がいい」「ちょうどいいサイズ」だということで、ここの市民でいらしたそうだ。
大阪は福島の裕福な写真館の長女として生まれ、文学少女として育った田辺聖子さんは「私は古典をこのように読みました」と多数の作品を世に出されたが、その概説のようなお話だった。もちろん、図書館内にも、郷土作家としてスペースが確保されている。
源氏物語』については、谷崎潤一郎円地文子の場合、研究者を意識した現代語訳になっている反面、田辺聖子さんは、「私訳」としての位置づけで著述されたようである。しかしながら、その影響力は甚大で、漫画『あさきゆめみし』や宝塚歌劇団の公演や吉永小百合主演の映画『千年の恋』等は、田辺訳による作品だと、読み比べをした研究者ならわかるそうである。
80人定員のところが、目算で30名ほどの参加だったので、質疑応答では、面皮が厚い新参者として、挙手して質問をしてみた。
「先日、京都の文化博物館に行きましたら、ユネスコの日本部門で紫式部が最初に登録された、と初めて知りました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181112)。そのことについて、田辺先生はどのようにお考えでしょうか」
お答えとしては、田辺聖子文学館の副館長さんだけあって、即座に「世界に通用する文学の原点だと思っていらっしゃいます」とのことだった。
確かに。田辺源氏は、あくまで温かいまなざしで描かれているようである。さもありなん、戦時中、防空壕の中でも、文学少女らしく、源氏物語に登場する女性像を、友人達とあれこれ語り合っていたらしい。そういう心根のたくましさ、芯の強さ、自由に羽ばたく想像力と創造性は、とかく男尊女卑と揶揄されがちな偏狭な日本観に対する雄弁な反証となり得よう。
早速、この市立図書館で本を借りてみた。
既に、市民である身分証明書を提出し、図書館利用カードを作ってもらってあったので、後はパソコンの装置にカードを差し込み、借りたい本を台の上にのせて、画面上で冊数をクリックするのみ。簡単に貸出票が出てくる。開架室の本は、全て表紙の裏側に本のデータが入力されたチップが貼り付けてあり、パソコンで読み取り可能なのだ。
つまり、カウンターで列を作る必要もなければ、借りる本を見られることもない。実に簡便で、いわば「図書館のAI化」の一端でもある。
さらに凄いのは、ここでは一人が一回につき30冊まで借りられることだ。言うまでもなく、市内には5つの図書館があり、返却ボックスも駅前など、便利な場所に設置されている。
今秋まで21年ほど住んでいた大阪府の小さな町では、郷土資料以外は、殆どが暇つぶし程度の本が大半で、最大限10冊までしか借りられなかった。しかも、図書館で働くスタッフ女性達が、お世辞にも図書館をフル活用してきた読書人生のようには見えなかったこともあり、真面目に一生懸命、きれいに本を整理してはいたが、どうでもいいところに力こぶを入れて作業をしていたきらいがあった。
そのとばっちりを受けてか、私は細かい点でいつも注意ばかりされていた。
「コピー用のお金は、両替できませんので、自分で小銭を準備してください」「両面コピーは、(スタッフが使い方がわからないので)なるべく控えてください(!)」「付箋を外して返却してください」(←鉛筆の書き込みがたくさん平気でなされている本についての注意はなく、代わりに、私が見つけ次第、消しゴムで消して返却していた!)「府立図書館の本は、一日でも返却が遅れると、町内全員が借りられなくなります」(←府立図書館に電話で尋ねたところ、「そんな規定はない」とのことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210))「ひゃぁ!横文字、私読めないわぁ!」「そんなに本を借りて、何か新しい勉強でも始めたんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/200710)云々。
自転車での日常の買い物ついでに利用できたので、いつでも時間を買うつもりで片目をつぶって、府立図書館から借りる制度や、クラシック音楽のCDや新刊書の購入等、町税を払っている者として精一杯、最大限の活用はしていた。だが、正直なところ、知的水準の齟齬というのか、やや不快感が抜けなかったことは否めない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)。
こちらでは、生け花や書道や水彩画や音楽や俳諧、くずし文字学習(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181121)等、市民の文化活動が盛んで、私みたいなのは全く普通。図書館職員との会話も実にスムーズで、大変に快適である。また、図書館内の学習室も、社会人用や中高生用等、ほぼ満席で、皆、本を広げて熱心に勉強していた。言わずもがなだが、別の階には子供用のコーナーもたっぷりスペースが確保されている。
日本の国力維持と活力向上のためには、こうでなければならない。
「揺りかごから墓場まで」と、託児所や老人ホームばかり作っているようでは、士気が下がってしまう。
ちなみに、兵庫県は今でも、1995年1月に発生した阪神淡路大震災の余波が残っており、全国ワースト1クラスの財政状況だとのこと。その中で、我が市は地価が上昇し、待機児童もゼロで、妊婦さんや子供をたくさん見かける。つまり、住みやすいために人口が密集していて、市税からお金を出して県を「援助」しているとのことだった。
兵庫県内で裕福でお金持ちの市と言えば、昔から芦屋や宝塚のような印象があるが、我が市もまんざらではなさそうだ。
S町のY町長様、町の活性化は図書館からですよ!頑張ってください!
さて、早速借りた本は、以下の三冊。

