ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

古典を読もう!

まずは、メーリングリストからの抜粋を。

致知出版社人間力メルマガ 2018.11.26
致知』2018年12月号
特集「古典力入門」p.38


世界が認めた古典文学『源氏物語
境野 勝悟(東洋思想家)


平安時代中期に紫式部が著した『源氏物語』。世界的にも高い評価を受けている古典文学の最高峰の作品の魅力を、境野さんが紐解きました。


源氏物語』の何が素晴らしいかといえば、まず一つには日本語の音の並び、文章のリズムが非常にいい


もう一つの魅力は、時代を超越した真実の愛を描いていることです。『源氏物語』を読むと、人間の情、男女の愛というのはここまで尊いものかと教えられます。


ただ、物語に出てくる女性の和歌や言葉の真意が、男性の私には十分理解できないことがよくありました。そういう時には、「こう思いますがどうですか?」と奥様方に聞くのですが、ほとんど「それは違うわ」という返事が返ってくるのです。それで私は、物事の感じ方や愛のあり方は、男女でこんなにも違うのかと驚きました。


「男女平等」を教えられてきた現代人は、ともすれば、男女は何もかも一緒だと考えてしまいがちですが、やはり、法的に同権ではあっても、同質ではないのです。ここが理解できないと、よりよい人間関係、人生もつくれません。


そして『源氏物語』の登場人物たちは、その男女の違いを知り尽くした上で、理解し合い、お互いの愛の生活、あるいは人生を充実させていく。主人公の光源氏も、付き合った女性たちの心を深く理解し、皆を幸せにしています


ちなみに、源氏が若い頃に付き合った女性は、ほとんど全員年上です。男女関係が大らかだった時代には、男は年上の女性とたくさん付き合うことで、恋愛のみならず、人情の機微や人生を教えてもらったのです。


それは女性も同じことでした。とにかく、多様な人との心通った交流の中で自分の人格や教養を完成させていった。

(部分抜粋引用終)
源氏物語』に関しては、過去ブログにも何度か言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B8%BB%BB%E1%CA%AA%B8%EC)。二十代の頃、私は日課の勉強リストに、湖月抄の『源氏物語』を2ページずつ音読する課題を入れていた。湖月抄を選んだ理由は、学部時代の指導教授が勧めていらしたからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)。
それに従えば、上記の「皆を幸せにしています」には同意できない。むしろ、最後には、世をはかなんで出家した光源氏ではなかったか?そういう読み方をしなければ、仏教思想に基づく「もののあはれ」が理解できないのでは?

