ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「時間の経済」と格差問題

昨日書いた、田辺聖子名誉館長の古典と図書館を話題とするブログは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)、非常にアクセスが高かった。
経済の循環には、人々の自発的な肯定気分と知的刺激が必須である。
その土壌を育てる政治思想は、非常に重要である。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://ironna.jp/article/11267


・生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。
マルクス予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。
マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857−58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。
・経済学者の杉原四郎(1920−2009)による以下の解釈が参考になる。
「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。
・人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。
マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。
正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。
・厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。
・今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。
・国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。
外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。

(引用終)

(転載終)
上記の意見には賛同し難い面が多々ある。「時間」の「差別問題」に関する私見は、過去ブログに少し言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180907)。
労働時間から「解放」されれば、自由に能力を発揮する「時間」が持てるかどうかについては、実際に経済下層とされる人々の家庭での過ごし方を少しでも観察すれば、一目瞭然だろう。
事の本質は、そこにはないのだ。