田辺聖子田辺写真館が見た"昭和"文藝春秋2005年/2006年 三刷
マハティール・ビン・モハマドルック・イースト政策から30年ーマハティールの履歴書日本経済新聞出版社2013年5月13日
ユン・チアン/ジョン・ハリディ(著)土屋京子(訳)『マオー誰も知らなかった毛沢東(下)講談社2005年/2006年 六刷

田辺聖子さんの貴重な古い家族写真を元に、戦前戦後のご家系を綴った最初の本は、自宅に戻って、笑いながら、すぐに読み終えてしまった。大阪育ちの主人には、描写がぴったり心情に合うらしい。
新発見としては、結構、男っぽい凝った漢語を多用されることだった。私の語彙では、もちろん、ない。
ちなみに、過去ブログで田辺聖子さんに言及したものは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080722)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090324)。
マハティール氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%CF%A5%C6%A5%A3%A1%BC%A5%EB)の著述は、昔から基本的な思想が変わっていない点に注目を。また、戦時中の日本軍のあり方について、必ずしも日本の保守派が主張するような単純に好意的な見方ではないことは、留意すべきである。
さらに、出版日の5月13日は、マレーシアでは過去に人種暴動事件が発生した日として銘記されていることにも、心配りをしたいところである。
『マオ』は、櫻井よしこ氏の著述で知った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)。5年経った今、ようやく読む機会を得た。下巻から始める理由は、そちらの方が知りたい情報に富むからである。

致知出版社のメルマガを引用した過去ブログ一覧は、以下に。

•2018-11-22   温故知新は今ここに
•2018-11-02   最近のメーリングリストから
•2018-10-25   勉強法・加齢の知恵・自業自得
•2018-09-16   こういう話が好きだ
•2018-08-25   叱って育てよ
•2018-03-31   おいしい料理をつくる
•2017-09-13   世間の大勢とつながる
•2016-01-29   故羽仁五郎氏を巡るメモ(3)

(リスト終)
PS:上記の三冊のうち、以前住んでいたS町の図書館検索を試してみると、田辺聖子さんの本は入っていたが、他の二冊は入っていなかった。
こういうところが、駄目なのである。『週刊金曜日』みたいな雑誌や(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)、左翼系や新左翼系の本ばかり目立つように入れていたし、今年4月からリニューアルされた図書館ウェブでは、「マイ本棚」「他の人がどのように読んでいるか」や「借りた本の平均評価」ランキング欄まで作っている。
「マイ本棚」なんて、下手に書き込んだら、次々と余計なおせっかいが入ること、間違いなし。それに、それこそ知的水準や思想の「個人情報」が図書館に筒抜けなのだ。
林業、農業、商業、工業、教育、町外への勤め人等、多種多様な職種で暮らしを立てている小さな町で、こういう形式を平気で採用しているところが、「図書館とは長らく無縁の人生だったような女性達が働いている場所」だと思わされるのだ。
公立の図書館で働く以上、タイトルや出版社や表紙デザインを見ただけで、さっと傾向や内容が察知できるようでなければならない。つまり、それほど幅広く本というものに馴染んでいなければならないのである。
図書館司書の資格の有無ではない。第一、図書館の仕事は力仕事で、埃や紙虫に塗れるのが前提だ。
ちなみに、引越し前に『S町史』の分厚い本を斜め読みしたところ、大阪府下でも古くから裕福な土地の上位に挙げられていた。つまり、土地柄は良いのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180802)、政治思想が悪いのである。