偶然にも、昨日の午後には一時間ほど、市立図書館で「田辺聖子が輝かせる古典の世界〜『新源氏物語』を中心に」と題する講演会に出てみた。今年9月末から居住することになった街にある市立図書館の名誉図書館長が田辺聖子さんで、昭和55年から「住み心地がいい」「ちょうどいいサイズ」だということで、ここの市民でいらしたそうだ。
大阪は福島の裕福な写真館の長女として生まれ、文学少女として育った田辺聖子さんは「私は古典をこのように読みました」と多数の作品を世に出されたが、その概説のようなお話だった。もちろん、図書館内にも、郷土作家としてスペースが確保されている。
源氏物語』については、谷崎潤一郎円地文子の場合、研究者を意識した現代語訳になっている反面、田辺聖子さんは、「私訳」としての位置づけで著述されたようである。しかしながら、その影響力は甚大で、漫画『あさきゆめみし』や宝塚歌劇団の公演や吉永小百合主演の映画『千年の恋』等は、田辺訳による作品だと、読み比べをした研究者ならわかるそうである。
80人定員のところが、目算で30名ほどの参加だったので、質疑応答では、面皮が厚い新参者として、挙手して質問をしてみた。
「先日、京都の文化博物館に行きましたら、ユネスコの日本部門で紫式部が最初に登録された、と初めて知りました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181112)。そのことについて、田辺先生はどのようにお考えでしょうか」
お答えとしては、田辺聖子文学館の副館長さんだけあって、即座に「世界に通用する文学の原点だと思っていらっしゃいます」とのことだった。
確かに。田辺源氏は、あくまで温かいまなざしで描かれているようである。さもありなん、戦時中、防空壕の中でも、文学少女らしく、源氏物語に登場する女性像を、友人達とあれこれ語り合っていたらしい。そういう心根のたくましさ、芯の強さ、自由に羽ばたく想像力と創造性は、とかく男尊女卑と揶揄されがちな偏狭な日本観に対する雄弁な反証となり得よう。
早速、この市立図書館で本を借りてみた。
既に、市民である身分証明書を提出し、図書館利用カードを作ってもらってあったので、後はパソコンの装置にカードを差し込み、借りたい本を台の上にのせて、画面上で冊数をクリックするのみ。簡単に貸出票が出てくる。開架室の本は、全て表紙の裏側に本のデータが入力されたチップが貼り付けてあり、パソコンで読み取り可能なのだ。
つまり、カウンターで列を作る必要もなければ、借りる本を見られることもない。実に簡便で、いわば「図書館のAI化」の一端でもある。
さらに凄いのは、ここでは一人が一回につき30冊まで借りられることだ。言うまでもなく、市内には5つの図書館があり、返却ボックスも駅前など、便利な場所に設置されている。
今秋まで21年ほど住んでいた大阪府の小さな町では、郷土資料以外は、殆どが暇つぶし程度の本が大半で、最大限10冊までしか借りられなかった。しかも、図書館で働くスタッフ女性達が、お世辞にも図書館をフル活用してきた読書人生のようには見えなかったこともあり、真面目に一生懸命、きれいに本を整理してはいたが、どうでもいいところに力こぶを入れて作業をしていたきらいがあった。
そのとばっちりを受けてか、私は細かい点でいつも注意ばかりされていた。
「コピー用のお金は、両替できませんので、自分で小銭を準備してください」「両面コピーは、(スタッフが使い方がわからないので)なるべく控えてください(!)」「付箋を外して返却してください」(←鉛筆の書き込みがたくさん平気でなされている本についての注意はなく、代わりに、私が見つけ次第、消しゴムで消して返却していた!)「府立図書館の本は、一日でも返却が遅れると、町内全員が借りられなくなります」(←府立図書館に電話で尋ねたところ、「そんな規定はない」とのことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210))「ひゃぁ!横文字、私読めないわぁ!」「そんなに本を借りて、何か新しい勉強でも始めたんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/200710)云々。
自転車での日常の買い物ついでに利用できたので、いつでも時間を買うつもりで片目をつぶって、府立図書館から借りる制度や、クラシック音楽のCDや新刊書の購入等、町税を払っている者として精一杯、最大限の活用はしていた。だが、正直なところ、知的水準の齟齬というのか、やや不快感が抜けなかったことは否めない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)。
こちらでは、生け花や書道や水彩画や音楽や俳諧、くずし文字学習(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181121)等、市民の文化活動が盛んで、私みたいなのは全く普通。図書館職員との会話も実にスムーズで、大変に快適である。また、図書館内の学習室も、社会人用や中高生用等、ほぼ満席で、皆、本を広げて熱心に勉強していた。言わずもがなだが、別の階には子供用のコーナーもたっぷりスペースが確保されている。
日本の国力維持と活力向上のためには、こうでなければならない。
「揺りかごから墓場まで」と、託児所や老人ホームばかり作っているようでは、士気が下がってしまう。
ちなみに、兵庫県は今でも、1995年1月に発生した阪神淡路大震災の余波が残っており、全国ワースト1クラスの財政状況だとのこと。その中で、我が市は地価が上昇し、待機児童もゼロで、妊婦さんや子供をたくさん見かける。つまり、住みやすいために人口が密集していて、市税からお金を出して県を「援助」しているとのことだった。
兵庫県内で裕福でお金持ちの市と言えば、昔から芦屋や宝塚のような印象があるが、我が市もまんざらではなさそうだ。
S町のY町長様、町の活性化は図書館からですよ!頑張ってください!
さて、早速借りた本は、以下の三冊。

田辺聖子田辺写真館が見た"昭和"文藝春秋2005年/2006年 三刷
マハティール・ビン・モハマドルック・イースト政策から30年ーマハティールの履歴書日本経済新聞出版社2013年5月13日
ユン・チアン/ジョン・ハリディ(著)土屋京子(訳)『マオー誰も知らなかった毛沢東(下)講談社2005年/2006年 六刷