2019年6月10日追記:

https://mainichi.jp/articles/20190610/k00/00m/040/120000c?fm=mnm

「作家 田辺聖子さん死去、91歳 大阪弁駆使した軽妙な文体で愛され」
毎日新聞
2019年6月10日
大阪弁を駆使した軽妙な文体の小説やエッセー、さらに評伝や古典を現代によみがえらせた作品を次々に発表し、世代を超えて愛されてきた作家、田辺聖子さんが6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため死去した。91歳。

(転載終)

https://mainichi.jp/articles/20190520/ddl/k28/070/318000c

毎日新聞
2019年5月20日
10年前頃まで、作家の田辺聖子さんとよく対談をした。当時の田辺さんは、自分で講演するのが面倒くさくなったのか、対談やトークショーのような形を好み、2人であちこちのホテルや市民ホールを回った。兵庫県内でも伊丹(田辺さんは伊丹市民)や芦屋などで対談を楽しんだが、なんというか、私と田辺さんとは相性がよかったと思う。

(転載終)

移民問題とアイデンティティ

ダグラス・K・マレイ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%B0%A5%E9%A5%B9%A1%A6%A5%DE%A5%EC%A5%A4)については、今年3月に学会の研究会でも発表し、学会誌に要旨を掲載していただいた。大変にゆっくりではあるが、発表した頃よりも、徐々に増え、今では東大や京大を含む9つの大学図書館に所蔵がある。
日本の移民問題に関連して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181124)、その続きを記す。
ご本人のツィッターhttps://twitter.com/DouglasKMurray)の背景に掲示されているのが、ペーパーバック版の『欧州の奇妙な死:移民・アイデンティティイスラーム』(2018年6月)である。
ハードカバー版の初版に一章「その後」を追加し(pp.321-337)、記述の傍証としての注も新たに加え(pp.353-354)、持ち運びに便利なような軽装型である。
私は、この版を今年の6月下旬に入手したが、昨日、追加部分をようやく一気に読んだ。
出版直後からベストセラーを続け、大変好評だったことを率直に述べ、その後も続けざまに発生した英国及び欧州内でのムスリム移民によるテロ事件が綴られている。そして、政治家の中には「現在の移民政策を後悔している」と、密かに告白した人もいたらしい。
英国外では、特に米国と豪州でよく読まれたとも記している(p.335)。
キーワードとしては「希望の礼拝」「ジョン・レノンの『イマジン』」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)「回復力(resilience)」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)「国境を開く」「橋を架ける」「移動性と多様性」「移民と統合」等だが、アイデンティティの問題をどうするか、深刻な重いテーマが相変わらず続いている。
また、本書を日本語で紹介した文献としては、中野剛志氏の『日本の没落幻冬舎新書501(2018年5月30日)があり、第4章で詳細な引用が記されている(pp.110-148)。
通産省の元官僚で、エディンバラ大学で2005年に博士号を取得された著者でいらっしゃるので、恐らくは、スコットランド系の名字を持つダグラスさんに自然と興味を持たれたのではなかろうか、と想像される。
但し、中野氏は経済ナショナリズムのような分野がご専門のようで、ダグラス本を詳細に引用はされているが、特にイスラームキリスト教の歴史的対立が現代社会でどのような相克を表しているか等には触れていない。むしろ、議論の叩き台としてはシュペングラーの『西洋の没落』が中心で、4章ではハーバーマスの論文を対論として用いている。
こちらも、入手したのは9月中旬だったが、全部読み通したのは、一昨日のことだった。

ユーリ・テミルカーノフ氏のインタビュー集を邦訳した『ノローグ』も、半分以上、読み終えた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181119)。
氏のお父様は共産党員で、文化大臣もなさっていたようだが、早くに亡くなられた。かたやユーリ氏は無神論者の唯物論者でありながらも、非党員としてソビエト時代をたくましく生き抜いていたらしい。それであれほどの受賞歴なのだから、相当な実力派である。
ロシアは広大な土地つまり豊富な資源を有しているにもかかわらず、諸民族を政治的にまとめるのに常に失敗しているようで、何とも息苦しい。その環境下で、家族を大切にし、仲良く暮らしながらも、幼少期には食べ物にも事欠く暮らしだった様子や、西側への強烈な対抗意識とサンクトペテルブルクへの強い愛着が感じられ、なかなか興味深い本だった。
ロシアの楽団は、これからも来日公演ツアーをするだろうが、このような背景にも心しつつ、変わりゆく時代を音楽を通して感じ取りたい。

続・移民政策には大反対!