田辺聖子さんの貴重な古い家族写真を元に、戦前戦後のご家系を綴った最初の本は、自宅に戻って、笑いながら、すぐに読み終えてしまった。大阪育ちの主人には、描写がぴったり心情に合うらしい。
新発見としては、結構、男っぽい凝った漢語を多用されることだった。私の語彙では、もちろん、ない。
ちなみに、過去ブログで田辺聖子さんに言及したものは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080722)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090324)。
マハティール氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%CF%A5%C6%A5%A3%A1%BC%A5%EB)の著述は、昔から基本的な思想が変わっていない点に注目を。また、戦時中の日本軍のあり方について、必ずしも日本の保守派が主張するような単純に好意的な見方ではないことは、留意すべきである。
さらに、出版日の5月13日は、マレーシアでは過去に人種暴動事件が発生した日として銘記されていることにも、心配りをしたいところである。
『マオ』は、櫻井よしこ氏の著述で知った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)。5年経った今、ようやく読む機会を得た。下巻から始める理由は、そちらの方が知りたい情報に富むからである。

致知出版社のメルマガを引用した過去ブログ一覧は、以下に。

•2018-11-22   温故知新は今ここに
•2018-11-02   最近のメーリングリストから
•2018-10-25   勉強法・加齢の知恵・自業自得
•2018-09-16   こういう話が好きだ
•2018-08-25   叱って育てよ
•2018-03-31   おいしい料理をつくる
•2017-09-13   世間の大勢とつながる
•2016-01-29   故羽仁五郎氏を巡るメモ(3)

(リスト終)
PS:上記の三冊のうち、以前住んでいたS町の図書館検索を試してみると、田辺聖子さんの本は入っていたが、他の二冊は入っていなかった。
こういうところが、駄目なのである。『週刊金曜日』みたいな雑誌や(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)、左翼系や新左翼系の本ばかり目立つように入れていたし、今年4月からリニューアルされた図書館ウェブでは、「マイ本棚」「他の人がどのように読んでいるか」や「借りた本の平均評価」ランキング欄まで作っている。
「マイ本棚」なんて、下手に書き込んだら、次々と余計なおせっかいが入ること、間違いなし。それに、それこそ知的水準や思想の「個人情報」が図書館に筒抜けなのだ。
林業、農業、商業、工業、教育、町外への勤め人等、多種多様な職種で暮らしを立てている小さな町で、こういう形式を平気で採用しているところが、「図書館とは長らく無縁の人生だったような女性達が働いている場所」だと思わされるのだ。
公立の図書館で働く以上、タイトルや出版社や表紙デザインを見ただけで、さっと傾向や内容が察知できるようでなければならない。つまり、それほど幅広く本というものに馴染んでいなければならないのである。
図書館司書の資格の有無ではない。第一、図書館の仕事は力仕事で、埃や紙虫に塗れるのが前提だ。
ちなみに、引越し前に『S町史』の分厚い本を斜め読みしたところ、大阪府下でも古くから裕福な土地の上位に挙げられていた。つまり、土地柄は良いのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180802)、政治思想が悪いのである。

2019年6月10日追記:

https://mainichi.jp/articles/20190610/k00/00m/040/120000c?fm=mnm

「作家 田辺聖子さん死去、91歳 大阪弁駆使した軽妙な文体で愛され」
毎日新聞
2019年6月10日
大阪弁を駆使した軽妙な文体の小説やエッセー、さらに評伝や古典を現代によみがえらせた作品を次々に発表し、世代を超えて愛されてきた作家、田辺聖子さんが6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため死去した。91歳。

(転載終)

https://mainichi.jp/articles/20190520/ddl/k28/070/318000c

毎日新聞
2019年5月20日
10年前頃まで、作家の田辺聖子さんとよく対談をした。当時の田辺さんは、自分で講演するのが面倒くさくなったのか、対談やトークショーのような形を好み、2人であちこちのホテルや市民ホールを回った。兵庫県内でも伊丹(田辺さんは伊丹市民)や芦屋などで対談を楽しんだが、なんというか、私と田辺さんとは相性がよかったと思う。

(転載終)