昨日のブログ・トピックに引き続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)、以下の引用を。
櫻井よしこ氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=yoshiko-sakurai.jp)、憲法改正や皇室問題に関して、現首相の安倍総理と近い関係にあり、ご自身の主催するフォーラム等でも、ゲストとして招くほどの親しさであった。その氏でさえ、「安倍晋三首相も自民党も一体どうしたのか」と記すほど、事は重大かつ複雑怪奇ではある。

https://yoshiko-sakurai.jp/2018/11/24/7780


2018.11.24 (土)
「将来に禍根残しかねない入管法改正案 日本は外国人政策の全体像を見直す時だ」
週刊ダイヤモンド』 2018年11月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1257 


安倍晋三首相も自民党も一体どうしたのか。まるで無責任な野党と同じではないか。
外国人労働者受け入れを大幅に拡大する出入国管理法改正案についての国会論戦を聞いていると、普段は無責任な野党の方がまともに見える。それ程、自民・公明の政権与党はおかしい。
・結局、外国人労働者の受け入れを大枠で了承し、法律の詳細は省令で決定するという異例の決着を見た。
・深刻な人手不足ゆえに倒産が相ついでいるといわれる建設業界や介護業界の悲鳴のような要請を無視できないという事情はあるにしても、この法改正は将来に深刻な禍根を残しかねない
・外国人は単なる労働者ではない。誇りも独自の文化も家族もある人間だ。いったん来日して3年、5年と住む内に、安定した日本に永住したくなり、家族を呼び寄せたくなる人がふえるのは目に見えている。その時彼らが機械的に日本を去るとは思えない。
・日本にはすでに258万人の外国人が住んでいるのである。その中で目立つのは留学生の急増だ。2013年末に19万人だったのが17年末までの4年間に31万人にふえた。技能実習生は16万人から27万人に、一般永住者は66万人から75万人にふえた。
・日本には特別永住者と一般永住者の2種類がある。前者は戦前日本の統治下にあった朝鮮半島や台湾の人々、その子孫に与えられている地位である。彼らは日本に帰化したり日本人と結婚したりで、日本への同化が進み、その数はこの4年間で37万人から33万人に減少した。
シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力氏の調査によると、17年末で75万人の一般永住者の3分の1、25万人が中国人だ。一般永住者は日本人と同等の権利を与えられた外国人と考えてよい。滞在期間は無制限で、配偶者や子供にも在留資格が与えられる。活動も日本国民同様、何ら制限もない。彼らが朝鮮総連のような祖国に忠誠を誓う政治組織を作ることも現行法では合法だ。
中国政府は10年に国防動員法を制定し、緊急時には海外在住の中国国民にも国家有事の動員に応ずることを義務づけた。仮に、日中両国が紛争状態に陥った時、在日中国人が自衛隊や米軍の活動を妨害するために後方を攪乱する任務に就くことも十分に考えられる。
・一般永住資格はかつて日本に20年間居住していなければ与えられなかったが、98年に国会審議もなしに、法務省ガイドラインで「原則10年以上の居住」に緩和した。その結果、20年間で9万人から75万人へと、8倍以上にふえた。

(引用終)

移民政策には大反対!

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://mainichi.jp/articles/20181123/k00/00m/010/160000c?fm=mnm


・「議論が拙速」との指摘が相次いだほか、新制度の設計や、政府による受け入れ見込み人数の算定根拠を疑問視する声も
・「日本で学んだ技能を母国で生かす」という制度趣旨を損なう
・(技能実習生には)1年しか日本に行きたくないという人もいる。


(引用終)

← 本件に関しては、野党の反対に賛同。

(転載終)
(1)マレーシアでもインド系の中下層の若者が、20年ほど前、このルートに乗せられて日本に来たが、結局、期待していたのと話が全然違っていて、がっかりして帰国したという話を聞いている。余計な期待を持たせると、日本に対する悪感情につながり、国益を損なう。
(2)この制度で仕事が増えて喜ぶのは、日本語教師ぐらいのものだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%FC%CB%DC%B8%EC%B6%B5%BB%D5)。この教師の質が問題で、偏った人生観や日本観を植え付ける可能性も考えられる。
(3)日本の暮らしで困った技能実習生を援助しているうちに、恋愛関係になり、ズルズルと人生を引き伸ばして無為に時を過ごしていた人を、実際に知っている。
(4)自国で満足して暮らしている我々に対して、なぜ「異人」流入のために考え方の是正が迫られるのか、理解しがたい。


人手不足と社会の活性化に向けての解決策としては、「移民労働者」を呼び込む代わりに、日本国内に160万人以上潜在していると言われる引き篭もり人口を、最大限、活用することだ。この人達が、なぜ年老いた親からお小遣いと住まいを提供してもらって、いつまでも家の中でノラクラしているのか理解できないが、結婚が無理だとしても、とりあえずは、保健指導で心身の健康状態を確認してから、基本的な社会常識と簡単な仕事を与え、少しずつ単純労働から始めてもらう。AIによって置き換えられる不安もあるかもしれないが、少しは「働く喜び」「自立する快感」を味わってもらうことが先決だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)。
我々の気づかないうちに、日本人との通婚が進んで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160214)、公立学校では先生達が苦労しているという話も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151219)、是非とも忘れないでいたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130917)。
移民問題については、過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181108)。

温故知新は今ここに

引き続き、最近のメーリングリストから。

致知出版社人間力メルマガ 2018.11.21
致知』2018年12月号
特集「古典力入門」p.66
「いまの時代こそ古典を学べ」
數土文夫(JFEホールディングス特別顧問)×出口治明立命館アジア太平洋大学〈APU〉学長)


數土:人生100年時代と言われているいまこそ、私は古典の言葉や故事成語が生きてくると思います。70歳や80歳になっても元気に働き続けるためには、「大器晩成」。これは『老子』の言葉なんですよね。小さい時から競争してしまったら、途中で燃え尽きたり、疲れてしまう。ですから、遠大な志を持って慌てない、淡々とゆっくり努力を積み重ねていくことが大事なんです。


出口:稷下の学といって、古代中国の斉では、都の臨淄の稷門外に学堂を建て、広く天下の学者を集めて邸宅を与え、自由に研究させたんですよね。アズハル大学というエジプトにある世界最古の大学の三信条に「入学随時、受講随時、卒業随時」とあって、この言葉が僕は好きなんですが、要するに知りたいという気持ちが湧いた時に入学すればいいし、入ったら単位に囚われずに、本当に学びたいことだけを勉強し、腹に落ちたらいつ出て行ってもいい


いまリカレント教育ということが叫ばれていますが、世の中の進歩ってものすごく速いですから、例えば10年くらい働いて、世の中が進歩したら、大学で勉強し直す。で、また戻ってきて仕事をする。そうやって何回も何回も勉強して皆がお互いに高め合っていくことをしないと、AIが普及するにつれてどんどん脳が退化していくんじゃないかと思います。


數土:まさに先ほどの「游」の境地ですね。


出口:いまGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)をはじめ、世界を牽引している企業で働いている人はものすごく勉強していて、ダブルマスター、ダブルドクターの人が多いんですよ。しかも、統計学とか数学だけではなく、文学とか美学とか哲学の学位を持っている。そういう世界を知って初めて、面白いアイデアが出せるわけです。


もっとも、大学院の免状を取れと言っているのではなく、例えば、『論語』と『老子』と『韓非子』を勉強することがダブルマスターでありダブルドクターであって、一つだけに決め打ちしないで幅広い分野を勉強していかないとこれからの時代のリーダーにはなれないという気がしています。


數土:世の中の変化が激しくなるにつれて、人間の精神状態も社会の富の配分や格差も大きくなる。その中でどう生きていくべきかという答えは、2,500年前、3,000年前の古典にすべて書いてある。だから、古典を幅広く読まなきゃいけない。これからの時代、ますます古典が重要になってくると、声を大にして言いたいですね。


出口:全く同感です。まさに數土さんがおっしゃったように、社会の変化が激しいので、将来何が起こるか分かりませんよね。でも、悲しいことに教材は過去しかないんですよ。だから、逆説的ですが、何が起こるか分からない時代になればなるほど、歴史や古典を学び、人間が五千年にわたって営んできた幅広く深い世界を知っておかなければ生き残っていけない

(転載終)
上述の説が妥当だとすれば、この二十年以上、ほそぼそと続けてきた私の趣味勉強も、無意味ではなかったのかもしれない。
「アズハル大学」に関しては、過去ブログに全く違う角度からの記事がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A2%A5%BA%A5%CF%A5%EB%C2%E7%B3%D8)。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
「国際派日本人のためのお勧め記事切り抜き帳(8)」

明日への選択』H3008
「『国難』巨大災害への対処を急げ」
大石和久


南海トラフ地震の施設などへの被害は170兆円だが、それによる長期的な経済被害を含めると1410兆円。GDPの二倍以上。

・電線の地中化、高規格の高速道路拡充、港湾の強靱化などのインフラ整備で、経済被害や死者数は大幅に減少できる。これらによって、被害は500兆円(41%)減少できる。

・西欧諸国の公共事業費のGDP比率が少ないのは、地震を考慮しなくてもよいから。しかし、主要先進国だけで日本だけが公共事業費を減らし続け、下げ幅も半分以下になっている。


【伊勢雅臣】民主党政権は「コンクリートから人へ」と公共事業費の仕分けをしましたが、それが最近の災害被害を大きくしたと言われています。正しくは「人を護るためのコンクリートを」でしょう。

日本の息吹』H3007
「『北朝鮮化する韓国』に対して日本が心すべきこと」
呉善花


・2020年から中学・高校で用いられる歴史教科書で「北朝鮮による6・25(朝鮮戦争)南進」「北朝鮮世襲体制」「北朝鮮の人権」などの用語をすべて用いないとする執筆基準案を提示。

大韓民国憲法の「自由民主的基本秩序」から「自由」を削除する憲法改正案を提出。国家的な経済統制を強化する条項も。


【伊勢雅臣】文在寅政権は、着々と「韓国の北朝鮮化」を進め、北による半島統一を目指しているようです。

祖国と青年』H2911
「戦後憲法の『偽善』と対峙した三島由起夫」
大葉勢清英


・政府は憲法改正という火中の栗を拾わずとも、事態を収拾する自信を得た。そして国の根本問題に対して頬被りを続ける自信を得た。これで左翼勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、自ら、護憲を標榜することの利点を得た。

・空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきたというところに、新憲法の不思議な魔力があり、戦後の偽善は全てここに発したと言っても過言では無い。

・自国の正しい建軍の本義を持つ軍隊のみが、空間的、時間的に国家を保持し、これを主体的に防衛しうる 。現自衛隊が、第9条の制約の下に、このような軍隊に生育し得ないことに、日本の最も危険な状態が孕まれていることが明記されねばならない。


【伊勢雅臣】「自衛隊は軍隊ではない」という偽善の上に、現代日本の政治が組み立てられています。根本に偽善を持つので、現実の問題を直視し、解決しようというエネルギーは生まれてきません。

日本の息吹』H3009
イスラエルと日本−共鳴する文化と歴史」
エリ・コーヘン


・我々ユダヤ人は祖国イスラエルを聖なる地としています。ですから日本人が自分たちの国を「神国」と呼ぶのはまったく自然なことなのです。

武士道の原点は日本の神話にあります。例えば、古事記ヤマトタケルの命とオトタチバナ姫の物語には自己犠牲という精神性が語られています。これこそ武士道の最も大切な精神ではありませんか。

イスラエル国家建設の草分けであるランペルドールは、ロシア兵として捕虜収容所に入り、そこで日本兵士から「国のために死ぬことほど、名誉な事は無い」という言葉を学んだ

・そういう先人達がいたからこそ、国は興され、守られてきた。ですから私は敬意を込めて靖国神社に参拝し、そこで居合いの奉納演武をさせていただいている。


【伊勢雅臣】空手と居合道5段の元イスラエル大使が語る日本の武士道は、イスラエル建国の道にもつながっていました。

祖国と青年』H2911
「続・教室で語った三島由紀夫の言葉」
小森誠


吉田松陰「必ず真に教ふべきことありて師となり、真にまなぶべきことありて師とすべし」
・真に教うべきは、人類のすべてが今日の日まで積み重ねてきた歴史。教師はかかる歴史を後世に伝うべき役割を担っている。
・自分の背中に日本を背負い、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負っているのだという気持ちに一人一人がなること。


【伊勢雅臣】歴史伝統文化を自分が背負い、自分が伝える、という当事者意識。そこに三島由起夫の真剣勝負の生き方があったようです。

日本の息吹』H3007
「『五箇条の御誓文』対『共産主義』 明治維新という大業(3)」
松浦光修


五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」は、議会政治の理念を語り、そのためには、「言論の自由」が必要。

・第二条「上下、心を一にして盛んに経綸を行うべし」は「産業を興す」ことで、私有財産」の保護が前提。

明治維新ははじめから、「言論の自由」と「私有財産」を認めない共産主義とは相いれない思想で始められた。


【伊勢雅臣】昭和の右翼の中には、天皇制を認めた共産主義を主張する人々もいましたが、「言論の自由」と「私有財産」も日本の国柄の一部です。

(部分抜粋転載終)
「エリ・コーヘン」元駐日イスラエル大使に関しては、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180426)。特に、「トランペルドール」については、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150416)。
五箇条の御誓文」に関しては、過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180412)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180711)。
特に、憲法との兼ね合いについては、こちらも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180506)。
今日のブログ題目の「温故知新」に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151005)をどうぞ。

俳句による吟行

メーリングリストからの転載引用を以下に。

致知』2018年12月号
特集「古典力入門」p. 42
夏井 いつき(俳人


私たち俳句を詠む人間にとって吟行(ぎんこう)は日常の一部です。


仲間と一緒のピクニックなどはもちろんですが、例えばタクシーに乗っている時もご飯をつくっている時も、その心持ちさえあればすべてが吟行です。目や耳など五感から入ってくる情報でアンテナに触れるものがあれば、すぐに掬い取って句帳にメモし、その五感を頭の中で変換し文字に変えていきます。


自分の脳味噌から出てくる言葉は自分以下のものでしかない、スミレや石、風、空のほうが私の灰色の脳細胞よりも、よっぽど新鮮な情報を持っていることを教えられたのです。


五感を働かせることで、そんな体験をすることも少なくありません。


俳人の世界ではよく「生憎という言葉はない」と言われます。


「きょうは生憎の雨で桜を見ることができない」。


これは一般人の感覚ですが、俳人たちは「これで雨の桜の句を詠める」と考えます。雲に隠れて仲秋の名月が見えない時には「無月を楽しむ」、雨が降ったら「雨月を楽しむ」と捉えます。


これは日本人ならではの精神であり、俳人の心根にあるものなのかもしれません。


その精神で俳句を続けていくと、個人的な不幸や病気、悲しみ、憎しみなどマイナスの要素のものが、すべて句材と思えるようになるのです。


私たちの仲間でも、病気や家庭の事情などを抱えながら頑張って生きている人がたくさんいます。


引きこもっていた人が俳句に出合って外に出歩けるようになったとか、視覚に障害を得て落ち込んでいた人が元気になったとか、大切な家族を亡くされた人が俳句仲間に支えられて立ち直ることができたとか、そういう例は枚挙に遑がありません。


それまで何をやってもマイナス思考で、螺旋階段をグルグル回りながら果てしなく下りていくように生きていた人が、物の見方が全く変わっていきいきとした人生を生きるようになる。


これこそが俳句の力ではないでしょうか。

(引用終)
俳句のお勧めをいただいたのは、2007年3月のイスラエル旅行の時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=2007%C7%AF3%B7%EE%A4%CE%A5%A4%A5%B9%A5%E9%A5%A8%A5%EB%CE%B9%B9%D4)、同志社神学部卒業の当時80代の牧師からだった。「論理的な文章表現は得意そうだが、感覚を磨く言語表現を心掛ければ、さらによくなる」との助言をいただいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070729)。
残念ながら、俳句を季語なし標語とうっかり間違えて投稿してしまったほどなので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180703)、なかなかできそうにない。
今年9月末頃から居住するようになった今の地では、昔から俳諧が盛んで、町の至る所に句碑が立てられている。博物館でもくずし文字を読む講習会まで開かれており、さすがは教育熱心な都市だけある、と感動した。
それに刺激されて、石に彫り込まれたくずし文字を、足を止めて試し読みするのが、ここ一ヶ月半の新たな習慣となった。
とはいえ、結婚後20年以上住んでいた町も、やはり山崎宗鑑芭蕉と縁の深い地で、転居当時、そのようなことも学べるのかと期待していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180802)。残念ながら、福祉や生活の利便性が前面に出ており、私自身も機会を逃してしまった。
学ぶに遅くはない、何とか刺激を受けて、これからやってみよう。
学生時代に使っていた影印本シリーズの伊地知鉄男(編)『増補改訂 仮名変体集新典社昭和41年初版/昭和60年改訂11版)が、引越し荷物の中から出てきた。今や、いつも使う部屋の本棚に並んでいる。時折、これを眺めながら、また復習がてら学んでみたい。